運命の双生 Ⅲ
そして十分後、見るから高級そうな店へ到着するなり日下部は「いつもの、新しい瓶入れてな。それと適当に肉」とボーイに告げ、奥の四人掛け革張りソファーへでんと座った。
直樹は斜め前の席に掛けた。
日下部は足を組んで訊いた。
「ところで、東さんは竹之内が経営していた会社はご存知ですかな」
「『グリーンライム』、毎日ビルの裏手にある七階建てが本社です」
ウエイターは程なくヘネシーVSOPの瓶と一口ステーキを運んできてガラステーブルに置いた。秘密と交換に奢りを強いる日下部へ辟易した直樹は、今更何だといった顔でミネラルウォーターに口を付けた。
警部補は先ず高級ブランデーをロックグラスへ注ぎ、一口満足げに堪能してから直樹に問いを続けた。
「では業務内容については?」
「おしぼりの配達、製氷業、観葉植物の配送。他に飲食店の経営、清掃、警備、人材派遣、芸能事務所、中古車販売など諸々です。扶桑會の
「ふへへ、貴方も一般大衆同様
日下部は肉の塊を一度に放り込んだ汚い口で言い切った。
「竹之内は賢い。暴対法を抜けてちゃんと儲けている。グリーンライムも結構な年商を上げてますし、若くして利殖の才があるとはいえ、投機だけであそこまで組を大きくするのは無理ですな。そもそもフロント企業ってのは組から離れながら代紋を時々使う。にしてはどれも真っ当過ぎる。だから私らは身辺を洗ったんですな」
「では別会社を保有していたんですか」
「貴方も鋭い。聞きたいですかな」
「その為に来たんですよ。焦らすのは止めてもらえませんかね」
神経を尖らせ直樹はジロリと刑事を睨め付けた。日下部はその視線に気付かず機嫌良く洋酒をあおった。
「ならば教えてさしあげましょう。実は東海市に『エクセルシアー』という会社があるのですが、竹之内はそこの社長を兼任していたんですな。他人名義で登記していたからすっかり惑わされていましたが、金融や不動産、風俗、産廃処理などを裏で調整していたのです」
「いわば上前をはねていたと」
「東さんは率直ですな。愛知の人間なら扶桑會は子供でも知ってます。組がバックに付けば安心して商売が出来るってもんですからな」
「その代わり金が発生する。歴としたみかじめ料ではないですか。どうして貴方達は取り締まらないんですか」
「いやはや、それが合法なんですよ」
直樹の呆れ声に日下部は乱れた短髪を体裁悪く掻いた。
「竹之内は非常勤の会計士やら弁護士を雇い、正規の値段で税金や法律相談に応じているのです。いわばコンサルタントやアドバイザーも兼ねているんですな。グリーンライムとてクライアントによっては良い物件も探してやるし、経営向上のための企業セミナーも開催する。ですからみかじめには入らない。それと近年じゃベンチャー企業やIT関連会社設立を援助し、そこへ竹之内が連れてきた才ある若者を率先して雇用させている。つまり扶桑會も間接的に未来の産業に入り込んでいる。時代を読む切れ者とはあの男を指すんでしょうな」
「打算的な
苦々しく水を飲む直樹を見た日下部はここで口を緩め予想外の話を漏らした。
「それだけじゃありません。竹之内は何と宗教法人の資格を安く買い、教団を立ち上げたんです。その名も『
「え、あの新興宗教は奴が作ったんですか」
思わず直樹は身を乗り出した。
日下部はにやりと
曙光の雫は教祖が大日如来から天啓を受け、創設されたと伝わる新しい教団である。教義内容は珍しくないが、そこで信仰を重ねると病気が快復したり、良縁に恵まれたり、職にありつけたりする。中でも財運、幸運を呼ぶ奇跡
しかし、その教団の背後に嘉樹がいたとは直樹にはとても考え付かなかった。
「教祖の倉石天山は元々竹之内に拾われた無職の男で、本名は佐々木則孝というんです」
調子に乗った日下部はハイネケンビールを追加注文しながら
