第二十三話 浮かない顔
「ヴェルダンディ様、今日はすごく楽しそうでした」
「そう? 新しい知識を得られるのって、すごく楽しいのよね」
フレクの屋敷から戻ると、何故かウルド以上にご機嫌なナンナが、主に対して失礼なくら下卑た笑みで話しかけてきた。
「それだけですか?」
「え? それだけよ」
「フレク様とご一緒できたことが嬉しかったのでは?」
「そ、それは別に何とも思っていないわ」
ウルドはフレクとのことを自身の中で蓋をしていたのだが、ナンナはお構いなしにズケズケと口にする。
「またお会いする約束を取り付けていましたよね?」
「それは、経済と流通についてご教授いただくためよ」
「ヴェルダンディ様ぁ~、ホントにそれだけですかぁ~」
「ほ、本当にそれだけよ」
頭を揺らし、明るい栗色のおさげをゆらゆらさせ、ニヤニヤを通り越してグヘヘ、とでも言いそうな顔で問うてくるナンナは少々うざいが、何気にこんな呑気な遣り取りをウルドは気に入っていた。
ナンナは他の側近に比べるとできる仕事は少ない。だが、色々と問題を抱えているウルドからすると、気の休まる時間を与えてくれるナンナは、掛け替えの無い存在となっていたのだ。
そんなナンナの癒やしもあり、心の均衡を保っていたウルドであったが、またもや平穏を脅かす報告が届いた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ご苦労さまクノッチ。戻ってきて貰ったばかりなのだけれど、また調べて欲しいことがあるの」
「その前に、ヴェルダンディ様にお伝えすることがございます」
ウルドから王都での諜報活動を命じられていたクノッチは、ナンナからの伝言によりノルン領へ戻ってきたばかりだ。そして、王都での報告を聞くより前に、ウルドが次の指示を与えようとしたところ、クノッチは少しキツめな顔付きをキリッとさせ、伝えることがあると言う。
「では、先に王都の報告を聞かせてちょうだい」
「はっ! どうやら、イスベルグ侯爵家が何やら動いているようであります」
「お父様が?」
「どなたの指示なのか分かりかねますが、侯爵家の者であることは間違いないありません」
(多分だけれど、銀の卸先関係でしょうね)
「それなら、銀関係でしょう。であれば、特に問題はないと思うのだけれど」
「それが、侯爵家の者が会っているのは、ヴェルダンディ様が食料の取引をしている貴族ばかりなのです」
「なんですって?!」
「あれらの領地は農業主体で、加工業が盛んではありません。なので、少しおかしいと思っていたのです」
クノッチの推察通り、それは確かにおかしい。ウルドも同意であった。
そこでウルドは、父が何かちょっかいを出そうとしているのではないか、そう思ったのだが、そんなことをするメリットが父にないことも理解している。
たまたまだったのだろうか、と思いそうになるウルドの思考だが、たまたまで片付けてはいけない。
「何か詳しい内容は掴めているのかしら?」
「残念ながら、それに気付いて調査を始めようとしたところで、ナンナからの帰還命令を受けましたので」
魔術が発達していたウルドの前世であれば、情報の伝達は現在よりかなり早かった。しかし、現代では一つの遣り取りでもかなりのタイムラグがあるのだ。
(そうと分かっていればクノッチを戻さず、そのまま捜索させていたのに……)
歯痒い思いのウルドは、眉を顰めた苦悩の表情を隠そうともしなかった。
「クノッチには申し訳ないのだけれど、王都の報告書を纏めたら、再度王都へ戻ってもらうわ」
「かしこまりました」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「申し訳ございませんヴェルダンディ様」
「……どうしたのナルヴィー」
財務担当のナルヴィーが、謝罪の言葉と共にウルドの執務室へ入室してくる。
近頃の側近たちは、入室時に浮かない顔で謝罪の言葉を口にすることが多く、ウルドも些か辟易していた。
「今回は申し開きのしようもございません」
男性にしては小柄なナルヴィーが、小さな体を更に小さくしてひれ伏す。
「ナルヴィー、それでは何があったか分からないわ。まずは頭を上げて報告をしてちょうだい」
恐る恐るといった感じで頭を上げたナルヴィーは、再度謝罪の言葉を口にし、何に対しての謝罪なのかを語り始める。
その内容を要約すると、ナルヴィーの父であるナリが、ヴェルダンディの父であるイスベルグ侯爵と密通しており、ノルン子爵領の情報の流出及び、銀鉱山の利権譲渡の手引きをしていたとのことであった。
「ナリはどうしているの?」
「身柄を拘束するのは可能ではありますが、父は私に情報を握られたことに気付いておりません。それゆえ、ヴェルダンディ様からの指示をいただくまで勝手なことをしない方が良いと判断し、放置していますので、父は以前と変わらぬ生活を続けております」
家臣の教育ができていなかったがため、銀鉱山を父に奪われたと思っていたウルドは、家臣の再教育によって今後のミスを無くせる、そう思っていた。しかし、内通者がいたのであれば、教育がどうこう以前の問題であったのだと分かる。
「ナルヴィーを疑うつもりはないのだけれども、貴方の父であるナリが内通者であると知れてしまうと、貴方にも嫌疑の目が向いてしまうでしょうね」
「それは仕方のないことでございます」
「現状は、あたしの胸の内に留めておくわ」
