23 球技大会とかって結構ヒマな時間ありませんか?

 あー、疲れたー!


 自販機で買ったジュースを飲みながら、日陰に座り込む。

 

 球技大会当日。先ほどまでいた体育館からは、まだまだ熱い歓声が響いてきている。

 まあ、もうちょっとしたら他の競技の応援に行ったほうが良いかもしれない。とは思うものの、自分の試合が終わって気が抜けたのか、ぜんぜん動く気になれない。


 最初はそんなにやる気もなかったんだけど、やっぱりいざ試合となるとなぜかテンションが上がり、頑張ってしまったのだ。


 それは百合中さんも同じだったようで、彼女の決死のアタックを、あたしは床に転がりながらも何度かブロックして。

 百合中さんと一緒に相手コートにいるマツウラさんも良い感じに動いていたんだけど、それでもあたしたちのチームが僅差で勝利したのだった。


 しかし、クラス対抗戦ではあっさりと敗北。まあ、急ごしらえのチームで実力にムラが出てしまうのは仕方がない。

 そして既にやることがなくなってしまったあたしは、そんなに仲の良い人がいない自分のチームを抜け出して、こうしてひとりジュースを飲んでいるのだった。

 ま、落ち着いたら百合中さんとでも合流すればいっか。


 

 

 汗が風に溶けていって、ひんやりして気持ちいい。


 球技大会なんて大層な名前が付いているけれど、負けてやることのない人々にとっては、巨大な空白の時間だ。


 周囲――校舎と食堂を結ぶ中庭――を見回すと、おしゃべりに興じる人や、スマホに夢中の人など、みんなそれぞれに時間をつぶしている。

 なんだか無駄にも思えるけれど、決してそうとは言いたくない時間。


 今年は空梅雨なのか、よく晴れた空に、ひっそりと植えられた紫陽花の花が映えている。


「よっと」


 あたしはペットボトルの蓋を閉めると立ち上がり、体育館に向かって歩き出す。

 でもやっぱり、中から聞こえてくる歓声が暑苦しい。さっきまであんなに応援の声に後押しされてる気がしていたのに、我ながら薄情なものだ。


 あたしは向きを変えて、プールの方へと足を伸ばす。特に何を思ったわけでもない。プールでも見れば涼しい気持ちになれるかなと、ぼうっと考えただけだ。


 既に水泳部が使っているのか、プールには綺麗な水が溜まっている。

 光の反射が輪になって、キラキラと浮かぶ。


 座れる場所を求めてキョロキョロしていると、遠くに良さそうな場所を見つけた。武道場とブールの間の隙間。あのあたりなら何もないし、陰になっているのでぼうっとするには最適だろう。


 そう思って近づくと、思いもよらぬ先客がそこにはいた。


「あれ!?」


「あら、つむぎじゃない!」


 人気ひとけのない学校の果て。体操着姿でそこにひとり座るのは、他でもないマツウラさんだった。


「どうしたの、こんなところで」


「えへへ。たまに来るのよ。なんだか落ち着くから。つむぎはどうして?」


「落ち着く場所を探して」


「じゃあ最適ね!」


 そう言ってマツウラさんは笑う。


 いつからここにいたのだろうか。もしかして、最初の試合が終わってからずっと?

 なんとなく、それは訊くのが憚られる。


「さっきは良い試合だったね」


 なぜか動揺して、あたしは思ってもないようなことを言ってしまう。いや、別に良い試合だったとは実際に思ってるんだけど、それをわざわざマツウラさんに言うかとなると、普段ならそんな話はしないだろうなと思うわけで……。分かんないけど。


「そうね! つむぎが大活躍してて凄かったわ! 外野からゆっくり応援できれば良かったのだけど」


「あはは。ありがと。マツウラさんも活躍してたよね」


「そうかしら? ありがとう」


「……」


「……」


 なぜか、会話が途切れる。


 別に、家で会話が途切れることなんてしょっちゅうだ。気にすることではない。

 それでもなぜか会話が途切れたことが気になってしまうのは、それをあたしが気にしているからで。


 マツウラさんもそうなのだろうか。

 なにか普段とは違う気まずさみたいなもの。それを彼女も今、感じているのだろうか?


