15 徹夜明けってどのタイミングで寝るか難しくありませんか?

 うう。疲れた。

 

 それは嫌だったからというんじゃなくて、普通に体力的な疲れ。


 さすがに、パジャマパーティーで完徹するならパジャマを着る必要はないのでは? という気がしてしまう。

 でもまあ、勝新がカッコよかったから良しとしよう。


 昼下がりの道が、いつもより間延びして感じられる。寝不足のままだと危ないので、自転車も押したままだ。うーん。早く帰りたい。


 あたしと百合中さん、渡壁さん、崎元さんは、渡壁さんの家でパジャマパーティーという名の『悪名』シリーズ鑑賞会をしていたのだった。


 明け方まで映画を観続けて、さすがに少し横になりたいと思ったところで渡壁さんのお母さんが朝食にサンドイッチを作ってくれたので眠るわけにもいかず、それを食べて、ちょっと仮眠してる間にお昼になって、4人でファストフード店に寄ってご飯を食べて、そこで解散と相成ったのだった。


 意外なほどに、楽しかった。


 同じ年代の女の子数人で集まって、とりとめのないことを話したり、一緒に映画を観ながら画面にツッコミを入れたり。


 たとえば小学生の頃、友達の家でW〇iをして遊んだときみたいな感覚。こういう種類の楽しさも世の中にはあるのだということを、久々に思い出して――


 マツウラさんはどうしているのだろうか。


 さっきから、そのことばっかり気になってしまう。


 彼女は昨日の夜、孤独だったのだろうか。

 あたしが、ひとり暮らしを始めた頃みたいに、夜の静けさや、外から聞こえる大学生の大声や、自分の独り言に驚いたりしたのだろうか。


 あたしは、これでいいのだろうか。


 マツウラさんを置いてけぼりにしたまま、別の交友関係を作って、許可は必要ないだなんて当たり前のことを彼女から言われて。


 あたしは勝手にやるからマツウラさんも勝手にやれなんて、あたしの勝手なんじゃないだろうか。


 でも別にあたしたちは、お互いを束縛し合う関係にあるわけじゃなくて。じゃああたしはマツウラさんを束縛したいのかといえば、それはもしかするとそうなのかもしれないし、でもそうであってはいけないような気もして。


