第三十五話 幸せな未来
「幼い頃、王宮にきていたヴェルダンディ嬢が庭で遊んでいるのを見たのが、君の姿を見た初めてだったかな」
フレクが懐かしむように語ったのはこうだ。
フレクの部屋は、中庭が望める場所にあった。そして体調の良い日は、窓辺で外を眺めていたと言う。
するとある日、スノ―ホワイトの美しい髪の少女が目に入る。フレクはその少女から目が離せなくなった。
従者に聞くと、その少女はイスベルグ侯爵家のヴェルダンディ嬢だと言う。
フレクはヴェルダンディの美しさの虜になり、とにかく彼女の一挙手一投足が気になった。
それまでもそうだったが、以降も頻繁にヴェルダンディを見かけるようなことは無かったが、たまに目にするヴェルダンディは、見る度に美しく成長していたのを覚えている。
そして二年前、フレクが少し出歩けるようになったとき、偶然ヴェルダンディと出くわした。
王宮で生活しているフレクは、出歩かなくとも見取図などで王宮がどの様な造り家把握している。だが、少しでも長くヴェルダンディと一緒にいたいと思い、王宮を案内してほしいと頼んでみた……が、彼女は何やら自己解決して満足してしまったようで、フレクに礼を告げてさっといなくなってしまった。
『あれは正直ショックだった』とフレクは苦笑い。
しかし、今まではただ見守ることしかできなかったヴェルダンディと、面と向かって会話ができただけで、フレクは天にも登る気持ちになったのは言うまでもない。
それからも、王宮で夜会がある日のフレクは、ヴェルダンディを初めて見掛け、初めて彼女と言葉を交わしたあの中庭に向かった。すると、またヴェルダンディに会えたのだ。
フレクは幸せの絶頂だ。もうこのまま死んでしまってもいいと思う程に。
だがフレクは気付いてしまう。
ただ見ているだけしかできなかった頃は、ヴェルダンディの美しさしか分からなかった。しかし、彼女は美しい見た目とは違って、愉快な内面を持っているのだと。
そうなると、更にヴェルダンディが知りたくなる。このまま死んでしまって良いわけがない。
だからフレクは、無理を言ってノルン領に静養に行かせてもらった。
ノルン領では何度もヴェルダンディと会話をし、彼女の勉強熱心な面を知る。
領民のために真剣に悩んでいたり、身分にとらわれず民に直接声をかけるなど、様々なヴェルダンディを目にした。
すると、そんな心を持つヴェルダンディが、姿だけではなく内面まで、とても愛おしく感じるようになっていたのだ。
それでも、ヴェルダンディは弟の婚約者だ。自分がいくら想ったところで、その気持ちは自分の中だけにしまっておかなければならない。フレクは唇を噛んだ。
正直悔しかった。自分の弱い体を恨めしく思う。
しかし、ヴェルダンディのいないノルン領で、儘ならぬ気持ちに悶々としていたとき、父である国王からフレクに知らせが届いた。
『ラタトスクとヴェルダンディの婚約を無効にしようと考えている』と。
これは好機だ。フレクはそう思うと、急いで王都に戻る。
道中でも国王と手紙の遣り取りをし、夜会の開幕が三日間連続である理由などもフレクは知っていた。
だが、ヴェルダンディが弟と婚約を解消した後に、帝国へ嫁ぐことは知らなかったのだ。
そして今、帝国とのことを聞いて驚いてしまったが、それが障害にならないこともフレクは気付いた。
「だからこそ言える。僕は君を幸せにしたいと本気で思っている。他の誰かが君を幸せに導けるのであれば、僕はそれ以上の幸せを与えたい。……まぁ、体のハンデがあるから、実際には厳しいのは覚悟しているんだ。それでも、気持ちだけは誰にも負けない自信はあるよ。例え相手が、帝国の皇太子でもね」
フレクの父である国王は、息子の独白を優しい面持ちで聞き届けるも、置物の如く微動だにしない。
「まいったなぁ~、平常心でいられると思っていたのに、こうして本人を目の前にして言葉にすると、やはり恥ずかしいものがあるね」
照れ隠しなのだろうか、フレクは悪戯っぽく笑う。
(どどど、どうしよう。こ、これって、あ、あ、愛の告白……よね?)
