第五話 地味な作業

「さぁ~て、今夜も頑張っちゃうわよぉー」


 今日も今日とて夜会に向かうウルドは、馬車の中で淑女らしからぬ声を上げ、気合を入れていた。


「ヴェルダンディ様、お言葉遣いと態度にお気を付けくださいね」

「大丈夫よナンナ」


 気合の入ったウルドは、美の化身と呼ばれるにふさわしい装いで馬車を降り、夜会の会場に入った。

 まずは、いつものように壁の花となり周囲を覗う。

 傍らに控えたバルドルから教わりながら、貴族の顔と家名を一致させたり、過去にヴェルダンディと交流があったかなどを確認する。――王宮の夜会では従者を会場まで連れて行けないが、それ以外の夜会なら我を通せ・・・・ば、なんとかなってしまう――

 そして頃合いを見て、ウルドが動き出すのだ。


「ごきげんようモーブ男爵」

「……こ、これはこれはイスベルグ侯爵令嬢。お久しぶりでございますな」

「そうですわね。――ところで、そちらの可愛らしい御令嬢はどなた?」

「チッ……」

「ん?」


 男爵が小さく舌打ちしたのを聞き漏らさぬウルドであったが、わざわざそれに突っ込むことなく、軽く小首を傾げてみたりする。


「……先日デビュタントを終えた娘でございます。――メアリー、イスベルグ侯爵令嬢にご挨拶なさい」

「は、はじめまして。……メアリー、も、モーブと申します。メアリーとお、お呼びください」

「わたくしはヴェルダンディ・イスベルグですわ。よろしくね、メアリー嬢」

「よ、よろしくお願いいたします」


 緊張を隠しきれていない男爵令嬢のメアリーに、ウルドは優しく微笑む。するとメアリーは、ぱぁっと花が咲いたような笑顔を見せた。


 ヴェルダンディは悪い意味で『氷の魔女』と呼ばれている。

 それは、白磁のような白い肌にスノーホワイトの長い髪。ドレスは青を基調とした寒色という出で立ち。いつも無表情で夜会の会場を凍らせる、または、気に入らない者を罵倒し、インディゴブルーの瞳で凍て付くような視線を送ることなど、様々な要因が集約されて命名されたようだ。


 一方、ウルドが大魔術師として『氷の魔女』と呼ばれていたのは、とても名誉なことであり、呼び名には尊敬の念が込められていた。しかし、同じ呼び名であっても、ヴェルダンディは疎まれている。

 それを払拭するため、ウルドは夜会で笑顔を見せるように心掛けていた。

 そして現在、ウルドがターゲットにしているのは、デビュタントを終えたばかりの令嬢だ。


 デビュタントは十二歳と少し早く、以降は十五歳まで正式な社交の場にはあまり出ず、練習的な夜会に参加する。その夜会は婚約者を見つける場でもあり、それを経て十六歳から正式な社交の場へと進むのが一般的だ。

 ヴェルダンディはまだ十五歳なので、そちらの夜会も参加できる。

 悪い噂が先行しているヴェルダンディは敢えてそちらの夜会に参加し、初対面の令嬢に優しく接することで、悪いイメージを上書きするとても"地味な作戦"を実行しているのだ。


 これはバルドルが発案したもので、彼曰く――


 ヴェルダンディ様の御尊顔、それも慈愛に満ち溢れた笑顔を間近で拝するのです。

 女神たるヴェルダンディ様に免疫のない小娘であれば、悪評など瞬時に記憶から消え去るでしょう。とのことだった。


 このような地味な作業を開始してし、大人の貴族からは『氷の魔女が何か企んでいる』などと言われているが、デビュタントを終えたばかりの十二歳の娘たちの間からは、少しずつ好意的な声も聞こえてきていた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ぬぁ~ん、今夜も疲れたよぉ~」

「ヴェルダンディ様、そのままではドレスが皺になってしまいますよ」

「うぅ~、ナンナ厳し~」

「まずはお着替えを済ませましょう」


 ウルドに認められたナンナとバルドルは、主を『お嬢様』ではなく『ヴェルダンディ様』と呼ぶようになっていたのだ。

 従者が主を名前で呼ぶなど、通常の主従関係ではあまりなく、それだけウルドが二人を信頼している、という証と言えよう。


「ナンナぁ~、お茶まだぁ~?」

「バルドルさんがご用意しています」


 暫くしてワゴンを押してバルドルが入室してきた。


 厄介な伝言を携えて――



「何を企んでおる」


 父である侯爵に呼び出されたウルドが、父の執務室に入るや否や、彼は挨拶の一つもなく問うてきた。


「企む? 何も企んでいませんよ」

「夜会で若い令嬢に愛想を振り撒いている、と聞いている」

「普通のことではありませんか」

「氷の魔女と呼ばれるお前がやると、それは普通ではない」


(何それ)


「氷の魔女と呼ばれるのは本意でありませんので、それを払拭したいだけですが」

「そんなことをしてどうなる」

「お父様は、わたくしが殿下と婚姻を結ぶのを望まれておいででは?」

「そうだ。だが、お前の行動とは関係ないだろうに」

「悪い噂を払拭する。殿下の心象を良くする。――おかしい行動ですか?」

「詭弁だ」


 父娘での不毛なやり取りは暫し続き、ウルドはゲッソリした表情で自室に戻った。


「ぬぅぁ~ん、お父様の相手をするのは面倒だわぁ~」

「ヴェルダンディ様、それは想定していたことではありませんか。予定通り適当にあしらっておけばいいのです」

「バルドル、お父様は一応貴方の雇い主よ」

「私が欲しいのは給金ではございません。ヴェルダンディ様にお仕えする、その栄誉が欲しいのです。旦那様など関係ございません」


(いや、ここは父の屋敷だから、関係はあると思うよ)


