18 恋ってバレたらヤバいですか?
日曜だというのに、早くから目が冴えていた。
早いと言ってもすでに8時だけれど、いつもの休日ならまだ寝ている時間だ。
天井から、視線を床の上のマツウラさんに移す。
すやすやと眠っている彼女は、たぶんいつもと変わらない日曜の朝を迎えるのだろう。
マツウラさんの寝息を聞きながら、視線を再び天井へ。
今まで気づかなかった木目の様子とか、ちょっとした汚れとかが目に入ってくる。
マツウラさんも、いつか気付くのだろうか。いつもと同じはずのあたしが、彼女の思いもよらない気持ちを抱いていることに――。
カーテンから漏れた光がうっすらと天井の淵を染めるのを見ながら、あたしは昨日の会話を反芻する。
◇ ◇ ◇
「……ん?」
いまマツウラさん、なんて言った?
『つむぎは、恋をしてるんでしょ?』
確かに彼女は、そう言った。それは、どんな意味で?
「あ、図星ね?」
そう言って彼女は、悪戯っぽく笑う。
その反応に、あたしの混乱はさらに加速する。
彼女はあたしが彼女のことを好きだということに気付いているのだろうか?
気付いていたとして、どういう感情を抱いているのだろうか?
気付いていないとして、どういう意図で言っているのだろうか?
「え、えっと……」
混乱と憔悴があたしを支配して、なにも言葉を紡ぐことができない。
「あ、ごめんなさい、つむぎ。あまり知られたくなかったのかしら」
さすがにあたしの様子が平常ではないと感じたのか、マツウラさんは焦り始める。
「でもわたし、この前の夜、聞いちゃったの。聞いてないふりをするのもなんだか心苦しいし……」
ああ。やっぱり。
あたしの中で、全てが繋がった。
この前――あれは、パジャマパーティーから帰った日の夜だったか――寝不足で疲れていたあたしは、夕ご飯を食べてすぐに眠ってしまって、マツウラさんが上から布団を掛けてくれて。
夜中に目が覚めたあたしは、隣で眠るマツウラさんに、つい言ってしまったのだった。
『だいすきだよ』
マツウラさんは少しだけ寝ぼけまなこを開いたけれど、またすぐに眠ってしまって。それから数日、さすがに忘れているのだと思っていたのだけれど、やっぱりマツウラさんは覚えていたのだ。
あたしのマツウラさんへの思いは、彼女にバレてしまっていた。それも、あまりに情けない形で。
彼女は今まで、どんな気持ちでいたんだろう。
そして今の彼女の様子を、あたしはどう受け止めればいいんだろう。
「そっか。聞こえてたんだね……」
あたしはなんとかそれだけ絞り出す。
もうこうなったら、ありったけの思いをマツウラさんに伝えるしかないのだろう。
なるべくあたしの思いの全てが伝わるように、なるべく適切な言葉を探して。
「えっとね、マツウラさ――」
「ええ! 誰か好きな人のことを考えてうっかり声に出てしまったのね!」
「んん???」
「だからきっと、つむぎは秘めたる恋をしてるんだなって思ってたの。やっぱりそうなのね!」
マツウラさんは無邪気に言う。
そうか。やっと状況が分かってきた。
マツウラさんは、あたしが誰に恋をしているのかまでは知らないのだ。
確かにあのとき、あたしはマツウラさんの名前を呼びはしなかったのだった。
「ま、まあね」
あたしは咄嗟に、そう口走っていた。ここで嘘を吐いたら、きっと後悔する。そんな予感が、あたしの中にはあった。
「ちなみに、誰なの? 同じクラスの人?」
「いや、それはちょっと……」
「そうよね。わたしも無理には訊かないわ。でも、もし何か悩み事があったら遠慮なく相談してね。まあ、わたしはそういう経験がないから力になれないかもしれないけど」
マツウラさんはテンション高めに言う。意外と浮いた話題とか好きなタイプなのかもしれない。
「う、うん。ありがとう」
なんか様々な情報が同時に流れ込んできてキャパを超えたあたしは、とりあえずそう言って、その場をやり過ごすしかなかったのだった。
◇ ◇ ◇
何度目の反芻を終えただろうか。
時刻は既に、『日曜だけどそろそろ起きても良いかな?』タイムに突入していた。
でもなんだか、身体がダルい。
手の届く範囲にスマホがないか探す。指先に固い感触があって、あたしはそれを取り上げると、見るでもなくSNSの画面を眺める。
情報の奔流を眺めていると、自分の存在が彼方へ行ってしまったような気になって、少しの間だけ悩みを忘れられる。
でもそれはもちろん、なんら根本的な解決ではなくて。
「あらつむぎ、珍しいわね。電気も点けずスマホなんて」
マツウラさんは上半身を起こしながら目を擦る。
「おはよ、マツウラさん。なんか起きるのがおっくうで」
「そうなの? じゃあもう少し電気を消しておきましょうか。わたしもゴロゴロするわ」
「いや、そろそろ起きるよ。電気点けるね?」
「合点承知の助よ!」
なんじゃそりゃ。
あたしはスマホを脇に置くと、起き上がって電灯の紐を引っ張る。マツウラさんがカーテンを開けると、さらに部屋を照らす光の量が増し、あたしはなんとなく居心地が悪くなる。
「さて! 今週も日曜日をエンジョイしましょうか!」
「元気だねえ」
マツウラさんは鼻歌を歌いながら洗面所へと向かう。マツウラさんは朝が苦手とはいえ、早起きでないときの起動は早いのだ。