チラチラとフレクの方を覗っていたウルドは、本格的に俯いてしまった。
当然、顔どころか耳まで真っ赤である。
いつもはスノーホワイトの長い髪を、そのまま背中に流しているウルドだが、今日はナンナが気合を入れてアップにしてくれていた。そのため、普段は隠れている耳がハッキリと露出しているのだ。
「コホン」
わざとらしい咳払いをする置物――ではなく国王。きっと空気を察したのだろう。
しかし国王の表情は真剣そのもので、威厳を纏ってウルドとフレクに目をやる。
「婚約破棄をされるような問題のあるヴェルダンディを、王族のフレズヴェルクが娶る。しかもフレズヴェルクはヴェルダンディを幸せにすると誓っている。――帝国の皇太子も、これに異を唱えるのは難しかろう。――どうだ、ヴェルダンディ?」
前回、国王との密会で密かに打診されていた帝国への輿入れ。ウルドはそれも致し方なしと割り切っていたが、違う道が示された。
そして、フレクの言葉通りであれば、ヴェルダンディの見た目だけではなく、内面であるウルドも尊重してくれている。ならば、念願だった『恋』ができるはず。
そうとなれば、ウルドに断る選択肢は無い。
彼女は決断した。
「王国に迷惑がかからないのであれば、わたくしをフレズヴェルク様の
(い、言ってしまったわ……)
「もとよりそのつもりだ。――先ほど、皆の前でも宣言してしまっているのだ、むしろ撤回などできんわ」
国王の顔は軽くほころんでいた。
「ヴェルダンディ嬢、本当に僕でいいのかい?」
少しだけ弱気な笑顔になっているフレク。その笑顔の奥に、不安が潜んでいるのだろう。
「本当の私を見てくださるのは、フレズヴェルク様しかおりません。――わたくしは他の誰でもなく、フレズヴェルク様でなければ駄目なのです」
一度は叶わないと思った恋愛結婚。それが、現実のものとなろうとしている。
ウルドは感動のあまり、泣き崩れてしまったのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ヴァーリ・イスベルグを、次期イスベルグ侯爵とする。また、ヴァーリが成人するまでは、母のリンド・イスベルグが代理当主として、その任を全うするように。――その間、イスベルグ家嫡子ヴェルダンディ及び、その婚約者である王国第一王子フレズヴェルクを、イスベルグ家の後見人とする」
いつもの威厳に満ちた国王の言葉を粛々と聞き、
父である侯爵が投獄されたのは一昨日だと言うのに、離れた領地にいるはずのこの二人が、何故か王宮にいる。
というのも、侯爵の捕縛は予定に組み込まれており、それにともない二人は領地から呼び出されていたのだと言う。
父が捕縛されることは聞かされていたウルドだが、母と弟が呼ばれていることは知らなかったのだ。
ウルドがヴェルダンディとなってから、暫くは王都の侯爵邸で同居していたにも拘らず、一度として顔を合わせなかった家族と、何の因果か王宮で初めて対面したウルドは、少しだけ複雑な心境であった。
「王国第三王子エーギル、ブルドガング公爵令嬢ラーン。この両名の婚約が成立したことを、ここに宣言する」
夜会三日目のメインイベントとである、第三王子とラーンの婚約が発表された。
この王国の王族は内々で婚約が決まっていても、公式に発表されるのは、生まれの遅い者が成人となる十六歳を迎えてからだ。
しかし、第一王子が虚弱体質で、第二王子は失脚。となると、王太子として期待できるのは第三王子しかおらず、第三王子の王太子就任と共に婚約を発表し、早目に次代の王国の体制を整えることにしたのだ。
先日、第一王子が公に姿を現したことで、『第一王子を王太子に』と言う声もあったが、国王が無駄な勢力争いを懸念し、体調が安定しない第一王子が固辞したこともあり、第三王子が王太子になることが決定した。
これもまた決定事項であったため、他国に留学していた第三王子は、この日に備えて帰国していたのだ。
まだ未成人の若い王太子だが、第一王子と違って健康そうに見え、第二王子と違って賢そうにも見える。
ウルドは、この王子とラーンであれば、次代の王国は安泰だと確信した。
(これであたしが国母になる道は完全に消えたわ)
