女性とちゃんと向き合えない? なにか問題でも?
月見山 行幸
私はロボット
第1話 果てしなき眠りの果てに
夢だということはわかっていた。
二度と会いたくない女が、あのときのまま、僕の前にいたからだ。
そう、きれいな顔に殴られた青あざがあり、胸ぐらをつかまれたかのように薄いシャツの前胸部が乱れてボタンが飛び、下着がのぞいている。鼻からは鼻血を少しだし、唇も切って出血している。長い髪は乱れて、足もひきずっている。
暴行を受けた彼女は、僕に助けてとつぶやく。
やめろ! 僕の別の意識が叫ぶ。もう関わるな。関われば……
なのに、僕の手が動いて彼女の手をとり、抱き寄せようとする。
助けを求めていた彼女が僕の手をしっかりと握った。
ごめんねと彼女の唇がささやき、次の瞬間彼女がうつむきながらはっきりと僕を告発した。
「この人に暴行されました」
彼女の後ろに、あのイケメンがあのときのにやつきを顔に張り付かせたまま現れる。
「俺の彼女になにしてくれるんだ?」
ちがう! やったのはおまえだ!
反論は声にならなかった。
周囲の突然、人々が現れる。友人、警察官、検事、両親、妹、親戚。
「反論するな、おまえがやったんだ」
みな敵意のこもった目で僕をにらみ、おまえだと糾弾してくる。
「どうしてだよ? どうしてだよ?」
僕は彼女に問いかける。
彼女は顔をあげて、言った。
「彼が好きなの。嫌われたくないの。だから……あなたが彼の代わりになって彼を助けてあげて」
とたんに僕は底なしの奈落に放り出され、どこまでもどこまでも落ち続け、これで死ねるとどこかで安堵して……、
ベッドから転落して僕は目を覚ました。
「きみにとってはつらい悪夢かもしれないが、過去の記憶がちゃんとよみがえってくるのは治療がかなりうまくいっているということだ。なんせ君が受けた冷凍睡眠での凍結時容量膨張による細胞破壊は決して無視できるレベルではなかったのだよ」
訳のわからない機械と、整頓された診療デスクの向こう側に白く清潔な院内診療衣を着た初老の医師がいる。僕の主治医で今は朝の診察の時間だった。
「体の組織は培養置換修復でうまくいったが、脳に関しては悲観的な意見も多かったのだ。それがここまで回復し、悪夢を見て過去を思い出すレベルに至った。海馬系統の修復が非常にうまくいってるということだよ。実に素晴らしいね」
初老の医師が実にうれしそうに微笑む。さすがに僕も一言言いたくなった。
「思い出せたのは悪くないですけど、悪夢はうれしくないですよ。トラウマ直撃ものだったし」
「ほう、PTSD的と言うんだね。……ならば抗PTSD剤をしばらく内服してみよう。なに、ここには女性はいないから、女性に会うことはない。きちんと内服すれば症状は充分に軽くなると思うよ」
僕の語る夢の内容が音声認識でそのままカルテに入力されていく。それを見ながら医師は提案してきた。
「抗PTSD剤ですか?」
「うん、副作用が少ない安全なやつだ。数ヶ月ほど飲めばつらさが充分遮断できるし、何度もフラッシュバックが起こる前に飲み始めると効果が高い。海馬が回復してきたようだから飲むなら今のうちだね」
医師が少し入力をする。処方しているようだった。
「……わかりました。ところで、本当にここには女性がいないんですか?」
夢の内容を診療コンピューターに話し終えた僕は、すぐ左後ろに立つ看護師さんに視線をとばした。看護師さんがそれに気づき、僕に微笑みかえしてくれる。
それに医師も気づき、ふっと笑った
「いないよ。……彼女はロボットだ。ハイケアナーシングガイノイド。わりと苦労して導入予算組んだものさ」
どこかでロボットだと信じ切れなかった僕は、あらためてまじまじと看護師さんをみた。
こんどこそにっこりと微笑む彼女に機械くさいところはない。
「……本当ですか? どうみても人間の女性に見えるんですが……。ひょっとして病院だからロボットを使ってるのですか?」
「?」
医師がわからないという表情で首をひねったのを見て、僕は言い直した。
「いや、その、病院では看護師が激務だからロボットにして、病院以外のところで女性が働いているのかなっていう意味で」
「ああ、なるほど。でもそうじゃない、このケイナンで正規住民登録をしている女性はゼロだ。ここでも他のセツルメントでも女性はいない。観光区画のわずかな旅行者を除いてはね」
僕はゆっくりと診察室全体を見回し、診察室の壁の向こうにあるこの世界を想像した。
そして理解しきれなくて頭をしきりに振った。
そんな僕を医師は朗らかな笑みを浮かべて見守っている。
「君が超長期冷凍睡眠に入る前は、ガイノイドはいなかったようだね。もしくはもっと原始的で、明らかに人間と区別がつく外観だったかな? だが受け入れて欲しい。この国には女性はいない。……美しい女性に見えるものは、女性型オートマタだ」
優しく微笑むハイケアナーシングガイノイドの向こうに、サイネージクロックカレンダーがみえる。
見慣れない年号、バグったような日付、そしてやはりおかしな時刻。
なまじ単位系が同じで、言葉も首掛けの小さいくせにすごい優秀な翻訳機で充分通じるが故に、恐ろしい違和感がある。ここは地球でもないし、僕のいた時代でもないのだ。