その後ろ姿を見つめたまま、あたしは小さくため息を漏らす。
今日はその元気さが、なんだか遠い世界のもののように感じられるのだった。
「ねえつむぎ、今日はお掃除をしない?」
「あ、良いね、それ」
お昼ご飯を食べてダラダラしていると、マツウラさんがそう切り出した。
掃除機がけとか軽い整理整頓とかはまあまあの頻度でしているけれど、ガッツリした掃除というのはあまり行っていない。
この部屋に住み始めて早2ヵ月を過ぎたことだし、そろそろ掃除らしい掃除をしても良い頃合いなのかもしれなかった。
「じゃあ決まりね! わたしはユニットバスのカビ取りをしてみたいのだけれど、良いかしら?」
「じゃあお願いしても良い? あたしはそれ以外を綺麗にしとくよ」
「お願いね! 本格的なお掃除なんてしたことがないから、楽しみなのよね」
マツウラさんは腕まくりをして、引き出しからマスクを取り出し始める。
そっか。いつも家では掃除をしてくれる人がいたんだもんな。
だからマツウラさんにとって、掃除はあたしの何倍も慣れなくて大変な作業のはずだ。それでもマツウラさんは、率先して掃除をやろうと言ってくれて。こんなに楽しそうに掃除の準備をしていて。
やっぱすごいなあ。マツウラさんは。
単純にそう思う。マツウラさんは、すごい。そしてやっぱり、ちょっとだけ遠い世界の人みたいに、今日は思える。
あたしはとりあえず窓を開け、散らかったものを元の位置に戻す。
マツウラさんはマスクと手袋をして、ユニットバスの一面に洗剤を吹きかけていた。
「換気扇、回しなよ~」
「分かったわ!」
で、あたしはなんかモコモコした製品を使って部屋中のホコリをとりあえず床に落としてゆく。エアコンの上とか、テレビの周辺とか、2ヵ月だけでもけっこう溜まってるもんだなあ。
あたしはこういう単純作業が好きだ。
同じことをやっている間に、とっぴな発想とかが頭に浮かんで、自分で笑ったりする。
でも今日は、どうしても、昨日の夜のマツウラさんとの会話のことを考えてしまうのだった。
マツウラさんは、あたしに好きな人がいると思っている。まあ、それはいい。事実だし。
でも問題なのは、それを自分以外の誰かだと思っているということなのだ。そうでなければ、あんな無邪気に『誰なの?』なんて訊けないだろう。
あー、ヤバい。辛い。限界。
だってそれは、あたしが彼女のことを世界で一番に好きなわけじゃない、と彼女が理解しているということを意味して。
そんなの、我慢できない。
あたしはモコモコした製品での掃除を完了し、掃除機をかけ始める。なんだか、身体がダルい。
なぜか目の奥が痛く、視界がぼんやりする。
あたしは彼女に言いたい。彼女の誤解を解きたい。
あなたのことが世界で一番好きなのだと。その気持ちを、1ミリのズレもなく受け取ってほしい。
でもあのときのマツウラさんの反応は、あたしが彼女以外の誰かを好きだったところで、彼女が別にショックを受けていないのだということさえ意味していて。
なら、告白したところでどうなる?
彼女を困らせるだけなんじゃないか? 自分の気持ちを余すところなく知っていてほしいなんて、単にあたしのエゴなんじゃないか?
「つむぎー。今更だけれど、この床のところもシャワーで流しちゃって良いのよね?」
「ああ、うん。どうせ全部、その蓋の下の排水溝に流れていくようになってるんだよ」
あたしは浴槽の外、洗面台の下の部分を指差す。
「おっけー!」
そう言ってマツウラさんは豪快にシャワーを流し始める。なかなか楽しそうだ。
掃除機をかけ終え、あたしは台所の床を拭くことにする。
なんだか、熱い。でも、背中は寒い。窓を全開にしたからだろうか?
マツウラさんの鼻歌が聞こえる。
その愉快な調べに、罪悪感がどんどん大きくなる。
結局、あたしはマツウラさんに嘘を吐いているんだ。
積極的な嘘じゃない。でも、確かな嘘。
あたしはマツウラさんが勘違いしているのを知って、ホッとしてしまった。
マツウラさんが勘違いしているのを知っていながら、それを訂正しなかった。
訂正、できなかった。
彼女に嫌われるのが怖いから?
彼女と一緒にいられなくなるのが嫌だから?
ならばそれこそ、あたしのエゴに違いなくて。
ああ、あたしは、どうすればいいんだ。
床を拭くごとに、そんな思考が空回りする。
気が付けば、ずっと同じ場所を拭いている。
頭が、痛い。なんだか思考に靄が掛かったみたいになって、暑さと、寒さと、ダルさが混然一体になって。
ごとん、という音を聞いたと思ったら、自分が床を拭く勢いのまま、倒れ込んだ音だった。
「つむぎ? つむぎ! どうかしたの!?」
「いや、どうってこと、ないよ」
そう声に出すことはできるものの、寝そべっている体勢が心地よくて、起き上がる気になれない。
視界の片隅で、マツウラさんが手をゆすいで、駆け寄ってきてくれる。
そして、彼女の手が、あたしのおでこに触れた。あれ、マツウラさんの手って、こんなにひやっこかったっけ?
「大変! すごい熱じゃない!」
マツウラさんは慌てたように言う。
ああ、どうりで体調がすぐれないと思った。
あたしはのんきにそんなことを考えていた。
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