16 帰ってすぐにベッドに倒れ込みたいときってありませんか?

 どうなんだ?


 授業中、マツウラさんを盗み見ながら考える。


 日曜日の夜、あたしが眠っているマツウラさんに告白してから数日が経った。

 あのとき、マツウラさんは目を開けて、すぐにまた閉じて。それから、何事もなかったかのように寝息を立てて。


 次の日、起きてからも、いつもと変わらなくて。それから金曜日の今日に至るまで、あたしとマツウラさんはいつも通りの生活を送っていた。


 ああ、そうか。あたしとマツウラさんの生活は、『いつも通り』になったのか。


 ふと、そんなことを思う。いつも通りだなんて思えるほど、あたしはマツウラさんと一緒の生活に慣れて、毎日が、同じように過ぎていて。それはとっても楽しくて。


 だから、大好きだよというあたしの言葉は、マツウラさんには届いていないのだと思う。

 そう信じてはいるのだけれど、やっぱり心のどこかで、マツウラさんはあのことを覚えているんじゃないかという不安があって。


 あたしはこのところずっと、そんなモヤモヤとした思いと共に日々を送っていたのだった。




 チャイムが鳴って、休み時間に突入する。


「寺坂さん、最近ぼうっとしてること多いね。恋の悩み?」


「え? いや、違うよもー。なに言ってるの」


 隣の席の百合中さんに不意打ちで質問をぶつけられ、ついつい頷いてしまいそうになる。


「そう? じゃあ恋以外の悩み?」


「別に悩んでないよ。夕飯のこと考えてただけ」


「そう? なら良いけど。最近雨が多いし、アンニュイになってるのかなと思って。何か悩み事があったら言ってね」


 そう言って百合中さんは眼鏡をくいっと上げる。発言の中身と相まって、まさに委員長という感じだ(百合中さんは別に委員長ではない)。


 それにしても。


 百合中さんに、嘘を吐いてしまった。

 ナチュラルにそうしてしまった自分に、少しげんなりする。


 別にあたしは、友達だから隠し事をしてはいけないとか本当のことしか言ってはいけないとは思わないけれど、マツウラさんへの恋を嘘で隠してしまうことで、なんだかマツウラさんにまで嘘を吐いているような気分になってしまうのだった。


 あるいは、あたしはマツウラさんにまで嘘を吐いているのだろうか。


 たとえば今の質問をマツウラさんからされたとしたら、あたしはどう答えるのだろう。

 同じようにはぐらかすのだろうか。

 そうする自分のことを、あたしはどう思うのだろうか。


 やっぱり百合中さんに話を聞いてもらえば良かったかなと考えている自分に、あたしは驚く。


 確かに、マツウラさんへの恋について相談できる人はあたしのまわりに誰もいない。

 でも実際に百合中さんにそれを相談できるかとなると、やはり無理だ。

 それはもちろん、同級生に同棲のことを知られてはいけないからなのだけれど、きっと、それ以外にも、あたしは心の中のどこかに引っ掛かりを覚えているのだった。




 下宿に帰ると、誰もいない部屋があたしを待っていた。


 いつもはマツウラさんが既に帰宅していることが多いが、そうではなかったらしい。今日は朝から雨が降っていて、お互い徒歩で登校したから、いつもと勝手が違うのかもしれない。


 なんとなく電気を点けるのさえ面倒で、暗いなか手洗いとうがいだけ済ませると、靴下だけ脱いで制服のままベッドに寝転がる。

 膝の裏に伝わるシーツの冷たさが気持ちいい。


 目を瞑ると、スッと気分が楽になって、まどろみと同時に、それでも思考が冴えるのを感じる。


 マツウラさんはいつも、床に敷いた布団の上で寝ている。

 なんとなく、ベッドと布団はそれぞれの(この家で唯一の)パーソナルスペースだという共通認識があって、お互いに交換したりはしない。でも――。


 床に敷く布団は実家に余っていたのを持ってきたやつで、品質はそこそこ良いものだから大丈夫だろうと思っていたけれど、やっぱりこのベッドの上の方が気持ち良いんじゃないか? なんとなく、そんなことを思う。


 だってなんだか、ベッドやらちゃぶ台やらに囲まれた床で寝るのって、圧迫感がありそうだし。どうなんだろ……。




 ドンドン、というノックの音で目を覚ます。

 慌てて顔を上げると、玄関ドアの隙間からマツウラさんの顔が覗いていた。同時にやってくる雨音。


 余裕で寝てたっぽい。


「ごめんごめん」


 ドアに駆けより、チェーンを外す。


「珍しいわね、つむぎがお昼寝なんて」


 傘をドアの内側に立てかけながら、マツウラさんが言う。


「ベッドに横になったら、なぜか眠くなっちゃって」


「そりゃあベッドに横になったら眠くなるわよ!」


 そう言ってマツウラさんは笑う。


「そうかも」


 あたしが電気を点けようとすると、洗面所に向かっていたマツウラさんが振り返る。


「つむぎがもう少しお昼寝したいなら、そのままで大丈夫よ?」


「いや、もう起きるよ」


 と言いつつ、あたしはあることを思い出した。


「マツウラさん、ベッドで眠ってみない?」


「ん? どうしたのいきなり」


「いや、ベッドの方が寝心地が良かったら悪いなと思って」


 それは先ほど寝落ちする前に考えたことだった。それに、布団は日中、畳まれている。さっきみたいに帰ってきてベッドにバタリと倒れ込むのが、あたしだけの特権になっているとしたら申し訳ない。


