24 図星を突かれるとどう反応したら良いか分からなくないですか?
『寺坂さんは恋してるんだよね? マツウラさんに』
百合中さんの放った言葉が、あたしの中でこだまする。
仲良いんだよね、とか、好きなんだよね、とかですらない「恋してるんだよね」という決定的な確認。
イエスかノーでしか答えられないその質問は、目の前の少女の強い意志を感じされて――。
「うん……」
あたしは、そう答えるしかなかった。百合中さんに嘘を吐きたくないという気持ち以前に、マツウラさんに恋をしていないという内容の言葉を発することが、あたしには到底できないように思われた。
「そっか。やっぱりね」
そう言って百合中さんは微笑む。その笑みの真意を、あたしは測りかねて。
「どうして……」
どうして、分かったの。
なんだかその言葉にはうっすらと非難めいたニュアンスが現れてしまう気がして、あたしは途中で口をつぐんでしまう。
「前から薄々気付いてたんだけど、今日、はっきり分かったよ」
ま、まさかプールの近くの隅っこでイチャイチャ(?)してたのを見られてしまったのだろうか? だとしたら相当に恥ずかしい。
「体育館に一緒に入って来たとき、寺坂さん、松浦さんのことをずっと気にしてたでしょ」
良かったー! プールの件じゃなかったー!!
あたしの安堵をよそに、百合中さんは言葉を継ぐ。
「別にガン見してたわけじゃないけど、うぉーちゃんとかさっきーがマツウラさんに話しかけてるとき、なんかヒヤヒヤしてるっていうか、自分のことでもないのに、すっごい動揺してたっていうか」
「あはは……。そうかも」
それは否定できなかった。あたしがマツウラさんのことを気にしているのは、自分で思っている以上に態度に漏れ出てしまっているのかもしれない。
「それに――、そのときの寺坂さんの目は、明らかに恋する乙女だったからね」
百合中さんは事もなげにそう言う。
あ、明らかに恋する乙女ってどんな目だ。恥ずかしいのだが!?
まあいずれにせよ、百合中さんがあたしの恋に気付いた理由は分かった。
しかし、だ。
どうして彼女は、放課後の教室であたしを待ってまで、それをあたしに伝えなければならなかったのだろうか。
もちろん、どうしても気になったから、という理由で十分なのかもしれない。しかし、目の前の素敵な眼鏡少女からは、ゴシップを得て喜ぶような様子は一切感じられない。
「寺坂さんは、松浦さんに想いを伝えたの?」
それはもちろん詰問調などではなく、優しく問いかけるような言葉で。
でもあたしは、その質問に心を突きさされたような気がした。
「伝えて、ない」
「そう……」
目の前の少女は、寂し気に呟く。
「あたしはなんだか、寺坂さんが我慢してるように見えたからさ。もっと思ってること全部言っちゃえばいいのになって、なんとなく思っただけ」
「我慢?」
「そう。我慢。好きなのに好きって言えないとか、松浦さんが学校でひとりでいるのをどうにかしたいのに干渉できないとか」
それらは紛れもなく図星だった。どうして百合中さんが、あたしの心の中をここまで知ることが出来ているのか。
あたしってやっぱり、相当に顔に出やすい体質だったりするのだろうか。
「でもやっぱり、好きだなんて言えないし、そこまでマツウラさんに干渉するのも違うって思うよ」
あたしは次第に、心の奥底を口に出し始める。これは適切なことなのだろうか。あたしは自分の思いを、百合中さんに言ってしまって良いのだろうか。そんな気持ちが、なぜかあたしの中で膨らんで。
「それは、逃げてるだけじゃない?」
その問いに、あたしは答えることが出来なかった。
なぜそんなことを? という思いもあったし、その通りだという思いもあったし、彼女がそう言うのも当たり前だという思いも、なぜだかあった。
ただ、ここで無言を貫くあたしが様々なものから逃げているのは否定できない事実で。
その証拠に、あたしは一刻も早く、この場から逃げ出してしまいたかった。
「ごめん、寺坂さん。つい……」
百合中さんはハッとしたように呟く。
「分かってるよ。百合中さんがあたしのことを思ってくれてるのも、ついつい思ったことを言っちゃう性格なのも」
あたしはついさっき自分に鋭い感情を向けた目の前の少女のことを、意外なほど恐れていない自分に驚く。
きっとそれは、あたしが百合中さんのことを信頼しているからなのだろう。
「ありがとう、寺坂さん」
百合中さんは微笑む。
「ほんとにごめん。あたしも同じだったし、同じなのにね……」
そして、そう呟く百合中さんの言葉は、放課後の教室に吹き抜ける風の中に溶けていくのだった。
◇ ◇ ◇
電車通学の百合中さんを見送って、あたしは駐輪場に向かう。
マツウラさんに買い物はないかメッセージを送ると、『万事オッケーよ!』という返事がすぐに返ってきた。
自転車に跨り、湿気を含んだ空気の中を進む。川沿いでふと草の香りを感じて、もうすぐ夏が始まるのかもしれないと思うけど、まだちょっと気が早いかもしれない。
それにしても――。
百合中さんに、バレてしまった。
同居のことがバレてないのが唯一の救いだけれど、マツウラさんに対するあたしの恋心が他の人にバレるのはこれが初めてで。
これから、何か変わるのだろうか。それとも、何も変わらないのだろうか。さっきのは、とりとめのない、ちょっとした恋バナ、だったのだろうか。
まあいずれにせよ、変わらないものなんてないもんな、と自分を落ち着かせようとするけれど、それは完全な逆効果で。
変わらないものなんてないという単純な事実と夕暮れの湿度に、あたしの憂鬱は少し深まるのだった。