あの二人であれば、次代の王国は安泰だと確信したウルドの本音は、実は確信ではなく願望であった。――だが、そんなウルドの考えなど誰も知らず、当然ながら咎める者などいないのだ。
その後、少し時間をもらったウルドは個室を用意してもらい、母と弟の三人で会話をすることに。
バルドルから得た情報をもとに、それとない会話から始め、なぜ領地に引っ込んでいたのかを聞いてみた。
母曰く――
ヴェルダンディと第二王子との婚約が決まり、ヴェルダンディの様子がおかしくなってから、父は少しずつ性格が荒れてきた。
そして、ヴェルダンディが倒れた頃には暴力を振るうようになり、次期当主であるヴァーリに厳しくあたるようになったようだ。
元から気の弱かった母は、父のご機嫌を伺いながらどうにか被害を減らそうとしていたが、ヴァーリが本格的に引き籠もりになったのを機に、領地で静養させるために王都を出たのだと言う。
時期的には、ウルドがヴェルダンディとして目覚めた少し後になる。
今のヴァーリはまだ怖がりなところもあるが、会話中に時折笑顔を見せるなど、だいぶ良くなっているようだ。
母はウルドのことも気にかけており、第二王子とは大変だったが、第一王子とは幸せになってほしい、と言っていた。
フリーンに対しては、ハッキリと口にしなかったが、我が子といえどもあまり好きでなかったようだ。なので、そこは深く問い詰めなかった。
「久々の家族との会話はどうだった?」
「そうですわね、あまり一緒に過ごせなかったので、シーズン中はもうお少し会話をしてみたいと思いましたわ」
部屋を出ると、フレクが待っていた。
今日も健康そうに見えるので、白粉で顔色を誤魔化しているようだ。
「さて、あまり長い時間は無理だけれど、一曲くらいなら大丈夫そうだから、僕と踊ってくれないかな?」
「わたくし、誰からもダンスに誘われたことがありませんの。上手に踊れるかしら?」
「それなら、僕たちしかいない場所なら人目が気にならないだろ」
「そんな場所…………あっ! 分かりましたわ」
二人だけしかいない場所。
それはやはり中庭だった。
フレクは密かに従者に指示を出していたのだが、その指示は、会場の扉を開けておけ、というものだ。
「少々音が遠いけれど、無音よりはマシだろ?」
「そうですわね」
茶目っ気たっぷりなフレクに対し、緊張を悟られまいとするウルド。
(以前に一度、フレク様に凭れ掛かってしまったことがあったけれど、あれは偶然の出来事。でも今回は、意図的に体を密着させるのよね。……は、恥ずかしいわ)
「フレズヴェルク様、やはり上手く踊れる自信がありませんわ」
「大丈夫、僕も上手じゃないし。――それと、僕のことは今までのようにフレクと呼んでくれないか? それも『フレク様』ではなく、『フレク』と呼び捨ててほしい」
「せっかく本当の名を知ったのですから、フレズヴェルク様とお呼びしたいですわ」
「フレズヴェルクと言う呼び名は誰もが口にできる。けれど、僕をフレクと呼べるのはヴェルダンディ嬢しかいないんだ。だから、僕の特別な女性である君から、特別な呼び名で呼んで欲しい」
(特別な女性……キャッ、恥ずかしい。でも、あたしだけが呼んでいい名前か……。それなら、あたしも――)
「フレク、わたくしもお願いがありますの」
「何だい?」
「誰も呼んだことのない、フレクだけが口にできる特別な名で呼んで欲しく存じます」
「かまわないよ」
(大魔術師として『氷の魔女』と呼ばれた
「二人だけのときは、わたくしを『スクルド』とお呼びくださいまし」
「スクルド?」
「はい」
「なぜスクルドなのか気になるけれど、君が望むのであれば、僕は君の願いを叶えるよ。――僕の愛しいスクルド」
「嬉しです、フレク」
見つめ合う二人の距離は自然と縮まり、二つの影が今、一つになった。
恋に興味すらなかったウルド。
恋をすることも叶わなかったヴェルダンディ。
恋を成就することに希望を見出したスクルド。
ウルドの魂とヴェルダンディの体を持つスクルドは、幸せな未来へ向けて、今、その第一歩を踏み出した。
後に、生涯の伴侶となるフレクと伴に――
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