第5話 八十禍津日神(やそまがつひのかみ)

スサノオが草薙の剣を正面に構えミチヤと対峙する。ミチヤは簡素ではあるが業物である無銘の刀を斜めに構えて距離を取る。互いにあと一歩で剣先が重なる距離までジリジリと距離を詰めた。

両者に動きはない。だが確実に両者ともに相手が動くのを待っていた。

ただ対峙しているだけでミチヤはかなり疲弊していた。スサノオに気圧され、少しでも動けば切られるという重圧が体力と気力を奪う。

僅かだがスサノオの剣先が逸れた。

それを感じたミチヤが踏み込む。真っ直ぐに刀をスサノオの胸元をめがけ延ばす。スサノオは半歩右足を下げ、少し剣先を下げてから胸元めがけ伸びる刀を下から手首を返しはね上げた。


きぃぃん…!


甲高い音と共にミチヤの刀が上方に逸れた。すかさずスサノオは草薙の剣を左手だけで握り水平に振り抜く。ミチヤの体は突きを繰り出した勢いのまま前のめりになっている。刀は草薙の剣の上にあり両腕は伸び切っている。刀で受けることは出来そうにない。

ミチヤは体を捻りこれを避けた。体勢を崩したまま強引に体を捻ったため、ミチヤは勢いよく地面に体を打ち付け転がった。すぐに体勢を直し振り向くと鼻先に草薙の剣が差し出されていた。


「参りました…」


ニヤニヤ笑いながらスサノオは草薙の剣を肩に担ぐ。


根之国に戻ってから力をコントロール出来るようになるまでミチヤは1ヶ月かかった。その後はこうしてスサノオと掛かり稽古を重ねていた。


「動けるようにはなってきたのぉ。力を安定して引き出す事には譜代点と言ったところだな。」


スサノオは担いだ草薙の剣で肩を叩く。


「最初に比べたらですよね?スサノオ様の動きは未だ掴めないですがね…」


「抜かせ!たかが1ヶ月で俺の動きに付いてこれるならとっくにお前を黄泉国に戻すわ!」


スサノオは鼻で笑うとミチヤ引き起こす。


「まぁ、前回の厄災の時はお前の力を起こすための荒療治のつもりだったが大神神社の神気に充てられ暴走しかけるのは想定外だったからのぉ。力を制御できているのだけでも今は合格だな。」


1ヶ月前の神徒暴走の厄災でミチヤは自分の力を引き出すことには成功したが暴走しかけていた。


「あの時は力を使えたことが嬉しくて興奮していたんですよ。そしたら力をもっと使いたくなって…」


その時ミチヤは自分でも不思議なほどの破壊衝動に駆られた。力を示したい欲望に支配されそうだった。


「それを穢れと言ってな?自分の汚い心の部分だ。人も神も大なり小なり欲望はある。ミチヤは無力故に力を求めた。結果、力を示したい。使いたいという穢れが暴走したのだ。」


制御するのは力もだが何より感情を、気持ちを制御する事が難しい事は毎日感じている。穢れか。まだまだ平常心を保つのには訓練が必要だと改めて感じていた。

スサノオは草薙の剣を背中に納め、道場を後にした。深呼吸をしてからミチヤも道場をあとにした。


「クシナダぁ!飯にしたいのだが、どうだ?」


スサノオが私室に戻るとクシナダがいそいそとご飯の支度をしていた。


「はいはい。大丈夫ですよ!そうそう、スサノオ様。天津国の天鳥船(アマノトリフネ)様から手紙が来てますよ?」



「アマノトリからか?珍しいな。建御雷(タケミカズチ)から使いが来るとは…」


スサノオは座りながら答えた。畳に置かれた低いテーブルを挟むようにスサノオの向かいにミチヤは座りながら聞いた。


「建御雷様ってなんの神様ですか?」


「雷神だ。刀などの武器を司る神様でもあるな。」


そんな神様がスサノオ様に何の用だろう?


「なんて書いてあるんですか?」


待て待てと言いながら手紙を開き目を通す。

難しい事なのか、悪い事なのかスサノオは読んだ後に頭を抱えため息を吐く。


「どうしました?」


今度はクシナダが横に座りお茶を煎れながら尋ねる。


「1ヶ月前のことで根之国に禍津日神(マガツヒノカミ)が来るそうだ。かぁ〜っ!厄災の神だけあってくると何かしらやらかすからなぁ!あのオッサンは!!」


「わしが邪魔かえ?」


ハッとしてスサノオが声のした方を向く。ミチヤとクシナダも同じ方を向いた。そこにはツルツルの頭に白く長い顎鬚を垂らした。老人がいた。


「おぃ!オッサン!!他人の家に勝手に上がって茶を啜るな!!」


「ケチじゃの〜。少しくらい良いではないか?」


老人は笑いながらクシナダの横に座りクシナダの尻を撫でた。


「やそ様!おやめ下さい!!」


顔を真っ赤にしてクシナダが飛び退く。


「ほっほっほっ良い尻じゃ。スサノオにはもったいないのぉ〜。」


ミチヤは殺気を感じた。スサノオだ。スサノオの拳が置かれたテーブルがミシミシと悲鳴をあげる。


「毎度、毎度こんのオッサンは…人の嫁にちょっかいは出すわ、根之国の食物をかっ攫うわ…穢れの塊か!神のくせにどういう了見だ!そもそもアマノトリが手紙を寄越すから何かと思ったらオッサンが来るっていうしよぉ!」


スサノオが拳を振り下ろす。まずい!スサノオの拳がオッサンに当たればオッサンどころか神庭宮が吹き飛ぶ!


