第九話 駆け落ち
「お茶を淹れたら、二人ともそこに掛けてちょうだい」
ウルドの従者は、何があっても主と席を共にしない。しかしながら、今のウルドは有無を言わせぬ表情をしており、従者二人は断れないことを本能で察したようで、大人しくソファーに腰を下ろした。
二人が落ち着いたのを確かめたウルドは、カップを手に取り喉を潤わせると、コホンと一つ咳払いをし、ゆっくりと口を開く。
「あたしは前世で恋愛や結婚ができなかったことで、多分ヴェルダンディの体で第二の人生を始めたのだろうと伝えたわよね。そして、その無念を晴らすべく、恋愛結婚を目標に頑張るとも言ったと思うの。きっと、それがあたしに与えられた使命なのだろうから」
ウルドの言葉に、従者二人は首肯している。
「でも、それはもう諦めたわ」
「「!!!!」」
ウルドの言葉に、バルドルとナンナは驚愕の表情を浮かべた。
「な、なぜですかヴェルダンディ様?!」
「そうですよ。諦める必要がどこにあるのですか? ヴェルダンディ様ならどんな男でもイチコロですよ? その容姿であれば、有象無象の愚民など、その気になれば毎日取っ替え引っ替えも可能です! わたしが保証します!」
従者は、ウルドの想定していた反応を示す。……いや、ナンナの言葉は想定の斜め上を行き、まるでバルドルのような口ぶりだ。
「ナンナの言うとおり、ヴェルダンディの見た目……いえ、この美貌であれば、悪評を覆して上手くかもしれないわね」
「それなら――」
「違うのナンナ。あたしは確かに結婚をしたいわ。そして、結婚だけなら第二王子ともできる。――でも違うの。あたしがしたいのは、恋愛を経てからの結婚なの」
「ですからヴェルダンディ様、頑張れば恋愛もできるではないですか」
大人しく聞き入る姿勢になったバルドルと違い、ナンナはウルドに食って掛かる。
従者が主に意見するなどありえないが、
「良く聞いてね。ヴェルダンディは絶世の美女だわ。女性であるあたしが嫉妬してしまう程にね。それに、国王陛下も王国一の美女と言っていたわ」
「ですから――」
「聞きなさい」
「はい……」
ウルドは眉根を寄せ、インディゴブルーの瞳から光を消し、『氷の魔女』を思わせる寒々しい表情でナンナを黙らせる。
ナンナは、基本的に朗らかなウルドしか見ていなかったため、『氷の魔女』モードを初めて目にし、驚きや恐怖などから少しだけ
反論する意思すら挫かれたナンナが口を噤むのを確認したウルドは、二人に目配せをし、おもむろに語る。
「あたしに惚れる者がいるとすれば、その想いはヴェルダンディの見た目に対してであって、ウルドであるあたしに向けられたものではないの。その者の気持ちを解析すれば、あくまでヴェルダンディという美しい女性に恋い焦がれただけで、あたしに対する気持ちは何処にないはずよ。――だって、ウルドという存在など知らないのだから、当然よね」
気丈に語っていたウルドだが、感情とともに表情まで弱々しくなってしまう。
「だから、あたしがヴェルダンディとして存在している以上、ウルドを想ってくれる人などいないの。それって、本当の意味での恋愛や、その先にある恋愛結婚はできないでしょ? あたしはそのことに気付いたの」
言うたいことを言い切ったウルドは、いつの間にか僅かに俯いていた顔を上げ、無理やり笑顔を作ってみせる。
「そういうことだから、あたしは恋愛結婚を諦めたわ」
「ヴェルダンディ様はそれでよろしいのですか?」
「いいと思っているわよ」
「でも……」
「ヴェルダンディ様がそう仰っているのだ。私もナンナも、ヴェルダンディ様の意思に従う。それだけだ、ナンナ」
納得のいっていないナンナであったが、バルドルに
「代わりの目標というわけではないけれど、子爵領を発展させたいと思うの」
俯いていたナンナだったが、突飛な話しに思わず、といった感じで顔を上げ、疑問を口にする。
「え? どういうことですか?」
「あたしって、何かにのめり込む
ウルドの作り笑いは、未来を楽しもうとする本当に笑顔に変わっていた。
「一言よろしいでしょうか?」
「なぁに、バルドル?」
「以前に言いましたが、私にとってのヴェルダンディ様はその御姿にこそあります」
「そう言っていたわね」
「しかし、以前のヴェルダンディ様は誰にも理解されなくともなく、何事もご自身で考え、色々と活動されておりました。――それがどの様な結果になったのか、今では知る由もございませんが……」
(今ひとつバルドルの意図が分からないわね)
「そして今、ウルド様がノルン領のために奮闘を誓われました。自領の者たちの生活の安寧を図るなど、素晴らしいお心掛けかと存じます。なので、ヴェルダンディ様の御姿に心酔している私であれど、ウルド様のお心に胸を打たれました」
「そう、ありがとう」
(単に目標を持ちたいのと、面白可笑しく生活したいだけなんだけど……。あたしが自分本位であることは、言わない方が良さそうね)
「これは社交辞令ではございません。――それと、ウルド様の見目はナンナ寄りだと伺っております。もしそのお姿でしたら、私はきっと心酔しなかったでしょう」
「バルドルさん酷いですぅ~」
「今はヴェルダンディ様と会話中だ。ナンナは黙ってて」
「あぅっ」
(この二人って、何だかんだ仲良し……よね?)
