第15話

 

 呟くような呼吸こきが恐ろしくて、私は耳を抑えて後ずさった。濃厚な呪いの気配と、水底の草を思わせる瘴気の揺らぎ。冷たく、ねっとりした空気が動きを阻害する。


 ―――怖い、気持ち悪い。


 怨嗟えんさの声が聞こえる······




 パンっと、大きな音がして世界がもどった。もう影は見えない。サヒラーさんが両手を打って、くむくむと何かを唱え始めた。


 同時に、ハタキの様なものでうねる瘴気を叩き祓う。

 ただ、布で叩かれてるだけなのに、目に見えて瘴気は弱まっていく。

 サヒラーさんは少年から目を離さず、るるちゃんにくむってから「ユウナ」と手招きをして私を呼んだ。


 固まっていたるるちゃんが、顔を引き攣らせながら下がっていく。るるちゃん······


 これ、呪いだよね?何であんなにハッキリ見えたの?何でこんな子が呪われてるの?


 サヒラーさんは私にハタキを渡し、奥を指さした。―――カイくん!


 カイくんの肩から腕が、どす黒いあざとなり、そこから瘴気が吹き出していた。眉根を寄せ、苦しげに浅く息をしている。


 え、これはカイくんを私がお祓いするってこと?! 無理でしょ。こちとらただのペットショップの店員よ?


 ボソボソと囁く声がする。さざ波のように、寄せては返すざわめき。


 ―――なんなのこの声は。




 えぃ、もうやってやるわよ! はたけばいいんでしょ叩けば。

 カイくんの左肩から左腕を、落ちろ落ちろと思いながら叩く。何も唱えてないのに、瘴気のうねうねが吹き飛ばされて剥がれていく。


 るるちゃんが、タライにお湯を入れて持ってきた。手ぬぐいを絞って渡してくれる。拭けってことよね。

 顔から拭き始めたけど、痣を指さしてここを拭けと言ってるみたい。


 ハタキで叩けたみたいに、ぬぐって呪いがとれるってこと?良く分かんないけど、それで良くなるなら幾らでもいてやんよ!


 肩から腕にかけ丁寧に、ぬぐっていく。手ぬぐいを絞る時に気がついたけど、お湯に入ってる石に刻印が入ってる。

 ただ拭いてるだけじゃなくて、ちゃんとお祓い的な効果が期待できるお湯になってるのかも。少し安心した。


 カイくんの呼吸が落ち着いてきて、眉間のシワもなくなった。あれ?なんだか少しこの痣薄くなってない?あんなにどす黒かったのに、黄色とか緑とか紫に見える所があるよ。これはこれでちょっと気持ち悪い······


 でも、良くなりそうで良かったよ。


 3周目を拭き終えると、サヒラーさんが少年を拭くように手振りでしめした。

 るるちゃんがたらいのお湯を変えてくれる。


 この少年が、フィナちゃんが言ってたアミルくんって事だよね。全身に痣がついている。肌色の所の方が少ないレベル。

 ヒューヒューと喉が鳴っていて、如何にも苦しそうなのに、意外にも穏やかな顔をしている。

 サヒラーさんのお祓いが効いたって事かな?こちらは顔から全身拭きあげる。

 でも、なんでだろう。カイくんの痣は目に見えて変わっていったのに、アミル君の痣は三回丁寧に拭いやっと、少し薄くなったぐらい。

 元の呪いの濃さが違うからかな······


 一体何があったんだろう。何があって、こんな呪いを受けることになったの?この世界は、私が思うより遥かに危険な世界なのかもしれない。


「みゃー」


 あ、みう。

 お前よくこんな所に来れるね?猫っこういうのに敏感なんじゃなかった?

 みうは抱きあげようとする私の手をすり抜けて、アミル君の首元で肩を枕に丸くなった。慌てて下ろそうと手を伸ばすと、サヒラーさんに止められた。なんで?


「くむくむ、くーむくーんアミルくりんくむ」


 解せぬ!

 サヒラーさんはみうにくむってから頭を撫でた。『よろしく、みう』っとでもか言ってるのかな。サヒラーさんって何気に優しいよね。


 兎に角、みうはベット居ても良いらしい。魔よけにでもなるのかね?温もりが傍にあるのって心強いしね。

 あ、顔舐めてる。良いのかな?猫の舌って案外痛いんだけど···。


 次に、るるちゃんに馬小屋に連れていかれた。ぐったりと横になる三匹のワンコを、同じように世話する。一匹、物理的に大怪我してるように見えたけど、獣医さんっているのかな·····。



 サヒラーさん宅に戻る道で、るるちゃんがほぅーーっと息を吐いた。うん、その気持ちわかるよ。息しづらい空気の粘度だったもんね。タライに水を汲むのだって、重労働だしね。

 水汲みをねぎらおうと横を向いたら、るるちゃんに黒い瘴気がうっすらついてた。


 ぇっ、るるちゃんにうねうね付いて――――――バッサーンとるるちゃんに砂がかけられる。


 壺を小脇に抱えたフィナちゃんが、柵の入口のところに仁王立ちしてて、るるちゃんにバッサバッサ砂をかけた。えーっと、清めの塩みたいなもん?っと考えていると私にも砂が飛んできた。あ、これ結構痛い。


 砂まみれになった私にフィナちゃんが、ハタキを渡した。なるほど、畳の掃除に出がらしのお茶っ葉撒くようなものね?


 るるちゃんをパンパン叩く、落ちろ落ちろー。怯える、るるちゃん。

 これ落とさないときっと怖い夢見るやつだから、ね?あとちょっと、ちょっとだけだから!


 るるちゃんを思う存分叩いたあと、フィナちゃんが、私を叩いてくれました。それはもう、親の仇のように叩かれました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る