35 ダンスの練習って照れたら負けだと思いませんか?

「ただいま~お疲れ~」


「お帰りなさい、つむぎ♪ 大変だったわね、ダンスの練習」


「ホントだよ~」


 言いつつ、あたしはベッドに倒れ込む。筋肉痛ってわけじゃないが、既に手足がダルい。


「まずは手洗いうがい!」


「うい~」


 マツウラさんにそう言われたら手洗いでもうがいでもなんでもしなきゃという気になる。あたしは身体を起こして、洗面所に向かった。


 そもそも、あたしがどうして放課後に居残りでダンスの練習をさせられているのかといえば、それは今週末に文化祭が迫っているからだ。


 なんか一年生のクラスの出し物はステージで創作ダンスということに決まっているらしく(誰が決めてるのかは分かんないが)、その練習である。


「マツウラさんがあんなにダンスが上手いなんてね~」


 うがいを終えたあたしは冷蔵庫を開けて麦茶を取り出してコップに注ぐと、宿題をしているマツウラさんの正面に座った。


「大変言いにくいけど……つむぎが下手すぎる気がするわ……」


 大変言いにくそうにマツウラさんは言う。


「うぐっ……薄々気付いてたけども……。なんでみんな、あんなに見たまんま踊れるの……」


「そうなのよね。上手さとかじゃなくて、単純に振り付けが出来てないのよね」


「うぐぐっ……」


 マツウラさんの素直な感想が突き刺さる。


 リーダーの子にため息交じりに居残りをさせられてたのはあたしを含めて5人くらい。


 マツウラさんなんかは『お前のボックスステップはもしもボックスでリズムの存在しない世界に来た結果かあ?』などの罵詈雑言を受けることもなく、真っ直ぐに帰宅したというわけだ。


 あたしもマツウラさんも部活に入っていないので、それ以外に文化祭との接点はない。ダンスの練習も盛り上がってるっちゃ盛り上がってるけど、それも今週入ってやっとって感じだし。あまり文化祭感みたいなのは感じてない。あたしだけかもしれないけど。


「それで、練習の成果はどうだったの?」


 両腕をリズミカルに動かしながらマツウラさんが訊いてくる。可愛さ究極の舞いか?


「いやあ……まあ、当日までには二度見しないレベルにしてくれってお願いされて帰ってきた、かな……」


「見せて見せて!」


「いや、それは駄目!」


 無邪気に懇願してくるマツウラさんだが、それはさすがに断らざるを得ない。恥ずかしいし……。


「でも、教室でみんなに見られてるじゃない! それよりはマシだと思うわ!」


「なんか傷つく言い方だなあ!」


 でもまあ、そう言われればやるしかない。マツウラさんに、変にプライドの高い奴だと思われるのは(他の人からならむしろ歓迎なのだが)嫌だ。


 麦茶を飲み干して立ち上がると、マツウラさんがぱちぱちと拍手をしてくれる。

 そう、ここはマツウラさんしか観客のいない舞台。こんなに素晴らしいシチュエーションなのだ。きっと今までで最高のクオリティを出せるはず!


 そう信じて、あたしは思い切って踊った。


 踊りって言っても、そんなに複雑なものじゃない。足を交互に踏み出してまた戻すというボックスステップがメインで、あとは適宜、手の動きとか場所の移動とかが加わるだけ……。なのだが。


 マツウラさんはじっと少しだけ笑みをたたえた表情でこちらを見つめている。


 で、ふと横に視線を遣って、またこちらへ――。


「二度見っ!?」


「ごめんなさい、ついつい……」


 マツウラさんま今にも吹き出しそうな様子で下を向いた。うう……。自分でも、さっきより精度が下がってるのは分かるのだ……。


「やっぱり、キレが足りないわね。思い切りと言ってもいいけれど」


「そうなんだよねえ。でも、アパートの二階でどんどこやるのもどうかなって思って、いつも以上に遠慮しちゃって……」


 言い訳がましくなってしまったが、それはマツウラさんが二度見した一因ではあると思う。木造の古いアパートだ。あまりどんどこやると下の人に迷惑だし、普通に床とか抜けそうで怖い。


「それじゃあ、今から鴨川に行って練習しましょう! つむぎができるようになるまで、みっちり付き合うわよ~!」


「ん? 今から?」


 予想外の提案が出て驚く。マツウラさんは珍しくやる気に燃えている様子だ。


 正直、家に帰ってまでダンスの練習をするのは遠慮したい部分もあるのだが、マツウラさんに『みっちり付き合』ってもらえるとなれば話は別である。ぜひお願いしたいところだが……。


