30 これで一応は一件落着ですか?

 あたしは目の前の光景にまだ理解が追い付いていない。


 マツウラさんのお母さんとの対決(?)で訪れた、絶体絶命のピンチ。

 だが、そこに現れた木下さんが差し出したのは、大量のお金だった。


 こんなの、ドラマに出てくる身代金でしか見たことない……。


「口座にあるものを含めれば、全部で10億あります。これをお預けするので、ここから仕送りと監視費用を捻出してください。15%までなら手数料を取ってもらって大丈夫です」


「へえ。どうしたの、これ」


 マツウラ母は心底嬉しそうに尋ねる。お金が好きということがよく伝わってくる非常に良い笑顔だ。


 それにしても、え? 10億?


「お父さんが失踪する前、投資用口座と1憶円をくださったことがあったの。それで、IPOで買った株がたまたまテンバガーになって少々……」


「ふうん。ほんと、あの男も勝手なことばっかりするわね」


 マツウラ母は依然としてどことなく嬉しそうに言う。

 お父さんが失踪? IPOって何? 情報量が多すぎて全然分からないのだが?


「本当は起業のために取っておきたかったんだけど、こうなったら仕方ないから」


「いちおう訊いておくけれど、本当に良いのね? 私としては異存はないけれど」


 ん? なんかあたしが付け入る隙もなく会話が進んでいたので聞き逃しそうだったが、マツウラ母の『異存はない』という言葉が引っ掛かる。


「もしかしてそれって……」


 ついつい出た声に、マツウラ母の視線がぶつかる。


「周がここに暮らすことを認めるということです。だって利益が出るんだもの」


 そう言ってマツウラ母はあたしにウインクを送るのだった。

 ちょっとときめいてしまいそうな自分が悔しい……。


 いや、今はそれどころじゃなくて……!


「でもマツウラさん、起業用に取っておいたって……。そんな大切なお金、使っちゃっていいの?」


「何を言ってるの、つむぎ?」


 マツウラさんはそう言って、悪戯っぽく微笑む。

 その笑顔は、何か悪だくみを見つかった少年のようにも見えて――


「あなたとの生活が続けられるのなら、安いものじゃない?」


 マツウラさんの言葉に、あたしの心は打ち抜かれた。


 胸の奥から身体中からだじゅうに駆け抜けるドキドキが、一瞬であたしの身体を自分のものじゃないみたいにする。


「アハハハ! ほんとあなた、あの人に似てきたわね。残念ながら」


 高らかに笑いつつ、マツウラ母は立ち上がる。


「帰るわよ、木下。すぐに来るよう税理士に連絡を取っておいて」


「かしこまりました」


 木下さんは恭しく頭を下げると、ケースを丁重に閉じ、立ち上がって玄関ドアを開けに行く。流れるような美しい動作だ。


「明日の三者面談は話を合わせてあげる。大事な取引先だものね」


 マツウラ母はそう言うなり、振り返ることもなく扉を出る。

 一方、振り返って一礼する木下さんに、マツウラさんはテーマパークの着ぐるみにするみたいに手を振るのだった。


◇ ◇ ◇


「ふう。結局お金で解決してしまったわ」


「いやいやいやいや、『結局お金で解決してしまったわ』じゃあないよ」


 嵐が過ぎ去ったような静けさにつつまれる部屋。

 うーんと伸びをして呟くマツウラさんに、あたしは突っ込まざるを得ない。


「まず、10憶円持ってるの何? 全然知らなかったんだけど? あと、お父さんが失踪されてる件は訊いていいの? そして、本当に10億円渡しちゃって良かったの!?」


「もーつむぎー。質問は1度に1個にしてよー」


「ご、ごめん……」


 確かに矢継ぎ早に訊いたのは悪かったが、それでもこの混乱が収まることはない。


「とはいえ!」


 と言って、マツウラさんは姿勢を正し、正座してこちらに向き直る。

 スカートからはみ出た膝がつるつるしててかわいい。


「確かに言ってなかった点が多々あったわね。ごめんなさい」


 マツウラさんはそのまま、ぺこりと頭を下げた。


「いや、別に謝ってもらわなくてもいいんだけどね。ちょっとびっくりしただけで」


 あたしの言葉にマツウラさんは顔を上げ、説明を始めてくれる。


「まず、10億円あったのはさっきも言った通り。1億円を元手にして目を付けてた企業に投資したら、超人気銘柄になって10倍に跳ね上がったの」


 マツウラさんはいとも簡単に言うが、きっと普通はそんなことあり得ないのだろう(そもそも親から1億円もらえないし)。

 ていうか、逆にその企業が潰れたらどうするつもりだったんだ……?