 彼女はもしかして、ここにいるところを見られたくなかったのだろうか。


「ここ、たまに来るって言ってたけど、よく来るの?」


「本当にたまに、かしらね。教室にいるのもつまんないなって昼休みとか、体育の授業がちょっと早く終わっちゃった後とか」


「そっか……。良い場所だね」


 あたしはそれだけ呟いて、それ以上なにも言わないことにする。

 マツウラさんはただマツウラさんで、当たり前にあたしとは違う人間で。だから、その孤独はあたしのそれとは絶対に異なる孤独で。

 だから、あなたの孤独を癒してあげるなんてのは、たぶんただの傲慢でしかなくて。


 でも、マツウラさんがここでひとりでいるとき、泣いていなければ良いなって、それだけがあたしの願いで。


 あたしは彼女が何を感じているのかが知りたくて、彼女がどんなところから世界を見ているのかを知りたくて。

 彼女にもっと近づく。

 体操着だから、地面に多少のことお尻が擦れても気にしない。


「つむぎ……」


 あたしはコンクリートの上に置かれた彼女の左手に、自分の右手を重ねる。

 そしてなるべく身体を擦り合わせて、彼女の視線の先を追う。


「同じもの見えてるのかな。あたしたち」


「水が綺麗なら、たぶんそうよ」


 そう呟いたマツウラさんの声は、どこか寂しげで。あたしたちの感情が、張り付いた肌と肌を通してひとつになればどれだけ簡単なのだろうと、あたしは思っていた。


◇ ◇ ◇


「じゃああたし、そろそろ行くけど……、マツウラさんも行こ?」


「わたしはもう少しここにいるわ。一緒に戻ったら不自然でしょ?」


「別に、大丈夫! そういうこともあるって! 一緒に行こうよ。もうすぐ閉会式はじまっちゃうよ?」


「そう? じゃあ、そうしましょうか」


 あたしは強引にマツウラさんを立ち上がらせ、体育館に向かう。なんだか、ここでわざわざマツウラさんをひとりにすることはできなかった。




「お、つむつむじゃん」


 体育館に入るとすぐ入口のところで、百合中さんたち3人が駄弁っているのに出くわす。


「人を繋げたら消えるやつみたいに言わないでよ」


 崎元さんにツッコミを入れつつ、周囲の様子を確認する。もうすべての試合が終わって、結果の集計を待っているような感じらしい。


「珍しいね、松浦さんと寺坂さんが一緒って」


 渡壁さんがあたしの背後にいたマツウラさんを見て言う。


「そうかもね」


 とか言いつつ、あたしは適当に受け流す。


「松浦さん、さっきは良い試合だったね。ありがとう」


「うふふ。そうね。こちらこそありがとう」


 百合中さんの言葉に、マツウラさんはそう言って微笑みを返す。あんな笑顔を向けられたら、誰だってマツウラさんのことを好きになってしまうのでは? そんな不安が、あたしの中に渦巻く。

 いや、もちろんマツウラさんがみんなに好かれるのは良いことなのだけれど、そういう意味ではなく!


「ねえねえ、松浦さんの家がすっごく大きいって本当?」


「家に千本鳥居があるって本当?」


 渡壁さんと崎元さんは珍しいお客さんが来たときのように興味津々でマツウラさんに質問を繰り出す。いや、千本鳥居は家にないでしょ。


 それらの質問にマツウラさんは丁寧に回答していく。

 でもその様子はやっぱり、どんなに気さくな雰囲気でも『質問』と『回答』って感じで。その会話に相槌や笑いを挟みつつ、あたしはここでも妙な居心地の悪さを感じてしまうのだった。


◇ ◇ ◇


 無事に閉会式も終わって、放課後。


 さっき先生に言われて思い出したのだが、どうやらあたしは美化委員とかいう謎の組織に所属していたらしく、放課後は球技大会の後片付けを手伝わなければならないのだった。


 適当にゴミ拾いとか、ペットボトルで一杯になったゴミ箱の中身を捨てに行ったりとかして、適当に業務を終わらせる。


 どんな重労働をさせられるのだろうと身構えて荷物とか全部教室に置いてきちゃったのだけれど、同じく美化委員だと判明した渡壁さんは重労働だったら逃げ出すつもりで荷物も一緒に持ってきていたらしく、教室に戻るのはあたしだけだった。




 放課後の廊下を歩く。

 人気のない廊下には、吹奏楽部の自主練の音が響いている。

 いつもの活気を失った廊下を歩くと、どこか全く別の場所に来たみたいな感覚になる。


 時空を飛び越えて現れた、学校という名前の迷宮。

 窓からこぼれる光を眺めていると、そんな突拍子もないことを考えてしまう。


 それは、彼女と初めて出会ったあの日の光に似ていた。

 そしてまた彼女のことを考えて、それで頭がいっぱいになる。


 寂し気な場所でひとり座っていた彼女。

 それについて言及してほしくなさそうだった彼女。

 みんなの前で、そつなく会話をこなしていた彼女。

  

 あたしにとってマツウラさんって、どういう存在なんだろうか。みんなにとってマツウラさんって、どういう存在なんだろうか。

 あたしはそれによって、マツウラさんにどういう感情を抱いていてほしいのだろうか。

 人にどんな感情を抱いていてほしいにしても、そんなのあたしの勝手なんじゃないだろうか。




 あたしは教室の扉を開ける。

 電気が点いていなかったので、誰もいないのだと思っていた。

 でも、そこには彼女がいた。




「百合中さん……」


 カーテンを膨らます風の中、柔らかな光に照らされている少女。百合中春子は言う。


「お疲れさま、寺坂さん」


「お疲れさま。珍しいね。どうしたの?」


 あたしはなんとかそう絞り出すけれど、百合中さんの雰囲気は「珍しいね」で片付けられるようなものではなかった。


 彼女にはこの空間が似合いすぎていた。今この教室の支配者は百合中さんで、あたしは彼女に逆らえないのだと思った。


「鞄が置いてあったからさ、待ってたんだ」


 百合中さんは言う。眼鏡の奥で光る彼女の目がこんなに鋭くなかったら、あたしはたまに一緒に帰ろうと待っててくれたんだとしか思わなかっただろう。


 しかし彼女の様子からは、次に繰り出される言葉がどんな種類のものであれ、それが何か決定的なものなのだろうということが予感された。


「寺坂さん。これは比喩でも冗談でも鎌をかけているのでもなく、ただ正直なところを教えてほしいというあたしの勝手な願いからなる質問なのだけれど」


 そして彼女は、核心を打ち抜く。


「寺坂さんは恋してるんだよね? マツウラさんに」

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