第12話
槍を構えながらじりじりと下がる。猪の突進は恐ろしいが、真っ直ぐ突っ込んで来る物に槍をつき指すのは
普通の猪ならば、だ。
朝日が差し込み、落ち葉が積もった地面からは霧が立ち上り始めている。猪の周りの空間が、陽炎が揺らめくように揺らいで見えた。
こめかみを汗が伝う。頼む、早く来てくれ。
この辺は、建て替えの御柱の為に余裕を持って間引きをしているので、木々のあいだが広い。射線は通るが、あの背を見た後ではな……。
吹き出していた瘴気の渦が、するすると猪に吸い込まれていく。猪は頭を上げて喉を鳴らし、ゆっくりと立ち上がった。
全身の毛が逆立つのを感じた。来る。
猪がググっと喉を鳴らすと、体から湧き出た瘴気が矢となって打ち出された。斜めに倒れ込むようにして躱し、肩で回り素早く構える。
なんだ今のは! 心臓が早鐘を打ち、ぐわんぐわんと耳元でがなりたてる。毒矢を打ち込みたいが、槍を手放すのが恐ろしい。
「アミル!」
叫んだ瞬間、横合いから矢が打ち込まれた。猪がアミルの方に体を向ける。ボコリと瘴気が湧いた。
「アミル避けろ!」言いながら弓を構えて毒矢を番える。当てる!空気を裂いて矢が猪の横腹に突き刺さった。
よし! 槍に持ち替え、地面を叩いて挑発する。槍を失ったアミルの方に行かれてはまずい。血留め玉をぐっと握り込む。(滑り止めに麻紐を巻いた後、
この距離があれば、あの厄介な瘴気の矢も何とか躱せるだろう。後は毒が効くまで待てば良い。
トッっと軽い音を立てて、猪に矢が刺さった。
「アミル、もう打つな! 毒矢を射ってある」
顔だけでこっちを見ていた猪が、アミルの方へ動き出した。不味い「アミル木の影に入れ!キリ、クフ行け!」
吠えながら後ろ足に噛み付いたクフが吹き飛ばされ、脇腹に喰いついたキリが口を離して鼻ズラを搔き転げ回る。口元は黒い火のような瘴気が纏わり付いていた。あれは移るのか?!
走り込み、猪の太股を槍で突き捻りながら引き抜く。引く抜く時にぬらりとした瘴気が蠢き、槍を這ってこようとするのが見えた。おぞましい、あれに触れてはならぬと本能が叫ぶ。
猪はびっこを引きながらも足を進める。可笑しい、何故こっちを向かない。
引き戻した槍を足首めがけて突き出す。ガッと骨に当たる手応えがした。猪は傾いだが、それだけだった。がくがくとした動きでアミルに向かい進む。
「アミル、何をしている!逃げろ!」
アミルは大きく目を見開いて立ち尽くしていた。身体中至る所に傷を負いながら、何処にそんな力が残っていたのか、速度を上げた猪がアミルに突っ込む。
「どけ!!」
3匹の犬と共に現れたラムジは、アミルを蹴飛ばすと横から槍を鼻ズラに叩きつけた。痛覚が無さそうに思えた猪が、頭を振って唸っている。
「ラムジ離れろ、そいつ
「何でこんな奴が……」
うねり迫ってくる瘴気を躱しながら、ラムジが下がる。
「毒は入れたが倒れない、どうする?」
「お前はこれを焼けるか?」
こんな大きさのもの、ただの魔獣ですら焼いたことなどない。しかも禍祇だぞ、自信なんてこれっぽっちも湧いてこない。
「分からない」
「どちらかが止めて焼き祓わねば」
俺は祓いの経験が浅い、やりの腕もラムジに遠く及ばない。ラムジが術を使う方が良いに決まっているが、技量の劣る俺に的になれとは言い辛いのであろう。
「俺が止める」
止めるなら正面からだ。低く構えて、喉元に合わせる。相手から来てくれるのだ、突く必要さえない。槍尻さえ固定できれば、成り立てならそれだけで倒せるやもしれぬ。
「止めきれなくとも、直ぐに退け」
槍を構え、牽制しながらラムジが言った。
「ちょっと待って、明らかにあいつは僕を狙ってるんだから僕がやる」
蹴られて落ち着いたのか、アミルがラムジの後ろから声を上げた。確かに、奴はアミルに執着しているようだ。だが、お前は蹴られるまで固まっていたではないか。
「分かった、二人でやれ」
ふーっと息を吐く。「アミルは矢を射ろ。俺が地に止める。動き出したら唱えてくれ」高々数秒止めれれば良いのだ、行けるはずだ。
「分かったよ」
流石に槍を貸せとは言えなかったのか、アミルは渋々頷いた。
「後ろへ下がってからカイの所へ行け」アミルが頷くと、ラムジは素早く左右に振れながら猪に駆け寄り顔に礫を打った。そのまま軸をズラし槍を構え、今や触手の様に蠢く瘴気をいなす。
俺は大きな
後ろへ下がり死角からやって来たアミルの肩を軽く叩き、目を合わせて頷く。
アミルが弓を構える。槍の握りを確かめ、大きく息を吐き「よし」っと呟く。透かさずアミルが矢を射た。
猪の横尻に矢が刺さる。「おーい、こっちだぞ」っと言いながらアミルが更に矢を射る。
のそりと猪が動いた。頭を巡らせてこっちを向く。
「矢が来たら木に隠れろ」
「分かった。カイこそ潰されるなよ」
猪はのしのしと歩きながら頭上に瘴気を練ると、矢をうちだした。打った瞬間に横に飛ぶ。
矢が刺さった所の落ち葉がブワッと舞った。鼓動がうるさい、大丈夫だ落ち着け。
アミルが木の影から出て来て再び矢を
アミルの放った矢が眉間に突き刺さる。恐ろしいことに、痛痒も無さそうだ。「アミル引け」脚を開いて腰を落とし、槍を持つ手を解放しぐっと握り直す。さぁ、来い!
並足から駆け足になった猪が突っ込んでくる。想定より早い!槍を構える。今!
猪の喉元に矢を差し込み、
猪の身体に槍が沈んで行き、前足が持ち上がった。全力で槍を支える。ドロっとした血が槍を伝い、猪が足を掻く。これは……もたぬぞ!
アミルが横から勢いよく山刀を突いた。ありがたい、傾いだ。このまま倒す!
蠢く瘴気がアミルを絡めとる。
「くそぉぉぉっ」体重を掛けて槍を左に傾け、猪を倒し、すぐさまアミルに飛びつき転がる。
アミルに触れた瞬間、世界が濁った。
イタイ カユイカユイ アツイ イタイ ニクイ ニクイ コロス コロス コロス コロス イタイ クルシイ クルシイ ニクイ カユイ カユイカユイ ニクイ クルシイ コロス クルシイ…………
地面を転がりながら、胸を掻きむしる。視界が歪む。苦しい、痛い、辛い、辛い、痒い、苦しい。猪が燃えているのを横目に見ながら、俺は意識を手放した。
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