俺は大学を卒業すると同時に学芸員になれた。針の穴よりも狭い門で、奇跡と言いようがなかった。忙しい職業でもあったが、贅沢はあまり好きじゃない。むしろ勉学は大好きだし、趣味は貯金っていうレベルだ。だからこの仕事はまさに自分にピッタリだ。

 そんな俺に、ある日大学時代の先輩が会いに来た。

「紹介したい人〜?」

「そうだ。喜べ、べらぼうな美人だぞ? 興児にお似合いだ」

 先輩はとても面倒見が良い。だからその人に、誰か紹介してくれって頼まれたんだろう。それで俺に白羽の矢が立てられたわけだ。

「でもそう人に限って、金遣い粗かったり金銭感覚が完全に麻痺してたり性格が死んでたりするじゃないですか? お金を愛してるような輩は、俺は嫌ですよ…」

「おいおいおいおい、興児〜! 何を言う? この俺がお前に、是非とも会わせたいと言っているのを断るつもりか? お前がそのつもりならゴールインもできる。こんなに美味しい話はないぞ?」

 そのお相手というのは、余程恋人がいないことに焦りを感じているのか。だとするとババア? ちょっとそれは、と思ったが、

「お前、今年で二十四だったな? 相手も同い年だ。さらに言えば、大学も同じだったんだぞ」

 と先輩は言った。大学は学部が多過ぎで、同じ学科の同期ですら顔と名前が一致しないぐらい。だからほとんど他人だ。

「まあ先輩の頼みは断れませんし、顔だけ会わせればいいんですよね? 週末は空けておきますよ。あとはそっちで調節してください」

 俺は先輩にそう言った。そして先輩は他に用件はないのか、科学館から去った。

「さて、今日の仕事もまだ残ってるしな」

 手っ取り早く片付けようと思ったが、気がつくと日が沈んでいた。最後の見回りをしに、展示コーナーに行く。

「ん? 変だな…。この床、焦げてるぞ?」

 一部分だったが、黒くなっているのだ。火を使う展示はないわけではないが、その周辺じゃない。何故か炭化しているのだ。

 そしてそれに触れた時、

「助けて…」

 という、声が聞こえた。

「誰だ! 閉館時間はとっくに過ぎているんだぞ!」

 だが、誰もいない。どこをどう探しても、自分以外の人はそのフロアにはいなかった。

「何か不気味だ」

 その時は何もわからなかった。疲れすぎて空耳でも聞いたんだと思った。だが妙に暑かったのを覚えている。


 約束通り週末は、お相手と会うためにレストランに行った。

「初めまして。長谷川興児です。科学館の学芸員やってます…」

 その人は前評判通りだった。

「よろしくお願いします、大場おおば香織かおりです。私立学校の教師してます…」

 相手は何と、教員だった。だから先輩はお似合いと言ったのか。担当教科は社会であるらしく、俺の知らないことをたくさん知っていた。逆に俺は、香織が尋ねた理解についての質問全てに答えられた。

 意外にも会話は盛り上がって、酒も入っていたためか、プライベートな話もした。

「興児くん、今日は終電まで大丈夫?」

「それが、明日出勤しないといけないんだ…」

「なら今日はお開きにして、今度会う予定決めない? 近いうちの方が私はいいな」

 それで次も会うことになった。


 浮かれてばかりはいられない。科学館の仕事も真面目にこなす。だが、またあの声が聞こえてくるのだ。

「熱い…」

 デスクワークしている時だった。不意に耳元で囁かれたのだ。

「うわ!」

 驚いた俺は周囲をキョロキョロしたが、仕事仲間はみんな自分の席に着いている。つまりは声の主は、同僚じゃない。

「どうした長谷川?」

 同僚の森下もりしたしげるという男が俺のことを心配そうに見ていた。

「何でもない。ちょっと疲れてるみたいだ……」

「なら早く帰れよ? そのデータをパソコンに打ち込むだけなら俺にでもできるし、俺の方が早い」

 俺は森下に仕事を頼むと、先に帰宅した。

 その晩に夢を見た。熱い炎が俺に迫ってくる夢だった。息も苦しくなって、気がついたら目が覚めた。

「………何で枕が、胸の上に移動してんだ?」

 苦しかった原因はそれだったが、こんなに寝相が悪かったことは今までで一度もなかった。

 本当に疲れ過ぎなのか? だが他に理由が思いつかない。とにかく休める時は休んで、無理をしないように心がけた。香織と会う時に疲れを見せても失礼だからだ。

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