僕はやっと未来に来たことを実感し始めていた。
「いきますよー。スピンをかけます!」
診察後、僕は病院内の無重力区画に上った。このセツルメント一基まるまる病院であり、地上部からエレベータタワーで上った長軸中心部に無重力療養棟があるのだ。
部屋全面、天井にまでクッションを貼り付けた部屋の中、僕は浮かんでいる。
ここは無重力適応訓練室で、僕の前には女性インストラクターがいる。
女性といったがこの人もガイノイドだ。尋ねて答えてもらったので間違いはない。
医師の言葉で、僕は周囲のガイノイドをよく観察することにしたのだ。
それですぐにわかったことがある。
ガイノイドは俺たちに向ける笑顔が明るすぎて、邪気がなさ過ぎた。
身体の接近や接触も全然いやがらない。
普通の人間女性なら無学歴無職の僕のような男性に対してはどこか隔意があるものだし、パーソナルスペースを侵せば離れていく。なのにガイノイドにはそういうものがない。
人は好意で微笑むがガイノイドはプログラムされて笑う。そういう言葉があったように思う。
だけど僕にはプログラムされた笑い、好意でない微笑みがとても楽で、とても気持ちを落ち着かせてくれる。
ただ……
ただこのガイノイドは、非常に丈が短いスパッツと、ぴったりしたスポーツブラみたいなタンクトップで、僕の視線をいっこうに気にせず、無防備に近寄ってくる。
臀部や胸部のとても豊かなラインを揺らしながらでは、さすがにこちらもいろいろ疲れる。 僕は理性を総動員して、これからのことに集中した。
「お願いします」
「はーい」
言葉ともに僕は彼女に腕をとられてぶん投げられる。
頭に血が上り、むちゃくちゃなスピンに吐き気がでる。邪念は一発で吹き飛んだ。
けれどさんざん繰り返した訓練だ。僕は手足を縮ませ膝を抱え込み、額を膝につけた。
クラッシュ姿勢というやつだ。そして僕は腹のベルトに触れる。
高周波のモーター音が響き、スピンが緩くなった。
腰のケースの中で高回転するリアクションホイールがスピンを打ち消していった。
「スピンが収まってきたら磁気トルカも利用してくださいね」
インストラクターの言葉で脚を伸ばし、マグネソールをオンにした。
無重力区画では、床から天井に磁気モーメントが出現するようになっているため、靴底の電磁石をオンにすれば、磁気トルカとなるのだ。
操作がうまくいき体のスピンが収まって、ゆっくりと床に降り立つ。
「アンローディングを忘れないでください」
ベルトに再度触れ、押し込み型のスイッチを長押しした。
ベルトからでていたリアクションホイールの回転音がすぐに低くなり消えた。打ち消しモーメントが出るが固定された足ですべて吸収された。
「アクチュエイターの状態確認を」
「うん、4軸ともゼロRPM。自己診断異常なし。バッテリはグリーン」
ベルトに仕込まれたリアクションホイールは問題なかった。
「はい、たいへんよくできましたー」
インストラクターがすごく近くに寄ってきて、本当にいい笑顔を浮かべた。
「あ、ありがとうございます」
さすがに思わず顔を逸らしてしまう。たぶんすこし赤いだろう。顔がほてっている。
明るく快活そうな美人、しかも体のラインがくっきりと浮き出る服で至近距離の笑顔は魂にダメージがいく。つらい。
「せ、先生。無重力遊泳の練習始めましょう」
「はい、そうですね」
離れていく気配にほっとしたのもつかの間、手をつながれてしまい、僕の緊張はとれなかった。
超長期冷凍睡眠から復帰した僕には、当然だが親戚も知り合いもいない。
当然親も親戚も友人もだれも居ない。あの女もあいつも居ない。
それでも地球に戻ることも考えたが、戻ってもこの時代の学歴も職歴もない無学歴無技能では、永住権や国籍取得はおろか労働ビザも簡単には降りないという。
僕の汚名は時の彼方となったが、同時に僕は無価値で孤独になったという訳だ。
そんな人間に行くあてなどそうそうあるわけもなく、僕は未だこのケイナンに留まっている。
ケイナンは、スペースセツルメントという--かつてはスペースコロニーと称された--宇宙人工島が、1000基ほど集まってできた国家だという。
歴史はわずか46年。迫害をうけた男性達がここにたどり着き、中古のスペースセツルメントを数基かき集めて独立を宣言したそうだ。
そこからすごい勢いで成長しているらしく、人手は慢性的に不足していて常時男性の移民を募っている。僕のような学歴も職歴もない男でも受け入れてくれる数少ない国だそうだ。
ただし無条件という訳ではない。スペースセツルメントは宇宙にあるので、宇宙で暮らすための適応試験への合格が必要なのだ。そういうわけで僕は訓練を受けている。
復帰のためのリハビリが一段落して、あてがなかったため、僕はそのまま適応訓練に入ったのだ。
今教えてもらっているガイノイドな彼女が来たのは、適応訓練を初めてすぐの時だ。
彼女との訓練はどうにも目線のやりばに困りはしたが、丁寧に僕のペースで教えてくれるのだから、ありがたかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます