第六話 本音と建前
「ヴェルダンディ様は色々とご苦労があったかと思いますが、これからはわたしがお支えしていきます」
ウルドの過去を聞いた侍女ナンナは、茶色の瞳を収めたくりっとした目をこれでもかと見開き、真剣に言葉を発してくれた。
「あたしのこと、気持ち悪いとか思わないの?」
「正直言いますと、わたしは以前のヴェルダンディ様を噂でしか知りません。ですので、わたしの知っている今のヴェルダンディ様が、わたしにとってのヴェルダンディ様です。噂と全然違うヴェルダンディ様を、わたしは好ましく思っています」
珍しく真面目な表情のナンナであったが、最後は見慣れた緩い笑みを浮かべ、いつものように明るい栗色のおさげを揺らす。
「ありがとうナンナ」
ウルドの口から、自然に感謝の言葉が溢れる。彼女にとって、過去のヴェルダンディを知らないナンナの存在は、本当にありがたかったのだ。
異物であるウルドの話を聞いた上で、毛嫌いするでもなく受け入れてくれたナンナは、ウルドに嬉しさや心強さを感じさせるに十分であった。
すると今度は、執事のバルドが口を開く。
「私はヴェルダンディ様に仕えて十年になりますので、以前のヴェルダンディ様についてもよく存じております。今でこそ悪評の絶えないヴェルダンディ様ですが、ご聡明な方でしたので、何らかの意図があったのだと私は思っております。そのヴェルダンディ様でなくなってしまったのは、正直寂しくあります」
表情に乏しいバルドルだが、言葉通りに寂しそうな顔を見せる。
「ごめんなさいね」
バルドルの言動に、ナンナとの会話で上がったウルドのテンションは、急転直下の大下降をしていた。
「そうではございません。もしかすると、以前のヴェルダンディ様はあのまま亡くなっていたように思います。しかし、ウルド様がご降臨されたことで、ヴェルダンディ様が今でも私の目の前にいるのです。そう思うと、むしろ感謝の念に堪えません」
拒絶を覚悟していたウルドは、思わぬ言葉に涙腺が緩みそうになるのを必死で堪え、バルドルにも「ありがとう」と感謝の言葉を伝える。
「バルドル、これからもあたしの力になってくれる?」
「勿論です。生涯ヴェルダンディ様に従うと誓いまましょう」
従者二人に真実を打ち明けるのを躊躇っていたウルド。
気持ちの上げ下げの幅がかなり大きかったが、今となっては伝えたことを良かったと感じる。と同時に、自分の判断に間違いはなかった、と胸を撫で下ろしたのであった。
従者二人にウルドの秘密を伝えた翌日、夜会で知り合った若い子のお茶会に呼ばれしたウルドは、ウキウキ気分で訪れていた。
「本日はお招きいただき、ありがたく存じます」
「こ、こちらこそ、イスベルグ侯爵令嬢様に、お、お越しいただけたこと、た、大変喜ばしく……えーとー、……あ、ありがとうございます!」
「そんなに緊張しなくても大丈夫ですわ。それから、わたくしのことはヴェルダンディと気軽に呼んでくださいな」
「は、はい、ヴェルダンディ様!」
今回のお茶会は、社交デビューしたばかりの子に笑顔を振り撒くという、非常に地味な作業を繰り返したウルドの努力が、少しではあるが実を結んだ結果と言えよう。
例え小さなお茶会に呼ばれるという些細なことであっても、それが自分の行動により
――楽しいお茶会は恙無く終わる。
それこそ、執事のバルドルに言わせれば”信者”の信仰心もアップさせた、と褒められるだろう。
そんな”やったった感”を胸に、るんるん気分で帰ろうとしたウルドに、屋主である子爵から声がかかった。
子爵は家長として挨拶でもしてくるのかと思ったが、少し話しがしたいと言う。
気分の良かったウルドは、何も考えずに了承し、応接室へと通された。
「御令嬢、どのような意図ですか?」
「意図……とは?」
子爵からの唐突な問に、ウルドは意味が分からなかったため、可愛らしく笑顔で小首を傾げみる。
「
「はて、恍けてなどおりませんわよ? 子爵の仰る”意図”が何を指しているのか分からないだけですの」
ウルドは恍けてなどいない。本当に分からないのだ。
「貴女がサロンに参加していることや娘の茶会に参加したことなど、それらの行動の意図することは何か、と聞いているのです」
「あー、それですか。――わたくし、
サロンとは、十五歳以下の子を持つ貴族が開く夜会で、十六歳で正式な夜会に参加する前の者たちに、社交の練習をさせつつ婚約者を探すために開かれている、ある種の制限が付いた夜会だ。そして通常は、”婚約者のいる者は参加しない”のが
ヴェルダンディは第二王子の
とはいえ、単に公言されていないだけで、第二王子とヴェルダンディの婚約は、貴族の間では暗黙の了解として広く浸透している話なのだ。
この辺りの立場は、本音と建前でコロコロ言い分が変わるので、ウルドとしては臨機応変に上手く立ち回っている。
「アドバイスなど白々しい。貴女はそのような殊勝な方ではない」
「あら、随分と横暴なことを仰るのですね」
満面の笑みで以て遣り取りしていたウルドだが、子爵の言葉に気分を害し、うっかり表情を無くしてしまった。それを見た子爵は、「ヒィッ」と漏らし小さくたじろぐ。
