42 知り合いの配信を見てるときの独特の感情ってありませんか?

「マツウラさん、この人――百合中さんだよ」


「へ……?」


 あたしの指摘に、マツウラさんの動きが止まる。その表情はさながら宇宙空間にいる猫で、非常にかわいい。


「眼鏡かけてないし化粧と加工で分かりづらいけど、顔とか(胸の大きさとか)同じだし、何より声が完全に一致してるから。間違いないと思う」


 しかも、あたしたちのクラスメイトこと百合中さんのフルネームは百合中春子。それを縮めてユーハなのだろう。


「いやいやそんな……」


 と言って視線を戻したマツウラさんは、真剣な面持ちで画面に見入った。


「百合中さんね。どう見ても」


「でしょ?」


 マツウラさんはあたしに思い切り目を合わせながら言う。その表情は……かわいい。じゃなくて、かわいいんだけど、困惑に満ちている。


「ど、どうしましょう……」


 どうしましょうって言われても……。何か困ることでもあるだろうか。やはり好きな配信者がバリバリの知り合いだったら気まずいものなのだろうか。


「どうしましょう! こんなラッキーなことってあるかしら!? あのユーハちゃんがこんなに身近にいたなんて! サインをもらわなくちゃ!」


 マツウラさん、案外単純だった。知ってたけど。


「いやいやいや、それは良くないんじゃない? 渡壁さんからも崎元さんからも一切そんな話聞いたことないし、きっと隠してるんだよ。触れてあげない方が良いんじゃないかな」


「そういうものかしら? 確かに、いきなり特別扱いされたら誰だって嫌よね」


 なんとなく実感の籠った声色でマツウラさんは言う。彼女はドのつくお嬢様であるという身の上のために周囲から浮いていた時期がある(らしい)から、何か思うところがあるのかもしれない。


「うん、きっといつも通りに接するのがいいって。機が熟せば相手から話してくれるかもしれないし」


「そうね! そうするわ」


「おっけ。じゃあゴーヤ買って帰ろう」


 あたしはスーパーの入り口に置かれていた消毒用アルコールを手にぶっかける。マツウラさんも立ち上がって、あたしのうしろにちょこんと並ぶのだった。


◇ ◇ ◇


「寺坂さん、英語の宿題できた? たぶんあたし今日当たるから、ちょっと答え合わせさせてほしいんだけど」


「うお!? ああ、うん! あんまり自信ないから、あたしも百合中さんの見せてほしいかな」


「え、あたしの顔、なんかついてる?」


「なんかって……眼鏡!?」


「もしかしてこれ喧嘩売られてるか? いつもついてるでしょうが」


「そうだよね、ごめんごめん」


 翌日の朝、いつものごとく百合中さんに話しかけられ、思いのほか素っ頓狂な受け答えをしてしまう。なんであたしが取り乱してるんだよ……。


「あー。ここの分詞構文ってこうやって訳せばいいのか。そのほうが自然だもんね」


「そうだね~。あははは! あたしも自然にしなくちゃ……」


「どう見ても不自然だが?」


「声に出てた!?」


 あたし、もしかして演技が下手すぎる?


「なんかあるんだったら言ってよ。寝ぐせとかあるんなら言ってくれた方が助かるし」


「いや、寝ぐせはない」


「寝ぐせ “は” ね。他に何があることやら」


 墓穴!


 頭を抱えるあたしに百合中さんは続ける。


「あたしって自分のことに関してはそういうの気になっちゃう性質たちだからさあ。本当に言ってくれた方が嬉しいんだけど」


「え、えっと……その……」


 どうしよう……朝だから頭が回らない……。頭が回ったところで何を言っても嘘を吐く結果になることは確実で、だから余計に言葉が出ない……。


 と、そのとき。


「つむ……寺坂さんは悪くないの!」


 目が回りそうになっていたところに聞こえてきたのは超絶かわいいマツウラさんの声。


「おはよ、松浦さん。どゆこと?」


 百合中さんは首を傾げつつマツウラさんに尋ねる。


「あのね……その……ちょっとこちらへ」


 マツウラさんは両手を伸ばすとあたしと百合中さんそれぞれの袖をぴょんとつまんで引いた。廊下に出ろということらしい。


「呼び出されちゃったなあ」


 おどけて言う百合中さんを横目に、あたしは気が気ではない。


 マツウラさんは(背後で袖を掴んだまま)廊下を進むと、人気ひとけのない場所まであたしと百合中さんを連れてきた。途中、鬼教師に連れられる不良ふたり組みたいな構図のあたしたちはとんでもなく目立ったけれど、逆に関わり合いになると厄介と思われたのだろう、道のりはスムーズだった。


