第三十二話 借金王

「ラタトスク、お前は自分が何をしでかしたか、しっかり理解しているのか?」


 決して大きな声ではないが、ずしりと響く重低音で、国王が第二王子に問い質した。


「おお父上。聞いていただけましたか? 分を弁えぬバカ女に、現実というものを見せてやりましたよ」


 小柄なフリーンの肩を抱いた大男の第二王子は、どこか誇らしげだ。


「バカだバカだと思っていたが、ここまでとは……」


 第二王子のあんまりっぷりに、王国中の上級貴族がいる場にも拘らず、さしもの国王もガクリと肩を落とし、威厳のない姿を晒してしまった。


「そうです、ヴェルダンディはとんでもないバカ女なのです」

「…………」


(これは酷過ぎる……)


 自信満々の第二王子の言葉に、この場にいる誰もが言葉を失ってしまう。


『ヴェルダンディ様』


 そんな空気の中、鞄を抱えて戻ってきたバルドルが、そっとウルドに耳打ちする。

 チラリとバルドルに視線を向けたウルドは、その視線を国王に向け、おもむろに口を開いた。


「陛下、わたくしと第二王子殿下の婚約は破棄された、そう認識してよろしいのでしょうか?」

「おいバカ女! 何を軽々しく父う――陛下に話し掛けているんだ!」

「殿下は黙っていてくださいまし!」

「なっ!」


 眉間に皺を寄せ、こめかみに青筋を浮かべた第二王子を、ウルドは『氷の魔女』を彷彿させる言動で以て一蹴し、再度国王に尋ねる。


「殿下の宣言は、認められたのでしょうか?」

「……認めたわけではないが、最早無かったことにはできん」


 苦虫を噛み潰したような表情の国王が、重々しく言葉を紡いだ。


「ざ、残念だったな『氷の魔女』。お前は正式に俺の婚約者ではなくなったのだ」


 僅かに腰の引けていた第二王子は、またもや下卑た笑みを浮かべると、今まで一度たりとも近付けなかった顔をウルドに近付け嘲笑あざけわらう。

 王子に肩を抱かれているフリーンも、引かれるような形で姉に近付くと、勝ち誇ったような顔でウルドを見上げていた。


「残念? 何が残念だと仰るのかしら?」

「お前の大好きな権力から遠ざかったことに決まってるだろうが」

「わたくし、権力など欲しておりませんわよ」

「強がるな」


 大男である第二王子が、文字通りウルドを見下みおろしながら、見下みくだした発言をする。しかし、言われた方のウルドはどこ吹く風だ。


「殿下に問います。わたくしと殿下は婚約を解消し、赤の他人・・・・となった、ということでよろしいのですね?」

「そうだ、俺とお前は赤の他人だ」

「二言はありませんこと?」

「二言も三言もあるか! 俺とお前は赤の他人だ!」


 感情の起伏が激しい第二王子は、またもや激昂し怒鳴る。


「バルドル」

「はっ」


 ウルドは視線を第二王子に向けたままバルドルを呼ぶ。呼ばれたバルドルは、さっと鞄に手を入れると、羊皮紙の束を取り出し、その内の一枚を主に手渡す。

 すると、第二王子を見据えたままのウルドは、その羊皮紙を眼前の大男に見せ付けながら口を開く。


「では、お支払いをお願いいたしますわ」


 片眉を上げた第二王子は、いぶかしげな表情を見せた。


「これは、殿下が婚約者であることを理由に、わたくしの名義でこしらえた借用書の数々ですわ」

「お前は何を言っているんだ?」


 本気でそう思っているのだろう、第二王子は本当に意味が分かっていないようだ。


「殿下は、随分と妹に散財していたらしいですわね。それも、わたくしの名を使って借金をしていたというではありませんか」

「愛する者を着飾らせるために金を使うのは、男の仕事だ」


 肩を抱いたフリーンに、ウルドには絶対に見せない優しい眼差しを向ける第二王子。それをうっとりと見つめ返すフリーン。


(何だコイツら)


「それに、それはお前の信用で貸し出されたものだ。お前が支払うのが筋だろうが」


 フリーンを見る目とは打って変わって、第二王子は呆れたような表情でウルドに言い放つ。


(このボンクラ、本気でそう思っているようね)