「ヴェルダンディ様のご配慮は嬉しく思いますが、バルドルたちにも秘めておいては、今後の作業に悪影響が及んでしまうのでは?」
自分の父が裏切り者だったことで、ナルヴィーは主に切り捨てられる覚悟をしていたのだ。しかしウルドはそうせず、むしろ誰にも公言しないと言う。
ナルヴィーにはウルドの意図が分からなかった。
「あくまで現状だけよ。その間に、ナルヴィーはナリの息子であることを利用し、敢えてナリに近付き、彼が行なっていることを調べてほしいの」
「潜入捜査ということでしょうか?」
「そうよ。――すぐにナリを囚えても、本当の事を話さない可能性が高いでしょう。であれば、ナルヴィーがあたしを裏切ったふりをして、内情を洗い浚い調べる方が、有益な情報を得られると思うの。どう、やってくれる?」
ナルヴィーは嬉しさのあまり、つい己の思いをウルドに伝えた。
自分の父が裏切り者だったのだから、自分も疑われるに違いない、そう思っていたのだ。だが、疑うのではなく主を裏切ったふりをして父に近付けと言ってくれた。
裏切り者の息子である自分を疑うのではなく、その立場を利用する。そんな策略を用いるウルドの聡明さに、自分は感服した、と。
最後はおべんちゃらのようなことを言っていたナルヴイーだが、そのもまた紛れもない本心であった。
「信頼を裏切らぬよう、必ずやヴェルダンディ様のご期待にお応えしてみせます」
(信者って、自分の父親が疑わしいとなれば、肉親より信仰対象の言葉を優先して敵対するのね。やっぱ信者って怖いわー。……でも、その分だけ頼りになるわね)
主がとんでもないことを考えているのも知らず、従順な僕であるナルヴイーは、目尻に感激の涙を浮かべながらも、任務を遂行することを誓ったのだ。
「よろしくね」
「はっ」
「では、こちらから持ち出す情報の内容を精査しましょう」
フレクと『流通と経済』の会話をしている中で、情報についても教わっていたウルド。
正確な情報を掴むのは勿論、情報の操作についても学んでおり、時には嘘の情報も必要だと知った。
元来正直者のウルドは、嘘の情報を流すなど好ましく思っていない。だが、良識ある者を騙すのではなく、悪意ある者に対する手段として使うのであれば、悪を裁く意味でも有用であると認識していた。
そういった観点から、今回はナリに対して偽の情報を伝えるようにして、ナリだけではなく、ウルドの父であるイスベルグ侯爵の悪巧みについても可能な限り暴く、そのつもりでウルドはナルヴィーに命じたのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「浮かない顔をしているね」
「そ、そんなことはありませんわ」
「そう?」
「はい。わたくしは、こうしてフレク様とボートで過ごす時間が、大切な憩いのひと時ですので」
領主としてやるべきことの多いウルドだが、勉強にかこつけてフレクを訪ねては、時折ボートでのんびりした時間を過ごしていた。そして今も、現実逃避をするかのようにフレクを訪ね、ボートに乗せてもらっている。
婚約者のいる身で、独身男性と二人きりでボートに乗るなど本来許されることではない。しかしながら、ウルドはある意味開き直っているため、心の平穏を保つことを優先しており、この穏やかな時間を大切にしていたのである。が、今日は穏やかな気持ちではいられなかった。
「僕もヴェルダンディ嬢と過ごせる時間は、とても有意義だと思っている。だけれど、貴女の立場としては、僕と変な噂が立ったりしたら拙いのでは?」
「そうですね。フレク様の婚約者様にご迷惑がかかってしまいわすわね」
「ん? 僕に婚約者などいないよ」
「あら、そうでしたの」
ウルドは嬉しいと思う自分の気持ちに気付いた。それは、フレクが彼の婚約者と婚姻を結ぶ以上、ウルドの婚約が何れ破棄になろうと、自分とは縁の無い人物だと思っていたのだが、『もしかして……』と少しだけ未来への光明が見えたからだ。
とはいえ、自身の恋愛以上に領のことを第一に考えているウルドには、フレクとどうこうは考えたりしない……いや、考えないようにしている。
だからこそ、ただ単にフレクに婚約者がいない事実だけを受け止め、何となく朗らかになる気持ちだけを、ウルドはじっくり噛み締めたのだ。
問題続きで溜まったストレスを、フレクと会ったことで発散したウルドが領主館に戻ると、バルドルが浮かない顔で待ち構えている。最近ではお馴染みとも言えるバルドルの表情だ。
「……今度は何かしら?」
溜め息を吐きたくなるのを堪えたウルドは、慈愛の笑みを浮かべて優しく問うた。
「麦の取引が、完全にできなくなりました……」
バルドルの口から出た言葉は、ウルドも半ば予想していたものだ。
ノルン領は、気候的に麦類が作れないわけではない。だが、土壌の関係なのだろうか、何故か麦類が育たないのだ。更にいうと、長期保存が利く作物全般が育ちにくい土地でもあっため、自領ではあまり日持ちしない野菜などを作り、主食となる作物は他所から仕入れるしかなかった。
「貯蔵は?」
「…………」
ぶっきら棒に問うウルドに対し、バルドルは無言であった。それは、芳しくないという証拠でしかない。
(参ったわ)
口に出せない弱音を、ウルドはこころの中で呟いたのであった。
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