「でも、お腹空いてない? 今から行ったら夕飯遅くなっちゃうでしょ」


 あたしは時計を見ながら尋ねる。あたしのせいでマツウラさんに空腹を感じさせるわけにはいかない。


「確かにそうね……。つむぎもスタミナを補給した方が良いでしょうし……」


 マツウラさんはそう言って考え込む。これはけっこうガチで練習が始まる予感だ……。


「帰りにちょっと外食できるくらいの余裕があればいいんだけどね~」


 確かに、外食できれば楽だろう。夕飯を準備する手間というのはけっこう大きい。それが踊りの練習で体力を消耗しているときとなればなおさらだ。


 だが、今のあたしたちには平日にパッと外食できるほどの貯えはない。


 この前の日曜にマツウラさんのお父さんから10万円もらったけれど、これは然るべきときまで温存しておこうと、ふたりで相談して決めたのだった(偉い)。


「そうだ。サンドイッチ作るよ。それなら今からパッとできるし」


「それだわ! さすがつむぎ! わたしも手伝うわね」


「ありがと」


 本来、今日の夕飯の当番はあたしだったのだが、ここはまあ甘えておくことにしよう。ふたりでサンドイッチを作るのもピクニック感があって楽しそうだし。


「今日はカイワレ大根とツナ缶があったから、それでパスタにしようと思ってたんだよね。でもちょうど、それでサンドイッチ作れそうで良かった」


「じゃあわたしは、タマゴサンドを作って良いかしら!」


「うん。お願い」


 湯を沸かし始めるマツウラさんを横目に、あたしは食パンの残り枚数を確認する。よっしゃ。記憶通り。6枚切りが2枚残っている。


「マツウラさん、ゆで卵の準備終わったら、ツナとマヨネーズを適当に混ぜといてくれる?」


「おっけ~♪」


 あたしは頷き、まな板に食パンを取り出す。パン切り包丁などないので、普通の包丁で横にスライスしてゆく。


 ズレないように、慎重に。ゆっくりやれば、意外とうまくいった。

 あとはもう、具を挟んでいくだけだ。


 マツウラさんが用意してくれたツナマヨをパンにのせて、その上にカイワレを敷き詰める(栄養のためにたくさん食べる)、で、上にパンを置いて、二等分。


 ゆで卵も、包丁で細かく切ったあと、マヨネーズと和えて同じようにサンドした。

 そして、コンテナ型のプラスチック容器にそれらを入れると――


「「完成~!」」


 あたしとマツウラさんはその場でハイタッチをする。

 平日の夕方だけど、気分は完全にピクニックの朝である。


「じゃあ行こうか」


「ええ♪ みっちりやりましょう、みっちり♪」


 マツウラさんはみっちりというワードを気に入ったっぽいが、ちょっとあたしには刺激が強すぎるぜ……。


 そんな煩悩を祓うようにあたしは容器を紙袋に入れ、外出の準備を整えたのだった。



「いちに、さんし、いちに、さんし」


 あたしとマツウラさんは、鴨川のデルタ地帯近くの河川敷に陣取って踊っていた。


 早い時間だが、あたりは既に暗い。それに今日は、意外なほどに涼しい。まだまだ夏だと思っていたが、季節はどんどん進んでるみたいだ。


 自転車の人、犬の散歩の人。過ぎ行く人たちがみんなチラリと視線を投げかけてくるが、マツウラさんと一緒なら怖くないし恥ずかしくない。というかそもそも、この辺は踊ってる人や楽器を弾いてるひとなんでザラで、通行人たちも「やってるやってる」くらいの感じだろう。


「つむぎ! かなり良くなってきたわ! あとは、そうね~」


 マツウラさんはそう言ってステップを止めると、同じく止まろうかどうしようか迷っているあたしのところにやってきて背中に手を添えた。


「ひゃっ」


 想定していなかったので変な声が出てしまう。


「ごめんなさい。ちょっといい?」


「も、もちろん」


 あたしは頷くと、ゆっくりと足の動きを止めて、マツウラさんに身を任せた。

 運動で高鳴った胸がさらに高鳴る。


「足下を見てるから、ちょっとだけ猫背になっちゃってるの。それを直せばもっと良いわね」


 そう言って、肩を押さえながらあたしの背中を押すマツウラさん。あ~。マツウラさんに身体をどうにかされているというだけでちょっとヤバい。どうしよ。


「あと、腕をこうやって曲げるところは、このくらいの高さで、肘はこのくらいの角度を意識してみて♪」


 さらに、肘を支えながら、あたしの手を握るマツウラさん。

 そのままデスクライトの高さを調節するみたいに動かして、あたしの指先を見て一言。


「やっぱりつむぎの手って綺麗ね♪」


 いやホント、何なの!? ときめきの権化なの?


「いや、マツウラさんの手の方が、綺麗だから……」


「そんな、対岸を見ながら言われても!」


 いつも見てるから分かるんだよ!!!


