第二十二話 湖の上

「お待たせいたしましたわ」

「いやいや、こちらこそ急に押し掛けてしまって申し訳ないね」


 ウルドが応接室に入ると、そこには薄幸そうな美青年がいた。

 滅多に行かない王宮の、それも中庭で極稀に顔を合わせることしかできない、色白を通り越した青白い顔色をした金髪の美青年が、ノルン領の領主館にいるのだ。

 ウルドの胸は自然と弾んでしまう。


「失礼ですが、なぜフレク様がノルン領に?」

「見ての通り、僕は不健康そのものだ。それで静養地を探していたら、ノルン領が気候的に療養に向いていると聞いてきたんだ」


 確かに、ノルン領は冬に若干の雪が降るものの、夏でもそれほど暑くならず、一年を通して比較的落ち着いた気候の地である。


「そうですか。現在の宿はどうされているのです? 何でしたら、私の方で療養に向いた屋敷を探してみますが」

「この街の西の外れに小さな湖があるだろ? その畔にあった屋敷を入手して、そこを住処としているのさ」


 ウルドは脳内の地図を広げ、フレクの言う場所を思い浮かべる。すると、該当する場所の景色が思い浮かんだ。

 そこはかつて、ノルン子爵家の別宅だった。しかし、亡くなった祖母が領都の領主館を殊の外気に入り、ほぼ足を運ばなくなったために手放した物件であったと聞いている。


「あそこであれば、森に囲まれて街の喧騒から離れ、とても過ごし易そうですわ」

「うん、まだ入居して二日だけれど、すごく気に入っているよ」

「療養期間は、どれくらいを予定されているのでしょう?」

「特に決めていないかな」


 フレクの言葉に、ウルドのテンションが上がる。


(フレク様がノルン領にいるのなら、いつでも会えるのかしら? どうしましょう、嬉すぎるわ)


 すっかり頭にお花が咲いてしまったウルドだが、彼女はただの恋する乙女とは一味違う。――いや、本人はこれが恋なのかどうかすら分かっていない。


(浮かれている場合ではないのよね。先ずは領の立て直し。波風を立てずに第三王子の王太子任命への誘導。そして何より第二王子との婚約を解消しないと、あたしの明るい未来はないのよ!)


 ウルドはしたたかであり、それでいてたくましくもあった。


「ん? 急に雰囲気が変わったけれど、どうかしたかい?」

「……え、いや、なんでもありませんわ」

「それないかまわないけど、何かあったら相談にのるよ。療養といってものんびりしているだけだから、僕は暇人なんだ」

「はぅっ」


 笑みを深めたフレクの優しい眼差しにクラクラし、「僕は暇人なんだ」という、普通の成人男性いが言ったらぶっ飛ばされそうなセリフも、お花畑状態のウルドには『僕は余裕のある生活をしているんだ』に変換され『素敵』と思ってしまう始末であった。


