リバーシブル洗濯物
黒井羊太
洗濯物山盛り。
部屋中、見渡す限り洗濯物である。
違う。これには訳がある。
新生活が始まって半年。俺の仕事は忙しさが極まっていた。
朝一番に家を出て、帰ってくるのが深夜。休みの日なんてのは週一日。くたびれてる俺は1日寝てる。というか、気絶している。と言う訳で、洗濯をする暇なんてないんだ。
夜中に回せばいいじゃないか?バカ言え、うるさいぞ!ってアパート中からクレームが来るぜ。音だけじゃない、振動だってひどい。
コインランドリーを使えって?疲れ切った肉体に、数kmの移動は厳しいぜ。
と言う訳で、洗濯が滞っているのだ。
とはいえ、こんな生活だから洗濯物自体は実は少ない。仕事着のスーツとワイシャツ、それと下着くらいなものだ。私服なんて、仕事を始めてから袖を通した事がない。
スーツやワイシャツは仕事のついでにクリーニングに出せばいい。だが下着はそうはいかない。
まあたかが下着だと舐めていたらあっという間に溜まってしまった。洗う暇がないから足りなくなれば買い足した。それでも毎日の事なので追いつかなくなると、裏返して使った。パンツのリバーシブルにはかなり抵抗があったが、じき慣れた。
今日は休日。前日の疲れも少ない。少し部屋を片づけねばなるまいな。
洗濯機は新生活に合わせて買ったは良いが、一度も使ってやっていない。恐らく、これからも使う事はない。いっそ売ってしまうか。
洗濯物の山に手をかける。……すごい臭いだ。数日前の物はまだいい。流石に半年近く時間が経過すると、悪臭を放っている。
これはもうダメだろう……俺は諦めてゴミ箱にそれらを放り込んでいく。
これもダメ、それもダメ……
あっという間にゴミ箱は一杯になる。そうなると、今度はゴミを捨てる作業に取りかからなくてはならない。あぁ、面倒くさい。
一人黙々と作業を続けていると、
「コラーー!!」
と声がする。聞き慣れない、女性の声だ。
おかしい。この部屋には俺一人しかいないし、見た通り女っ気はない。女の子の声が出そうな物はこの部屋にはないし、そもそも持っていない。
幻聴か、疲れてるな……そう判断し、作業を続ける。
「無視すんなーー!!」
もう一度、明らかに俺に向けた声がする。一体どこの誰だ?
「何でもかんでも、あたしの中にぶち込むな~!」
ぶちこむ?何かを入れて……ゴミ箱?
そちらを見ると、うん、ただのゴミ箱だ。
しかし例の声は満足げに鼻を鳴らす。
「ふふん、ようやく分かったようね。そうよ、あんたの部屋のゴミ箱よ!
いい?! あたしはあんたの一回しか着てない下着をこのあたしの中に次々とぶち込んでいったのよ!? 信じられない!!」
甲高い、いわゆる萌え声と言う奴だろうか。しかし相手はゴミ箱だ。ステンレス製の、上だけが空いた円筒だ。何一つときめきなど起きるはずもない。
「……人と話す時はもう少し人らしくしたらどうだ?」
無茶ブリである。自分でも一体何に何を要求しているのか、よくよく考えると混乱しそうなので考えない事にした。
俺の要求に対してゴミ箱はそれもそうねと呟き、
「う~~~~~~~ん!! え~~~~~~~い!!」
と叫び出した。最初は何だか分からず戸惑ったが、やがて徐々にゴミ箱から手足が伸び始めてきた!
