21 人の家って緊張しませんか?
「ちょっと待って。これ、凄すぎない?」
市内某所の森の中。
制服姿で佇むあたしとマツウラさんの目の前には、家と呼ぶにはあまりに巨大な建物が聳え立っていた。
洋館と言えばいいのか、城と言えばいいのか。まさかこんな場所にこんな建物があったとは……。
「まあ、あまり趣味の良い家じゃあないけどね」
マツウラさんはそう言って困ったような顔をする。
こんなデカい家に住んでた人を6畳1間のアパートに住まわせてるのかと思うと、その大胆さに笑ってしまいそうになる。
「じゃ、行こうか」
「ええ」
あたしが勢い込んで言うと、マツウラさんは意外にあっさりと門扉を開けた。自分の家なのだから、そりゃそうか。逆に、あたしの方が緊張してしまっているみたいだ。
普段の平日の放課後。あたしたちふたりがマツウラさんの実家までやって来たのは、三者面談のプリントをマツウラさんのお母さんまで届けるためだった。
三者面談に怯えるマツウラさんをサポートしようとお節介で付いてきたわけだが、マツウラさんはマツウラさんで覚悟を決めたらしく、その足取りに迷いは感じられない。
「ごめんなさいね、病み上がりなのにこんなに歩かせてしまって」
「超元気だから大丈夫。門から建物までこんなに歩くとは思ってなかったけどね」
ほんと、絵に描いたような豪邸だ。
マツウラさん、本当に正真正銘のお嬢様だったのか。別に疑ってなかったけど、よくあたしとの慎ましい(物は言いよう)生活に適応できてるな。
そんなことを考えながら歩いていると、目前の玄関扉が勢いよく開き、老年の男性が飛び出してきた。きっちりと着こなされたベストに目を奪われてしまう。
も、もしかしてこの人、世に言う老執事なのでは??
「
「木下さんじゃない! 元気だった!?」
木下さんと呼ばれた執事(仮)さんはあたしたちの元までやってきると、今にも号泣しそうな勢いでマツウラさんにまくしたてる。
「お嬢様! わたくし一体どれほど心配したことか! もちろんありとあらゆる手段を使ってお嬢様に危害が及ばないよう万全の体制を保ってはおりますが、やはり突然の家出などというのは多少ロックンロールが過ぎはしませんでしょうか!? 奥様もなぜかこのまま様子を見よと仰いますし、不肖木下、もうなにも分かりかねます!」
「木下さん、ちょっと落ち着いてちょうだい。とりあえずお友達を紹介するわ。こちら、寺坂紡さん」
マツウラさんは木下さんのハイテンション口上を華麗に受け流してあたしを指し示す。
「初めまして。わたくし、執事の木下
木下さんは華麗に腰を曲げて挨拶する。やっぱり本当に執事だった……。
それは良いんだけど、木下さんから感じる”圧”が凄い。
顔は笑ってるんだけど目の奥は完全に真顔だし。ゴゴゴゴ、という擬音が今にも聞こえてきそうだ。
先ほどの話を聞く限りでも、木下さんがマツウラさんの家出を良く思っていないのは明らか。そんなマツウラさんを家に住まわせている謎の女子高生ことあたしに対して、彼が疑念を抱くのも当たり前のことなのかもしれなかった。
「よ、よろしくお願いします」
やっとのことでそう絞り出して、あたしは木下さんから視線を逸らす。き、気まずい。
執事さんでこれだけ気まずいのだから、お母さんとの対面となるとどれだけ気まずいのだろう……。それを思うと、実に暗澹たる気分になる。
「それはそうと木下さん。お母さんは中に?」
「はい。いつも通り書斎でお仕事中でございます」
「ありがとう。ちょっと先に会ってくるわね」
「それがよろしいですね。奥様は先日ウン100億円の商談を成立させて、このところご機嫌麗しいご様子です」
「うーむ。機嫌の良いお母さんほど恐ろしいものはないのよね……」
マツウラさんは深刻な表情で頭を抱える。
「いずれにせよ、仕方がないわ。そのあと、何か甘いものでもいただけるかしら? 気疲れするのは決まっているものね」
「
冗談っぽくそう言って、木下さんは深々と頷く。そして小走りで先に進み、玄関の扉を開けてくれるのだった。
家の中も、外観に負けず劣らず豪奢だった。そして驚いたのが、使用人の人たちが整列して頭を下げる例のイベントが現実に存在したこと。マツウラさんがちょっと迷惑そうにしていたのが面白かった。
そしていよいよ、マツウラさんのお母さんがいるという扉の前に立つ。
「やっぱり、つむぎは下で待っていてくれれば良いと思うのだけれど」
マツウラさんは心配そうな面持ちで言ってくれる。確かにそうしてしまいたいくらいに緊張しているけれど、ここまで来たのに引き下がるわけにはいかない。
「マツウラさんが嫌じゃなければ、やっぱり挨拶したいな」
あたしが言うと、マツウラさんはほんのり嬉しそうに頷いた。
「ありがとう、つむぎ。わたしのお母さん、ちょっと”圧”が強いから気を付けてね」
マツウラ邸、“圧”の強い人間が多いのだろうか。
身構えつつ深呼吸する。
そしてマツウラさんが扉をノックすると、『どうぞー』という声が聞こえてきた。
電話口で聞いたのと同じ、良く通る声。
「失礼します」
マツウラさんは、親のいる部屋に入るには少しばかり不自然な挨拶とともに扉を開ける。
あたしもおずおずとマツウラさんに続き、室内に侵入。
そこは殺風景な部屋だった。書斎というよりも、テレビドラマとかでよく見る社長室に近い。
そしてその正面。PCの置かれたデスクに座る女性が、不敵な笑みを浮かべてこちらを眺めている。この人がマツウラさんのお母さんなのだ。マツウラさんと同じく、めちゃめちゃな美人である。