「随分と顔が赤いけれど、熱でもあるのかい? 領主は忙しいのかもしれなけれど、あまり無理をしてはいけないよ」

「だ、大丈夫ですわ」

「それなら良いのだけれど」

「お、お気になさらず」


 心配されると余計に赤くなるウルドであったが、なんとか平静を装い、その後も差し障りのない会話をし、フレクはお付きの従者と帰っていった。




「ぬぁ~ん、なんだか疲れたわぁ~」


 自室に戻ったウルドは、猛然とベッドへとダイブする。

 最近はワンピース生活をしていたウルドだが、来客がフレクと知った途端、大急ぎでドレスに着替えたのだが、それを忘れていつもの調子でダイブしてしまったのだ。

 しかし今回は、いつもと心境が違った。

 ウルドはフレクとの再会を喜ぶ気持ちとは別に、緊張も同時に感じていたために体がムズムズしており、どうにかしてムズムズを解消したかったのだ。


「ヴェルダンディ様――」

「今は、……今だけは許してナンナ!」

「いいえ、今日はお叱りするつもりはありませんよ。……それより、あの方がフレク様ですか?」


 使いから戻った際、丁度フレクを見送る場に遭遇したナンナ。その彼女は珍しくウルドを叱らなかったが、くりっとした茶色の瞳を輝かせ、少々ニヤつきながら主に問うた。


「ええ、そうよ」

「お噂通り、不健康そうではありましたが、とんでもないくらい格好良い方ですね」

「そ、そうね」

「ヴェルダンディ様が恋心を抱いてしまうのも納得です」

「ち、違うのよ! 恋心なんて抱いていないわ!」

「そうですか?」ニヤニヤ――


 主従というより、年の近い女の子同士といった感じで、ウルドとナンナは会話をする。


「あたしには婚約者がいるのよ。それなのに他所の殿方に恋心を抱くなどありえないわ」

「えぇ~、ヴェルダンディ様は、その婚約を解消するために行動なされているではありませんかぁ~。それってぇ~、フレク様との恋を成就したいがためではないのですかぁ~?」

「婚約解消はあくまで、あのボンクラ王子が気に入らないのと、王妃なんて面倒な立場になりたくないからよ。フレク様は関係ないわ!」

「またまたぁ~」ニヤニヤ――


 侍女にからかわれながらも必死に反論するウルド。

 そこでウルドはふと思う。


 ――そもそも恋って何?


 確かに、フレクに会えると嬉しくなる。

 フレクを想うと心が暖かくなる。

 フレクに会えないと寂しさを感じる。

 何の気なしにフレクのことを考える。

 気持ちが落ち着かなくなる。


 それが恋なのか何なのか分からず、揺れる心を落ち着かせ、領主としてすべきことをするため、ウルドは現実と向き合うようにしていた。

 そして今、いつでもフレクと会える状況になったわけだが、ウルドが領主としたやらなくてはならないことは、むしろ以前より増えている。『恋とは何なのか?』などと考えている場合ではないのだ。


 とはいえ、現状は状況観察中のようなもので、ウルドがすぐに動かなければならない事案はない。

 そう気付いたウルドの行動は早かった。彼女は早速フレクに先触れを出し、翌日にはフレクの屋敷へと赴ていたのだ。


「いらっしゃい。来てくれて嬉しいよ」

「静養地にノルン領をお選びいただいたのですから、領主として何かお手伝いできれば、と思いましたの」

「それがあのボートかい?」

「はい。小さいながらも湖があるのです。お体に障らないのでしたら、ごゆるりとボートに乗るのも良いかと思いまして」


 ウルドはフレクの屋敷に訪れるのに際し、手土産にボートを持参していた。


「せっっかく頂いたわけだし、早速ボートに乗ってみようかな」

「どうぞ、乗り心地をお確かめくださいな」

「何を言っているんだい?」

「え?」

「当然、ヴェルダンディ嬢と一緒に乗るに決っているだろ」


 ウルドも何れは一緒に乗りたいと思っていたのだが、いきなりのことに少し動揺してしまう。


「よ、よろしいのですか?」

「よろしいも何も、是非お願いしたいのだけれど」

「では、お供いたしますわ」


 ウルドがにこやかに応えると、フレクは下がった目尻を更に下げた。


 ボートに乗り込んだ途端、ウルドは自分のしたことが失敗だったことを悟る。


(フレク様って体が弱いから、ボートを漕ぐのは無理じゃない! あたしが漕いでも良いのだけれど、今日のドレスだと漕ぎにくそうだし……)