 なんだか、あたしに友達ができてから、あたしはマツウラさんとの関係をシンプルに考えられなくなっているみたいだった。




「ただいまー」


「おかえりなさい、つむぎ! パジャーマパーティーは楽しかった?」


 言いながら、マツウラさんは玄関のチェーンを外してくれる。


「うん、楽しかったよ。ちょっと疲れたけどね」


「あら、そうなの? お昼寝する?」


「うーん、魅力的な提案ではあるけど、今寝たら夜に眠れなくなりそうだからなあ」


 あたしはユニットバスで手洗いとうがいをしながら考える。

 やはりここは、我慢していつも通りの時間に眠るべきだろう。


「そういやマツウラさん、何食べてたの?」


 あたしは居間に向かいながら、ふと思いついた疑問をマツウラさんにぶつける。

 そういえば家を空けるにあたって、献立とか準備してなかった。


 でもまあ、マツウラさんもいつも立派に料理を作ってくれてるわけだし、別にあたしがわざわざ準備しなくとも、ちゃんと自炊して……。


「あ、ああ、それね……?」


 ないっぽかった。マツウラさんは明らかに動揺し、固まる。


「もしかして、3食外食だったとか? 別にそれはそれで仕方ないというか、別に責めはしないけど……」


「ま、まさか! お金もないのにそんなことするわけないじゃない! ただ……」


「ただ?」


 あたしは恐る恐る、プラスチック容器のゴミ袋に目を遣る、

 そこにうっすらと透けているのは、あたしが出るときにはなかったカップ麺の器が、複数。


「まさか、3食ともインスタントラーメンだったんじゃないでしょうねー!」


「ひえー、ごめんなさい、つむぎ! 昨日の夜ごはんに食べてみたらとってもおいしくて、ついつい……」


 マツウラさんは世界の終りみたいな顔で謝ってくる。別に、謝るようなことじゃない。

 しかしながら、もちろんインスタントラーメンが悪いとは言わないものの、3食ともそれだと栄養が偏りすぎる。


 あたしは居間に投げ捨てていた鞄を手に取ると、玄関に戻った。


「ま、待って、つむぎー! わたしを見捨てないでー!」


 マツウラさんの言葉に、あたしはため息を漏らす。


「見捨てるわけないじゃん。夕飯の材料、買いに行くよ。野菜炒めにしよう」


 あたしが言うと、マツウラさんは目を輝かせる。


「すぐに支度するわ!」




「まあ、こんなもんかなあ」


 買い物かごに入った豚肉、玉ねぎ、キャベツ、ピーマン、もやしを見つめながらつぶやく。


「ニンジンとしいたけは少し残っていたものね!」


「マツウラさんが食べなかったからね」


「うう……」


「冗談だよ、冗談。あとは何か要るかな」


「朝のトースト用のハムとかはどうかしら!」


「出費がかさむので無し」


「厳しい……」


 そんな会話をしながら、スーパーをぐるぐると回る。


「あれ、あまねじゃん!」


「ああ、鈴木さん」


 と、マツウラさんに声を掛ける人物が現れ、あたしは固まる。もしかして同じ学校の人だろうか? だとすると、一緒に買い物をしているところを見られるのはマズい。

 今までこのスーパーで知り合いを見かけることがなかったから、油断していた……。


 鈴木さんと呼ばれたその女の子は、マツウラさんに親し気に手を上げ、近づいて来る。

 しかも、下の名前の呼び捨て。マツウラさんがそう呼ばれているところを、あたしは初めて目にした。


 誰だろう。改めて見ると、学校では見かけない顔という気がする。


「元気だった? 全然連絡くれないから、心配してたんだよ?」


「そう……。鈴木さんは元気?」


「うん。高校には周がいないから寂しいけどね。こんどまた遊ぼうよ」


「ええ。機会があればね」


「うん。じゃあね、周」


 鈴木さんと呼ばれた少女は、そう言い残すとレジの方へと向かってゆく。あたしなんかのことは気にも留めなかったようだった。


 うーむ、なんと言えばいいんだろう。こんなに嘘っぽい、心のこもってない会話、滅多に見たことがないというか、なんというか。


「中学校の友達?」


 たぶん友達ではないのだろうということを直感しつつ、あたしはマツウラさんに尋ねる。あんなに他人行儀なマツウラさん、初めて見た。


「中学校の同級生よ」


 マツウラさんはあたしの質問を微妙に逸らし、そう答える。


「仲、良かったの?」


「1年生までは、ね」


 彼女の答えに、あたしはドキリとする。そう言えるほどに仲の良かった人物と、あれほどまでに機械的な会話しかできなくなるという可能性が、彼女の交友には存在する。それを思うと、どす黒い不安があたしの心に押し寄せてくる。


「こっちが友達だと思ってたって、相手はわたしのことを話のネタくらしにか思ってなかったっていうだけ。よくある話よ」


 なるほど、それは確かによくある話だった。よーく理解できる類の、見事な要約。

 でも、あたしはマツウラさんからそんな話を聞きたくはなかった。


 崎元さんの言葉が、脳裏によみがえる。


『いじめって感じにはならなかったけど、けっこう裏で色々言われてたんだよね』


 それはたぶん、マツウラさん自身も気が付いていたことだったのだ。


 何事もなかったかのように艶めく、彼女の口元を見遣る。

 彼女はずっと笑っていたのだと、そう思っていたかった。


 でもそんなの、あたしの勝手な願望で。

 それはもしかすると、鈴木さんという少女もまた、一度でも抱いたことのある感情なのかもしれなかった。




「ふーっ、お腹がいっぱいね」


「いっぱい食べてくれて良かったよ」


 野菜炒めを食べ終えたマツウラさんは、お腹をさすりながら、床の上にごろんと横になる。普段なら牛になるよと咎めるところだが、今日はそんな気になれない。なぜならあたしも眠いから。


 マツウラさんの隣にごろんと転がり、彼女と目を合わせる。


「珍しいわね、つむぎが牛になるなんて」


「まだなってないよ」


「そう? 一緒になっちゃいましょうよ」


「牛に?」


 あたしは、想像する。牛になった(とはいっても牛になったことがないのでよく分からないが)あたしとマツウラさんが、太陽の輝く牧場で草を食み、モーと鳴く様子を。


 うう。あったかい……。




 ん?

 なんだか混乱した頭で、瞼を広げる。

 今は、いつだ? 朝?


 あたし、いつ寝たっけ。


 でも、部屋の中にカーテンの隙間から漏れる日の光は全く感じられなくて。

 あたしは今が夜中なのだということを、感覚的に悟る。


 あたしはいつものベッドじゃなくて床の上に寝ていて、あたしの上には普段使っている掛け布団が載せられていた。

 そして隣には、すやすやと眠るマツウラさん。


 ああ、そっか。野菜炒めを食べて、マツウラさんがゴロゴロし始めて、あたしも横になって、きっとそのまま眠ってしまったのだ。


 たぶんこの布団は、マツウラさんが掛けてくれたのだろう。


(ありがとう、マツウラさん)


 あたしは心の中でマツウラさんにお礼を言う。

 マツウラさんは、長いまつげをときおり動かしながら、深く眠っている様子で。


 ああ。なんて愛おしいんだろう。


 眠る彼女をじっと見つめていると、さいきん心の中に押し込めつつあった感情が、堰を切ったように溢れ出すのを感じた。


 あたしと一緒に暮らしてくれる女の子。今まで会った誰よりもかわいい女の子。まだまだ謎めいていて、一緒にいると少しだけ不安になる女の子。でも間違いなく、ずっと一緒にいたい女の子。


 小さく上下する彼女の肩を見ていると、どうにかなってしまいそうになる。


 今すぐ彼女に抱きついて、その体温を全身で感じたい。

 彼女の唇のもっと奥で、彼女とひとつになってみたい。


 夜の闇の中で彼女が目を覚ますなんてこと、絶対にあり得ないという確信があたしの中にはあって、でもあたしは、あらゆる衝動よりも強く、彼女とこれからも一緒にいたいと望んでいた。


「だいすきだよ」


 その言葉が実際に空気を震わせたのだと気が付いたときには遅かった。


 あたしは彼女に最も言わなければならないことを、無防備な彼女に向かって口にしていた。


 どうか、目を開けないでくれ。

 あたしは心の底からそう祈る。


 それはたぶん、あたしの心の狭さを彼女に悟られることを恐れてのことだった。あたしはどこまでいっても、最低に利己的な人間なのだ。


「つむ、ぎ……?」


 彼女は消え入りそうな声でそう言うと、うっすらと目を開ける。


 あたしは何も言わず、彼女の瞳を見つめていた。

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