 あたしの言葉を真に受けていないマツウラさんにそうツッコみたい気持ちを我慢して、あたしは頷く。


「じゃあ、もうちょっとだけ、ご指導お願いします」


「喜んで♪」


 そうして夜のダンスレッスンは、もうしばらく続いたのだった。



「ふーっ、疲れた~」


「すごいわ、つむぎ! これで二度見されることは絶対にないわよ!」


「微妙なラインの褒められ方だな」


 あたしとマツウラさんは近くにあったベンチに座って足を投げ出す。


「あんまり遅くならないうちにサンドイッチ食べて帰ろっか」


「そうね!」


 あたしは紙袋からサンドイッチを取り出して、ふたりの間に置く。そのとき、あることに気が付いた。


「あ、飲み物忘れたね」


 踊ってるときも少し喉が渇いていたのだが、あとで飲めばいいやと思っていた。だがそもそも、あとで飲む飲み物を持ってきていなかったのだ。


「ホントだわ! もったいないけど、どこかで買ってきましょう!」


「そうだね。たぶんすぐ上にコンビニあったし。一緒に行こ」


「ええ!」


 そんな会話をして近くの階段を登ると、記憶の通り、すぐにコンビニが見えた。横断歩道を渡り、入店する。


「やっぱサンドイッチといえば緑茶かな~。帰ったらお茶があるのにわざわざ買うのは悔しいけど、仕方ないね」


「確かにもったいないわよね~。そうだ! 良いことを思いついたわ!」


「良いこと?」


「そう! ペットボトルを1本買ってふたりで飲むの!」


 あたしはお茶を吹き出しそうになるが、お茶を飲んでいなかったので吹き出さなかった。マツウラさん、今なんて!?


「い、いや、それは……」


「あら? つむぎは回し飲みって嫌? わたしもそれほど好きじゃないけど、つむぎとなら別にいいかなって……。でも、つむぎが嫌なら別の方法にしましょう!」


 今日のマツウラさん、破壊力がすごいな!?


「嫌じゃない嫌じゃない! そうしよ! ぜひそうしよ!」


 あまり食い気味に言っても引かれるかと思ったが、マツウラさんとの回し飲みを嫌がっていると追われるより二億倍マシだ。


「決まりね! これでいい?」


 マツウラさんが手に取った緑茶に、あたしはブンブンと首を縦に振る。


 なんかドキドキしすぎていけないものを買ってるような気分になってきたけど、大丈夫? これ、緑茶だよね?


 うん、正真正銘の緑茶。それを購入。袋は要らないって言って、あたしは緑茶を手で掴んだ。


 そしてあたしたちは、河川敷に戻る。


「つむぎ、たくさん踊って喉が渇いてるでしょ? お先にどうぞ♪」


 再びベンチに座り、マツウラさんは言う。


 あああああーーー!!! しくじったー!!!


 間接キスには二種類ある。


 それは、自分が口にした飲み物を相手が飲むタイプと、相手が口にした飲み物を自分が飲むタイプ。


 あたしは当たり前のように後者を想像してドキドキしていたわけだけれど、そっか。前者の可能性もあったのか。


 緑茶は今あたしの手の中にあるし、こんなとこで遠慮して先にマツウラさんに飲めと言うのは不自然。それよりなにより、疲れてるだろうから先に飲めと言うマツウラさんの厚意をないがしろにしたくない!


「ありがと。いただきます」


 あたしはキャップを空けて、お茶を飲む。苦い! ほろ苦い!


「マツウラさんも、どうぞ」


「ありがとう♪」


 緑茶を手渡すとき、指と指が触れあう。


 さっき手を褒められたことを思い出して、ついにやけそうになってしまう。


 逸らしそうになる顔を、それでも前に向けて、あたしはマツウラさんの唇に触れる、あたしが触れていた部分を見つめる。


「美味しい」


 一口だけお茶を飲んで、妙に色っぽく(あたしにそう見えてるだけだろうけど)マツウラさんは言った。


「……ありがとう」


 宵闇に浮かんだあまりに美しい光景に、あたしはつい感謝を口にする。


「どういたしまして。わたしもつむぎと一緒に練習ができて楽しかったわ」


「ああ、そっちもありがとう」


「そっちも!?」


「いやいや、なんでもない! サンドイッチも食べよっか!」


「そうね!」


 あたしとマツウラさんは、夜の川面を見ながらサンドイッチを頬張った。


「なんだかとっても、特別な味がする気がするわ」


「ほんとだね」


 夜風は河岸に茂る草の香りを運び、通り過ぎる自転車は気まぐれなスポットライトみたいにあたしたちを照らした。


 ふと横にあった緑茶を飲んで、あたしは赤面した。

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