第2話 遺産相続

何故私が水屋をやっているか。

それは2か月半前に遡る。

私は環境系の研究所に勤めている。

そこに勤めたのは恩師の紹介があったからだ。

そこの研究所自体、恩師が実質上のオーナーをしている。

恩師というか師匠と呼んだ方がいいが彼は「水」研究者だった。

「水」は面白い物質だ。

2個の水素原子と1個の酸素原子から構成される水は分子量18だ。

このように小さな分子なのに1気圧の条件下で融点0℃、沸点は100℃。

日本で中学校を卒業すればだれでも知っているはずの事だ。

分子は一般的に分子量が小さければ融点や沸点が低くなり、大きければ高くなる。

分子量の増加と共に増大するファンデルワールス力によるものだが、水などは低分子にもかかわらず融点・沸点が高い。

これは水素結合の大きな分子間力によるものだ。

水より分子量が大きい分子量34の硫化水素は融点約-89℃で沸点が約-61℃だ。

ちなみに分子量28の窒素の沸点が−196℃、分子量32の酸素原子の沸点が−183℃だ。


さらに液体の水は様々な物質を溶かし、その中での化学反応のお陰で生物は体内で物質代謝が行うことができる。

水について語れば何日かかるかわからない程に奥が深い。

水に関する文献も膨大に存在する。

そんな「水」を研究していた師匠のお陰で私も少しは水に関する知識を持たせていただいた。


その師匠が倒れた。

早速、見舞いに行った。

病院に見舞いに行った時には元気だった。

師匠とはまた「水」について話した。

家族がいない師匠の看病は遠縁のお嬢さんがしていた。

そして自宅に帰ったところで師匠の訃報が届いた。

研究所の仲間もショックを受けていた。

家族がいない師匠が寂しいだろうからと言って弟子たちで家族同様に通夜や葬儀を過ごした。

そして1週間後、私は師匠の弁護士と遠縁の方々に呼び出された。

「貴方に遺産の約半分を相続してもらいたい。これは彼の遺言です」

師匠の財産は現金と2つの不動産が主なものになる。

すでに研究所の権利は師匠が設立した財団に移管されていた。

不動産は都心の高級マンションと郊外にある私的な研究所をともなった別荘風の住宅だ。

これはちょっとしたお屋敷だな。

この屋敷には様々な資料や研究施設などがあり、それ等も相続して整理管理も含めてお願いしたいということだ。

素人には手を出せないので師匠が私を指名して厄介事を押し付けてきたのか。

苦笑するしかなかった。

現金も半分を相続することになった。

相続税はそこから支払う。

それでもかなりの額が手元に残った。


「本当は迷惑料も含めてもっと現金を渡したいのだが、マンションの相続税もあってね」

「いいえ、気にしないでください。むしろ貰い過ぎです」

「そんなことはないよ。彼も君を養子にしたかったようだった。そうだ君への手紙を預かっている。いざという時は相続の後に渡して欲しいと」

お嬢さんから一通の封筒を渡された。

「これは相続された住宅に行ってから開封して欲しいとのことです」


諸手続きは私が必要な部分だけ行い、後は弁護士に任せた。

税金の支払いもそちらでやってくれるそうだ。

弁護士費用も師匠が支払ってくれていた。

屋敷の鍵を受け取りお嬢さんに案内されて屋敷に向かった。

「結構おじさまにはここで遊んでいただいたので懐かしいです」

「私が相続してよかったのでしょうか」

「はい、問題ありません。でもよろしかったら遊びに来てもよいでしょうか」

「はい、どうぞ」

お嬢さんは屋敷の中を案内してから帰って行った。


それでは師匠の手紙を読むか。

封を開けるとそこには手紙と古めかしい鍵が入っていた。


タカシ君

私の葬儀と遺産相続は無事に終わったかな。

君にこの屋敷を押し付けて申し訳ない。

君しか適任者が思いつかなかったのでこうなってしまった。

実は君に相続してもらいたいものがもう一つある。

これはこの世の相続とは切り離して考えるから遺産相続とは関係ないのだがお願いできないだろうか。

同封してある鍵を持って2階の書斎に入り中から鍵をかけてくれたまえ。

玄関の鍵も忘れずに掛けるように。

書斎には同封の鍵を使って開けられる場所があるから開けて欲しい。


よく分からずに玄関を締め、書斎に入った。

同封の鍵が使えるところは見当たらなかった。

(あ、部屋の鍵を掛けろと書いてあったな。)

部屋の扉を施錠して振り返ると先程は壁しかなかったところに扉があった。

(からくり屋敷かよ?)


扉の鍵穴は同封の鍵が使えること一目でわかった。

(それでは。)

意を決して開錠し扉のノブを回す。

後から考えたら、書斎の位置から考えてこの扉の先は屋外のはずなのだがその時はそこまで気が回らなかった。

扉を開くとそこはまるで玄関だった。

土間にサンダルがある。

(革製かな。手作りのいいものだと思うが)

サンダルを履いて次の扉を開こうとしたが開かない。

内鍵も回らない。

(ああ、そうだ。書斎と一緒かな)

書斎に通じる扉を閉め、その扉の内鍵を回した。

同時に先程まで動かなかった反対側の扉の内鍵が回った。

これで開錠できたのか。

試しに今開錠された扉の内鍵を回して施錠すると書斎に通じる扉の内鍵が回って開錠された。

連動しているのか。

施錠された扉の内鍵を回すと今度は動いて開錠された。

同時に書斎側は扉は施錠された。

(ああ、扉を閉めておけば内鍵は回るんだな)

そう考えながら扉を開いた。

木の壁、木の床、木のテーブル、木の椅子。

そしてその椅子には、

「師匠!」

一人の老人が座っていた。

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