「と、とにかく、今後は娘に近付かないでいただきたい。貴女が出入りしているなどと噂になっては、堪ったものではない」
「あらあら、それは困りましたわ。わたくし、またお茶会に参加するとお約束してしまいましたのに」
(う~ん、あたしを嫌悪してる大人は、
「それはこちらでどうとでもしますので、今後は一切かかわらぬようお願いいたします」
「残念ですが、子爵がそう仰るのでしたら、そういたしますわ」
失墜した信用を回復させるのは、なかなかに難しいものだと肩を落としつつ、ウルドは帰路に就いた。
自室に戻って着替えなどを済ませたウルドは、従者を部屋から出して一人になり、ドサッとベッドに飛び込んだ。
「儘ならないものね。でも、少しずつ信頼を回復させて敵を減らしていけば、きっと明るい未来があるはずだわ」
ウルドは萎れかけた心を、独りごちることで奮い立たせた。
「それと、あのボンクラ王子もどうにかしないといけないのよね。はぁ~」
問題が山積みな中で、最大の問題を思い出したウルドの口から溜め息が漏れる。
「あたし、恋愛結婚できるのかなぁ~」
自分で定めた目標が思いの外苦難だと感じたウルドは、その後もウダウダ考えながら眠りに就いていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「バルドル、何か判ったことある?」
「やはり、一度現地に行ってみないと何とも言えません」
「そっかー。となると、シーズンが終了したら一度現地に行くしかないわね」
「それがよろしいかと」
バルドルとナンナに秘密を打ち明けたウルドは、内緒にしていた自領に関する情報も二人に提示し、三人で協力して内容を調べていた。
しかし、書面の情報だけでは判断できないことが多く、情報を精査するためにも現地に行くしかない、と判断を下す。……主にバルドルが。
「ヴェルダンディ様、そろそろ支度を始めませんと」
「もうそんな時間なの?」
「ヴェルダンディ様は作業に没頭し過ぎなのです」
「……そうかもね」
魔術の研究に没頭すると、三日三晩寝ずの作業くらい当たり前だったウルドは、ここでもその片鱗を見せていた。
「ふぅ~、今日のお役目はもう終わりね」
今夜も精力的に新人へ笑顔を振り撒いたウルドは、壁際で軽く力を抜きつつ独りごちる。そして、フロアーでダンスを踊る者たちを見ているうちに、心に沸々と湧き上がる思いを内心で愚痴った。
(一度くらいあたしもダンスしてみたいなぁ~)
第二王子の婚約者である『氷の魔女』にダンスの誘いをする者などおらず、ウルドは一度として踊ったことがないのだ。
「あ、あの~、ヴェルダンディ様……」
羨望の眼差しでダンスを眺めているウルドに、おずおずと話しかけてくる者がいた。ひょっとしてダンスのお誘い、と一瞬だけ思ったウルドだが、聞き覚えのある高い声であったことから、それはない、と瞬時に思い至る。
「……あらスルーズ。どうしたの?」
ウルドにスルーズと呼ばれた少女は、ヴェルダンディを慕う今シーズンデビュタントを終えた男爵令嬢だ。よく声をかけてくるので、ウルドも敬称を付けずに名を呼ぶくらい可愛がっていた。
「ヴェルダンディ様にお願いがあるのですが……」
「なにかしら?」
「今度の王宮の夜会に、わたしを連れて行ってくださいませんか?」
「う~ん、何も面白くないわよ」
「そ、それでも、一度行ってみたいのです……」
王宮の夜会は、基本的に伯爵以上の家系に属する者しか参加できない。しかし、二名までの同伴が許可されているため、家格の低い貴族は寄親などに同伴することで、王宮の夜会への参加が可能となっている。
侯爵令嬢のウルドも同伴者を連れて行くのは可能だが、嫌われ者ゆえに同伴を願い出てくる者は、今までに一人たりともいなかった。
「王宮の夜会でわたくしの傍にいると、嫌な思いをするかもしれないのよ?」
「だ、大丈夫です! 大人はヴェルダンディ様のことを勘違いしているのです! わたしはそれを分かっているので、全く全然これっぽっちも問題ありません!」
小柄な少女は平らな胸前で拳を握り、『ふんすふんす』と息巻いている。その後方では、スルーズの父であるシアルフィ男爵が、心配そうに娘を見つめていた。
サロンは未成年が主役の夜会ではあるが、当然ながら子どもだけの参加は危険なので、必ず親が同伴している。
ウルドと仲良くするのを良しとしない親は多いが、シアルフィ男爵のように何も言ってこない貴族も中にはいるのだ。
「分かったわ。そのように手配しておくわね」
「ありがとう存じます」
満面の笑みでウルドに頭を下げたスルーズは、とてとてと父の許に駆け寄り、嬉しそうに報告していた。それを笑顔で聞き届けたシアルフィ男爵が、軽くウルドへ会釈する。
たったそれだけのことだが、大人でもウルドを毛嫌ししない者が現れたことが嬉しく、ウルドは心が満たされるのを感じたのであった。
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