 家族との関係が芳しくないウルドであったが、従者とはとても良い関係が築けているのであった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ヴェルダンディ様、本日は夜会の予定がございません。如何いたしましょう?」

「……それなら、王立図書館に出掛けましょう」

「図書館ですか?」

「そう。ちょっと歴史や領地のことを調べたいの」


 調べきっていなかったヴェルダンディの手記にの中から、ウルドは興味深い一通の封書を発見していた。封書は亡くなった祖母から受け取ったものだと思われ、内容は領地の譲渡に関するものだったのだ。

 どうやら、祖母は独自で持っていた領をヴェルダンディに譲っていたらしい。

 正式な爵位を得るのは十六歳になってからなのだが、領地の管理権は既に得ているようで、ヴェルダンディは領の収益を得ていたようだ。


「あぁ、あたしの領って、こんな外れの方なのね」


 王立図書館に足を運び、初めてこの国の地図を見たウルドは、ヴェルダンディの持つ領地が王国の外れにあることを知る。


「何だかこの地形、既視感があるわね」

「ヴェルダンディ様は大奥様がご存命の頃より、何度かその地へ行かれているのですから、既視感があるのは当然かと」

「いや、まぁ~そうなんでしょうけど、そうではないのよ」


(ヴェルダンディとしてはそうでしょうけど、あたし自身は行ったことのない土地なのよね)


 ウルドは悩んだ。

 ヴェルダンディの”中身が変わっている”ことをバルドルに伝えると、ヴェルダンディへの信仰心が失われそうだと感じ、それは伝えていなかった。しかし、記憶が錯乱していると思われている現状、バルドルは質問に答えてくれるが、ヴェルダンディが己の記憶を持っている前提で接してくる。

 そうなると会話が噛み合わないことも多々あり、ウルドとしてはもどかしくもあり面倒でもあった。


(そもそも記憶の錯乱って何? 今のヴェルダンディ……というかあたしは、記憶の錯乱を越えて完全に記憶喪失レベルでしょ)


「ヴェルダンディ様」

「なに?」

「ヴェルダンディ様がお目覚めになられて、既にひと月以上経っています」

「そうね」

「ですが、未だに記憶が錯乱……といいますか、記憶を失っているように感じるのですが」

「そ、そうね」


(やはりおかしいと思っているわよね。――それにしても、あたしの悩みに触れてくるとは、やるわねバルドル)


「更に言いますと、単に記憶を失っているというより、別人格になっているように思えます」


(ピンポン! 正解よ、バルドル!)


「バルドルは、倒れる前のあたしに心酔していたのでしょうから、今のあたしに仕えるのは嫌……よね?」

「そんなことはございません。私にとってヴェルダンディ様は、その御姿であることが重要なのです。ヴェルダンディ様が地上に顕現されている限り、言動がいくら変わろうとも、私はヴェルダンディ様の従僕でございます」


(内面よりヴェルダンディとしての外見が重要なのね……。でも、よくよく考えてみれば以前のヴェルダンディは性悪女だったはず。それでもバルドルが心酔していたことを思えば、今のあたしって内面まで女神なんじゃないの?! いや、それは調子に乗り過ぎよね)


「バルドル、今は調べ物をするわよ」

「かしこまりました」


 思考が逸れていることに気付いたウルドは、現状すべきことを優先した。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「バルドル、ナンナ、貴方たち二人は、何があってもあたしの従者でいてくれる?」

「はい、ヴェルダンディ様。わたしは一生ヴェルダンディ様の従者です」

「私は従者ではいられません」

「バルドル……」


 図書館から帰る道中で、この二人になら、ヴェルダンディの中身が変わっていることを伝えても良い、と考えたウルド。善は急げとばかりに、帰宅すると早速秘密を打ち明けようとした。しかし、バルドルの口から出たまさかの言葉に、ウルドは思わず絶句してしまう。

 そして、美しい顔を悲しそうに歪めたウルドは、か細く「どうして?」とバルドルに問うた。


「私はヴェルダンディ様の敬虔なる信者です。従者ではなく、信者として付き従いたく存じます」

「あっ、それならわたしも信者としてお側にいます」

「! ……二人ともありがとう」


 何とも言えない茶番のようなやり取りであったが、ウルドは素直に嬉しく思う。

 それからウルドは、自身にまつわる話を二人に語り始めた。


「――というわけで、体こそヴェルダンディであっても、人格はウルドであるあたしなの」


 神妙な面持ちで終始していたバルドル。一方、「へー」やら「ほー」やら言いながら、一人百面相をしていたナンナ。

 話を聞いた二人の反応が気になるウルドは、表情に薄っすらと不安を覗かせ、本人の意思とは無関係に、僅かに俯いてしまっていた。


(つ、ついに言ってしまったわ! ここで二人に見限られてしまったら、これからは一人で生きていかなければならないのに……)


 ウルドの緊張はピークを迎え、若干マイナス思考寄りになっている。体に至っては、氷の魔女によって氷漬けにされ、ガチガチに固まってしまったかのような有様だ。

 固唾を呑んで従者の言葉を待つウルドは、一刻も早くこの状況から抜け出したい一心である。


 そして遂に――

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