34 友達のお父さんと会うときってめっちゃ緊張感ありませんか?
「やっぱバイトとかした方がいいよね~。ゴロゴロ~」
「そうね~。ゴロゴロ~」
あたしとマツウラさんはゴロゴロしながらそんな会話を交わす。
土曜の昼過ぎ。
バイトしないとな~っていうのは最近の挨拶のようなものだった。
宿題とか洗濯とか掃除とか、いろいろやってたら土日なんてすぐに過ぎるのだけれど、まあ頑張ればバイトする時間くらいありそうな気がするし、平日も放課後にバイトする時間はなくはないと思う。
それよりなにより、お金がない。
学期末の一件以来、マツウラさんの10億円はマツウラ母に渡しちゃって、そこからマツウラさんの監視費用と仕送りが捻出されているというよく分かんない状況なわけだけれど、それはつまり、今まで通りお金がないということだ。
ふたりで食料を分け合えば、食費は意外なほど節約できるとしても、まあちょっと遊びに行くだけでもお金に気を遣う生活はけっこう辛いものだと夏休みに実感したのも事実で。
「でもバイト探すのめんどくさいね~。ゴロゴロ~」
「そもそも校則で禁止されてるんじゃなかったかしら~? ゴロゴロ~」
「許可取れば良かったはずだよ~。ゴロゴロ~」
「そうなの~。ゴロゴロゴロゴロ~」
今までより長いゴロゴロが飛び出して、マツウラさんはあたしのところまで転がってくる(狭いので一瞬だが)。
「つむぎ! ゴロゴロしていてはダメよ! バイトを探すふりくらいしましょう!」
「おおう!」
あたしは目の前に突き付けられたマツウラさんの瞳の美しさにびっくりして物理的に跳ね返されるように起き上がった。ついで、マツウラさんも上体を起こし、ふたりで座って向かい合う。
「バイトっていうか、マツウラさんが資産運用テクをあたしに教えて、ふたりして株で儲けるっていうのはどうかな」
「その資産はどこにあるのかしら?」
にっこり笑顔でマツウラさんは言う。
「はい、すみません」
あたしは頭を下げるついでに、ルームウェアからはみ出る、正座したマツウラさんの太ももを凝視する。
「でも、バイトってどうやって探すのかしら?」
「やっぱ今の時代はネットかなあ」
言いつつ、この前
「この中から選ぶのが大変だよね~」
あたしはスマホの画面をマツウラさんに見せながら言う。
「そもそも、ふたりで同時に採用してくれるところがあるか分からないものね!」
「ん? ふたりで一緒のバイトするつもりなの?」
「ええっ!? つむぎは違ったの!?」
驚きの表情を見せるマツウラさん。くっ! やってしまった! 変にドライなところを見せてマツウラさんに距離を感じさせてしまったっ!
「いや、その発想がなかっただけで、もちろんできれば一緒に働きたいんだけどね!?」
「良かったわ! わたし、たぶん世間の常識があまり分かっていないから、つむぎが一緒だと安心だもの」
あー、かわいい。可愛すぎてちょっとどうすればいいか分かんないな……。
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、あたしも別に世間の常識はわきまえてないけどね」
「そんなことないわ? つむぎがこの前教えてくれたおかげで、街で見かける店員さんのほとんどは正社員じゃないって分かったし!」
「批評性が強いな~」
それにしても、ふたり同時にバイトを開始するってどういう条件で調べればいいんだろう。
「つむぎ! とにかく散歩に行かない? もしかしたら張り紙を出してるお店があるかもしれないし! それに、バイトするなら、この家の近くの方が良いでしょ?」
「ああ、それは確かに」
そんなこんなで、あたしたちは午後の散歩に出かけることにしたのだった。
「とはいえ、これじゃあいつもの土曜日と変わんないね」
いつも、土日はダラダラした挙句にせめて運動くらいした方がいいと散歩に出かけるという堕落した生活を送っているわけで。今回は散歩にちょっとした口実がついただけだ。
「でも、探してみると見えないものが見えてくるものだわ!」
「良いこと言うねえ……。天才か?」
確かに今まではぼうっと歩いてるだけだったけれど、探してみると案外バイトを募集している店があるのかもしれない。
そう思って、晴れた午後の道を歩く。
ん?
いま、なんか後ろから気配を感じたような……。
だが、振り返ってみても怪しい人影はない。
「つむぎ、どうかした?」
「ううん、なんでもない」
「そう? それにしても、良さそうなところがないわね~」
「確かにね」
実際、しばらく歩いただけで募集しているところは見つかるのだが、18歳からと書いてあるところが多い。フリーター歓迎という文言も、あたしたちはお呼びでないということだろう。
というかそもそも、学校側が許可してくれるバイトってどんなやつなんだ? そこらへんも誰かに訊かなくちゃな。
――そこでまた、気配。
もしかして、
「どうしたの? さっきから後ろが気になってるみたいだけど……」
「いや、突飛なことを言うようだけど、誰かにつけられてる気がして」
「そうかしら? だとしたら、誰に?」
「分かんないけど、まあこんないたいけな少女ふたりが歩いてるんだから、不審者の可能性があるよね」
「確かに」
「大通りに向かって、変則的に歩いてみるよ」
「おーけー」
あたしは気持ち早歩きになって前に進む。
なんか手にあたった? と思ったらマツウラさんの手だった。
マツウラさんはそのまま、あたしの手を掴む。
ええっ!? ここで!? 全然心の準備ができてなかったのだが!?
