八月に入ると、私の運命は大きく変わった。


 その日、外出していると、急に防空警報が鳴り響いた。

 どうすればいいのかわからず私が混乱していると、急に上の方から大きな音がした。

 敵機だった。私の頭上を余裕で飛んでいる。機銃を放っているのか、近くの民家の瓦が割れる音が聞こえる。

「ああ…」

 本当に何をすればいいのかわからなかった。ただ一つ、ここにいたら弾丸が当たって死ぬということだけは、理解できた。

 その時だ。あの青年が私の体を背後から抱えて、その場から逃げた。私は、彼はこういう時こそ防空壕にいると思っていたけど、私の危機に駆けつけてくれたのだ。

 あの防空壕に二人で逃げた。そこまで来れば安全なはず。私は安心した。でも青年は、

「貴子、行かないといけないところがある」

 と言った。まずは空襲がおさまるまで待って、警報が解除されると私たちは防空壕から出た。

「どこに行くの?」

「小倉」

 急にそんなことを言うのだ。

「小倉って、北九州の?」

 彼は頷いた。

「それ、どれぐらい離れてるか知ってて言ってるの?」

 行くと言われても、そんな遠くに勝手に行くわけにはいかない。両親が心配するからだ。それに、移動手段も整えないといけなかった。私は運賃なんて、一銭も持ってはいないのだ。

 だから行かないといけなくても、そもそも行くことができない。

「小倉に知り合いもいないよ? 行ったことすらないのにどうして今、行かなきゃいけないの?」

 私は青年を引き止めるために言った。

 でも青年は、これについては強引で、

「どうしても貴子を連れて行かないといけないんだ」

 そう言うと、無理矢理私をおんぶして青年は防空壕を出た。何を言っても返事はくれたけど、下ろしくれなかった。泣くと撫でてくれる兵吉とは大違いだ。


 もうどのくらいの時間が経ったのだろうか。私はずっと青年の背中の上にいた。気づけば日は落ちて、真っ暗だ。全く知らない町に二人ぼっち。私は不安になった。

「ここまで来れば大丈夫だ」

 何が大丈夫なのかは、教えてくれない。早く帰りたいと言っても、聞く耳すら持ってくれなかった。

 でも彼は、知り合いがいない町でも生きていけると豪語した。その宣言通り、鞄からはいつでも食べ物を取り出した。そしてどこで知ったのか知らないけど、また防空壕に住み始めたのだ。


 八月九日。この日はゆっくり起きた。既に青年は身だしなみを整えており、非常に厳しい表情であった。私は何か、怒らせてしまったのかと思ったが起き上がるのを見ると、

「おはよう」

 と声をかけてくれた。私もおはようと返事した。すると青年は、

「ちょっと来てくれ」

 と私を連れ出した。

 近くの高台に上がって長崎の方を向くと、見たことがないきのこのような大きな雲がそこにあった。

「何なの、あれは?」

 こういう質問には青年は絶対に答えない。だけど、

「貴子…。あの下で七万人が死ぬって言ったら信じるかい?」

 と言うのだ。

「ななまん…?」

 いまいちよくわからない数字だった。

「ちょっと待って! 長崎には私の家族がいるんだよ? お父さんは、お母さんは、お兄ちゃんはどうなるの?」

 長崎には、兵吉だっているのだ。それが、みんな死ぬと? 私は信じられなかった。だってここからでは、あの大きな雲しか見えないからだ。

「貴子。大人になるまで長崎に戻ってはいけないよ」

 私はちゃんとそれを聞いていた。いつもなら反論しただろうけど、今回は別だ。青年の目が、どこか悔しそうな輝きを放っていた。だから彼に何も言わなかった。

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