「佐々木に古今東西の宗教を叩き込ませ、一人前の教祖に仕立てた竹之内が次に取った行動は実にユニークでしてな。主に『仲人部』、『社員斡旋部』、『医科諜報部』の影部門を三つ編成したんです。つまり良縁を見付け、仕事を探し、良い病院を紹介する。ま、直接的に金が欲しいという以外で神に縋る理由なんて大まかにその三つくらいなもんでしょうからな。それをさも偶然であるように装い、教祖の祈りで奇跡が起きたとの結果に持っていくのです。入信時に身上書を事細かく書かせるから情報は難無く入る。後は部門の実行部隊が働くだけ」
「は、幽霊の正体見たり枯れ尾花、とはよく言ったものですね」
直樹は
「しかしですな、東さん、教団は多額の
「けれども、入会金とか涙型のお守りやら、雑誌に掲載されている開運グッズの利益は組資金の一部になっている。違いますか」
「そりゃそうです。仰るのは逐一事実ですが竹之内が教団組織を編み出したのはそんなちっぽけな目的のためではありません。法網をかい潜るもっと巨大な策略ですな」
運ばれてきた瓶ビールに舌鼓を打ちつつ日下部は直樹に奇問を投げ掛けた。
「宗教法人へは法律上税務署の査察はうるさくない。これが何に結び付くか判りますかな、東さん」
「──税務署?」
暫くしてあッと直樹は息を呑んだ。ここにきて嘉樹が何故宗教法人を買い取り教団を作り上げたか、途方もない真意を理解したのである。
狙いはずばり脱税。グリーンライムとエクセルシアーの利潤の一部を教団へ寄付し、金庫代わりに闇ルートで掻き集めた裏金を蓄えておけば、危険なマネーロンダリングよりはるかに安全で綺麗な金がプール出来る。
日下部は苦い顔でビールをグラスに注ぎ足した。
「私達が掴んだ尻尾は残念ですがここまでですな。本体は闇の中、脱税の証拠が無いんです。まさに
妾腹の香坂克彦は幸三の後継者として英才教育を受けてきたが、養子が迎え入れられ、法律上は嘉樹が竹之内家の正式な根継ぎ柱となった。それから数年後、組は跡目相続で二派に分裂しそうになり、内ゲバを恐れた幸三は嘉樹と克彦の二人に「五厘下り」の契りを交わさせた。
座布団一枚だけの差だが克彦が上位だと皆に示したのである。
嘉樹自身もまた突拍子も無い方法で後継者争いに終止符を打った。克彦追い落としを仄めかす派閥の頭に
これで分裂騒動は収まり扶桑會は盤石となった。
それから傷害罪で一年の刑務所暮らしを経て、嘉樹は一企業人へ変貌を遂げた。
とはいえ竹之内の長男である境遇には変わりなく、警察は「経済ヤクザ」として徹底マークしていたが陰に徹した嘉樹は馬脚を現さなかった。
ヤクザが母体となる企業は普通、経営能力が乏しく市場競争に耐えられるものは極僅かで、最後は違法行為に頼るしか無いのだが、嘉樹の会社は暴力団色を排除し、一流企業から引き抜いた有能な人材を常務や専務へ据え、誰でも実力があれば子会社やベンチャー企業の社長に就任させるなど自由な人事登用策を採用したため、社員のモチベーションは上がり、グリーンライムは成長の一途を辿った。
故に社員は嘉樹を心服し、
しかしながら、組幹部の中には暗躍の実情を知らず、復縁を嫌う火種も少なからず燻っているという。
日下部はビールを喉に流し込んで、勢いよく酒息を吐いた。
「無能な克彦を三代目に祭り上げ、実際組を動かしていたのは竹之内ですな。これからの時代の暴力団は仁義より金が物を言う。とはいえ克彦は一応扶桑會の表看板、まさか傷害で逮捕される訳にはいかなかった。だから身代わりでムショへ入った。それは東さんもご存知でしょう」
戸籍上兄弟であったがために辞職に追い込まれそうになった直樹はその時を思い出して不快げに口を歪め、酒臭い日下部の呼気を掌で払った。
「
「ええ、手錠をかけられるべきは実の所克彦だったんですな。どうも密入国の手引きで在日マフィアと揉めたようでしてな。片腕の神経をやられた程度でしたが、偶然近くを巡回していたパトカーが負傷したソンを捕らえ、それと付近に目撃者がいたため揉み消せなかった
「拍子抜けですね。まさか、あの時の裏話が仰天する秘密ですか」
身代わり出頭など今時語り草にもならない。期待外れの内容に直樹は呆れてソファーの肘置きに肘をついた。だが、自慢げに口元を上げた日下部は「これからがびっくり箱です」とスーツの内ポケットから二枚の写真を抜き出し、テーブルに置いた。