あたしは粗くなる息を整えながら、マツウラさんの手を握り返す。
軽く後ろを振り返る。
うーむ。ヤバい。男性の影が電柱の陰に隠れた。これはいよいよアレな感じだ。
「走ろう!」
「そうね!」
そうして、手を取り合って駆け出した瞬間。
「
後ろから、マツウラさんを呼ぶ声が聞こえてきた。
「お父さん!?」
で、マツウラさんが急ブレーキをかけるもんだからあたしは前のめりに倒れそうになるけれど、なんとか持ちこたえて振り返る。その勢いでマツウラさんの身体が、ぼふ、とこちらに当たった。うっ! 柔らか! ぎゅってしたいけど往来だし! いや、家でもしてないけど!
「周ちゃーん! 逃げないでよー!」
で、こちらに向かってやって来た男性はマツウラさんにそう呼びかける。
「お父さん? マツウラさんの?」
まあ、そうじゃない『お父さん』だったらちょっと心配の種が増えすぎてしまうが。
「ええ。こちら、父です」
マツウラさんは紹介モードでお父さんを指し示す。
「あ、どうも。周の父です。いつも娘がお世話になってます」
マツウラ父はにっこりと目を細めて言う。
めちゃめちゃ童顔だ……。かわいい、と形容してしまって良いかもしれない。遠目で見たら高校生でも通じるかも。
「こんにちは、
「ああ、やっぱりあなたが紡さんなんですね。周ちゃんと同居してるっていう」
「お父さん、知ってたの!?」
「うん。一応、お母さんと連絡は取ってるんだよ? 複数の海外サーバーを経由して」
「そうだったの? そこまでするなら、そろそろお
「それはちょっとね……。周ちゃんには心配かけちゃって申し訳ないなって思うんだけど……。ホント、ちょっとね……」
「はあ……。お父さんは相変わらずねえ……」
マツウラさんは呆れたようにため息を吐く。
それにしても、マツウラさんとお父さんはそこまで仲が悪いわけではなさそうで、安心する。なんか油断ならない雰囲気があるのは、まあ松浦家関連ではよくあることなので今更驚かない。
「でも、さっきはどうしてコソコソしてたの?」
「人見知りだからさ……ごめんね……」
そう言ってマツウラ父はこちらに両手を合わせる。
娘の友達と会うのに照れる父親心理はなんとなく分かるけど、だからといって尾行しないでいただきたい。
「あのー、あたし、ちょっと外しましょうか。久々に親子水入らずで過ごしたいんじゃないですか?」
「紡さん、お気遣いありがとう! でも、僕はもう行かなくちゃいけないんだよね。じゃ、これ。一億円だから!」
そう言ってマツウラ父はマツウラさんに向かって紙きれを差し出す。
はい? 今なんて?
「ありがとう、お父さん。でもこれはもらえないのよ」
マツウラさんは手でバッテンを作って、その紙きれを拒否する。よく見ると、その紙は小切手のようだった。
「ど、どうしてっ!? 周ちゃんが仕送りだけで暮らし始めたって聞いて、僕は心配で心配で……。ちょっとしたお小遣いだと思って、受け取ってよ」
ちょっとしたお小遣いと来たよ。
「そういうんじゃないの。お母さんに対抗するために、お金がなくても生活するっていうところに意味があるんだから」
「そんな~! この前の一億円は受け取ってくれたのに! 株で10億にしたって聞いたよ?」
「まあ、増やす分にはいいかなと思って……」
かっこいいなあおい!
もう、目の前の会話が異次元すぎてあたしには付いていけない。
「とにかく、わたしはつむぎと一緒にバイトとかして暮らすの! 気持ちだけもらっておくわ!」
ちょっと勿体ないと思ってしまった自分がいるけれど、それ以上にマツウラさんの言葉は嬉しい。一億円よりあたしとのバイトって、マツウラさん、かなりそれあたしのこと好きじゃない? ぐへへ。
「じゃあ、こんだけ! だから、ね? お願い!」
マツウラさんに
「おじさん、すみません! 往来の真ん中で女子高生に向かって片手を広げながら『こんだけ!』って懇願してたら誤解がすごいんで、ちょっと落ち着いてください!」
「「え? どうして?」」
マツウラさんとマツウラ父はあたしに向かってハテナマークを投げかける。このピュア親子がよお!
「とにかく、わたしは一円ももらえないの! ごめん!」
マツウラさんの様子を見て、マツウラ父も根負けしたらしい。小切手を懐に戻すと、残念そうに息を吐き出した。
「うう……。分かったよ。でも僕、諦めないからね! また来るね!」
そう言ってマツウラ父は小走りでどっかに行った。
忙しい人だ……。
「ふう。連絡がないと思ってたら、まさか目の前に現れるとはね。やっぱりお父さんの行動は読めないわ」
父親の背中を見送ったマツウラさんは涼しい顔で言う。1億円をもらうチャンスを断った直後の人とは思えないぜ……。
「かなり愉快な人だね、お父さん」
あたしは精一杯のオブラートに包んだ感想をマツウラさんに送った。
「そうなのよ。ああ見えてマジックが趣味で、けっこう上手いのよね」
「へえ」
ああ見えての意味があんまり分からなかったが、とりあえず頷いておく。
「あれ? これ何かしら?」
あたしが歩き出そうとしたところ、マツウラさんは立ち止まったままポケットをまさぐった。
「もう、お父さんったら……」
そして取り出された手の中には、お小遣いという名の札束が握られていたのだった。
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