「ハァ、ハァ……こ、これでどう?」
随分お疲れの様子だ。確かにかなり様相が変わった。
女性らしいやや丸みを帯びた腕。不健康な程細くなく、不格好な程太くない。スラリと伸びた、なんて表現がぴったり来るくらい綺麗だ。
足なんてのはもっと素晴らしい。美しさと逞しさを兼ねたその両の足は「美しい」としか表現のしようがない。そしてその足は付け根付近まで剥き出しで、要は生足だ。ミニスカートだってここまでは見えない。それくらいきわどい所まではっきりと見えた。
そしてその付け根は、ステンレス製の円筒に繋がっている。セクシー感は台無しである。
「お前……ふざけてるのか?」
「な、何を言うのよ! 精一杯よ!」
必死で抗議してくる。妙に艶めかしい両手両足の生えたゴミ箱が、その両手をブンブン振り回しながら。
「そう言う事を言ってるんじゃないんだよ! もっと人間っぽく出来ないのか!?」
「うぅ~~……そんな事言われたって……」
あ、泣きが入った。
「あぁ、泣くな。あのな。このままじゃゴミ箱に語りかけてるみたいで自分がおかしい人間みたいにしか思えないんだよ。せめてフェイストゥフェイス、顔と顔をつきあわせてくれって言ってるんだよ」
まあそんな事言ったって、実際ゴミ箱と喋ってるんだからもう頭がおかしくなりそうだが。
「……分かった。頑張ってみる。……せぇの、う~~~~~~ん!!」
再び力み出す。おぉ、今度はいけそう!?円筒に顔が浮き出てきて……!
「ど、どう!? これで少しはイケるでしょ!?」
「……」
確かに顔が出来た。それが例えば美人であろうがなかろうが、何もそんな事は期待していなかった。
だが実際は想像を遙かに上回った所にあった。
ゴミ箱の金属板が、まるで内側から押し出されたように顔面が浮かび上がってきている。美醜なんて分からない。辛うじて目鼻と口が見える程度だ。
これに似たものを知っている。そうだ、デスマスクだ。顔拓だ。
「何とか言いなさいよ!」
うぉっ!?デスマスクがパクパク口を動かして喋ってる!?
不気味さに怯むが、これ以上の事はコイツには多分出来ない。もう諦めよう。俺はデスマスクと向き合った。
「あ、あぁ、これでいい。で、なんだっけ?」
「話の腰がすっかり折れちゃってるじゃない……一回二回着ただけの下着をゴミ箱の中に入れないでって話よ!」
そうだった。しかしそうは言っても現状がそれを許さないし、経済状況はそれを許容している以上、それを曲げる理由はなかった。
「そうは言ってもこれはもう穿けない。使う事が出来ない。従ってゴミだ。ゴミはゴミ箱へ。燃えるゴミは月・水・金」
「洗えばまだ使えるでしょーに! ワンガリ・マータイさんも草葉の陰で呆れ果てるわよ! 『モッタイナーイ!』って!」
「誰それ?」
「……『モッタイナイ』でググりなさい。超有名人よ」
眉根に皺を寄せた呆れ顔が腹立つ。ついでに言えば、長い手足を微妙に色っぽく振り回しながら説明するこいつが腹立つ。円筒に手足が生えた金属製の謎物体に色っぽさを感じる自分に腹立つ。
そんな俺の心情を更に逆撫でするように、萌え声を通り越してキンキン声で怒鳴り散らしてくる。
「大体何よこの洗濯物の山は! 洗濯機があるんだからちゃんと洗濯しなさいよ! それがダメならコインランドリー!」
「仕方ないだろ、時間がないんだよ。それに百均のパンツだから別に惜しくないし」
「あ~出た出た! 現代っ子的発想! 使い捨てちゃえばいい~、みたいな。可愛くないわね女の子にモテないわよ!」
ぷちり、と頭の中で何かが切れる。言い返してやろうと思っていた言葉がすうっと引き、妙な冷静さが頭を支配していた。
「あのな」
これまでにない、怒気を含めた言葉。ゴミ箱はそれを敏感に感じ取り、口を
「ここは俺の部屋だ。俺の城だ、俺の国だ。世界中で俺だけが好きにして良い空間だ。俺の好きな物だけで出来ている空間だ。
ここにある物は全て俺がそのように配置した訳だし、俺が嫌いな物なんてこの部屋には持ち込んだりしない。俺の好きな物だけで出来てるんだ。
お前は何だ。俺に逆らうのか? 家主に、城主に、世界の支配者に?」
「そ……それは……」
俺のあまりの勢いに、思わず言い淀むゴミ箱。こここそ勝負所。何せコイツは押しに弱そうだ。俺は一気に畳みかける!
