27 鴨川って鴨以外の鳥に目が行きませんか?
悪い知らせその1。
マツウラさんのお母さんはやはり、三者面談を機に娘を家に連れ戻そうとしている。
悪い知らせその2。
マツウラさんのお母さんは抜き打ちで下宿に押しかけようとしている。
というのが、あのとき木下さんが教えてくれた内容だ。
木下さんから耳打ちされたマツウラさんが「悪い知らせと悪い知らせがある」なんて言うものだからどんな恐ろしい事実が伝えられるのかと身構えたものの、聞いてみればまあ想定の範囲内かなとは思ったのだけど……。
こうして期末試験も終わり、いよいよ三者面談の日が近づいてくると、やっぱこれ以上ないくらいに問題があるよなあ……。
「というか木下さんは大丈夫だったのかな」
あたしは隣を歩くマツウラさんに話しかける。
今日は三者面談期間で休みなので、7月初旬の気候を堪能しようとふたり鴨川まで散歩しているのだった。
「きっとまだバレていないはずだわ。松浦家の執事たるもの、家の者すら騙せないようでは務まらないもの」
執事ってそんな諜報活動とかするタイプの仕事だったっけ?
「でもそれって、もしバレたらどうなるの?」
あたしは何気なく訊いたのだが、マツウラさんの返答は1拍遅れる。
「……聞きたい?」
マツウラさんの暗黒微笑が怖すぎてあたしは慌てて首を横に振る。
それほどの危険を冒してまであたしたちに警告を伝えに来てくれた木下さんには感謝しなければ……。
「でも、そもそもどうして木下さんは教えてくれたんだろうね。木下さんもマツウラさんには帰ってきてほしそうだったのに」
「さあ。複雑な
「執事心……」
なんかよく分からない単語だが、確かにそこには「執事心」があったのだろうという気はする。
「コンビニ寄ってこうか」
「そうね。意外に暑いわ……」
なんか爽やかっぽい雰囲気だったから出てきたけど、外に出ると存外に暑い。そりゃあ7月だから当たり前なのだけれど、ちょっとコンビニで涼んでいきたくなる。
「あー、涼しい!」
いつものコンビニ――あの日、店先で喧嘩したコンビニだ――に入ると、エアコンの風が全身を即座に冷ましてくれる。
「つむぎー。おやつとか買っても良いと思う?」
「まあ良いんじゃない? 昼ごはんもパスタで済ませたし、夕飯の材料も冷蔵庫の中身で作れるだろうし」
安売りのときに大量購入しておいたパスタを茹で、安売りのときに大量購入しておいたパスタソースをかけると、安くパスタが食べられる。なんかこういう感じで軽く昼食を作れると、自炊生活にも慣れてきたなという気分になるのだった。
「やったー!」
おやつコーナーに爆速で向かうマツウラさんを横目に、あたしはレジ横のスナックコーナーに狙いを定める。
昼間から鴨川で高カロリー間食をやってのける! これ以上の背徳感マシマシ贅沢が他にあるだろうか?