「スサノオ様!ストップ!この方は誰ですか!?」


ミチヤが慌てて止める。


「このオッサンかぁ?こいつぁ、穢れの疫病神だ!」


止まらない。スサノオの拳が当たる!ミチヤは頭を抱えしゃがみ込む。音もせず部屋もそのままだ。ミチヤがそぉっと振り向くとスサノオの拳が止まっていた。


「このオッサンは…これで無駄に長生きしやがって!!」


スサノオは肩を抑えて顔をピクピクさせている。


肩が外れたようだ。クシナダはまたかと言った顔をしている。何が起こった?ミチヤはオッサンとスサノオを交互に見る。


「ミチヤ。このオッサンはな?八十禍津日神(ヤソマガツヒノカミ)って言ってな?穢れを祓う神様の癖にその存在が穢れみたいなもんだ!!」


「イタズラ好きのお茶目なおじいさんとか言えんもんかのぉ〜。」


顎鬚を弄りながら老人は笑っている。

諦めた顔をしながらスサノオは尋ねた。


「で?何しに来たのだ?お茶目なおじいさんは?まさかまた食いもんをあさりに来たのかよ?」


「ふむ。早速で遊び足りないが…時間もないからの。仕事をするか…」


「仕事?今はマガモノはいないし、穢れの気配もないようだが?」


スサノオがお茶を啜りながらヤソマガツヒノカミを見る。


「天照(アマテラス)に言われての?ツヅキミチヤの様子を見に来たのじゃよ。この息子はこの前、穢れに呑まれかけたのだろう?一応、穢れの欠片がないか診て、ある様なら取り除きに来たのじゃよ。」


「俺に穢れの欠片ですか?」


ミチヤは神庭宮に戻ってから心配になり体にアザが刻まれていないか入念にチェックしていたがそれらしいものはなかったはずだ。


スサノオは少し考えていたが頷きながら答えた。


「そうだのぉ。ミチヤ、1度診てもらうか。離れに神木がある。そこで診てもらって、必要なら祓ってもらうといい。」


「分かりました。スサノオ様。ヤソマガツヒノカミ様に診て貰ってきます。」


「若い子の体が診れるとはのぉ〜。長生きはするもんじゃの!」


ミチヤとスサノオとクシナダは無言で悲しそうにヤソマガツヒノカミの見る。


「じ…冗談じゃし…」


ヤソマガツヒノカミはつまらなそうに部屋を出た

。ミチヤも苦笑いしながら後を付いて行った。


「しかし…あの引き篭もり…なんでも見てやがるのぉ。暗い部屋で八咫鏡で覗き見の趣味か。」


「スサノオ様…姉上にその様な言葉はいけません。」


「そのおかげで行動はともかく、ヤソのオッサンが来たのはたすかるのぉ。俺では気付かない穢れも見逃すことは無いからのぉ。」




ミチヤは神木の前に座り瞑想をしている。


「ミチヤよ。楽にするといい。祓うと言っても大したことではない。だが、神徒にとっては穢れを僅かでもあれば致命傷となりかねんのじゃ。」


「分かりました。」


ミチヤは緊張していたが目を閉じて力を抜いた。訓練の成果もあって少し集中すると目の前のヤソマガツヒノカミはもちろん神庭宮の神気を感じる事が出来た。


「はい。終わり。」


「え?終わり?まだ何も…」


「終わったからの。もう平気じゃぞ?」


ヤソマガツヒノカミの掌には薄黒い勾玉が乗っていた。


「これが穢れじゃ。お主の中の穢れは白い勾玉を少し黒くする程度のものじゃ。しかし、神徒ともなると、この程度でも暴走のきっかけには十分なのじゃ。」


あっさりと終わって肩透かしを喰らったようだ。


ミチヤとヤソマガツヒノカミが戻るとスサノオが出かける支度をしていた。


「どこに行かれるのです?」


支度をしながらスサノオが答える。


「ちょっと引き篭もりの所に行こうと思っての。」


引き篭もり?


「なんじゃ?スサノオ。母に会いたいと泣いた次は姉に会いたいのかのぉ?」


「勝手に言ってて構わぬ。草薙の剣の事もあるしのぉ。それに半年ほど前からのマガモノの数が増えているのも気になるのでな。」


「それな!」


若者ぶるオッサン。スサノオの言っていることももっともらしく、ヤソマガツヒノカミはその件も言伝がある様だ。


「スサノオ。今はミチヤを鍛えていて欲しいのだ。来るべき時にしかる場所にミチヤが居れるようにのぉ。」


スサノオはヤソマガツヒノカミを正面に見る。


「何かあったのかのぉ?」


「マガモノは何者かが神や神徒にそうなるように仕向けている可能性があり、穢れを人間界にふりまくものがおるようじゃ。そのため、天照が人間界に使者をだすよていじゃ。」


「誰が出るのだ?」


「ニニギじゃ。あやつなら問題なかろう。」


スサノオは納得したようだ。


「分かった。ニニギなら平気だろう。ミチヤ。俺はお前を鍛えるが時間はあまり無いらしい。戦闘ができるようにするが、俺一人では限界がある。2人ほどお前さんの相手を用意しよう。」


そう言うとスサノオは黄泉国に使者を送り官職の1人を伝令に出した。


「これからは実施戦形式で訓練をするからのぉ。ミチヤ。明日から召喚の訓練をやるぞ。」


天照の動きも気になる。スサノオは色々考えたがまとまらないためミチヤを短期間で鍛えることにした。

2人ほどコーチが増えるようだがそれほどまでに事を急ぐ必要があるのだろう。どんな神様が来るのであろうか?2人の神様とは一体誰なのか?気になる事は多くあるがひとまず、強くなることを改めて決意するのであった。


―続く

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