第八話 冷え込む心

「先程、人酔いしていた少女を医務室に案内したよ。名はスルーズ・シアルフィと言っていたかな」


 焦りと不安が綯い交ぜになり、コバルトブルーの瞳を潤ませるウルド。そんな彼女の瞳に見入ってしまいそうになる気持ちを抑えて、美青年は淡々と事実を口にした。


「ああスルーズ、無事だったのね。良かったわ……あっ」

「おっと、大丈夫かい?」


 スルーズが無事と知ったウルドは力が抜けてしまい、間近に迫っていた美青年に凭れ掛かってしまう。そんな彼女を、高身長だが線の細い……悪く言えば弱々しそうな美青年が、蹌踉よろけることもなくしっかり受け止めた。

 どこか頼りなく見える美青年だが、女性にしては大柄なヴェルダンディを問題無く支えた事実に、やはり男性なのだな、とウルドは思う。――そして気付く。


(……だ、男性!? やだ今あたし、だ、男性の胸の中に!)


 安心した油断からか、自分を支える美青年が”男性”であることを意識してしまったウルドは、恥ずかしさからか慌てて体を離し、サッと距離を取る。

 魔術で自衛をしていたウルドは、こうして男性に体を預けるような場面に遭遇したことはなく、これがある種の初体験・・・となった。


(体が弱そうに見えるけれど、意外とガッシリしているのね。……なんてほうけている場合ではないわ)


「も、申し訳ございません」


 この時、冷静を保っていると自覚していたウルドは、自身の耳も顔も真っ赤になっていることに気付いていなかっただろう。


「お嬢さんも医務室で休むかい?」


 意地悪ではなく、あくまで善意であろうと思える屈託のない笑顔で問いかけてくる美青年――ただし顔色は青白い――の声に、ウルドの心は弾む。


「いいえ、わたくしは大丈夫ですわ」


 混乱しているのを悟られないよう、ウルドは平静を装う。

 そうはいっても、赤い顔に落ち着かない視線。平時のウルドでは表に出さないであろう狼狽うろたえようであったが、美青年は見て見ぬフリをして、「それなら良かった」と、それこそ至って冷静な対応をしてみせた。


「それでも少し心配だな。……そうだ、そこにベンチがある。少しだけ休んでいったらどうだい?」


 スルーズのことで頭がいっぱいだったウルドは、自分が王宮の何処にいるのか分かっていなかった。

 そんな彼女は、美青年が視線を送った先を目で追ってみる。そこには中庭を見渡すベンチが存在していた。

 ベンチを認識したウルドが視線を戻すと、そっと差し出された男性・・の手に気付き戸惑う。瞬時に体が熱くなるのを感じたウルドだが、自然と体は動き、美青年の手を取っていた。

 視線のやり場に困ったウルドは、頬を殊更赤く染めて俯いてしまう。それでも、美青年にエスコートされるがままに歩を進め、やがてベンチに座った。



 中庭を見渡すベンチに、ウルドと並んで腰掛けた薄幸そうな美青年が、心底安心したような優しい視線を彼女に向ける。


「いやー良かった。お嬢さんが探してた人があのお嬢さんで。……お嬢さんだと呼びにくいな」


 緊張した様子のウルドを気遣ってか、はたまた素なのか分からないが、青年は軽い感じの口調で言う。


「そういえば、まだ自己紹介をしておりませんでしたわね。わたくし、ヴェルダンディ・イスベルグと申しますわ」

「貴女があの・・イスベルグ侯爵令嬢だったんだね」


 美青年の言動に、若干白々しさを感じたウルドだが、そこは触れずに流す。


あの・・が何を指しているか存じませんが、きっとそうなのでしょう」

「いや、失礼。僕が言っているのは”王国一の美女”の方だよ」


 つっけんどんな物言いをしてしまったウルドだが、美女と言われたことに照れくささを感じ、少々恥ずかしくなってしまった。――が、思い出してしまう。自身の見てくれはヴェルダンディなのだから、”美女”というのはウルドに送られた言葉ではなく、ヴェルダンディに対するものなのだと。

