第三十三話 国王劇団
誰の声なのか皆が気付かなくとも、その声を何処か懐かしく感じるウルドは、茶番で冷え切っていた心が急激に熱くなるのを感じる。
「陛下はお前に次期国王の資格がないと言った。その言葉は、それ以上でもそれ以下でもないよ」
不健康そうな青白さ……ではなく、あまり外出しない高貴な者程度の色白さになった美青年。相変わらず薄幸そうだが、少し逞しさが増した感じのする彼が現れた。
「――――あ、兄上……」
第二王子が兄と呼ぶ唯一の男性。
それはまさしく、この王国の第一王子であり、そしてウルドがフレクと呼ぶ青年。
その彼が、そこにいたのだ。
第一王子は生まれつき体が弱く、一度たりとも公の場に姿を現したことがない。
見知らぬ男性の登場に、会場は
上級貴族ばかりが集まったこの場でも、彼を見たことのある者はほぼいない。ざわつくのも仕方ないことであろう。
「な、なぜ兄上がここに……」
「ん? 静養先から帰ってきたら、何やら不穏な空気を感じてね、何となくきてみたんだ」
落ち着きをなくした第二王子とは対象的に、温和な笑みで淡々と語る第一王子。
漸く薄幸そうな人物が第一王子だと気付いた貴族たちは、あちこちでヒソヒソ話しを繰り広げた。
「フレズヴェルク、なぜ出てきた」
(フレズヴェルク? フレク様の本名……なのでしょうね。なんだか素敵な響きだわ)
恋は盲目とは良く言ったもので、場の空気も考えず、ウルドも頭の中に軽く花を咲かせている。
「少し様子を窺っていいたら、何やらバカな弟が喚き散らしていたのでつい」
こちらに悠々と歩いてきた、王国第一王子であるフレズヴェルク……フレクはさらりと言う。
「これでは予定が更に狂ってしまうではないか……」
国王はため息混じりに小声でぼやくが、聞こえていたであろうフレクは、我関せずとばかりに第二王子を見据え、口を開く。
「それよりラタトスク、お前は婚約者……もとい、元婚約者に随分と酷い仕打ちをしていたんだな」
「お、俺は別に何も……」
「確かに、金だけ使って本人には何もしてないよね」
「ち、違う……」
ウルドから見たフレクは、良く知っている穏やかな笑顔を湛えているようにしか見えないのだが、その笑顔を向けられた第二王子は、何故かかなり萎縮している。
「ヴェルダンディ嬢」
「は、はい」
ぼんやりフレクを眺めていたウルドは、急に名前を呼ばれ、慌てて上ずった声で返事をしてしまった。
「僕の弟が、随分と迷惑を掛けてしまっていたようだ。申し訳ない」
「フレク……フレズヴェルク様から謝罪をいただくようなことではありませんわ」
「ふふ、ヴェルダンディ嬢から、本名で呼ばれる日がくるとはね」
「ええ、漸く本名を知ることができました」
ウルドとフレクの遣り取りを、大抵の者が不思議そうに眺めている。
それもそのはず、誰もが第一王子を見たことがないのだ、そんな謎の人物と親しげに会話する者がいることに、疑問や違和感を抱くのは当然であろう。
「兄上は、『氷の魔女』をご存知なのですか?」
「フッ、『氷の魔女』ね。――ラタトスク、僕が静養していた地が何処だか知らなかったのかい?」
「存じてません……」
「ノルン子爵領だ。――あそこはいいね。生まれてから二十年以上も不健康だった僕が、一年と経たずに随分と健常な体に近付いたよ」
「それは、答えになっていません」
「分からないかい? ヴェルダンディ嬢の領地で静養していたのだから、領主に挨拶くらいするのが普通だろ?」
そのような話は第二王子どころか、この場にいる上級貴族の誰も知らない事実だ。
「そ、それは、兄上とそこの女が、不義密通していたということではないのですか?!」
覚えたての言葉を使ってみたかったのだろうか、第二王子はここぞとばかりに反撃を試みた……らしい。