そこには六組の靴が無造作に脱ぎ捨てられた玄関と廊下が写っていた。
しかし、ただのスナップでなく、廊下奥には黒煙が漂い、床には泥の付いた靴底と、血の付いた足跡がうっすら見えた。
「東さん、その二枚は同じガイシャ宅の
「どこの家ですか」と直樹は何かの事件に関与するものと聞き、姿勢を正すと写真を精察しつつ尋ねた。日下部はハイライトに火を付けた。
「橋爪家です。火が大分収まってから撮った一階部分がそれです」
直樹は立ち所に無神経な警部補を睨んだ。この写真は俊昭が凶手に倒された現場でもある。日下部はその恨む目線に感付き、陳謝した。
「や、他意はありません。どうしても確認して頂きたかったのは
「よく分かりませんね。何故この足跡がそんなに重要なんです」
直樹は再度靴と靴下らしい足跡を見比べ感じた事を述べた。何か付着している風でもないし、敢えて違いを指摘すれば泥の靴跡は廊下奥の階段へ、靴下の足跡は玄関に向かっていた事くらいである。
日下部は直樹の勘の鋭さを称えた。
「ほう、良い所に気付かれましたな。仰る通り、泥の靴跡は消防隊員のもので、血の付いた足跡は竹之内嘉樹と、俊昭さんのものです」
「父の?」
「鑑識はそう断定しました。問題はそこですな。竹之内の供述調書には『橋爪一家を殺した後、偶然下から上がってきて現場で遭遇した俊昭さんを絞殺したのは二階』と記載されています。実況検分調書にも同一内容が書き込んである。
「それは奴の記憶違いじゃないんですか。逃げた父を追い靴脱ぎ場で殺した」
「ならば竹之内の足跡も俊昭さんと一緒でなければおかしいでしょう。まして玄関には争った形跡がない。当時の竹之内の腕にも手にも抵抗された引っ掻き傷は無かった。いくら親子とはいえ一方的に殺されるとは考えにくいんですがね」
「警部補さんは柔道をやっていた奴の怪力を知らないからですよ」
「そうですかな。いや、百歩譲って並外れた力業でだとしても、俊昭さんの靴が消えていたのは何故です。両方とも無くなってましたが」
日下部は短くなった煙草を灰皿に投げ入れ、片目を細めた。
直樹はビンに残った日下部のビールで燻る火を消した。
「父は山行きのトレッキングシューズは別ですが、勤めの時は平生ヴァレンティノしか履きません。奴はその習慣を知っています。ですから犯跡隠しの為に持って出たんでしょう」
「ほほ、それは益々奇妙ですな。竹之内は逮捕されて間もなく俊昭さん殺しを洗い浚い吐いている。いくら俊昭さんらしき人物が橋爪家に入る所を遠くから見掛けた証言を突き付けられたとはいえ
「日下部さん、貴方は一体何を仰りたいんですか」
議論の焦点が噛み合わない直樹は、新しい煙草に火を付ける警部補に写真を返し、苛立ちを露わにした。
「美浜のヤマは
「は?」
「あの
「では三代目はマネロンを」
「推察の域を出ませんが、恐らく。海外銀行を通し金の洗浄をしようとすれば、どうしても日本の行員を抱き込まねばなりませんからな。教団の潤沢な裏金とは別に克彦は自分で動かせる資金を作りたかった。グリーンライムのようなクリーンな仕事とは違い、麻薬や武器などの闇取引はえげつない大金を生み出しますからな。特に克彦は国際的なシンジケートと裏で手を結び販路を広げたい欲を持った。だから外国語に堪能な竹之内に頼んで渡しを付けた。組の裏工作は竹之内が手を回していたが橋爪は克彦とトラブルになった。実は橋爪は扶桑會から敵対する稲崎組へ乗り換えようとしていた思惑があったらしいのですな。その解決に竹之内を連れて橋爪家を訪れた。竹之内の商用車は黒のベンツです。ところが今回は趣味のジープで来ていた。組の人間だと悟られない予防策ですな。竹之内は裏口に停めたジープで待っていた。多分竹之内は克彦が、商談の切り札に自分を連れてきたのであって、まさか殺すとは思ってもいなかったでしょう。克彦は激情型だから橋爪に何か怨みがあったのかもしれない。ソンを刺したのも刃物三昧の悪癖があるからですな。その時に偶々旧知の仲だった俊昭さんが橋爪邸に遊びに来たのを発見した竹之内は後を追い玄関へ入ったが殺害現場に驚いて逃げる俊昭さんと鉢合わせした。そして結局目撃者となった俊昭さんをどこかで殺害して遺体を車に乗せた。わざわざその遺体を現場から遠ざけたのは稲崎組の仕業に見せかけようとしたのかもしれませんな。それから現場に残った証拠の湮滅工作を施した。それには放火が一番手早い。克彦から殺しの手順を訊き、発覚した場合罪を全部引っ被る覚悟を決めた竹之内は靴下や服を克彦のものと交換し、適当に金目のものを盗んで火を付けた。克彦はこの時ジープにでも隠れていたんでしょう。そして現場を逃走し、途中の一五五号線で克彦を下ろした。現にその日、克彦は
