20 狭いところって好き嫌い分かれませんか?
「寺坂さーん! 先生に言われて様子を見に来たんだけど……。あれ、いないのかな……。それとも寝てる?」
扉の外からは百合中さんのひとり言が聞こえてくる。
マズい。非常にマズい。
部屋の中にはあたしと、完全にこの部屋に馴染んでいるマツウラさん。
ここで百合中さんに入ってこられたら、明らかに言い逃れできない感じにあたしとマツウラさんが一緒に住んでいることがバレてしまう。
そうなれば、最悪のばあい同棲解消……。
やはりここは、心苦しいが無視を決め込むべきだろうか。
あたしは隣にいるマツウラさんと目を合わせ、口元に人差し指を立てて音を出さないようサインを送る。
マツウラさんは緊張した面持ちで頷いてくれた。
ふたりで、扉の向こうの気配に感覚を研ぎ澄ます。
あたしからの反応がなくとも、ちょっと買い物にでも出ているだけだと判断して立ち去ってくれればいいのだけれど……。
“ピロロピロロピロロピロローン♪”
が、そんなあたしの楽観は現代文明の前ではいとも簡単に崩れる。
爆音で着信を知らせるあたしのスマホ。そうだよね。そりゃあ一回くらい携帯を鳴らしてみるよね……。
着信音が鳴りやみ、扉の外からは心配そうな百合中さんのうなり声が聞こえてくる。
「うーむ。めちゃ鳴ってるのに全然出ねえ。寺坂っち、これはいよいよ気を失っているのでは?」
これはいよいよヤバいかもしれない。
スマホが鳴っていればその持ち主もそこにいると考えるのが自然だ。そりゃあそうじゃない場合もあるだろうけど、現代の高校生の多くと同じくスマホ依存気味であるあたしも百合中さんも、そういう共通認識を持っていると思う。
室内で携帯が鳴っているのに出ない、しかも相手は病人。となれば、百合中さんが心配してくれるのも不思議ではない。
うう。どうしよ。百合中さんを心配させっぱなしにするのも悪いし、大家さんに言われたりして大事になるのも困る……。
仕方ない。ここはいっちょ賭けに出るか。
「はーい、百合中さん、ちょっとだけ待って」
「おー、寺坂さん、無事だったか。おっけー。いくらでも待つよ」
突然声を上げたあたしに、マツウラさんは『マジかこいつ』みたいな視線を向ける。
あたしは自分のスマホを取り上げ、メモアプリを開いて今世紀最大の速度でフリック入力する。
(マツウラさん、ちょっとだけ隠れててくれない?)
マツウラさんは頷くと、ちょこんと手を差し出す。スマホを手渡すと、マツウラさんもなかなかの速さで返事を入力した。
(どこが良いかしら?)
(押し入れでもいい?)
(分かったわ!)
あたしが押し入れを開けると、マツウラさんは身軽に中の布団の上に収まる。
押し入れの上段は片側にハンガーラックを設置しているものの、もう片側は布団が少々入っているだけだ。マツウラさんひとりくらいなら余裕で入る。
ジェスチャーで謝りつつ、あたしは押し入れを閉める。マツウラさんは気楽そうに手など振っている。
「ごめんごめん、お待たせ」
そしてあたしは玄関へ向かうと、チェーンを外してドアを開けた。
そこには、いかにも学校帰りといういでたちの百合中さん。学校帰りだから当たり前だが。
「やっほー、寺坂さん。ごめんね、起こしちゃったよね」
百合中さんは申し訳なさそうに言う。
「ううん。大丈夫。こちらこそ心配かけてごめんね」
それにしても、なんか百合中さんがここにいるの面白いな。
外でしか会わない友達。そう思っていた。
あたしは、百合中さんがこの家に来ることはないだろうと思っていたのだ。
それはよく考えれば、とても不自然なことのようにも思えて。
「上がっていく?」
あたしはそう言わざるを得なかった。やっぱり百合中さんに対して、早く帰ってほしいと思うことなんてできなくて。
できれば友達として、この部屋でゆっくりして行ってほしかった。
でもそれは言い換えれば、マツウラさんを押し入れの中に閉じ込めなければならないということに他ならなくて。
あたしは百合中さんを招き入れたいからというよりも、通常の行為を行うにあたってマツウラさんに不便を強いてしまうというその現実に直面して、今すぐにでも泣き出したいような気がしていた。
「ううん。生存確認をしに来ただけだから。今日は帰るよ。どう? 良くなりそう?」
やっぱりあたしは、今日は帰るという百合中さんの言葉に、当たり前に安堵を覚える。
「ありがと。大丈夫。たぶん、明日は行けると思う」
「良かった。なんか隣に寺坂さんがいないと寂しくてさ」
そう言って百合中さんはウインク。
百合中さん、ほんとこういうとこイケメンなんだよな……。
見習わなくちゃ(?)。
「そうだ、これ忘れてた。大事なプリントだから、また元気になったら見といてよ」
そう言って百合中さんは、綺麗なクリアファイルに挟まれたお知らせ的な紙をくれる。
「ありがと」
中身だけ抜いてクリアファイルを返そうと思うも、そんな時間もないくらいに素早く、百合中さんはさっと身を引いた。
「寺坂さんの家、良い匂いがするね」
くんくんと冗談っぽく匂いを嗅ぐ真似をする百合中さんの表情は、なぜか少し寂し気で。
「じゃ、お大事に」
そう言い残して、彼女は片手を上げて去って行ったのだった。
ふう。なんとか助かった。
あたしは胸をなでおろし、音を立てないように錠を落とす。
そして大急ぎで部屋に戻り、襖を開ける。
「マツウラさーん、百合中さん帰ったよ」
「もー仕方ないなあ、つむ太くんは」
「押し入れに入ることで猫型ロボットに憑依されている!?」
マツえもん、改めマツウラさんは、体育座りの姿勢で押し入れに収まっていた。制服のままだったので、パンツが見えている。グッド!