「だからお前はバカだと言われるんだ」
「――なっ!」
「ラタトスクと違ってヴェルダンディ嬢は勉強熱心だから、経済と流通について僕が教えていたんだ」
「それは密会ではありませんか」
「勉強もしないで遊び呆けているから、そんな貧相な発想になるんだろうな」
「…………」
常に笑顔のフレクが、いつもの彼からは想像もつかないような冷めた表情を見せた。そして、凍てつくような突き刺す視線は、当然第二王子の瞳を捉えている。
それにしても妙なのが、第二王子に放ったフレクの言葉は、まだまだ言い返せる余地を残したものであった。それにも拘らず、第二王子は、すっかり沈黙してしまったのだ。視線に耐えきれなかったのだろうか、それとも兄弟にしか分からない何かがあるのか。
ウルドは頭を捻るが、真相は兄弟にしか分からないのだろうと結論付け、意識を目の前に戻す。
すると、今度は国王が何かを言い出す雰囲気を纏った。
「フレズヴェルク、ラタトスクを詰めるのは投獄してからでよい」
「父上っ!」
「黙れラタトスク」
「――っ! これだけは聞かせてください! 次期国王は、兄上になるのですか?!」
「お前が気にする必要はない」
「しかし――」
「儂は黙れと言ったはずだが」
「クッ……」
項垂れた第二王子を一瞥した国王は、いつの間にか近くまで来ていた近衛兵たちに目配せする。すると、兵たちは無言のまま第二王子とフリーンを拘束した。
腰が抜けたままのフリーンは、可愛らしい顔を歪め、青ざめた顔色のまま大人しく拘束されたが、大男の第二王子は、「離せ無礼者!」などと言い、駄々っ子のように暴れる……が、近衛兵は意に介さず取り押さえ、然程時間をかけずに拘束を完了させてしまう。
どうやら、第二王子は体が大きいだけで、見掛け倒しの木偶の坊だったようだ。
「詳しい処遇は追って知らせる。暫く頭を冷やせ」
国王は第二王子にそれだけ言うと、やはり近衛兵が無言のまま連行していった。
「陛下、こうなった以上、あの方も今のうちに捕縛した方がよろしいのでは?」
ともすれば楽しんでいるようにも見える、笑顔のフレクが国王に進言した『あの方』が、ウルドの脳裏にはすぐに思い浮かんだ。
「うむ」
国王と第一王子たるフレクは暫く会っていなかったはずだが、手紙などで遣り取りをしていたのだろうか、成すべきことはしっかり共有しているように思える。
「イスベルグ侯爵」
唐突に国王が父の名を呼んだ。
比較的近くにいた父は、フリーンが連行されたことで血の気の引けた顔で放心していたが、近衛兵に両脇を抱えられて国王の前に連れてこられた。
「のぉ侯爵」
間近でドスの利いた国王の声を耳にした父は、やっと意識が戻ってきたようだ。
しかし父は、虚ろだった目をしっかりと国王へ向けると、今度はガタガタと歯を鳴らし始めたではないか。
「随分と大層な野望を持っているようだの」
「め、滅相もございません。私は忠臣として、国王陛下、そして王国のためにと心骨粉砕の覚悟で頑張っていただけであります」
ウルドの知る放漫な父はそこにはおらず、父に良く似た白髪の増えた銀髪の小賢しい中年が答えた。
「頑張った結果が、書類を偽造して娘の鉱山の利権を騙し取ることなのか?」
「だ、騙してなどおりません。あれには娘の印が押してあります。あくまで合意の上での取り引きでございます」
「儂の言葉を聞いていたか? 儂が言っているのは、書類の
「偽造など……」
つい最近になって、ウルドは書類の種類によって定められた形式があるのだと知った。
その結果判明したのは、貨幣にもなる金・銀・銅の三種は、公的に定められた書類を使用する義務があることだ。
ただし、その契約書を使用した上で何割を地主に納めるかは、自由に記入できる形式になっている。が、それ以外に手を加えてはいけない。