「待って下さい。確信どころか粗方貴方の憶測でしょう。証拠にはならない」
直樹は冗長な口を遮った。しかし、日下部は「証拠ならありますよ」と最初のグラスに残っていたブランデーを喉に流し込んだ。
「特に怪しいのは物証で唯一争点となった法医鑑定による刺切創です。火元となったガイシャは別として人間ってのは容易に炭化しませんな。啓治さんを竹之内が刺したとされる両刃の文化包丁の刺切創は全部急所が外れていて更に生活反応(皮下出血など生きている時にみられる生体反応)がなかった。ところが心臓と頸動脈を貫いていた刺創口は左利きの片刃。竹之内は右利き、克彦は左利きです。また竹之内のジープから揚がった文化包丁には
「それは、包丁により可能性として有り得る、斬られる場所によっては文化包丁でも刃毀れしないし、刃の向きも刺し方で刺切創の形も長さも変わると検察に証明されたはずです」
「いや、私は到底納得しかねますな。竹之内に殺意があれば車載してあった鉈や斧を使うでしょう。三代目の趣味は刀剣コレクションだと聞きます。隠し持ってきた成傷器(凶器)は帰りの海に投げ捨てた。克彦が切れると凶暴且つ執拗になるのは有名です。ここで美浜事件に戻りましょう。竹之内が逮捕されるのは時間の問題、後は克彦のアリバイさえ立証されれば万事丸く収まる。恩深い組の安泰の為には死をも厭わない竹之内には身代わりなど何の躊躇いも無かった。案の如く常滑の女は金を掴まされたのか克彦と一日中一緒にいたと証言している。死刑になるのは克彦の方であって、実父を殺したに過ぎない竹之内は悪くても懲役十何年で済むでしょう。どうですかな、その辺りを再吟味して本人に一度詳しく訊いてみては」
「いい加減にしろ!」
感情を逆撫でする空言に堪えかねた直樹はテーブルを壊れる勢いで叩いた。割れるような大声と大音が店内に衝撃となって反響した。
「実父を殺したに過ぎないだと。それは俺の父親でもあるんだぞ。奴が何人殺そうが、俺にとっては大切な親を奪われたのに何の変わりもない。奴が死刑になるのは当たり前だ。揃いも揃って嘉樹、嘉樹とうるさいんだよ」
「ま、まあ、落ち着いて」
静まった店内に警部補は「何でもありません、お騒がせして」と愛想笑いで手を振った。
直樹も平静に戻ると刑事を冷視した。
「いいですか、日下部さん。例え貴方の推理が当たっていたとしても、竹之内は継承的共同正犯です。仮に三代目が起訴されようが殺人を実行した奴の死刑は免れません。是が非でも第二の山崎巡査を目指したいのであれば私はお止めしません。どうぞ勇気ある告発をなさってください」
日下部は渋い顔で途端に沈黙した。山崎巡査とは一九五〇年に起きた「大橋一郎氏一家四人殺人事件」、通称「二俣事件」において、冤罪で逮捕され起訴された工藤容疑者を死刑から助けるため巡査の身分のまま、誤った捜査を糾弾し、免職になった警官である。
美浜事件の取り調べは凶悪事件を扱う一課が中心になり、四課は一度嘉樹を尋問したが犯行に間違いはなかった。日下部はそれでも諦めきれないのか腕を組みいつまでも残念がっていた。
「我々は職業上対立関係にありますが竹之内だけは一角の人物でどうしても憎めんのですよ。惜しむらくはあの時火脚が遅く階段が焼けてなかったり、背戸口が消防隊員に踏みしだかれておらず証跡が保存されていたら、三代目の犯行だと立証出来たんですがな」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます