第16話

 

 息が出来ない、胸を大きく膨らませて息を吸いたいのに、それが出来ない。細かく、荒い呼気が耳をつく。―――苦しい、死ぬ……


 全身動かせない、左手と肩に波打つような鈍痛がある。ムズ痒い、チクチクする。なんなんだ、一体。


 様々な獣の、呻く声が聞こえる。どうやら、反対側の壁につけた布団の周りをウロウロしているようだ。

 あれは何だ?ドロっとしたと思ったら、形が変わるのだ。犬の様だったり、猿の様だったり、猪の様だったりといった有様で、形が安定しない。分からないが、あれは嫌なものだと感じる。


 指の一本たりとも動かない。誰か……


 目線を必死に左に振って、腕を確認する。

 紫と緑に黒煮えた腕に、うねうねとうじのように瘴気が這っていた。―――嘘だ!やめてくれ!


 必死に腕を振ろうとするが、動かない。嫌だ腕が、腕が落ちてしまう。誰か…




 体を優しくぬぐわれるのを感じた。拭われるたび痛みが和らぐ。こめかみを撫でる温かい手に安心して、俺は目を閉じた。




 また目覚めると、視界の端に女がいた。ざんばら髪で、顔は良く分からないが笑っているのは分かる。どうしたらそうなるのか、という程のボロを着て、何かをつついている。

 あれは···ハリルか?


 苦しそうに喘ぐ犬を、遠慮なく触りつついてはケラケラ笑う。女はハリルを存分に検分けんぶんすると、途端につまらなそうな顔になり、枝を握り心臓に突き立てた。


 ―――――やめろ!


 悲しそうに一鳴きして、ハリルの首が落ちた。


 女は枝をそのままに立ち上がると(嫌だ、来るな!)こっちを見た。

 顔は見えないのに、目が見開かれたのが分かる。女の口が笑の形に引き上げられ、何かを話した。その声は聴こえるのに、全く理解出来なかった。全身の血が引き、鼓動が痛い。女がすーっと近付いてくる。

 ―――来るな! あっちへ行け!




「来るな!」


 大声で叫んで、飛び起きた。汗をかき過ぎたのか、体が冷たい。左腕を見ると、黒煮えてはいたものの瘴気が吹き出したりはしていなかった。


 存分に息を吸い、握りしめていた布団を離した。


 ふと前を見ると、ユウナが部屋の入口で立っていた。ここは···サヒラー様の小屋か?

 アミルはどうなった?犬達は?


「此処はサヒラー様の小屋か?サヒラー様はご在宅か?フィナはいるか?」


「サヒラー、いる」


 訪ねておいてなんだが、まさか文章で返ってくるとは思ってなかったので驚いた。ユウナは頷くと、出ていった。


 子供のようだが、一人になると辺りが薄暗く見えて恐ろしい。あの女はなんなんだ?ハリルは?


 腕の痣がゾワッとうごめいた気がした。

 痛みが増した気がする、早く戻って来てくれ。


 程なくして、ユウナがサヒラー様を連れて来てくれた。現金なもので、心細さが解消されたら痛みも和らいだ気がした。


大使サヒラー様、力及ばず、ご迷惑をお掛けしました」


 椅子に腰掛けながら、サヒラー様は諭すようにおっしゃられた。


「何を言う、禍祇まがつぎが出たのだ。死人も出さず、玉納めもつつがなく行われた。これはお前達の手柄だ。謝ることなど何も無い。エルカイよ、己の慧眼を誇るが良い」


「ありがたきお言葉、痛み入ります」


 深く頭を下げて、あれからの経緯いきさつを説明して頂いた。


「アミルは無事だが、具合は良くない。全身に穢れを貰って、意識が戻らぬ。お前と一緒に寝かせていたのだが、呪いと穢れが増幅するようで、小屋を移した。犬は二匹は良いが、一匹ハリルだったかお前の犬だろう?辛うじて生きているが、どうなることか」


 夢のことを思い出した。あの獣共が取り囲んでいたのはアミルか?ハリルはやはり死んだのか?


「今しがた、夢ともうつつとも知れぬ幻のようなものを見ました。その幻の中で、獣共が誰かを、恐らくアミルを取り囲み、恐ろしい女がハリルの心臓を刺しました」


「ふむ···。ハリルを見に行かせよう。獣というのは禍祇の呪いだとしても、女というのが気になるな」


 サヒラー様がユウナに「ハリル、見る」というと、ユウナが「見る」っと言って出ていった。

 俺が余程面白い顔をしていたのか、サヒラー様がプッと噴き出してから、仰った。


「驚いたか?お前達の世話もあやつがしたのだぞ。言葉も、まだ三歳児程も喋れぬが、動詞も何個か覚えてな」


「いったい私はどれ程寝ていたのですか?」


 サヒラー様はさも面白そうに笑って「安

 心しろ、二日しか経っておらぬ」と仰せられた。


「アレはタダ飯は食えぬと思っているのか、仕事は良くやってくれるし、語学の方も頑張っている。フィナが意外にも気に入って、面倒をみている。女というものはお喋りなものだ、一緒に居れば勉強もはかどろう」


 サヒラー様とも上手くやっているようで、正直、意外だ。俺が拾って来た様なものなので、上手くやっているなら嬉しいが。


 ガラっと戸を開けて、ユウナが戻ってきた。顔を見れば分かる、ハリルは死んでいたのであろう。


「ハリル、死」


 ハリルの世話もユウナがしてくれていたのか、今にも泣きだしそうな顔をしている。「ゴメン」っと言うユウナに首を振った。


「世話をありがとう、ハリルもきっと喜んでいたはずだ」


 布で拭うことは、祓うのと同じだ。俺にしてくれたように、拭ってやって撫でてやっただろう。それがハリルを、癒したはずだ。


 唇を噛み締めながら下がっていったユウナは、暫くして粥を持ってきてくれた。


「今は養生することだ。体力が戻らなければ呪いに負けるぞ。アミルの方もこれから祓っておく」


「諸々のこと、ありがとうございます。ご迷惑をお掛けいたします」


 サヒラー様が出ていった後、何故か粥を食べさせようとするユウナと組み合いになった。触りがあるのは左手なので、自分で食べれるというのに、決意を感じる真顔で迫ってくるのだ。正直怖かった。


 一口食べさせられてしまってからは、諦めてさせるに任せた。二日寝ていたので、体力が落ちていたのだろうか······


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