後編 幸福
まず取り掛かった依頼は、30代男性のものだった。「朝ごはんを抜いて行ってくれ」とのことで朝ごはんを抜き、11時になってから向かった先は行列のできるラーメン店。開店前から長蛇の列ができており、8月の
男の依頼は「朝から晩までラーメンを食べ続ける一日の代行」だったのだ。大のラーメン好きである僕には幸せではあったが、昼ごはんで止めればちょうどいいというか、一日中はやりすぎだ。さらに言えば、ラーメンを1日食べ続ける幸福って、大したことのないことだ。僕は消化不良というか、初回よりもモヤモヤとした気持ちで帰宅した。
しかし、モヤモヤとした依頼はこれだけでない。ある時は全くもって知らない地下アイドルのライブを観劇したのちに、そのメンバーと2ショットの記念写真を撮った。「いつも応援ありがとうございます!」と言われ笑顔を作るも、全く知らないのだからなんとも言えない。それからも、あまり親しくない間柄の女の子との電話代行をしたり、廃墟巡りの代行をした。
なんだか幸福の規模が小さかったり、限定されているのだ。いかにも幸せだと言った依頼が1つも僕に回ってこない。白州若菜のデート代行のような幸福を、僕はもっともっと味わいたい。8月下旬になり事務所へと足を運んだ僕は、本郷にその旨を伝えた。本郷はデスクの椅子に座り書類を整理しながら、答えた。
「あー、そうですか、やはり気づかれましたか。ハハハ、実は新人期間というものがありましてね、3週間はそのような依頼を受けやすくしてるのですよ。まずは下積みってわけです。ですが、そろそろ3週間もたったので良いでしょう。これからは他の職員と同じ配分でいきますので、ご安心ください。あ、ちょうどいい。本日17時からになるんですが、これなんていかがでしょう。」
本郷は整理していた書類の中から1つの書類を僕へと渡した。
「前に働いていた、
「そ、そうなんですか。ありがとうございます!」
書類をくすねるように素早く受け取り、早速その依頼内容を確認した。
8月31日
依頼主 x村四郎
17時30分集合
勝瀬ルミ宅にて過ごす
屋上で夜景を見る
スーサイドロマンスをここに遂げる。
今回は勝瀬ルミとお家デートをするということか。デート依頼自体は新鮮味に欠けるものであるが、家で過ごすとなるとまた
「じゃあ今晩早速行ってきますね。」
「よろしくお願いします。」
イスに座る本郷へ75度くらいに浅く、短いお辞儀をした。本郷はデスクに戻り、今度はパソコンでカタカタと作業を始めている。別の5つのデスクでも同じように職員が作業をしていた。こんな異質で意味のわからない業者でも、世間はこれを必要とし、必要とする誰かを喜ばせているのだと考えると、僕は少し身につまされるような感覚に陥る。ただ、ここでの風景の中に僕がいるということをなんだか誇りに思えてしまうくらい、この業者と職員、特に本郷に愛着を感じていた。僕はくるりと踵を返し出口へ。勝瀬ルミの家へと向かった。
勝瀬ルミの家は、僕の住む田佐川駅から15分ほど歩いた場所にあった。川沿いに連なる大きな団地の中の一室で、団地の周囲には沢山の家々がある。
僕は川沿いの道から団地前にある公園に入った。ドッチボールをするのに精一杯くらいの公園には、錆びた鉄棒や象の乗り物が整備もされずに放置されていて、気味が悪い。
腕時計を確認すると、現在の時刻は17時20分。少し早いがそろそろ勝瀬ルミを訪ねても良いかもしれない。彼女の部屋は7階にあるようなので、入り口前の駐輪場を抜け、建物に入るとエレベーターに乗り7階へ向かった。エレベーター内はグワングワンと不思議な音がして、発泡スチロールのような変な匂いがする。
勝瀬ルミとはどのような人物だろう。白州若菜のような純情な女性だろうか。それとも、もう少し年上の、落ち着いた女性だろうか。きっと頭が幸福物質で満たされるような、素敵な一日になるのだろう。僕は自然と口角が上がるのを感じながら到着したエレベータを降り、勝瀬ルミ宅のドアの前に立った。
インターホンを押してみる。すると「は〜い」と少し気の抜けたような女性の優しい声がした。まもなく扉が開いた。
「あ、れ? 誰ですか〜?」
「私、幸福代行サービス業者の茅野と申します。本日はx村四郎様のデート代行を務めさせていただきます。よろしくお願いいたします。」
「あ、代行か〜。入って、ふふっ。」
勝瀬ルミはそう言って「こっちこっち」と手招きをした。ペンギンが大量にプリントアウトされたパジャマが、彼女の
内装は1DKであるために少し狭い。玄関すぐの場所にキッチンがあり、その奥が洋室、バルコニーとなっている。洋室の中央にはこたつにもなる四つ足のテーブルがあり、入って左の壁に沿ってソファがある。その向かいにはテレビがあって、隣にはあまり本の並んでいない本棚があった。本棚の上には、観葉植物と、お洒落な女性がジャケットを飾るCDがある。グリーンが好きなようで、カーテンやクッションなどが淡い緑色になっており、品の良い印象を与えている。キョロキョロとしていると勝瀬ルミが紅茶を用意してくれた。彼女はさっと僕の隣に来ると、微笑みながら言った。
「飲んだり食べたりする前にね。最後のキス。」
そう言って、小鳥のようなキスをした。あまりに突然であった。最後の……?