「ごめんね、マツウラさん。こんな狭いところに押し込めちゃって」
「それは構わないわ。狭いところは嫌いじゃないし。そもそもわたしの実家と比べれば、この家も全部押し入れみたいなものだし」
「やっぱりちょっと怒ってる!?」
「冗談よ冗談。からかってごめんなさい」
そう言ってマツウラさんはぴょこん、と床に戻ってくる。
「特に怪しまれることはなかったかしら?」
「うん……。玄関までしか入ってきてないし、大丈夫だと思う。たぶん……」
「それなら良かったわ!」
「でもなんか、マツウラさんを押し入れに閉じ込めてまで同棲のことを隠すってのは、どうなのかって気がしてくるよね……」
「そうかしら? わたしはスパイ映画みたいで楽しかったけれど」
「それなら良いけどさ……」
それなら、良いのか? 本当に……?
◇ ◇ ◇
「今日の授業は進んだ?」
あたしはベッドに寝転がりながら、ちゃぶ台で宿題をしているマツウラさんに尋ねる。
「そうねー。数学は新しいところに入っちゃったから、ちょっと見ておいた方が良いかもしれないわね」
「うげー。マジか。確かに、この前もけっこう進んだもんね。中間テストの前に焦ったから、余裕見てるのかなあ」
「そうかも。まあ、期末テストなんてまだまだだけどね」
「果たしてそうなの?」
「怖いこと言わないでよ」
マツウラさんは問題集から顔を上げ、眉間に皺を寄せてこちらを見遣る。かわいい。
まあ確かに、今は期末テストというよりも、その前にある球技大会の方に関心が行きがちだ。
しかし実のところ、期末テストまでは1ヵ月を切っているのだった。
まあ寝転がったまま勉強頑張ろうねとか言っても説得力がないので、とりあえずこの話題は置いておくことにする。
あれ、置いておくと言えば、先ほどそのへんに置いておいたプリントってどこにやったっけ? 百合中さんから貰ったやつ。
あたしがガバリと起き上がると、マツウラさんがピクリと反応する。
「びっくりした」
「ごめんごめん」
あたしは立ち上がり、先ほどの記憶を反芻しながら周囲を探す。
百合中さんが帰って、一刻も早くマツウラさんを押し入れから出したくて、だから邪魔なプリントはすぐにどこかへ置いたはずで。
そう思って台所を探すと、果たしてプリントは冷蔵庫の上に置かれていた。なんてとこに置いてんだ、さっきのあたし。
「つむぎ、どうしたの? 用事なら手伝うから、寝ておいた方が良いわよ?」
「ありがと。大丈夫だよ。なんか完全に大丈夫っぽくなったことを感じるから」
先ほどから徐々に体が軽くなり、ぼんやりとあった熱っぽさもいつの間にかなくなっていたのだった。
「なんか完全に大丈夫っぽいのなら良いけれど……」
あたしはマツウラさんの隣に腰を下ろしながら、クリアファイルからプリントを取り出す。
「何の連絡かしら? ホームルームの前に早退しちゃったから、わたしももらってないのよね」
「あー、そうだよね。申し訳ない」
「ノープロブレムよ!」
あたしはマツウラさんにも文面が見えるようにプリントを広げて、内容を読み上げる。
「えーと、なになに……? 『三者面談のお知らせ 初夏の候、保護者の皆様方におかれましては、益々ご清祥のことと……』あー、なるほどね。期末が終わってから三者面談の期間ってあるもんね」
プリントの下部にはキリトリ線が付いており、その下の部分に都合の良い日時を書いて提出するようになっている。
お父さんとお母さん、どうすんだろ。来るのかな? とりあえず写真撮って送って訊いてみるか。
自分の算段を付けると、あたしはマツウラさんに視線を移す。
あれ?
マツウラさんは固まっていた。そしてその表情には、激しい不安の色が貼り付いている。
「つ、つむぎ、どうしましょう」
そしてあたしは、やっと、遅すぎるくらいで、このプリントの内容の恐ろしさに気付き始める。
言うまでもなく三者面談とは、教師、保護者、生徒の三者が集まって面談をすることだ。つまり保護者が来なければ三者面談にはならず、三者面談をするためには保護者が来なければならない。
そしてマツウラさんの場合、やってくるのはおそらく、あのお母さんだろう。
マツウラさんとお母さんの間にどこまで深い溝があるのかは分からないけれど、その三者面談が一筋縄では行かないであろうことは容易に想像がつく。
そしてそれはもしかすれば、あたしとマツウラさんのこの生活にもなにがしかの影響を与えるかもしれないのだった。
「このプリント、見なかったことにしちゃ駄目かしら」
「駄目だよ。返事がなければ先生が家に連絡するだろうし、もっとややこしいことになる」
「やっぱりそうよね……」
ネタにマジレスみたいになってしまったけれど、マツウラさんの小学生じみた発言は明らかに本気でなされていて。
彼女が感じているプレッシャーを思うと、心に痛みが走る。
「やっぱりこのプリント、家に届けなくちゃ駄目よね」
マツウラさんは心底嫌そうにため息を吐く。
そんな彼女を見かねて、あたしはまたお節介を焼きたくなってしまうのだった。
「マツウラさんの家、挨拶がてら一緒に行っても良いかな」
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