第4話 運命のレッドライン

 移民弁護士事務所で説明を充分に聞いた僕は、ケイナンへの帰化手続きを進めてもらうこととした。

 他国ではさらに不利になるのであれば、もうケイナンで生きるしかないと覚悟ができたからだ。

 男しかいない国だけど、僕にはその方がいいかも知れないとも思う。

 絶対に男だけは嫌だなどという気持ちはみじんも湧かなかった。結婚も恋愛もどうでも良かった。


 そんなことを考えながら帰化手続きでの細々とした点を教えてもらって、作業を進めていく。

 おおよそのことが終わった時には、3時間以上経過していた。

 礼を言って事務所を去ろうとした時、弁護士がふと聞いてきた。

「ところで、君。嫁は?」

「嫁?」

 金髪美人ガイノイドが僕を補足した。

「この方の時代での『嫁』は、婚姻関係にある人間女性のことを指します」

「ああ、もともとそっちからの言葉なのか。……君にはパートナー登録されたブライドロイドはいるかい? ということだ。どうだい?」

「パートナー登録? ブライドロイド?」

 僕の反応を見て弁護士が額を押さえた。

「病院はなにやってるんだ。若いんだからちゃんと教えてやれば良いのに」

「性機能に関しては、訴えがないので未だ機能復帰していない可能性があるとなっています」

「! 君、それは本当か?」

 金髪美人ガイノイドの言葉に弁護士が今日初めて動揺したような表情を見せた。

「え? いや、そういう訳では」

「ケイティー、すまんが確かめてくれるか?」

 その言葉とともに金髪美人ガイノイドが僕に迫ってきた、

 身を引こうとしたが遅く、僕より高身長のガイノイドに抱きすくめられてしまう。

 もちろんながら、柔らかい胸と芳香に包まれ、僕はひたすら混乱してもがいた。

「心拍上昇、顔面と陰部の発熱パターン変化、性的な興奮と一致」

「なんだ。未確認なだけだったか。ケイティー、もういいぞ」

 ガイノイドが離れ、僕はほっとした。そして

「弁護士さん!」

「悪かった。だが、大丈夫そうじゃないか。なら早めに嫁取りに行った方が良いぞ」

 悪びれた風もなく、弁護士は紅茶を飲みながら言う。

「嫁取り?」

「ああ、ブライドロイドとパートナーになって暮らした方が良いということだ。はっきり言って君は孤立し孤独だ。自分に生きる価値があるのかとか死んだ方がましだとか考えだす前に嫁といちゃいちゃしてたほうがいい」