 するとウルドは、何とも言えない気持ちになる。


「『方』という言い方をなされたのですから、もう一方もご存知なのでは?」


 これ以上おかしな態度を取りたくないと思ったウルドは、気丈に振る舞ってみせた。


「『氷の魔女』のことだね。僕の認識では、あまり良い意味ではなかったのだけど、そんなことはなかった。――『氷の魔女』とは、透き通るような白い肌、新雪を思わせるスノーホワイトの長い髪、抜群のスタイルと相まって、見る者を魅了して虜にしてしまう全身から発する美のオーラ。なんて言うのかな、美の化身とでも呼べる貴女を表すのに、『氷の魔女』というのはピッタリだと思うよ。……そうそう、その美しいインディゴブルーの瞳も、『氷の魔女』の美しさを表す象徴の一つだね」


 美青年はおべっかを使っているわけではなく、思ったことをそのまま口にしているのだろう。しかし、彼がヴェルダンディの美しさを称賛する度、ウルドの心は冷え込んでいった。

 それは、賛辞の全てがヴェルダンディの外見・・に対してのもので、内面・・であるウルドに対するものではなかったからだ。


(あたしもこの人を初めて目にした時、『もしかするとこれが恋?』なんて思ったけれど、結局それも見た目で感じたことよね。――もしも恋愛が見た目からしか発展しないのであれば、ヴェルダンディとして生きるあたしは、一生恋愛なんてできないわね……)


 この美青年と出会ったことで、『恋愛結婚をする』という目標ができたウルドであったが、奇しくも二度目の再会で、自身が恋愛のできない身であると気付いてしまったのだ。


 因果応報とは違うが、なんとも皮肉なものである。


「ん? イスベルグ侯爵令嬢、どうかしたかい?」

「いえ、何でもありませんわ。それより、わたくしのことはヴェルダンディとお呼びくださいまし」

「かの御令嬢に、ファーストネームで呼ぶことを許されるとは光栄だ。ありがとうヴェルダンディ嬢。――そうだ、僕はまだ名乗っていなかったね。僕は……ちょっと訳ありでね、”フレク”と呼んでくれないか」

「フレク様ですね。かしこまりましたわ」

「いやいや、かしこまらなくてもいいよ」


(この人……フレク様は王宮をフラフラ歩いていて、正式な名が語れないって、普通に考えて怪しいわよね。でも、それがまかり通っているのだから、それなりの地位や身分があるはず。――あれ? 確か病弱で人前に姿を現さない第一王子が、この王宮にいるはずよね。もしかしてこの方は……)


「フレク様、わたくしはだいぶ落ち着きましたわ。それにスルーズの様子が気になりますので、医務室にいきたいのですが」


 何となく不味い気がしたウルドは、早急にこの場を離れる決断をした。


「それほど急がなくとも……」

「スルーズは初めて王宮の夜会に参加し、ましてや気心の知れた者はわたくししかおなませんの。いつ覚醒めるか分からないにしても、目覚めた際に見ず知らずの者しかいないとなれば、更に滅入ってしまうかもしれませんわ」

「そ、そうだね。うん、あのお嬢さんも心細そうだったし、早く行ってあげた方が良いだろう。よし、僕が案内しよう」

「お手数ですが、よろしくお願いいたしますわ」

「任せておいて」


 フレクのやや下がった目尻は、笑顔と相まって優しさ与えてくれる。その優しさを向けられると心が吸い込まれそうなるが、ウルドはグッと堪えた。

 気持ちに関係なく、自分は第二王子の婚約者だ。他の男性に気を遣って良い立場ではない。しかも、第一王子かも知れない人ともなれば尚更だ。

 そもそもヴェルダンディとして生きる以上、ウルドを好きになってくれる人はいないのだから、恋愛などできない。

 もし、罷り間違ってフレクがウルド……いや、ヴェルダンディを気に入ったとしても、それはあくまでヴェルダンディの外見に対しての感情だ。内面であるウルドを見てくれることなどあるはずもない……。