「言ってなかったのは、本当にごめんなさい。でも、そのお金は無いものとして生活したかったし、実際にそうやって生活していたの」


「やっぱり、起業するため?」


「確かにそうね。でも、10億円なくても起業はできるわ。ガレージから始めてもいいんだもの!」


 この女、さては世界獲る気だな?


「それにさっきも言ったように、つむぎと生活することが、今のわたしにとって一番やりたいことだもの。それができるのなら、それは適切なお金の使い方だと思わない?」


「マツウラさん……」


 それはあたしにとってあまりに嬉しい言葉であり、だからこそあまりに悩ましい言葉。


 でも今は、素直にこれで良かったんだと思える。


 マツウラさんなら、きっと本当に世界を獲ることだって可能だし、あたしだって、彼女に負けないくらいなんかすごい感じにあれできるかもしれない。


 目の前にある無限の可能性が、今のあたしたちを肯定してくれている気がする。根拠なんてなくても、それは確かにそうなんだ。


「ねー? つむぎ♪」


 マツウラさんは寝っ転がって、あたしの太ももに頭を乗せる。

 その重みが、体温が、笑顔が。あまりにも愛おしい。


 あたしはそっと彼女の髪の毛に触れて、その細くてしなやかな髪をてのひらいっぱいに感じる。


「あ、あと、お父さんはお母さんに恐れをなしてどっかに行っちゃったの。でも、生きてるし連絡もくれるから平気よ? メールは複数の海外サーバを経由して発信元が分からないようになってるけど」


 うーむ。事件的なものではなかったから良かったものの……(なんかサイバー犯罪みたいな言葉は聞こえてきてたが)。


「いろいろ大変だねえ、マツウラさんも」


「それほどでもー」


 そう言ってマツウラさんは、あたしのTシャツに顔をうずめるのだった。


◇ ◇ ◇


 マツウラさんの三者面談は、どうやら滞りなく終わったらしい。


 帰って来たマツウラさんは疲れ切ってはいたけれど、明日の終業式を終えれば、もう夏休みだ。祇園祭も盛り上がって来てるし、マツウラさんとふたりで過ごせるのが楽しみすぎる!!


「今日の焼肉は豪勢にしなきゃね!」


「ほんとね! お肉も多めに買いましょう!」


 隣を歩くマツウラさんも、一休みして元気になったみたいで良かった。


 マツウラさんとあたしは、スーパーまで散歩がてら買い出しに出ていた。

 三者面談終了記念として、今日は台所でスタンディング焼肉パーティーの予定なのだ。


「つむぎ、本当にありがとうね」


 穏やかな風の中を歩いていると、マツウラさんが改まったようにこちらを向いて言う。


「どしたのいきなり」


「久しぶりにお母さんと一緒にいて、思ったの。わたし今までやっぱり、何事もお金で決まるって思ってたと思う。でも、つむぎと一緒に生活して分かったの。世の中はお金が全てじゃないってこと。つむぎがいなければ、それは知ることができなかったと思うの。もちろん、この生活のためにお金はいるけど、そういう意味じゃなくて……」


「うん。分かるよ」


 あたしは隣を歩く女の子に言う。


「あたしもマツウラさんがいてくれて、いろいろ大切なことが分かったんだと思う。人と分かり合うことの難しさとか、だからこそ感じる、楽しさとか、愛しさとか」


「えー、それ、わたしが昨日言ったことじゃない! 恥ずかしいからやめてよ~」


「だって本当に思ったんだもん!」


 あたしたちはお互いを見て、笑い合って。


「だから、これからもよろしくね、マツウラさん」


「こちらこそ、これからもよろしく、つむぎ」


 ――と、非常に良い感じのあたしたちの前に、立ち止まる人影があった。


「なーに往来でイチャイチャしてるわけ!?」


 顔を上げると、そこにはギャル。


 ウェーブの掛かった髪の毛に、短いスカート、派手めのメイク。

 絵に描いたようなかわいいギャルだ。


 ていうか、誰?


「アマネをたぶらかしていいのはウチだけなんだけど? そこんとこ承知?」


 ギャルはそう言いつつ、ぐいぐいアタシの方に迫ってくる。怖い怖い!


「マツウラさんの知り合い?」


 まあ名前を知ってるってことはそうなのだろうと思いつつ声を掛けると、マツウラさんは溜息さえ伴いながら口を開く。


「ええ。わたしの許嫁いいなずけよ」




To be continued…

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