「そうか、逆らうのか。たった今言ったよな? 俺は嫌いな物をこの部屋に置いておく理由がない。だから俺に逆らうお前は今からゴミ捨て場に捨てに行く。良いな?」
「そんな!?」
手を口元にあてて驚くゴミ箱。しなをつくるな、しなを。
「驚く事じゃないだろう? 気に入らなくなった物をいつまでもこの部屋に置いておく道理はない。俺はお前の態度が気にくわない。だから捨てに行くんだ。それだけだ。良いだろ?」
高圧的な態度を目の前に、ゴミ箱は露骨にシュンとする。戦意は失われた。俺の勝利は確定的である。
「……良くないです……」
小さな反論。聞こえているが、敢えて聞こえないフリをする。
「何? 聞こえない!」
「良くないです! 捨てないでください! お願いです、何でもしますから!」
涙声である。やりすぎたか、とも思ったが、ここはビシッとしつけてやらねば後々困るのは俺だ。心を鬼にしよう。
「そうか、何でもするか。じゃあ俺の方針には?」
「……従います」
「何だ、その態度。不服か? 何なら……」
俺の脅すような態度に、慌ててゴミ箱は頭を下げる。あ~ぁ、詰め込んでた下着が少し飛び出した。
「従います! 従わせてください!」
「じゃあ今お前がすべき事は何だ!?」
「ゴミを捨ててくる事です!」
「分かったならさっさと行って来い!」
「は、はいぃぃ!」
情けない悲鳴と共に玄関から外へ、ゴミ箱は走っていった。
冷静に考えれば、あんなゴミ箱が自身の中に詰め込まれたゴミを集積所に捨てている姿を見られたらえらい事になる。そうは思ったが、もう何かするのも面倒くさいので放っておこう。
ふと、静かになった部屋を見渡す。
ゴミ、ゴミ、洗濯物。たまり溜まった洗い物に積もり積もった埃。汚い部屋だ。
『ここが俺の世界だ。俺が好きな物だけで出来ている空間だ』
これが、俺の好きな物なのか。これが俺の世界なのか。
まるでゴミ溜めだ。これが俺自身だ。俺は……ゴミだな。
いや、そう諦めるのはまだ早い。掃除して、人生をやり直せば良いんだ。
そんな事を考えていると、天井が開くのを感じた。
……ここはアパートの一階で、上には二階の部屋がある。じゃあ、天井が開いたこの光はどこから来てる?
恐る恐る見上げてみると、巨大な目玉と目があった。
大きさは、そう、数メートルにも及ぶだろうか。それが天井と壁の隙間から俺の事を覗き込んでいるのだ。
「あらやだ、ゴミがすっかり溜まっちゃってるわ」
はっきりとそう言った。そして目玉が消え、口が現れた。目玉の何倍も大きな口だ。
あぁ、きっと今に口から息が吹き出される。あれだけ巨大なんだ、突風ってレベルじゃ済まないだろう。この部屋のありとあらゆる物が吹き飛ばされる。その中には当然俺も含まれている。
他人から見れば俺なんて存在は、俺自身が例えどう思っていようと価値のないゴミなのかもしれない。強大な力の前には、その価値観をひっくり返す事も出来ない。どうやったって俺はこれから起こる未来を受け入れなければならないんだ。
リバーシブル洗濯物 黒井羊太 @kurohitsuji
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