 先導してくれるフレクの背中を眺めながら、ウルドは物悲しい気持ちになってしまっていた。


「ここが医務室だよ。もう少しヴェルダンディ嬢と話してみたかったけど、僕はここでお暇するよ。機会があればまた」

「ありがとうございましたフレク様。またお会いできる日を楽しみにしております」


 無念さが漏れ出るフレクと、教科書通りの社交辞令を述べるウルドという、全く正反対の態度の二人。

 立ち去るフレクを見送っていると、ウルドは心にポッカリ穴が空いたような感覚に陥ってしまう。


(ダメダメ、あたしはやることがたくさんあるのだから、恋愛とか気にしている場合ではないわ。来年には正式に子爵になるのだから、領民のためにも領主として頑張らないといけないし! そうよ、恋愛とか結婚なんてあたしには関係ない! あたしは領主として領民を守りながら、毎日を楽しく面白おかしく生きていければそれでいいの。あたしにはナンナとバルドルがいるもの!)


 恋愛や結婚がしたいという未練があり、ヴェルダンディとして第二の人生が始まったであろうウルドだが、彼女は『それはもうどうでも良い』と結論付けてしまうのであった。


 スルーズの休む傍らで、手持ち無沙汰だったウルドが思案に耽っていると、幾ばくの時が流れたのか不明だが、モゾモゾっとスルーズが動き出したのに気付く。

 ウルドは焦ることなくスルーズの動きが落ち着くのを待ち、優しく声を掛けた。勿論”女神”と崇められる慈愛に満ちた表情、透き通るような優しい音色の美声でだ。


「目が覚めた? 具合はどう?」

「あ、ヴェルダンディ様。……勝手にいなくなってしまい、大変申し訳ございませんでした。本当に、本当に……――」


 開口一番、スルーズから出たのは謝罪の言葉であった。それこそ、申し訳なさそうに何度も何度も謝辞を述べるのだ。その顔は、フレクほどではないにしろ、いつものスルーズと比べると妙に青白かったように思える。


「それはいいのよ。もしかして、会場で嫌な目にあったの?」

「ヴェルダンディ様が去られてから、周囲の視線が気になりだしてしまい、それで少し気分が悪くなりまして……つい会場の外に出てしまったのです。何だか居た堪れなくなって、勝手に離れてしまい、本当に申し訳――」

「違うのよスルーズ。貴女を一人にしてしまったあたしの落ち度だったの。本当にごめんなさいね」


 更に謝罪の言葉を述べようとするスルーズの声を遮り、今度はウルドが謝罪をした。


「ヴェルダンディ様は悪くないです! 国王陛下に呼ばれたのですから、陛下にお会いするのは当然のことです! それなのに、あの場を離れてしまい……悪いのは全部わたしです!」


 どうやらスルーズは頑固な性格らしく、なかなか引いてくれなかったため、『二人とも悪い部分があった』として、どうにかその場を収めた。

 それから少しして、スルーズが動けるようになったのを確認すると、馬車を回してもらい帰路に就く。


 車中のスルーズは、「始めての経験がこれだったのですから、きっと以降は余裕を持って対処できそうです」と笑顔で語っていた。

 気の弱いお嬢さんだと思っていたが、ウルドが思う以上にスルーズは逞しかったようだ。

 そしてウルドは、可愛らしい妹分を持てたことを誇らしく思う。


 妹分のスルーズを男爵邸に送り届け、侯爵家に帰宅して着替えなど一通り終えたウルドは、ナンナとバルドルに大事な話を打ち明ける決意を固めた。

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