第四話 薄幸そうな美青年

 唐突な呼びかけに、ウルドは振り返る。

 彼女の瞳に映るのは、長身だが体の線が細くてどこか頼りない、優しい笑顔を湛えた男性……それも絶世の美青年の姿であった。


「な、何か御用でしょうか?」

「いやぁ~、お恥ずかしながら、迷子になってしまって……」


 恥ずかしそうに、軽く波打つ美しい金髪を人差し指で掻く青年は、色白を通り越した青白い顔色から、どうにも薄幸そうに思える。

 ウルドは、そんな彼のコバルトグリーンの瞳と目を合わせると、そのまま目が離せなくなっていた。


(なんだろうこの気持ち……)


「あの~、お嬢さん?」

「……あっ、はい、何でしょう?」

「不躾だけれど、可能であれば案内をお願いしてもいいかな?」


(なんだか、胸のドキドキが収まらないわ)


 氷の魔女と呼ばれたウルドは、結婚どころか恋をすることなく人生の幕を閉じている。それが心残りだったのだろうか、意図せずヴェルダンディという絶世の美女として二度目の人生をスタートさせた。奇しくもウルドと同様に”氷の魔女”と呼ばれる女性で。

 そんな彼女が婚約者である第二王子から、『どうにか婚約を解消する』と宣戦布告された夜、婚約者ではない男性に対し、二度の人生を通して初めて胸のトキメキを感じてしまう。


(もしかして……これが、恋?!)


 ウルドは恋を知らない。だが、彼女の直感が”恋かも知れない”と思わせる。


「お嬢さん?」

「はぁ~……」


(これが恋なのかどうか分からないけれど、例えそうだとしても、あたしには恋愛結婚なんて無理なのよね……)


 ウルドは惚けてみたと思えば落ち込んでみる、といった、一人百面相状態になっていた。


(はっ! でも、第二王子は婚約破棄を望んでいたわね!? もしかして、あたしにも恋愛結婚の可能性も……!)


 僅かながらも、ウルドの心に希望の光が差し込んだ。


「お嬢さ~ん」


 困り顔の青年がウルドに声をかけるが、今の彼女は魔術研究をしていたとき並の集中力を発揮しており、外部からの音を完全にシャットアウトしている。


(うん、このトキメキが恋なのであれば、やはり経験してみたいわ。――そうよ、この方が相手かどうかは関係なく、とにかくあたしは恋愛結婚を目指すべきなのよ! あんなバカそうな王子に、あたしの人生を渡して堪るもんですか!)


 ウルドは満面の笑みを浮かべ、瞳は爛々と輝いてた。


「貴方に感謝いたします」

「え?」


 ある種、恍惚ともいえる表情のウルドから、唐突に謝辞を告げられた美青年は、突然の言葉に唖然としてしまう。


「人生の目標が定まりましたわ」

「はぁ?」

「わたくし、絶対に恋愛結婚をしてみせますの!」

「そ、そう……」

「はい! それでは、失礼いたしますわ」

「え、あ、ちょっと、お嬢……さん……」


 ウルドは気付き・・・を与えてくれた青年に、お手本のような美しいカーテシーをすると、踵を返してそそくさとその場を後にしてしまった。


 儘ならない事情を抱えたウルドであったが、初めてのトキメキから明確な目標ができたことで、第二王子との嫌な出来事などすっかり忘れて上機嫌だ。

 そんなウルドに置いてきぼりにされた薄幸そうな美青年は、苦笑いでぽつんと佇んでいたのであった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「おはようございますお嬢様。もう起きていらっしゃったのですね」

「お嬢様、おはようございます」

「おはようナンナ……、それと此方は?」

「昨日お伝えした、お嬢様専属執事のバルドルさんです」


 夜会の翌日、ウルドは心地よい朝を迎えていた。


 昨夜は王宮からの帰りの道中、父である侯爵からグチグチと小言を言われていたウルドだが、どうでもよい戯言など全て聞き流し、如何にして現状を打破して恋愛結婚ができる状況を作るか、そればかりを考えていたのだ。