「殿下、当然ながら、借用書の約款はお読みになっておりますわよね?」

「馬鹿にするな! 俺は王族だからと決まりを無碍にするような暴君ではない!」

「では、ここも当然読んでおりますわよね? 『婚約者は家族として扱い、家族の信頼の許に融資を行なう。ただし・・・、婚姻を結ばず婚約が破棄された場合、婚約者は家族に非ず。その者に一切の支払い義務はない』とあります」

「どういうことだ?」


(コイツ、本当にバカなのね)


「殿下は家族になる予定・・・・・・・のわたくしの名を使って、家族・・であるわたくが支払うとし、殿下の名で借金をしました。――が、婚約破棄し、赤の他人となったわたくしには、支払いの義務がない契約が結ばれているのですわ」


 この王国は、家族や一族といった、同姓や同族の絆を重んじている。

 罪を犯せば、罪の重さによっては連座と言って、一族郎党が全て処罰されることもあるくらいだ。

 それゆえ、元来血の繋がりのない者同士の婚姻は、結ばれて初めて家族となる。

 しかし、婚約は家族となる意思があると見做し、家族と同じ扱いになるが、婚約を破棄した時点で元の他人に戻るのだ。

 当然、家族でも無い者に支払いの義務は発生しない。


「何だと?!」

「他にもこれとこれ。これはドレスの支払いですわね。これは指輪。これはネックレス。どれも高額ですが、特に最近・・の購入金額は、どれもこれも桁が増えているではありませんか。――それから、まだまだありますわよ」


 バルドルに次から次へと渡される羊皮紙を、ウルドは何枚も第二王子に見せ付けた。

 ついでとばかりに、傍らにいる妹へもウルドは目を向ける。


「あらフリーン、とても素晴らしいドレスに装飾品ね。ぱっと見ただけで分かるほど、どれもこれも高価そうなものばかりだわ。わたくしには手が出せなさそうな品ばかりで、物凄ぉ~く羨ましいわぁ~」


 妹へのご挨拶・・・もしっかりする姉。


「わたくしを毛嫌いしておきながら、殿下はこんなにもわたくしを信用・・してくださっていたのですね」


 羊皮紙の束を抱えたウルドは、満面の笑みで以て嫌味を言う。


「お前を信用していたのではない! 王子の婚約者という地位を使っただけだ! しかも、お前は王子妃予算を殆ど使ってなかったではないか! 俺がそれを民に還元するために使ってやったんだ! ありがたく思え!」


 悪びれた様子もなく、第二王子は怒鳴り散らす。


「殿下、わたくしは小さな子爵領ですが、そこの領主ですのよ。別段貯め込むでもなく、民に還元しておりましたわ」

「国庫からの予算を自領のために使うなど、許されるわけがないだろうが!」

「婚約者がいるのに、その婚約者の資産を使って他所の女に貢ぐ男に言われたくありませんわ。――それにわたくし、王宮の文官に指導していただき、しっかりした手続きを経て予算を使っておりましたのよ。何ら問題無く」


 プチッとはち切れそうなくらい血管を浮き上がらせた第二王子は、射殺さんばかりの視線をウルドにぶつけていた。


「それにしても、随分と使われたのですね。わたくしに回された予算では到底支払い切れぬ金額ですわよ。――ああ、殿下はケチケチしてご自分の予算を使用なされていなかったようですから、それで支払えるのですね」

「誰がケチだ!? フリーンには、俺の金使ってプレゼントしていたんだぞ!」

「う~ん、殿下の予算が如何ほどか分かりかねますが、これだけの金額は流石に厳しいように思いますわ」

「だったらお前が払え!」


(払うわけないでしょ)


「おかしなことを仰る。赤の他人・・・・であるわたくしが、なぜ支払わねばならないのです? それより、殿下の寵愛する侯爵家の御令嬢・・・・・・・にお支払いして頂けばよろしいではないですか」

「お前の借金を、フリーンに払わせる気か!?」


(何をどうすれば、あたしの借金になるのよ……)