「しかしながら、現在のウルド様のお心は、見た目では分からない崇高なことをなさられようとしております」
(崇高なことではないと思うけれど……まぁいいか)
「そのような崇高なお心を持つ聖母の如きウルド様であれば、私は見目を別にしてお慕いしたいと思えます」
「そう言ってくれるのは、素直に嬉しいわ」
「はい。ですので、いつしかヴェルダンディ様の御姿に惑わされず、ウルド様のお心を理解してくださる方が現れる可能性も十分にある、と私は愚行し信じております」
(そういえば、バルドルがあたしをヴェルダンディではなく、ウルドと呼んでくれているわ。なんだか嬉しい。――もしかして、あたしってばバルドルに口説かれてる? う~ん、バルドルって、前髪で顔の半分を隠しているけれど、実はかなりの美男子よね。このまま専属従者との逃避行とかいう浪漫が……。なんて言ったかしら? 確か、……駆け落ちね! そんなのもいいかもしれないわ)
「とはいえ、私はヴェルダンディ様の従僕であると誓った身。伴侶になりたいなど、恐れ多くて思えませんが、きっと私のようにヴェルダンディ様の御姿だけではなく、ウルド様の内面を理解してくださる殿方が現れるはずです!」
(あっ、逃避行とか駆け落ちはないのね……)
「最後に、領地を潤わせる目標はとても素晴らしいことかと存じますが、恋愛に関して蓋をしてしまうのは如何なものかとも思う次第です」
「……それなら、恋愛は機会があれば、って感じにしておいて、ガツガツ行かずに、当面はノルン領を第一に行動するわよ」
「それでよろしいかと」
「領地運営が楽し過ぎて、恋愛なんてどうでも良くなることがあっても、そのときは怒らないでね」
「ヴェルダンディ様の幸せが第一です。恋愛をしなくとも、幸せになれるのであれば、私からは何も言うつもりはございません」
「わ、わたしもです」
取って付けたように賛同したナンナだが、きっと話の半分も理解していないだろう。
取り敢えずは自分の考えを伝え、従者たちの考えを聞き、一応はウルドの考えをベースに受け入れてもらえた。
これからどうなるか分からないが、ひとまず満足できる話し合いができたことでウルドは安堵し、ガバっと立ち上がる。
「この先のことは分からないけれど、ノルン領に向けて出発の準備を頑張るわよ~」
握りしめた右の拳を突き上げつつ笑顔で従者二人に告げるウルド。その瞳には、しっかりと光が宿っている。
新たな目標を掲げたウルドはやる気を
「あっそうだ、あたしの専属従者は増やせているの?」
「
「
「まぁ、ヴェルダンディ様直属の従者は、結局は信者でなければ務まりませんからね。その点は、ヴェルダンディ様に任せられている以上、真剣に教育しておりますので、徐々に増えております」
「あたしが任せているのは、従者の選定で信者の選定ではないのだけれど」
「同じようなものです」
(貴族の従者なんて、信仰ではなく給金や待遇で決めるものではないのかしら? ああ、でもバルドルは、給金よりあたしに仕える栄誉が大事とか素っ頓狂なことを言ってたわよね。……これって、完全に人選ミスだったかも知れないわ。――でも、バルドルはウルドとしてのあたしも尊重してくれているし、正しかったのかな……?)
「とにかく、人手の確保を最優先にお願いね。これからは夜会などではなく、領主の仕事がメインになるのだから」
「だからこそ、信頼できる信者が必要となります。金に尻尾を振る駄犬は要らないのです! 必要なのは、自身のすべてをヴェルダンディ様に捧げ、絶対の忠誠を誓うこと。給金などという俗物的なものに惑わされず、身も心も親愛なるヴェルダンディ様に捧げられる、有能なものでなければなりません!」
(やだ、ちょっと怖いんですけど……。でも、敵が多いあたしからしたら、それくらい心酔してくれる従者……いえ、信者でないと安心できないのは確かなのよね)
暫し繰り広げられたウルドの脳内会議の結果、多少の妥協もあるが、バルドルを
「とにかく、ノルン領を潤す! これを第一目標に頑張るわよ」
「「かしこまりました」」
「恋愛なんて二の次よー」
「「…………」」
従者二人は若干ノリが悪かったが、恋愛より領での面白おかしい生活を第一目標に掲げ、ウルドは新しい一歩を踏み出す決意を固めたのであった。
ちなみに、会話中に軽く
ウルドの第二の人生は、恋愛結婚をするために再開されたようなものだが、恋愛のことは当人にすっかり二の次にされ、領主として活躍する人生に書き換えられてしまった。
この選択が、ウルドにとって良かったのか悪かったのか、今は知る由もない――
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