第11話

 

 朝、まだ日が登る気配もない内に目が覚めた。やはり緊張しているのだろう。露払いは上手くいった。滞り無く大事なく、玉納めは終わる筈だ。


 今年に限って不安なのは、やはりあの女の事があるからだろう。


 凶事あらば、少領アズィーズが黙っていない。奴は商人共の神輿だ、農業を保護し商人に税を課すジュノィ大領にケチをつける為ならば、どんなあらでも突いてこよう。


 作物を作る農民が税を納めて、右から左へ物を動かして大金を得ていた商人が無課税だったのが可笑しいのだ。しかも高々三分さんぶだぞ。




 俺は、ユウナを西の池で見つけた後、大領様に進言した。


 服や持ち物がどの国の物とも思えぬほど、変わっている事。全く聞き覚えのない言葉を話す事。此方の言葉を全く理解出来ぬ事。隙だらけで警戒心が乏しく、間者とも思えぬ事。これらを進言して、大領様に引き渡した。


 ジュノィ大領は、ユウナを客人として受け入れることにした。


 他国の者が聖域に立ち入るなど、本来なら許されざる事だ。このタイミングで問題が起これば、アズィーズは必ずユウナのせいにしてくるだろう。そして大領様に責任を取らせようとする筈だ。


 流石に大事な玉納めの日に仕掛けたりはして来ないとは思うが、凶事は望むところと言う事だ。



 顔を洗い、丹念に体をほぐす。仕掛けてくることは無くとも、東の守りは当てにできない。変異があっても、余程の事がなければ見逃すように言われている可能性がある。


 早めにラムジの家に寄って、配置の相談しなければ。役から外れているアミル達を……。いや待て、サヒラー様にご助力を願うべきかもしれぬ。あの方はユウナの庇護者になったのだから、これは申し上げるべき事案だろう。


 政治に、いや俗世に興味が薄い方なので気がついてられないに違いない。


 サヒラー様は高い霊力を持ち、北の大学を出た上、若くして神祇官かみのつかさ、大佑にまでなったお方だ。


 使役していた魔獣に入れ込みすぎて、大変な問題を起こして左遷されたようだが……。

 今は大史を勤めていらっしゃる。人格に難あれど、実力は折り紙付きだ。


 この時間はまだ冷える。俺は白み始めた空を背に、サヒラー様の元に向かった。




 お屋敷に行くと、サヒラー様は裏庭でお顔を洗っている所だった。フィナが手拭いを持って待機している。まだ夜の開けきらぬ内なのに、もう勤めているとは大したものだ。


「おはようございます大史様、申し上げたき儀があり馳せ参じました」


「何だ?申してみよ」


「今日の玉納めの儀なのですが……」


「中で話そう、朝飯は食ったのか?丁度フィナが、店からから出来たてを買ってきてくれたところだ」


 手拭いを肩に掛けながら、艶やかなお顔で仰るので「有難く頂きます」と後に続く。


 こおりに戻ってきた時のサヒラー様は、酷くお痩せになり目にはクマ、頬は痩け、歩く姿は幽鬼の様と噂になる程の落ち込みようだったが、今は別人のようだ。なるほど、若くして大佑になるだけのことはあると思える覇気がある。


 ユウナはお手柄だな。得体の知れない力だが、この変化は歓迎すべきだ。


 前のサヒラー様と仕事をするのは、正直気味が悪かったのだ。

 早朝の山の中で不意に出逢ってしまった時など、思わず女子おなごのような悲鳴を上げてしまったものだ。


 まだ熱い饅頭を頂きながら、あらましを話し、注意を促す。心構えがあるか無いかでは、大分違うものだ。


 東の守りの担当場所まで増員して警邏けいらする許可を頂き、先導のサヒラー様には十二分にご注意頂く。快諾を受けて急いでラムジの元へ走った。




◆◇◆




 二の鐘が鳴った。神社かむやしろでは神楽の奉納が行われている頃だろう。後半刻もすればお渡り式が行われる。


 俺は東の守場を受け持ちたかったが、却下されてしまった。だが考えてみると、事を起こす気なら仕掛けをしやすいのは担当場所だが、事の終わったあとを考れば自陣では都合が悪いのでは無いだろうか?


 大領を攻めるとしたら自分達に責の無い形にしたいだろう。そう考えると何処でも危ない。東の守場に近い方が仕込みはしやすいが、効果を考えると離れている方が良い。

 何にしろ索敵に集中する他ない。


 不気味に風のない山中を歩くと、自分の歩く音がやけに大きく聴こえた。


 キリの足が止まる。白い耳が南西の方向に向いているが、俺には何も聴き取れない。


「キリ、何かいるのか?」


 虚空を見詰めるキリ、俺は犬笛を吹いてクフとザッケを呼び戻した。


「キリ、行け」


 小走りに走るキリの後を追う。時折立ち止まって、耳を済ませながら走る。アミルの守場辺りか。


 呼笛が響いた、犬の吠える声が聞こえて来る。

 事が起きるなら玉が山に入ってからだと思っていたのに、予想が外れたか。


 見えた!吠えたてる犬を前に立ち尽くすアミルがいた。急いで近づくと、異様な匂いがした。


 遅咲きの椿が、狂い咲いたかのように一面に真っ赤な花を付けている。濃ゆい緑の艶やかな葉に、真っ赤な花。もう里の椿は咲終わり実まで付けていると言うのに、この椿は今、正に満開を迎えようとするさまだ。


 その椿の前に一頭の猪がいた。身体中に矢を生やし、肩口には槍まで刺さっている。血にまみれ、後ろ足の大きな傷からは膿が垂れている。

 足元には犬が2匹倒れていた。


「アミル、どうした。何だこいつは?」


 犬達は猪を唸り声を上げて猪を取り囲んで居るが、尻尾は情けなく垂れている。


「知るかよ!こっちが聞きたいよ。死にかけの猪が居たから、罠から抜けてきたのかと思って止めを指してやろうと近づいたら、これだよ。こいつハリルとシスを……。弓は全然効かないし、槍も持っていかれて一体どうすればいいんだよ!」


 下ろした拳を握りしめてアミルは叫んだ。


「落ち着けアミル。ラムジとジークはすぐ来る。俺たちは待てばいいんだ」


 毒はどうだ?アミルは非番だったから持ってなかった筈だ。

 だが、今は待つべきだろう。折角猪が落ち着いているのに、戦力の整わぬ内に怒らせるべきではない。


「アミル、少し下がって笛を吹いてこい。こう静かでは場所が分からぬかもしれぬ」


 アミルは悔しそうに唇を噛むとゆっくり下がって行った。

 静かに槍を構える。あの足の傷、膿んでいる割に傷口が綺麗だ。毒か?


「ピーーーー」


 笛がなり、椿の花がぼとり落ちた。


 猪が急に震えだしドゥと膝をつく。刹那、体から真っ黒い瘴気が勢いよく吹き出した。




 まさか……転じるのか?!

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