弐
一九四五年七月。私は幼馴染の
「今日は兵隊ごっこをするぞ!」
時代が時代なだけに兵吉は、それに夢中だった。この前も学校で作文を発表した時も、早く大人になって兵隊になり、国のために戦いたい、なんて言っていた。
「ねえ兵吉。たまにはあたしにも零戦役をさせてよ」
「駄目だ! 貴子は空母役! 僕が零戦で、敵機を撃ち落とすんだ!」
一緒に遊ぶこと自体は楽しいことだけど、この空母役はただ、ぼさっとしているだけでつまらない。零戦役はイキイキとはしゃぎまわれる。それが羨ましかった。
「女は戦争に行って死ねないんだ、我慢しな!」
兵吉はそんなことを容赦なく言うものだから、私は悲しくて泣き出してしまった。
「うえーん、兵吉の馬鹿!」
すると兵吉は決まって態度を一変させて、
「女を泣かせる奴は大日本帝国国民じゃない!」
と言って頭を撫でて慰めてくれる。少し意地悪とは自分でも感じるけど、兵吉のその優しさが本当に嬉しかった。
兵吉と遊んだ後は、決まってちょっと遠くの防空壕に行く。別に空襲があるわけではないけど、この七月からお腹が空いたら行くようにしているのだ。
その防空壕には、青年が一人、いつも座っている。
彼とはつい最近知り合った。とは言っても名前は教えてくれなかった。だからいつもお兄ちゃんと呼んでいた。
彼は、耳が半分隠れる程度の髪の長さで、そして見たことのない服を着ていた。でも明らかに日本人なのだ。
「お兄ちゃんの家はどこにあるの?」
私は常に疑問に思っていたが、彼は、
「まだないんだ」
そうしか答えない。でも家がない割には、服は会うたびに変わる。だから何処かに隠れ家があるんじゃないかと私は想像していた。そしてそこには、きっと食べ物がたくさん隠してあるんだろう。
「はい。今日はこれだ」
この日は焼き芋をもらって食べた。日によっては焼き魚だったり、米だったりした。私は配給が減ってきていて常にお腹を空かせていたので、食べ物をくれる青年の存在はありがたかった。
「空腹には、気をつけるんだ」
「わかってるよ。だってこの前、隣町のおじさんが餓死したらしいし」
でも私だけ、お腹を満たせるのは、罪悪感を抱いた。だから、
「ねえ、ほかのみんなも呼んでいい? お父さん、お母さん、お兄ちゃん…」
だが青年は、
「駄目だ」
この頼みだけには、冷たく返すのだ。
思えばあの青年との出会いも不思議なことだった。
「君が、
国民学校の帰り道で、まるで私を待ち伏せていたかのように青年は曲がり角から現れた。
「はい…」
自己紹介もしてないし、私は有名でもなんでもない。なのに青年は私のことを知っていた。
「驚かせてすまない。お詫びにおいしいものをあげよう」
彼が私に差し出したのは、おにぎりだった。どうやったのか鞄に入っていたはずなのに、出来立てのように暖かい。そして見た事のない何かに包まれていて、中の具も食べたことがないものだった。
食べ終わるのを見計らって青年は、
「ちょっと来てくれないか?」
と言った。食べたからには行かなければいけないと思い、私は青年の後を追いかけた。
そしてそのまま、防空壕に連れて来られたのだ。青年はそこを自分の生活空間にしていた。
「ここで暮らしているの?」
青年は首を横に振った。
「じゃあ家はどこなの?」
「まだないんだ」
そうとしか答えない。意味がわからなかったので私は、それ以上何も聞かなかった。
その時が青年と最初に過ごした時だったけれど、青年は自分のことを何も喋ろうとしないのだ。名前を聞いても、教えてくれなかった。どうして長崎にいたかもわからなかった。
ただ言えることは、その青年は確かに存在していたことだけだった。
「貴子。長崎は好きかい?」
「うん、大好き」
しょっちゅう青年はそう尋ねる。私はいつも同じ答えで、彼の表情は複雑だった。
「そうか…。それは良いことだ。その思いは失くしてはいけないよ」
言われるまでもない。私は、生活こそ苦しいものの、長崎が大好きだった。
いつもは遊び相手にもなってくれる青年だったが、この日は違った。
「今日は食べたら、早めに帰りなよ」
「どうして?」
「どうしても」
もっとここにいたかったけど、帰宅を促されたので家に帰った。そして家族には、青年のことはずっと黙っていた。これは彼との約束で、もし存在を知らせたら、二度と食べ物をあげないと言われていた。私は言われた通り、というよりお腹が空くのが嫌だったから、血色が良いと言われても誤魔化した。
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