 その結果、具体的に何をするかは思いつかなかったが、とにかくやる気に満ち溢れている。

 そんな決意の漲る朝、初めて見る執事が侍女のナンナと一緒に部屋へやってきた。


「ナンナから伺っております。お嬢様は記憶が錯乱していると」

「そうなのよ。だからバルドルも、あたしについて色々と教えてね」

「お任せください」


 腰を折り礼儀正しく頭を下げる中肉中背のバルドル。

 二十歳くらいに見える執事は、これといって特筆するような外見ではない。しいて言えば、黒に限りなく近い青髪で左目を覆い隠しているくらいだろうか。


「そうだ。バルドル、食事を部屋で取るのは可能?」

「可能でございます」

「そう。それなら、今後はそうして頂戴」

「かしこまりました。では、早速手配をしてまいります」


 黒青髪の執事であるバルドルが退室すると、ウルドは侍女のナンナに身支度を手伝わせる。

 ウルドは自分の身支度に限らず、自分ことは自分でできるのだが、明るい栗色のおさげを楽しそうに揺らしながら作業するナンナを見るのが好きで、ちょっとしたことでもナンナに任せていた。

 とはいえ、すべてを従者に任せるのが常であるにも拘らず、自分の手を貸すウルドの方が珍しいことに、当の本人は全く気付いていない。


 身支度を済ませウルドが自室での食事を終えると、早速バルドルからヴェルダンディについての情報を聞き出す。


「お嬢様は容姿端麗、頭脳明晰と非の打ち所のない女神様・・・でございます。お嬢様の素晴らしさを分かっていない愚民どもは、やれ傲慢だ、やれ高飛車だなどとほざいております。それは、才色兼備なお嬢様に対する醜い嫉妬の現れでございますので、負け犬の遠吠えなどに耳を貸す必要はございません」


 バルドルから、周囲のヴェルダンディに対する評判を聞いてみると、彼は前髪で隠れていない右の蒼い瞳を輝かせながら、喜々として報告を始めた。しかも、少々おかしな言い回しで……。

 嫌われ者であるヴェルダンディの専属執事にさせられたバルドルを、ウルドは内心で哀れんでいたのだが、彼の言葉を聞いてみると、どうやら好き好んで従事しているのだと理解に至る。


「ふ~ん。それはそうと、あたしって、日記とかつけていなかったの?」

「内容は把握しておりませんが、お嬢様は日々何かをお記しになっておりました。そちらの棚と机の引き出しにしまわれております」


(自分で記した何かがあるなら、それが一番の情報になりそうだわ)


 二人の従者を退出させ、ウルドは資料(?)に目を遣る。


「なにこれ凄ぉ~い」


 手近にあった冊子を手に取り、ざっと目を通したウルドは驚愕した。

 冊子の中身は、日付や貴族名などとともに、数字や暗号のようなものがずらりと書き記され、別の冊子には地名や数字が記されていたのだ。

 そんな冊子が何冊もあるのだから、驚くなと言うのが無理だろう。


「これって、何かしらの帳簿なのかしら? 暗号のようなものが何を指しているのか分からないから、解読するのは少し手間だわ」


 その後もウルドは冊子に目を通し続ける。


「うん、ヴェルダンディ凄いわ」


 完全な把握までには至っていないが、どうやら意図的に狙った夜会に参加して、付き合うべき貴族とそうでない貴族を上手く分けているのではないか、とウルドは推測する。


 前世のウルドは大魔術師なだけあって、魔術の天才であった。そして、感性の優れた天才肌であったため、実際のオツムは若干アレ・・だが、何となくで答えが導き出せるので頭脳明晰と思われていたのだ。――勘違いなのだが――