「もしそうだとしても、あたしが後から来たんだからそれで問題ないと思うけど……」


「まーたそんな水臭いこと言う。それじゃ駄目だよ」


 あたしは少しムキになっていた。


 やっぱりマツウラさんは、この家を仮の宿泊先くらいにしか思ってないのだろうか。そんな不安は、確かにあたしの中にある。

 でも今はもっとシンプルに、さっきあたしが感じた心地よさをマツウラさんにも味わってほしかった。


「そうかしら? まあ今も十分快適に眠っているけれど……。一度ベッドに横になってみましょうか?」


「うん」


 あたしが頷くと、マツウラさんはうがいを済ませて居間にやってくる。


「では失礼するわね」


 灯りの消えた部屋で、ベッドに横たわるマツウラさん。それを見下ろすあたし。

 あれ、なんかこの状況、不健全か?


「うーん。確かに気持ちが良いわね。でも、お昼にゴロゴロするのが気持ち良いだけかも」


 マツウラさんは言いながら伸びをする。猫のように握った両手が可愛らしい。


「じゃあいつでも昼寝に使ってよ。夜も言ってくれたら交代するし」


「ありがとう、つむぎ。ほら、つむぎも一緒にゴロゴロしましょ?」


 そう言ってマツウラさんはベッドの奥へ移動し、片側を開けてくれる。


「いや、あたしはさっき昼寝したから」


「まあまあ! そう言わず!」


 なんだかそれは非常にマズいことのように思えたが、このまま無防備に横になっているマツウラさんを眺めているのもそれはそれで問題があるような気がする。


「いちおう、タイマー掛けとくね」


 あたしは1時間後にスマホのタイマーをセットし、ちゃぶ台の上に置く。

 そして彼女の隣に腰を下ろすと、ゆっくりと身体を横たえた。


 身体の側面にそっと感じる彼女の体温が、くすぐったい。


「良い気持ち」


 マツウラさんはそう呟くと、あたしの右手にそっと指を絡ませる。

 あたしはそれに応えて、彼女の左手を握り返す。

 なんだかそれは、照れる隙も疑う余地もない、とっても自然な行為に思えた。


 天井を見ていると、青空が見えてきそうで。

 あたしは空いている方の手をそっと額にかざした。


「なんだか、世界にふたりだけになったような気がしない?」


 マツウラさんは言う。


「する」


 あたしが答えても、それ以上マツウラさんは何も言わなかった。

 このままあたしが眠って、寝ぼけたまま気配に目を開けて、マツウラさんが大好きだよとあたしに言ったとして、あたしはそれを覚えているだろうか。あたしはそれを、現実のことだと認識するだろうか。


 あまりのことに飛び起きるかもしれないし、あまりのことに夢だと断定してしまうかもしれない。


 じゃあ、日曜日のマツウラさんは?


 本当のところがどうだったかなんて、マツウラさんにしか分からないし、あたしはそれを知るすべを持たない。

 またすぐにまどろむ意識の中で、ただあたしは雨音を聞いていた。




「「いただきまーす!」」


 昼寝も終わり、宿題も済ませ、お待ちかねの夕飯タイムだ。


「今日のメニューはなんていう名前かしら?」


「今日のメニューは玉ねぎと豚肉とオクラを炒めた丼だよ!」


「玉ねぎと豚肉とオクラを炒めた丼なのね!」


 玉ねぎと豚肉とオクラを炒めた丼はその名の通り玉ねぎと豚肉とオクラを炒めたやつをご飯に乗せた料理で、適当に作ったわりには、食べてみると非常においしい。


 ネットで見た情報の通り、まな板の上にオクラを置いて、塩を振りかけて擦るという謎の儀式をしたからかもしれない。いずれにせよ、オクラくらい栄養があって手軽に食べられておいしい食物が安価でスーパーに売っているのはありがたいことだった。


「ごちそうさま、つむぎ。おいしかったわ!」


「そりゃあ良かった。ごちそうさま」


「……」


 と、いつもなら別の話題を振ってくるか皿を洗いに行ってくれるかのマツウラさんだが、なぜか固まっている。見ると、彼女はこちらをじっと見つめていた。


「どうかした?」


 胸騒ぎを覚えながら、尋ねる。


 そしてマツウラさんは、神妙な面持ちで口を開いた。


「大事な話があるの」

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