 マツウラさんはあたしたちを解放(といってもいつでも振りほどけたのだが)すると、くるりと優雅なターンを決めて百合中さんに向き直る。


「ごめんなさい!」


 それから開口一番、マツウラさんは頭を下げた。


「どしたのいきなり。あたしのスイッチのセーブデータ全部上書きしたとか?」


「そんな恐ろしいことしないわよ!」


 恐怖の表情でマツウラさんは百合中さんを見る。百合中さん、真顔で冗談を言うタイプの人だから慣れるまでわりと怖いんだよな。


「じゃなくて……! これのことなの」


 あたしたちを教室から引っ張り出した目的を思い出したらしいマツウラさんは、ポケットからスマホを取りだすとそのディスプレイを百合中さんの眼前に掲げた。


「あ……あ……ああ……」


 絶句する百合中さん。マツウラさん、やってしまったか……。


 きっとあたしが百合中さんに詰められている(?)のを見て耐えかねたのだろう。だが、百合中さんにしてみればそんな事情なんて関係ないわけで……。


「これって百合中さんよね?」


「そうだね。認めるよ」


 さすが百合中さんはすぐに気を取り直したようで、クールに返事する。


 それからマツウラさんは、もともとユーハのファンだったこと、たまたまあたしにユーハの配信を見せたらユーハ=百合中さんだと分かったこと、気づかなかったことにしておこうと話しあったこと、でもあたしの狼狽を見かねてすべてを説明しようと思ったことを簡潔に説明した。


「だから、つむ……寺坂さんの様子がおかしかったのはわたしのせいなの! わたしのことは悪く思ってくれて構わないから、つむ……寺坂さんのことは悪く思わないでちょうだい」


 百合中さんは目を丸くしてマツウラさんの言葉を聞いている。それ、どういう感情!? あまりのことに思考停止しているようにもバチバチにキレているようにも受け取れるのが怖すぎるのだが!?


「それってつまり……」


 それってつまり……?


「あたしのファンの中に松浦さんがいたってこと!?」


「まあ、さっきからその話をしてたよね?」


 ついつい口を出してしまう。あたしの悪癖だ。


「だってさあ、あたしの配信なんて女子高生のフリしたおじさんしか見てないと思ってたから普通にびっくりしちゃって。本物のJKもいたんだねえ」


「そこに感動してたの!?」


 しかも自分自身の視聴者層に関する分析がなんか妙にシビアで怖い。


「何を言っているの? ユーハちゃんは若い女の子に人気じゃないの! ……と思っていたのだけれど、もしかしてわたし以外の視聴者は全員おじさんだったのかしら?」


 マツウラさんはすべてを信じられなくなってる人の表情で言う。大丈夫。たぶんマツウラさんの他にも女の子はいるよ(どのくらいかは知らないけど)!


「さっきのは半ば冗談としても、同年代の女の子の割合は低いと思ってたんだよね。だから知り合いに見つかることもないだろうと高をくくってたんだけど……こんなにあっさり見つかるとは」


 そして百合中さんは、きらりと眼鏡を光らせる。


「このことはなるべく内緒でね。別にバレてもいーんだけど。知り合いに見られるの嫌だからさ」


「どうして? とっても素敵な配信をしているのに」


「うわー、普通に嬉しい。でもユーハと普段のあたしとじゃ微妙にキャラが違うから、普段を知ってる人に見られてるとなんとなくやりづらいというかさ。だからマツウラさんにもできれば見ないでもらいたいんだけど」


「そ……そんな……! でもユーハちゃんが健全に配信活動を楽しむのがファンの一番の望み……。そのために自分の存在が邪魔なのであれば、身を引くのが真の応援というものよね……」


 自分自身に言い聞かせるマツウラさんの目元には、真珠のような涙が浮かぶ。


「泣くほど!? ちなみに松浦さんのユーザーネームって訊いてもいい?」


「『みけるせん』よ!」


「うわ、しかもけっこう投げ銭くれる人じゃん」


「つむ……寺坂さん! 認知されていたわ!」


「良かったねえ~」


 なんの報告?