 そのため、ヴェルダンディの手記から考えや行なっていたことも、やはり天性の感で、何となくだがウルドはそれなりに見抜けていた。


「後は、ナンナとバルドルに話すかどうかよね。ヴェルダンディは従者に何も教えず、一人で戦っていたようだけど、あたしはこの世界の知識もないし……」


 ――コンコンコン


「お嬢様、そろそろ夜会のお支度を」

「今日も夜会があるのね」

「はい」


 バルドルにそう言われ、ウルドは仕方なく準備に取り掛かろうとしたが――


「――どうしてバルドルは退室しないの?」

「私がお嬢様の専属執事だからです」

「…………」

「失礼ですが、私が男の厭らしい目でお嬢様を見ている、など変な勘繰りをされていませんよね?」


 些か落胆した表情で、バルドルはウルドに問うた。


「厭らしいとかは別にして、あたしも一応は女の子だから……」

「お嬢様は分かっておりません」

「え?」

「私は女性に興味などございません」


 キリッとした表情のバルドは、何ら臆することなく、とんでもないカミングアウトをするではないか。


「…………」

「言っておきますが、男色ではございません」


 胡乱げなウルドの視線を感じたのであろうバルドは、ハッとした表情で誤解を解く。

 思わず蔑んだ視線をバルドルに向けてしまったウルドは、バルドルが男色でないと聞いてひと安心する。


「私が興味あるのはお嬢様だけです。それも、女性としてお嬢様を見ておりません。お嬢様……いいえ、ヴェルダンディ様は神、女神様なのです!」


 主の表情が元に戻ったのを確認したバルドルは、片膝を付いてウルドを見上げると、思いの丈を口にした。


「そして私は女神様の敬虔なる信者、神に仕える従僕なのです」

「…………」


 恍惚とした表情のバルドルを見て、ウルドは勘違いに気付く。

 バルドルはヴェルダンディに好意を寄せているものだとばかり思っていたが、実はそうでなく、ヴェルダンディの信者だったのだと。


「ご理解いただけましたでしょうか」

「え、ええ。分かったわ」

「感謝したします」


 若干引き気味のウルドであったが、それくらい崇拝してもらえるなら、これからは色々と相談に乗って貰おうと考える。

 そして、着替え時のバルドルに関しては、あまり素肌が見えない状態時に、ナンナのサポート役で手を打ってもらった。


「そういえば、ナンナは他の侍女のようにあたしを怖がらないのね」

「わたしはお嬢様の専属として勤め始めたのですが、殆ど接点を持たぬままお嬢様がお倒れになってしまったので、噂でしかお嬢様を知らなかったのです」

「あらそうなの」

「はい。ですが、昨日お嬢様と接して、噂と全然違い、とても気さくでお話しし易いと感じました」


 なるほど、と思いながらもそれだけではナンナを信じられないウルドは、更に彼女を知りたいと思う。そのために、いくつか質問をしようと思ったのだが――


「なので、これからわたしもバルドルさんのようにお嬢様を崇め、女神様の立派な従僕になれるように精進いたします!」


 なぜかバルドルと同じように片膝を付いたナンナが、これまたおかしなことを言い出した。


「ほぉう、ナンナはそこいらのボンクラどもと違い、お嬢様の素晴らしさが分かっているようだ」

「はい! お嬢様がお眠りになっている間、わたしはお嬢様のお体を清める任に就いておりました。それだけでもお嬢様の素晴らしさを感じていたのですが、昨日お目覚めになられたお嬢様のお体をお清めさせていただき、真実に気付きました。お嬢様は神が作り給うた美の化身……いいえ、神そのものだと!」


 どうやらナンナは、バルドルと同類だったらしい。

 幸か不幸か、専属侍女と執事はヴェルダンディを崇拝していたのだ。これにより、今後はこの二人と親密な信頼関係を築こうと心に誓うウルドであった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ナンナ、本日の夜会参加者リストはあるかしら?」

「はい、こちらに」

「バルドル、この中に新規でお近付きになるべき人はいるかしら?」

「そうですね、この辺りの方々ですね」


 ウルドが信者二人を全面的に信頼すると決めて数日、夜会前には作戦会議を開くようになっていた。人脈形成を積極的に行なうための準備である。

 しかしウルドは、この作業に少々難儀していたのだ。


 ウルドが覚醒める前のヴェルダンディが残した、悪評の根強さの所為で……。

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