「つむぎ! チョコミント味のやつを買ってみるわね!」
「ああ、チョコミント味のやつね」
チョコミント味のやつ、最近多いな……。あたしはどうも見た目からして食べる気になれないのだけれど、どうなんだろう。
マツウラさんがレジに進んだので、あたしもレジに並んでアゲチキを購入する。
袋の外からもアツアツの熱気が伝わってきて、アイスとかにしとけば良かったかなと一瞬思ったけれど、やはりアゲチキが良い。
というかあの晩、マツウラさんとアゲチキで間接キスして以来、あたしはアゲチキのことが今までに増して好きなのだ……。
「うわ、日焼け止め塗ってくるの忘れたのだが?」
店を出て、再び暑い中を歩く。
「わたしのを貸しましょうか?」
「ごめん、ありがと」
マツウラさんはポーチからチューブタイプの日焼け止めを取り出してあたしに渡すと、先ほど買ったペットボトルのキャップを緩める。プシュッ、という音が鳴って、マツウラさんは中身がこぼれないよう、しばらくキャップを固定している。
「この炭酸水、100円ちょっとしかしないのに10ポイントも付いたの! すごいと思わない!?」
「でもそれ、甘くないやつでしょ?」
「ふっふっふ。世の中がそんなに甘くないことくらい重々承知よ? でもきっとこれも飲んでみると案外おいしいと思うのよね!」
そう言ってマツウラさんはボトルに口を付ける。初めて飲むのか。無糖の炭酸水ってけっこう好き嫌い分かれると思うんだけどな……。
そう思っているとやはり、マツウラさんはひとくち炭酸水を含んだだけで真顔になった。
「確かに……、甘くないわね」
「交換しようか?」
日焼け止めを塗り終えたあたしはチューブをマツウラさんに返しながらソルティラ〇チを取り出す。
「いいえ、大丈夫よ。飲めないってわけじゃないし、おいしいと感じられるようになる予感がしないこともないわ」
「そう?」
あたしはそれ以上何も言わない。間接キスができなかったのはちょっと残念だけれど、それがマツウラさんの選択なのならば、尊重するまでだ。
『つむぎが思ってるほど、わたしはぼうっとしてないもん!』
あのコンビニでの夜、マツウラさんに言われた言葉を思い出す。あの日以来、マツウラさんは何をするにしてもしないにしても、ちょっとだけ遠慮がなくなった気がする。
絶対にラーメンを食べに行きたいって言って譲らなかったこともあるし、あたしが遠慮してるのを見抜いてけっこう怒られたことも一度や二度ではない。
だからあたしも、なるべくマツウラさんの言うことをそのまま受け入れようと思っているし、そう思ってから今まで以上に居心地の良い関係を築けている気がする。
たぶん。メイビー。プロバブリー。
そんなことを言っている間に、鴨川岸に到着する。
今日は少し足を伸ばして、デルタ(東西から斜めに流れてくるふたつの川が合流するところだ)の近くまで来てみた。
「ここまで来ると人が多いわね」
「確かに。家の近くとは随分な違いだよ」
遠目に見えるデルタでは、大学生とか家族連れとかが足首を水に浸けている。ちょうど飛び石とかがあって、水遊びには最適のスペースなのだ。
そしてこの辺りも、上半身裸のおじさんとか本を読む人とか楽器の練習をする人とかで賑わっていた。なんとか空いているベンチを見つけて、並んで座る。
「ふーっ。風が吹くと気持ちが良いわね」
炭酸水を飲みながらマツウラさんは言う。無糖でも本当に大丈夫そうだ。
それにしても、相当に良い天気だ。ちょっと暑すぎるくらいだけれど、まだ真夏というわけではない。風が吹くと確かに気持ちが良い。
ベンチに手を付いて空を見上げると、何羽もの
野鳥の王国かよ……。あの鳶がぜんぶ
そんな妄想をしつつ、冷めないうちに食べようとあたしはアゲチキを袋から取り出す。
包み紙を破って、一口。うー! おいしい!
「マツウラさんのチョコミントはどう?」
「ミント~! って感じでとってもおいしいわよ! つむぎも食べてみる?」
「ありがと」
あたしはマツウラさんが差し出したチョコミントのどら焼き? みたいなやつを一口齧ってみる。あー、ミント~! って感じだわこれは。しかもマツウラさん効果で爽やかさ2億倍だわ。
「じゃあ――」
ここはお返しにあたしのアゲチキも――と思った瞬間、すぐ耳元でバサリという大きな音が聞こえ、手元に衝撃が走る。
「ん……?」
あたしは一瞬、何が起きたのか分からずに固まる。そして気が付いたときには、あたしの手元からアゲチキが消えていた。
「んん……?」
「あら、鳶にやられちゃったのね」
上を向くマツウラさんにつられて顔を上げると、そこには悠々と
「って、どうしてマツウラさんはそんなに落ち着いてるの?」
あんなデカい鳥が食べ物を掠めて行くなんて一大事では?
「だってよくあることだし……」
「カルチャーショックだよ!」
やっぱり野鳥の王国じゃん!