「もうよい」


 ここまで静観して国王が、いつもの国王然とした威厳を纏い、遂に言葉を発した。


「父上、やっと『氷の魔女』が、とんでもないバカ女だと分かってくださったのですね」

「バカはお前だ!!!」


 一見すると爽やかな笑顔で国王に歩み寄る第二王子に対し、国王は鼓膜が破れんばかりの大声を張り上げ、怒りを露わにしたのだ。


「ラタトスク、お前を横領の罪で投獄する」

「横領? な、何故ですか? おれ……私は横領などしていません」

「国庫から出ているヴェルダンディの王子妃予算、それを本人の許可もなく流用した。それは紛れもない犯罪だ」

「それは違いま――」

「黙れ!」


 言い訳をしようとする第二王子の言葉を、国王はにべもなく遮った。


「お前は自分で言っていたではないか、『王族だからと決まりを無碍にするような暴君ではない』と。であれば、決りはしっかり守ってもらおう」

「ですが――」

「他にもまだあるが、今は・・ヴェルダンディの告発だけの罪にしておく。ここで口にせぬだけでも有り難いと思え」

「くっ……」


 第二王子を黙らせた国王は、今度はフリーンへと顔を向ける。


「フリーン・イスベルグ。其方を不義密通及び、横領幇助の罪で投獄とする」

「な、何故あたくしが? あたくしは純粋に殿下と愛し合っていただけで、不義密通などではありませんわ。そして、殿下からの戴き物も――ヒィ……」


 言い訳を始めたフリーンに国王の射殺さんばかりの視線が向けられると、彼女は尻餅をついた。どうやら腰を抜かしてしまったらしい。

 そんなフリーンを支えようとする第二王子。その背後に見えたラーンが、少しつまらなそうな表情を浮かべているのがウルドの視界に入った。


 ラーンは、フリーンから第二王子との関係などの言質を取っている。きっと、それを何かしらで使いたかったのかもしれない。しかしラーンの出番もなく、国王の一声でフリーンの投獄が決まってしまったのだ。きっとそれが面白くなかったのだろう。

 ラーンに活躍の場を与えてあげられなかったことに、ウルドは申し訳なさを感じてしまった。


 そんな外野を他所に、国王は第二王子を見据える。そして、やおら言葉を発した。


「ラタトスク、お前が何を勘違いしていたのか知らんが、お前は国王になる器ではなかった。……いや、努力すれば可能性はあった。だからお前をヴェルダンディと婚約させたのだ」


 ここで言葉を区切った国王は、ウルドにもギリッと聞こえる程の力で奥歯を噛みしめる。『陛下はよほど悔しいのだろう』とウルドは思うも、静かに身見守った。


「お前を王太子候補としていたのは、ヴェルダンディがお前の婚約者だったからだ。お前には何度も言ったであろう、『ヴェルダンディに相応しい男になれ』と。――ハッキリ言おう、ヴェルダンディには国母に成り得る素養がある。それも、国王の器に足りないお前を抱えても、この王国を導ける程の能力だ。ヴェルダンディは決して王妃の権力を欲してなどおらん。むしろ、儂が頼み込んでおったのだ」

「な、何をバカなこと……」 


 断腸の思いで語られた国王の言葉を、第二王子は受け入れられなかったのだろう。そんなはずは、などとぶつくさ言っている。


「ラタトスクよ、お前は自らヴェルダンディを手放したのだ、その意味が分かるか?」

「…………」

「もはや、お前に王太子となる資格がなくなったということだ」

「そ、そんなのはおかしい! 俺が次代の国王となり、この王国を導かねばならない! 俺が国王にならないのであれば、誰が国王となるのですか!?」


 自分が次代の国王になるのだと盲信していた第二王子は、国王の発した言葉が、意味の分からない言葉に聞こえていたのだろう、半ば発狂気味に叫んだ。


(このボンクラは何を言っているのかしら? アンタは次代の国王ではなく、ただの借金王だというのに)


 ウルドがくだらないことを考えていると――


「見苦しいよラタトスク」


 澄んだ声音が会場に響いた。

 決して大声などではないのだが、すぅーっと耳に届く優しい声。

 しかし、王国中の上級貴族がほぼ集まっている場にも拘らず、その声は一部を除いて、ほぼ全ての者が聞いたことのない声であった。

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