◇ ◇ ◇
「ただいまー!」
「お帰りなさい、つむぎ。お疲れさま!」
「ありがと。疲れたよ……」
「あら、そんなにハードな美化活動だったの?」
しまった。ついつい正直に疲れたと言ってしまったけれど、百合中さんのことはマツウラさんには口が裂けても言えない。
「いや、美化活動は楽勝だったけど、球技大会とか、いろいろ含めてね」
あたしは少し歯切れ悪く応える。
「確かに疲れたわねー。でも、つむぎと一緒に休憩できたのは嬉しかったわ」
マツウラさんは顔を赤らめ、少し恥ずかしそうに言う。学校で初めて、ふたりきりになれた瞬間。ブールと武道場の間の狭いスペースのことを思い出して、あたしもなんだか顔が熱くなるのを感じる。
「つむぎ、ありがとう」
マツウラさんはあたしの手を両手で握って言った。
そのぬくもりは、彼女の気持ちを素直にあたしに伝えている気がして。
あたしもこのくらい素直になることが出来ればと、少しだけ彼女のことがうらやましくなる。
「いつでもなんでも言ってね、マツウラさん」
あたしはもう片方の手で彼女の手を包みながら言う。
いつでもなんでも言えないあたしがそんなことを言うのは滑稽な気もしたけれど、それはあたしの素直な気持ちのひとつだった。
「えへへ。握手みたいになっちゃったわね」
マツウラさんに言われて、台所の真ん中で突っ立って首脳会談みたいな握手を交わしている自分たちに気が付き、ちょっと笑ってしまう。
「でも、握手ってのもなんだか悪くないよね」
それはたぶん、けっこう雄弁な意思疎通の手段で。
「そうかもしれないわね」
マツウラさんはそう言って、握る手に少しだけ力を加えるのだった。
◇ ◇ ◇
「さて、つむぎ! 今日の夕食よ!!」
「わーい、ありがとう! でもあたしの勘違いでなければ、これは丼に入れられた白米では???」
マツウラさんが配膳してくれたのは、ほかほかご飯の盛られたふたつの丼。
その上にはどう見ても何も載っておらず、純白のお米の美しさが際立っている。
まあ、お金のない暮らしなのは分かっていたが、ついにここまで来たか……。
だがこれも、マツウラさんが一生懸命炊いてくれた白米だ。文句なんて言えるわけがない。
「いただきます!」
手を合わせて箸を持とうとしたところで、マツウラさんのストップが入る。
「ちょっとつむぎ! 冗談よ! まだ料理は完成していないわ!」
「あれ、そうなの?」
「そうなのよ! ちょっと待っててね」
そう言ってマツウラさんは台所に消えていく。
すぐに戻ってきた彼女の手には、器と醤油。
「納豆!」
そう言ってマツウラさんはそれぞれの丼に納豆を流し込む。
「アボカド! これが結構安かったのよね。ひとつ100円」
言いつつ、丼の周りが綺麗にグリーンで彩られていく。
「そしてこれが、特売品のお刺身!」
そして最後に、器に華やかなお刺身が載る。
「おお! すごい!」
「特製アボカド納豆お刺身丼よ! お醤油はお好みで掛けてね」
目の前に現れたのは、豪華すぎる丼だった。こんなの絶対においしいじゃん……。
「マツウラさん、すごいね、これ」
「でしょ? お刺身の量が少ないのが難点だけど、我慢してね」
「そんなの問題にならないよ。もう絶対おいしいもんこれ」
あたしは我慢できずに急いで醤油を垂らして、ご飯とアボカドとお刺身を一緒にして、一口。
「んー!」
おいしすぎてついついマツウラさんの肩を抱き寄せてしまう。その柔らかさにふと我にかえって、手を引っ込める。
「うむ。アボカドのねっとりとした舌ざわりとお刺身のぷりぷりとした食感が美しいハーモニーを奏でている。アボカドと醤油の香りも良き共犯関係にあると言えるだろう」
「どうしていきなり辛口レビュアーみたいな口調に!?」
「ごめんごめん。おいしすぎてつい……」
「それなら良かったわ。どれどれ、わたしもいただきます」
そう言ってマツウラさんも一口。
「んー!」
そしてマツウラさんもあたしの肩を抱いてくる。やっぱりこの反応になってしまうのか。ああ……。このままギュってしたいなあ……。
「本当においしいわね、これ!」
マツウラさんはあたしから
「ちょっとだけごま油掛けよう」
「それね!」
そしてあたしたちは、あっという間に特製アボカド納豆お刺身丼を食べ終えてしまったのだった。
「ふう。まんぷくまんぷく」
ベッドにもたれ掛かっているマツウラさんを横目に、皿洗いを済ませる。
居間に戻ると、あたしは鞄から勉強道具を取り出した。
「あら、何か宿題があったかしら?」
「いや、今日は何もないけど、もうすぐ期末試験だから」
「いやいや、まさかあー。そんなわけないじゃない」
なんかこの会話、前にもやった気がするな……。
「現実から目を逸らさないで、勉強しよう。今からやっとくと直前に楽だよ」
「うう。嫌になっちゃうわ。期末が終わったら三者面談もあるし……」
そう言いながらも、マツウラさんは勉強道具を取り出し始める。
現実から目を逸らさないで、か。
三者面談のこと。あたしの気持ちのこと。
『それは、逃げてるだけじゃない?』
百合中さんの言葉が脳裏に蘇る。
現実と目を合わせなければならないのは、もしかするとあたしの方なのかもしれない。
そう思って、あたしは心の中でため息を吐く。
「ねえ、つむぎ」
そのため息が聞こえたわけではないだろう。
でもマツウラさんは、あたしに直視するべき現実を提示するように、言う。
「わたし、テストが終わったらいなくなっちゃうと思うわ」
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