「まあまあ落ち着いて。チョコミントを半分こしましょ?」
「うう……。ありがとう……」
あたしは既に半分くらいになっていたどら焼き的なやつの更に半分を貰い、食べる。
目の前に広がるのは、めちゃめちゃにクリアな視界。
両岸に鬱蒼と茂る草の青が眩しい。
「でもほんとに良かったよね。テストの点数が伸びてて」
「ほんとそれ! よ。やっぱり毎日宿題をしていたのが良かったんだと思うわ。つむぎといないとそんなことできないもの。本当にありがとう♪」
「いや、宿題はどんな状況でも毎日やるもんなんだけどね?」
「まさか~!」
どういうことだよ。
まあこう言っておちゃらけているものの、テスト前はふたりとも必死に勉強したのだ。
それもこれも、マツウラさんのお母さんに同棲を止めさせるための理由を与えないため。これでとりあえず、自堕落な生活で成績が落ちた、なんてことは言われない。
「それにしても、もうすぐだねえ……。三者面談」
「もうすぐねえ……」
成績の件をはじめ、いろいろと対策を練ってはいるものの、やはり決定打に欠けるような気がするのは変わりない。
その日が近づくにつれて、憂欝な気分になるのは避けられないのだった。
「つむぎ! こんなに爽やかな天気なのに悩むのはもったいないわ! わたしたちもあそこで遊びましょう!」
ドバっと立ち上がり、バンっとマツウラさんはデルタの方を指さす。
「あー、行く?」
「あら、気乗りがしない?」
「いや、そうじゃないんだけど、人が多いから……」
しかもなんかあの辺にいる人、全員楽しそうで気が引けるんだよな……。
「でも行くだけ行ってみましょうよ! お願い!」
「うん。そうしよう」
上目遣いで両手を合わせるマツウラさんのお願いを断ることなどできない。
あたしも立ち上がって、ゴミをまとめて鞄に入れる。
デルタに近づくと、やっぱり楽しげなカップルとかが目に入る。
「とりあえず対岸まで行ってみない?」
「おっけー」
マツウラさんはあたしの返事も待たずにぴょんぴょんと石の上を渡り始める。
あたしは足元を見て、スニーカーの靴紐が緩んでいるのを発見して、その場にしゃがみ込む。
靴紐を結び直している間にもマツウラさんは中間地点にあるデルタのところまで行っていて、あたしは彼女が対岸へ行ってしまうのだと思うと無性に悲しくなって、俯いたまま砂の粒をじっと見つめる。
「つむぎ、大丈夫?」
「マツウラさん……」
心配そうな声に顔を上げると、あたしに手を差し伸べるマツウラさんがいた。
そうだ。マツウラさんはどこにも行かない。どこにも行かせない。
「ありがと。靴紐が緩んでてさ」
あたしは自分で立てるくせにマツウラさんの柔らかくて小さな手を握り、立ち上がる。
「じゃあ靴なんて脱いじゃて、水に浸かりましょう?」
マツウラさんは悪戯に笑って、サンダルを脱ぎ始める。
「そうしよっか」
あたしもなんだかそれしかないような気がして、スニーカーを脱いで、ソックスをその中に突っ込む。
「あー、冷たくて気持ち良いわね」
「なんか足つぼマッサージみたいだね」
足を水に浸けて、別にそれ以外何をするでもなくて。
ああ、屋外で裸足のマツウラさん、かわいいなあ……。
パシャパシャ! あっ、やったねマツウラさん! お返しにほら! きゃー!
なんてするほどはしゃいでないし、そもそも服が濡れるのでやらないし、そもそもそんなお決まりの妄想をしてしまってめちゃめちゃ恥ずかしい。
「あらつむぎ、ちゃんと顔に日焼け止めを塗った? なんだか赤くなってる気がするけれど」
「き、気のせいじゃないかな……」
あたしは誤魔化すように空を見上げる。そこには相変わらず、青い空に鳶が泳いでいるのだった。
◇ ◇ ◇
「いやあ、良い散歩だったね」
「本当ね! めちゃくちゃ濡れたけど」
「めちゃくちゃ濡れたけどね……」
そんな話をしつつ、アパートに戻る。
階段を上って3軒の扉が並ぶ廊下の一番奥があたしたちの部屋なわけだが……。
その扉の前で腕を組み、仁王立ちする人影が目に入る。
怪しい……。
そしてあたしたちの様子に気付いたのか、その人物はパッと顔を輝かせた。
「遅いよ~! お姉ちゃん、松浦さん!」
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