父は、正式な書類で支払いの割合だけ書き込めば良かったものを、他の約款にまで手を加えてしまったのだ。
「いや、それは……! そ、そうです! あれは家族、親娘の約束事だったのですが、一応形を残しただけです。公的にどうこうしようと思ったのではありません」
父は苦し紛れの言い訳を思いついたようで、どうにかそれを口にした。
「ほぉ~。ではなぜ、その書類を中央の窓口に提出したのだ? あそこに出された以上、家族内の約束事ではなく、公的な取り扱いとなると分かっておろうに」
「それは……ですね……」
「言い訳は後で聞こう」
国王は、父に言い訳を考える間を与えなかった。
(陛下って凄いなぁ~。あの横柄なお父様に、有無を言わせないのだから)
「そういえば侯爵、ヴェルダンディ嬢の取引相手も、根こそぎ脅しなどで契約破棄をさせていたね。それって、貴族がよくやる手だよね。僕も聞いたことがあるよ。――でもそれって、言い方が悪いけれど、あくまで暗黙の了解であって、露見してしまったら取り締まらないといけないんだよね」
「それは娘に対する躾であって……」
「ヴェルダンディ嬢は貴方の娘であると同時に、子爵領の領主だよ。貴方が娘を躾けた影響で、彼女の領民が苦しんでいるわけだけれども、そこはどう考えているの? 是非とも教えてほしいね」
「そ、それをどうにかするのが、領主の務めで……」
フレクの追求に、侯爵はゴニョゴニョと尻すぼみの回答しかできなかった。
「侯爵よ、其方にも王家の血が流れている。儂と従兄弟であり、ヴェルダンディの父であるからこそ、暗黙の了解とやらで、多少のことには目を瞑ってきた。だが、流石に今回は見過ごす訳にはいかん」
「へ、陛下!」
「其方には余罪がゴロゴロある。――確かにイスベルク侯爵領は、この王国の食を支える領だ、資産があるのは分かっていた。だが、それにしても其方の羽振りが良過ぎての、ちょこっと調べてみたが、どれもこれも杜撰で、すぐに色々と分かったぞ。まぁ、ここでそれを言わんのは儂の温情であるが、公言された方がよいか?」
「――――っ!」
顔は笑っているが目が全く笑っていない国王の迫力に屈した侯爵は、ガックリと項垂れてしまう。そして、やはり国王に目配せされた近衛兵に拘束されてしまったのだ。
(この国王、有能なのか無能なのか掴み辛いのよね。あたしの知らなかった父のあれこれを知っているかと思えば、第三王子派については情報がスカスカだったり、本当に意味がわからないわ)
ウルドが失礼なことを考えている間も、
「其方にも頭を冷やす時間が必要であろう」
そう口にした国王が軽く顎をしゃくると、侯爵は近衛兵に連行されていってしまった。
暫くして、近衛兵の姿が見えなくなり、会場が安堵の空気に包まれる。
これら一連の出来事を見守っていた貴族たちは、やっと一息吐いたようで、雑談の声がガヤガヤと大きくなっていく。
そしてウルドも安心したようで、少し気が楽になっていた。
「フレズヴェルク、これから少し付き合え」
「陛下、何をなさるおつもりで?」
「良いからついてこい。――ヴェルダンディ、お前もだ」
「わたくしもですか?」
「なに、悪いようにはせん」
「分かりました」
(フレク様とあたしに用とは何かしら? どうせなら、陛下なしで、フレク様と二人でお話しがしたかったわ)
お花畑が捉えられたばかりだというのに、ウルド自身もお花が咲きそうな思考になっている。しかしウルドは、そんな自分の心境に気付いていないのであった。
そして、国王劇団による演劇はまだ終わらないらしい……。
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