「私焼きそば作ってあげる。すっごいベチャベチャになるから楽しみにして。ふふっ。」
「……ありがとう。」
そう口にすると、彼女はキッチンへ向かい料理を始めた。野菜を切る横顔は少し頼りない印象を受けるが、とても美しい。僕は待ち時間しげしげと本棚を眺め、時たま本を読んでいたが、「あんまり読まないでよ〜。」とおどけた調子で言われたので、黙って待っていた。窓からは西日が入り込み、勝瀬ルミの部屋を茜色に染め上げていた。
料理が出来上がると、僕らは酒を酌み交わしながら食事をした。わざと作ってもこうはならないだろうというくらい水を吸った麺は、もしかしたらx村四郎の好物だったのかもしれない。ゆったりとした時間の中で時折交わされる、他愛もない会話が心地よかった。日もすっかり落ちて、酔いが回ってきたなと感じる頃、勝瀬ルミは屋上へ行こうと提案した。
依頼内容に夜景を見ることが記されていたことを思い出し、僕は勝瀬ルミとともに屋上階へと出た。8月31日の夜は、夏が抜けきれていないぬるい風が吹いていた。肝心の夜景はというと、住宅街であるから派手でないが、人の温もりを感じるような安心感がある。勝瀬ルミは屋上階と地面との崖に当たる手すりに手をかけると、「来て、行こう。」と手招きした。酔いの回った、とろんとした目をしていた。
僕が隣に来ると、彼女はハアと深い息を吐き、真剣な眼差しを僕に向けた。それは何かの決意のようにも思えた。勝瀬ルミは口を開く。
「今日であなたと私は、永遠に結ばれる。時間も場所も超えた真実の愛を手に入れるの。あなたとならできる。さあ、飛び降りましょう……。」
そういうと勝瀬ルミは、手すりへ腰をかけ僕の手を掴み、僕の手だけが命綱となる状態で後ろへ体重をかけ始めた。力の弱い僕は一緒に落ちてしまいそうになったが、慌てて彼女を引き戻した。嫌な汗がじわじわと全身を覆うような感覚がする。彼女はきょとんとした表情のまま、僕の目の前に戻った。
「どうしたの……? まさか、怖気付いたとか? そんなはずないよね?」
「あのー、そのー、多分なんか、不幸代行業者さんと間違えてないですかねえ?」
僕は
「僕らは幸福代行業者なので、こういうのはちょっと違うというか……。」
「どうして?」
勝瀬ルミは想像以上に声を張り上げた。とろんとしていた目は、いまや血走った鋭い目つきに変わっていた。
「あなたと私、未来永劫一緒なのよ? 永遠に出会い続け、永遠に愛し合うの。素晴らしいと思うって言ってくれたじゃない!」
「あ、あー、ちょっと、事務所に電話しますね!」
そう口にすると、僕は踵を返し、階段を降りて1つ下の階の廊下で本郷に電話をかけた。勝瀬ルミは追ってきていないようだ。
聞いていないぞこんな話。こんな幸福があるわけないだろう。どう考えても僕の仕事じゃない。あまりにも“常識的”でない。早く、早く出てくれ本郷。無音の中にコールだけが何度も響いた後、ようやく応答した。
「はい、幸福代行サービス業者本郷です。」
「本郷さんですか? 勝瀬ルミの件ですよ。いま、心中を持ちかけられているんです。こんなのおかしいですよね? “普通に考えて”こんなの幸福じゃない!」
本郷はハハハと笑った。「えーっ」ともったいぶるような間をとった後に、語り始める。
「どう考えてもいいじゃないですか、これこそスーサイドロマンスってやつです。愛する者と死を遂げることが永遠の
本郷が言い切る前に、僕はすっと携帯を奪われた。勝瀬ルミがすぐ後ろにいたのだ。8階廊下の手すり側に追い込まれ、背後を見れば田佐川の夜景と、遠く離れた地面。バクバクと音を立てている僕の胸に勝瀬ルミは手を当て微笑みだす。気づいた頃には僕は宙を舞っていた。死ぬのだろう。間違いなく。
「幸福って一体なんなんだ……。」
__4ヶ月後
勝瀬ルミの事件から4ヶ月。駐輪場の屋根に落ちた僕らは、怪我こそしたものの死には至らなかった。僕は幸福代行サービスにも復帰した。
「こんにちは。」
「茅野くん。今の時間はおはようでしょ!」
本郷はまだ朝早いせいか、優雅にコーヒーを飲んでいる。他の職員はまだ来ていないようだ。僕にわざとらしいツッコミを入れて、ニヤニヤと楽しそうだったが、ハッと何かに気づいた顔になった。
「そうだ、この依頼茅野君に受けてもらおうと思って。はいこれね。」
そう言って本郷は書類を一枚僕に渡した。僕はざっくりと目を通す。
「なるほど、夫の監禁2日間代行か! 行きます行きます!」
(おわり)
幸福代行サービス カメラマン @Cameraman2525
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