「じゃあせめて投げ銭はやめてよ。同級生に払わせるの悪いし。手数料とか考えたら余計にね」


「投げ銭さえしなければ、見てもいいの?」


「まあ、止める権利はないよね」


「やったわ! つ……寺坂さん!」


「よかったねえ~」


 これで一件落着というところだろうか。


「百合中さん、ちなみにサインってもらっても良いかしら……?」


「サイン作ってないからなあ。今度小テストの答案とかあげるよ。名前書いてるでしょ?」


「やったぁ!」


「冷静に考えてマツウラさん! 同級生のテストの答案なんていらないでしょ!?」


「ごめん、あたしもあげるつもりないからね? 冗談のつもりだった」


「そんなぁ……」


 マツウラさんはあからさまに落ち込む。けっこう重めのヲタクの域に足を踏み入れてるんじゃないかこの人。


「それならもうひとつお願いがあるのだけど……眼鏡をつけた状態での配信もお願いしたいわ! 似合うから!」


「厄介ヲタクが出てきたなあ……。クラスメイトに指示厨いるの嫌だなあ……」


「はいはい、マツウラさん、この話はそのくらいにして。ホームルーム始まるから行こうか」


 あたしがそう言って歩き出すと、マツウラさんと百合中さんは後ろからついてきた。


「とにかくその……応援しているわ!」


「うん。ありがと」


 ちらりと振り返って目の端にふたりを捉える。百合中さんの表情は、まんざらでもない様子、というよりやはり、普通に嬉しそうなのだった。


◇ ◇ ◇


「ほんとに今朝はびっくりしたよー」


「えへへ。ごめんなさい。でも、百合中さんとつむぎが気まずくなっちゃったら嫌だと思って」


 夕食後、あたしはダラダラとスマホを弄りながら、ダラダラとスマホを弄っているマツウラさんに話しかける。


「別に気まずくもならなかったとは思うけど……まあ、これはこれで良かったかもね。マツウラさんと百合中さんも今までより仲良くなれたみたいだし」


「うーん。仲が良い、っていうのはちょっと違うのかもしれないけれど……。どうなのかしら。わたし、かなり舞い上がっていて何を言ったかあまり覚えてないのよね」


「怖いな」


 確かにマツウラさんは舞い上がっていた。正直、いろいろな意味で本来ならもう少し気を揉む場面だったと思うのだけれど、マツウラさんの様子がおかしかったのでいろいろとうやむやになったような気がしないでもない。


 と、そのとき。マツウラさんのスマホがバイブ音を発した。


「つむぎ、見て! ユーハちゃんのライブ配信が始まったわよ! 一緒に見ましょう」


「ええ……なんか悪いよ……」


「大丈夫よ。見てもいいって言ってくれたじゃない。今朝」


「あんまり見てほしくなさそうだったけどねえ。まあいっか」


 あたしも興味がないわけではない。昨日ちらりと見るには見たが、時間にすれば1分も視聴していないし、一度くらいじっくり見てみるとしよう。


「始まったわ!」


 ふたりでひとつの画面を覗き込む。画面の中にはユーハちゃん。やはりかわいいな……。


『はいどーもー! ユーのハートにUのスマイル! ユーハでーす! いやあ、言ったことあると思うけどあたし、このアカウントはリアルと分けてるんだよね。でも今日は同級生に身バレしちゃってさあ。マジでびっくりしたわ。口止めはしたからたぶん大丈夫。オラ! お前ら! 見てるか! 絶対ほかのやつらに言うなよ! 言ったら机の中になんか入れとくぞ! 露出の多いコスプレ衣装とか!』


 めちゃめちゃ嫌だ……処理に困りすぎるのでやめてくれ。


「やっぱりユーハちゃんはいつも元気でかわいいわねえ」


 マツウラさん、やはりこういう女が好みなのか? そうっぽいな……。あたしもこういう口調にしよっかな? いや、絶対にそれは違う。


『はーい、じゃあ今日はここまで。またねー』


 ふたりでぼうっと見ていたら、いつのまにか配信は終わってしまっていた。ユーハちゃん、コメントから話を広げるのが上手いので聴いていて飽きないし楽しい。マツウラさんが投げ銭したくなる気持ちが少しだけ分かった気がする。


「さて! ユーハちゃんの配信を見たら皿洗いのモチベーションが出てきたわ!」


 マツウラさんが両手をグーにして立ち上がったそのとき――スマホの鳴る音が聞こえる。


「あれ? なんか音、変じゃない?」


「もしかして、ふたつ同時に鳴ってるのかしら?」


 マツウラさんの言うとおりだ。ふたつのスマホから発せられる着信音が、微妙にハモって聞こえているのだった。


 スマホを手にしたあたしとマツウラさんは、瞬時に顔を見合わせる。


「百合中さんからだわ」


「百合中さんからだね」

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