 僕は黙った。たぶん顔から表情も消えていたと思う

「……当たりか。よくない感じだな。……ふむ。ここを出たらボッターでレッドラインゲートまで行くんだ。そこでゲートをくぐってレッドライン地区に入れ」

「……何があるって言うんです?」

「銀河で唯一の宝物さ」

 弁護士はさまにならないウィンクを僕に送った。



 ボッターというのはロボットタクシーのことだった。

 やってきたのはタンデム二人乗りのロボットEV。

 前席に乗り込んで行き先を告げると、目の前のHUDにでかでかとレッドラインゲートの文字が出る。確認のダイアログが出たのでOKと言うと、ボッターは静かに走りだした。

 ハンドルもミラーもなく、透明な曲面ガラス?で構成された前席の展望は素晴らしかった。

 空が紅くなりだしたオフィス街を後にして、採光窓の川にかかる鉄橋を渡る。

 マンションが立ち並ぶ帰化承認待機地区を抜けて、さらにもう一つ川を渡った。

 鉄橋の真ん中から、目的の地区が見はじめる。

 レッドライン地区には町中に赤い光が満ち、頭上のスカイイメージの夕暮れパターンとも相まって、なにか幻想的な雰囲気があった。

 ボッターは川を渡ると、4車線の道をゆっくりと走っていく。

 夕暮れの歩道を、何人もの男達が思い思いに歩いていた。

 前も後もボッターが連なり、そこにも男達が様々な表情で座っていた。けれど対向車線のすれ違うボッターはみな空車だ。

 やがてボッターが停まったので、ペイアクセをかざす。ご利用ありがとうございましたのアナウンスとともに、扉が開いた。

 降り立ったそこは確かにゲートだった。



 目の前に西洋の城門風建築物がある。

 両横に6階建てほどの尖塔があった。尖塔の上の方には人影がある。警察官の制帽をかぶっているように見えた。

 門自体は門の上に二層ほどの構造物があるが、尖塔よりはやや低い。その門には木製のように見える門扉が付いていて、大きく開け放たれていた。

 すぐ側の門の向こうを指し示す街路標識にはレッドラインと記されてあり、門を多くの男性がくぐりぬけ内部に入っていっている。

 僕はあたりを見ながら、人の流れにそって門の中に進んでいった。


 門の中は盛況だった。太くまっすぐ通った街路には、赤い照明がつるされ、光で赤く染まった建物の前で無数の男とガイノイドが話をし、時にはキスをしている。

 屋台や屋外席がある飲食店もそこかしこにあり、人々が思い思いにくつろいでいた。

 足を進めると、ガイノイドと密着している男性や、ガイノイドの胸や局部を明らかに触っている男性もいる。

 しかし通りは不思議なほど落ち着いていた。ざわめきは低く穏やかだった。

 やがて僕は、意外な静穏の原因に気がついた。客引きや呼び込みのたぐいがいないのだ。スピーカーで店の宣伝をするのもいない。BGMすらない。

 大声を出す人間がそもそもおらず、ただ多くの男性とガイノイドが赤い光の下で憩っているだけだった。

 警察官は、くぐってきた尖塔の上以外には見なかった。時折きわめて作動音が小さな滞空ドローンが、監視するように人々の上を定期的に飛んでいるだけだ。

 ガイノイドとペアになった男性が、細い路地に入り込んでいった。僕は興味を惹かれ、立ち止まってその路地をのぞき込んだ。

 細い路地は小さな3階建てマンションが向かいあって6軒ほどならんでいて、その先は行き止まりだった。

 男とガイノイドが、一番近い一軒の玄関を開けて入っていく。閉まった玄関の扉に満室表示をするホロサイネージが小さく控えめに表示された。

 路地裏のラブホテルだった訳だ。

 要は表通りでカップルとなり路地裏の簡易ホテルでいたす。そういう仕組みらしい。

 どこが銀河で唯一の宝物なんだよ、ただの風俗街じゃないかと、僕は憤然と思った。

 僕はもてない。女運も悪い。それは自覚している。

 でもだからって風俗が好きな訳ではない。むしろ嫌いだ。

 こののりが嫌いだ。女性に欲望だけで声をかかるのも性に合わない。性病も怖いしみっともない。

 はっきり言おう、性器にも自信はない。自分の欲望だけを女性にぶつけて、自分だけすっきりするのも後ろめたい。

 そしてお金ももったいない。

 帰るか。そう考えて空を見上げた。空はもう藍色になってきている。夜の始まりだ。

 僕は振り返って路地裏から表通りに戻る。

 そしてゲートの方に歩きだした時、彼女が前にいた。



 第一印象は、涼やかで明るい茶色の瞳だった。どこまでも優しく暗いものがない目が、喜びと強い磁力をたたえて、僕をみつめていた。

 そしてつやのある長く美しい栗色の髪が、赤い光だらけの中でもどうかすると金色のように輝いていた。

 柔らかで少し低めだが筋が通った鼻、少し厚めだが紅く慎ましさと艶やかさの絶妙なバランスの唇が、瞳の美しさをいささかも壊さず続く。

 顔も首も肩も精緻で華奢なのだが、胸部はそれを裏切って前に過激に突き出ている。腰は反対にしっかりとくびれ、女のラインをゴージャスに丸く描きながら、豊かで張った尻に至る。そして決して細すぎも太すぎもしないしかし張りのある優美な脚となって、美しさを締めくくっていた。

 その彼女が縦リブのノースリーブセーターととても短いタイトスカート、そして黒いストッキングを履いて僕の前に立っていた。

 彼女にはふわりと人を安心させるような穏やかさと柔らかがあり、なにかを拒む固さは一切なかった。けれども下品さも崩れた感じもなく、まっとうさと落ち着きが成熟となって彼女から濃厚に立ち上っている。

 一言で言うなら、優しそうなナイスバディおねえさんなのだが……、おねーさんがただ僕の前に立っていただけなら、たぶんこうも印象に残りはしないだろう。


 それなのに僕の目が彼女に釘付けになったのは、僕に向けられた瞳と微笑みのせいだった。

 僕はこんな微笑みを見たことはない。微笑みを見続けていると胸の奥が詰まり痛みが走った。

 瞳には得体の知れない磁力があった。目を一瞬たりとも外せなかった。

「待ってたよ 悠人君」

 低めだが甘く涼やかな声が僕の名を呼び、それが僕の耳を打った。

「だ、だれ? どうして僕の名前を?」

 だが彼女は答えなかった。それどころか気がつくと手をほんの少し伸ばせば届くような至近距離に近づいている。

 間近で美しい茶色の瞳にみつめられ、僕は口の中がひりつく感じを覚えた。

「やっと会えたね」

 いきなり僕の胸の中に柔らかくいい香りのする何かが飛び込んでくる。

 倒れそうになって思わずその柔らかいものにしがみついてしまい、それが彼女だとわかって慌てた。

 状況を理解する前に耳元で甘い声が響いた。

「ずうっと待ってた! 本当にずうっと! とってもとっても長かった」

 僕の背中にまわされた腕に力が入り、足に彼女の足が絡まり、彼女の顔が僕の頬にすりつけられた。

「あ、あの、……人違いじゃ? 僕はその……」

「空閑悠人君でしょ?」

「そ、そうですけど」

 彼女は微笑んだ。それだけなのに僕は言葉を忘れるほどの驚きと尊さと温かさを感じていた。

 僕は僕に向けてこんな笑い方をする女性を見たことはない。

 無垢で純粋な好意の笑い。母の微笑みだってこんなに温かく癒やされるものでなかった。

 そして彼女の艶やかな唇がゆっくりと動くのを僕はみつめていた。

「私はね、ゆうくんのお嫁さんだよ?」


 ナイトタイムの闇とレッドライン地区を照らす赤い光の中、彼女の言葉は僕の思考を混乱で粉々に吹っ飛ばしたのだった。

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