「お帰りなさい、周。それに初めまして、寺坂紡さん」
マツウラ母は、この場において最も自然と言えそうな挨拶をあたしたちに贈る。しかしその実、そこに秘められた”圧”は明らかに挨拶ってレベルではなくて。
「初めまして、寺坂紡と申します。周さんにはいつもお世話になってます」
あたしは、定型の言葉をなんとか絞り出すことしかできないのだった。
「こちらこそ、周がお世話になって申し訳ありませんわ。何もご迷惑をお掛けしていなければ良いのですけれど」
「迷惑だなんてそんな。周さんには助けられてばかりで、本当にいつも見習わなければと思っているんです」
「うふふ。そう言っていただけるとありがたいですわね」
「あはは……」
あたしはマツウラ母のペースに飲み込まれないよう、『感じの良い学友』というキャラを作って武装する。
でもこんな小細工、たぶん見透かされてるんだろうな……。
「ところで周。今日はどうしてここへ来たのかしら?」
「これを持ってきたの」
そう言ってマツウラさんは歩を進め、三者面談のプリントを母親のデスクに置く。
マツウラ母はそれを手に取って眺めると、体感で1秒もしない内に顔を上げた。
「それだけ?」
「そう、それだけ」
ふたりの間に、バチバチという火花が散る。
こんな機嫌の悪いマツウラさん、初めて見る。怖え……。
「ならば今後のために言っておくけれど、あなたの行動は無駄以外のなにものでもないわ。スキャンして送るか、それが出来なければ郵送すれば良いだけ。私の時給が15万円として、この紙を直接やり取りするのに必要な1分間には2,500円の価値があるの。それならば郵送する方がよほど効率が良い。あなたもこんなことをしてる暇があれば、勉強でもすることね」
言葉の途中から、マツウラ母はキーボードを叩き始める。もう違う仕事に取り掛かっているのだろう。
それにしても、わざわざ会いに来た家出中の娘に対して、そんな言い草があるだろうか。確かに、彼女の言っていることは正しいのかもしれない。でもわざわざそんなことを言うくらいなら、家出に対して感情的に怒るなりしたほうがよほどマシだ。
何か言いたげなあたしの様子を感じたのだろう。マツウラさんは片手でそっとあたしの掌を包んで、言葉を封じる。
「分かった。じゃあ失礼します」
きっぱりとそう言って踵を返したマツウラさんに、あたしも続く。
「あと、もうひとつ」
後ろから聞こえてくるマツウラ母の声色は、驚くほど冷たくて。
「あなたはまだ、お金の恐ろしさについて何も分かっていないわ。だからこそ、身をもって知ればいい」
その言葉は、確かな現実感を持ってあたしたちの足元に忍び寄ってくる。そしてあたしたちは結局、逃げるようにその部屋をあとにするしかないのだった。
「ふうーっ! なんて疲れるのかしら! 実家!」
マツウラさんは何百万としそうなソファに寝転がりながら思い切り伸びをする。
お母さんとの面会(?)が終わったあと、あたしとマツウラさんは木下さんが用意してくれたケーキと紅茶を囲んで、松浦家の客間でしばし休憩しているのだった。
それにしても、こんなにおいしいケーキ初めて食べた。紅茶も確実に、今まで飲んだどれよりもおいしい。
マツウラさん、本当に今の生活に満足してるんだよね? と問い詰めたくなるが、いつもおいしそうにあたしの料理を食べてくれる彼女の表情が嘘だとも思えないし、思ってもいけないだろう。
だからその問いは発しないことにするけれど、もっと料理を頑張ろうとこっそり決意する。
「それにしても、今日のお母さんは
「あれで!?」
びっくりしすぎて、ついつい人の親に失礼なツッコミをしてしまう。
「奥様が厳しいお方なのは承知しておりますが、周お嬢様もなるべく早くお屋敷にお戻りください。そうでなければ不肖木下、何を希望にすれば良いのか……」
謎に馴染んでケーキを頬張っていた木下さんが涙ながらに訴える。
「あなたには地下アイドルの追っかけという希望があるじゃない」
「それはそうなのですが……」
それはそうなのかよ。
「そうだわ、木下さん! インスタも交換しておきましょ? わたしはほとんど投稿しないけど、ちょっとした希望にはなるんじゃない?」
「ありがたき幸せ! わたくしのIDはですね……」
アカウント持ってんのかよ。
とにかく、木下さんとマツウラさんが仲良しで何よりだ。先ほどまでのどんよりした空気から少しだけ救われた気分になりつつ、あたしは紅茶を啜るのだった。
「お疲れさま、つむぎ。本当にありがとう」
「マツウラさんこそお疲れさま」
あたしたちは自転車を押しながら、優しい風の吹く家路を歩く。
「そう言えば結局、お母さんが三者面談に来るのか分からなかったね」
「絶対、予定を変えてでも来ると思うわ。今までもずっと、授業参観でもなんでも、すっごく人の良さそーうな感じにして来るんだもの」
げんなりした様子でマツウラさんは言う。
マツウラさんには悪いけど、それがなんだか可笑しくて。今日はマツウラさんのちょっと違う一面が見れた気がして、あたしはそれを心の中に刻み込むのだった。
「そのときこそ、本当に大変かもしれないわね。自分が動くときは、一気に片を付けてしまうのがわたしのお母さんだから」
そのマツウラさんの呟きに、あたしの心は現実に引き戻される。暗くなった空には、歪な形の月が綺麗に浮かんでいた。
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