「フレク様、やはり今日は止めておきませんか?」

「どうしてだい?」

「わたくし、本日は動くにくいドレスで来てしまいましたので、ボートを漕ぐのは大変そうなので……」

「ん? ボートなら僕が漕ぐよ」


 フレクは、『何か問題でもある?』とでも言いた気な、少し愛嬌のある表情で腰を下ろすとオールを手にした。


「お体の弱いフレク様に漕いでもらうわけには……」

「大丈夫だよ」


 無理をしているでもなく、自然な表情のフレク。それを見たウルドは、余計な気を使ってしまったと、バツが悪そうに背を丸めた。


「以前に比べると、僕の体はそれなりに健康体に近付いているんだ。むしろこれくらいの運動をした方が良いくらいさ」

「それなら良いのですが、あまりご無理をなさらないでくださいませ」


 表情を見るに、フレクは無理をしているようには見えないが、顔色は相変わらず青白いため、ウルドはどうしても心配してしまう。

 そんな出航・・であったが、いざフレクが漕ぎ始めると、何ら問題無かった。


 湖の上をゆっくり進むボート。ウルドとフレクは他愛もない話で盛り上がる。

 すると――


「ヴェルダンディ嬢、何か困ったことはないかい?」


 軽い運動をして血行が良くなったのだろうか、青白い顔から普通の色白な美青年にジョブチェンジしたフレクが、不意にそんな質問をしてきた。

 自身が気付かぬうちに領のことを考え、『不安が表情に出てしまったのかしら?』とウルドは思う。

 それであれば、せっかくなので相談を……と思うウルドだったが、領地の問題を部外者に簡単に漏らすわけにもいかず、僅かに口籠るも言葉にはしなかった。


「フレク様は何故わたくしが困っていると?」

「僕の家臣が言っていたんだ。食料の値段が急に跳ね上がったと」

「…………」

「それも、一つ二つの店ではなく、何処も彼処もだと言う。仮に食料の高騰が領全体の話だとすれば、それは領主が打ち出した政策だと考えるのが自然だね。そして、食料の供給を調整するというのは、何らかの問題を抱えている。どうかな?」


 フレクの推察通りであった。

 出荷する食料の調整を始めたばかりであるにも拘らず、すぐにそこまで考えが至るフレクを、ウルドは警戒するのではなく、純粋に称賛してしまう。が、口には出さない。

 そして、そのような優れた洞察力を持つフレクであれば、相談したい、と思ってしまうウルドだが、素直に相談するのも憚られる。そうなると、ウルドの口は硬く閉ざされたままに……。


「まぁ、自領の問題を軽々と口にできないのは僕も理解している。――そうだな、ここはノルン領云々の話ではなく、経済と流通についての話をしようか」

「経済と流通ですか?」

「僕は体が弱い分、無駄に勉強ばかりしていてね、特に経済と流通に興味を抱いたんだ」

「何故です?」

「部屋から出られない生活を送っていると、『何処で何が作られ、どこどこへ運ばれて行く』とかを聞くと、自分も旅をしている気分が味わえたんだ。それからかな」


 あまり自分のことを語らないフレクの口から、ほんの一部ではあるか過去のことが聞けたウルドは、なんだか嬉しくなる。

 それからは、フレクから講義のような形で話を聞き、ウルドは彼の知識の深さに感心した。


 ボートから降りた後はフレクの屋敷でも講義を受け、また教えを請う約束をして、ウルドは領主館へと戻った。


「ヴェルダンディ様、今日はすごく楽しそうでした」

「そう? 新しい知識を得られるのって、すごく楽しいのよね」

「それだけですか?」

「え? それだけよ」

「フレク様とご一緒できたことが嬉しかったのでは?」

「そ、それは別に何とも思っていないわ」


 ウルドはフレクとのことを自身の中で蓋をしていたのだが、ナンナはお構いなしにズケズケと口にする。


「またお会いする約束を取り付けていましたよね?」

「それは、経済と流通についてご教授いただくためよ」

「ヴェルダンディ様ぁ~、ホントにそれだけですかぁ~」

「ほ、本当にそれだけよ」


 頭を揺らし、明るい栗色のおさげをゆらゆらさせ、ニヤニヤ顔で問うてくるナンナは少々うざいが、何気にこんな呑気な遣り取りをウルドは気に入っていた。

 ナンナは他の側近に比べるとできる仕事は少ない。だが、色々と問題を抱えているウルドからすると、気の休まる時間を与えてくれるナンナは、掛け替えの無い存在となっていたのだ。


 そんなナンナの癒やしもあり、心の均衡を保っていたウルドであったが、またもや平穏を脅かす報告が届いた。

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