13 ファミレスのドリンクバーってついつい飲みすぎちゃいませんか?

「では、テストの終わりを祝しまして、乾杯!」


「「「かんぱーい」」」


 百合中さんの掛け声に合わせて、4人でグラスを触れ合わせる。中身はもちろん、ドリンクバーで入れてきたジュースだ。


 中間テストの全日程が終わり、教室で脱力してきたあたしをファミレスでの打ち上げに誘ってくれたのは百合中さんだった。


 残りのメンバーは渡壁さんと崎元さん。どちらも百合中さんと仲の良い人たちで、あたしも普通に会話はするけれど、友達なのかと言われると分からないし、相手がどう思っているのかも分からない。


 でもまあ、いつもより学校が早く終わった平日、テスト終わりのテンションも相まって、たまにはクラスメイト達との親睦を深めるのも悪くはないかなと思い来てしまったわけだけれど、あたしは早くも少し後悔し始めている。


「ハルちゃん、英語どうだった?」


「最後の長文、オリジナルとかひどすぎない?」


「ほんとそれなんだけどー!」


 いや、だってあたし以外の3人は仲良しだから、あたしの入る隙なんてないわけだし、それは問題ないとしても、そもそもあたしは一刻も早くマツウラさんとテストの終わりを祝いたいのだった。


 はあ。こんなんじゃだめだって、分かってるんだけどな。


 だからこそあたしはマツウラさんを差し置いてここに来たわけだけれど、それでも、夕飯までには帰りますというメールを見たマツウラさんがどんな気持ちだったのかを想像するだけで、胸が苦しくなって。

 別にマツウラさんはそんなこと気にしてないって分かってるのに、それはそれで悔しくって。


「寺坂さんはどうだった?」


 あたしが肩身狭そうにしているのを悟ってか、百合中さんが助け舟を出してくれる。


「え? ああ、時間たりなかったよね。鬼だった」


「だよねー! めっちゃ平均点下がるんじゃない?」


 渡壁さんがアセロラドリンクを啜りつつ言う。


「でも、勉強してるやつはできるんだって。不公平だよねー」


 崎元さんはティラミスを頬張る。


「それは公平なのでは?」


 あ、しまった。


 一瞬、時が止まったような気がする。

 ついいつもの感じでツッコミを入れてしまったけれど、たいして仲良くない人にこんなこと言ったらヒンシュクだったかもしれない。空気の読めない、冷たい奴。


「違いない」


 崎元さんがおどけて言うと、場にドッと笑いが広がった。


 冷や汗が引いて、あたしは胸をなでおろす。シャーベットを口に入れると、キン、と頭が痛くなる。


 こんなに相手に気を遣うの、久しぶりかもしれない。

 でも、人と人が関わり合う限り、それはあって然るべき感覚で。

 一緒の家に住んでて、ほとんど気を遣わないあたしとマツウラさんの関係の方が、変わっているのかもしれなかった。


「やっぱり寺坂さんって面白いよね。わたし、こうしてゆっくり話してみたかったんだ」


 渡壁さんはそう言ってはにかむ。


「面白い? あたしほど面白みのない人間も珍しいと思うけど」


「またそういうこと言うー!」


 百合中さんが言うと、また周囲に笑いが広がる。ああ、なんかやっていけそうな気がする。このファミレスタイム、あたしは攻略できるぞ!


「寺坂さんってなんかカッコいい。この前の卓球のときとかも、ハルちゃんじゃなくて寺坂さんのこと応援してたもん」


「えー、サッキーひどーい!」


「えへへ」


 そんなとりとめのない会話をしながらそれぞれが5杯目くらいのジュースを飲み終えた頃には、時刻は17時になっていた。


「あ、あたし、そろそろ行くね。悪いけど、これ払っといてくれる?」

 さっきトイレで確認した小銭を机の上に置いて、あたしは立ち上がる。


「あれ? そうなの?」


 こういうとき、会話のタイミングとか場の雰囲気とかをいちいち気にしていてはいけない。時間になったら帰る。そういう強い心を持つことが大事だ。


「えー、つむちゃん、もっといてよー!」


 いつの間にか2人称がつむちゃんになっていた崎元さんが、上目遣いで言ってくる。


「ごめんごめん。またね」


 家でカワイ子ちゃんが待ってるからね、とは言えず、あたしは鞄を持って手を振る。


「またねー」


 手を振り返してくれる3人を残して、あたしはファミレスを出た。


 ふう。

 と、一息。


 とりあえず自転車を取りに、学校へ戻ることにする。

 なんだか久しぶりにマツウラさん以外の人とガッツリ会話して、相当に疲れてしまった。自分が普段めちゃくちゃマツウラさんに甘えてるのだということが、身に染みて感じられる。


 でも、マツウラさん以外のクラスメイトとそれなりに楽しい時間を過ごせたことは、少し自信になったのも事実で。


 そしてやっぱり、マツウラさんと一緒にいるのが一番楽しいと思ってしまったことも事実で。


 あたしはマツウラさんを失ったら、一体どうなってしまうのだろうか。


 傾いた太陽と夕方の匂いに身体が浮いたようで。

 そんな自分の考えの恐ろしさに、身震いする。

 もし、そうなってしまったら、あたしは――。


 自分の思考を断ち切るように速足で歩いて、あたしは学校の自転車置き場に到着する。

 校門を出てサドルに跨ると、風が乱暴にあたしの髪を撫でた。




「ただいまっ!」


 いつもより速足で階段を上って、部屋の扉を開ける。チェーンが掛かっているのを忘れていて、ドン、とすごい音が響く。


「おかえりー、つむぎ。どうしたの、そんなに慌てて」


「いや、え、その……」


 マツウラさんに早く会いたくてたまらなくて。

 その言葉は、チェーンを外すために一度閉めた扉に阻まれて。というよりも、あたしの心に阻まれて。


「あ、分かったわ! 早く焼肉が食べたくて仕方なかったのね!」


「まあ、そうだよ」


 もちろんそこには、マツウラさんと一緒に、という条件が付いているのだけれど。


「心配しないで! ちゃんとお肉は買っておいたわ」


「ありがと」


 あたしは靴を脱ぎながら礼を言う。今日はテストが終わったお祝いで、夕食のメニューは焼肉にしようとかねてから決めていたのだ。


 いちど家に帰ってから一緒に買い出しに行こうと言っていたのだけれど、あたしがファミレスに行くことになってしまったので、マツウラさんに買い物は任せていたのだった。


 手洗いうがいをして、冷蔵庫の中を覗く。

 あらかじめ相談していた通り、スーパーの焼肉用のちょっと良い肉ふたり分と、ピーマン、シイタケ、コーラとジンジャエール。うむ。冷蔵庫にこんなに物が入っているのを初めて見た。完全にパーティーの感がある。


「打ち上げは楽しかった?」


「え、うん。楽しかったよ。ごめんね、マツウラさん呼ばなくて」


「そんなの気にすることないわ。別々の交友関係があるのは当たり前のことだもの」


「うん。ありがとう」


 別々の交友関係があるのは当たり前のこと。

 マツウラさんの言葉が、あたしの心をチクリと刺す。


 そう。当たり前のことなのだ。当たり前のことなのに、どうしてあたしはこんなに戸惑っている? どうして、誰かと一緒にいることを、マツウラさんと一緒にいることと比べてしまうのだろうか。


「マツウラさん、友達と遊ぶの我慢とかしてないよね?」


 ふと、そんな疑問が口をついて出ていた。


「ええ、もちろん。もともと学校以外で友達と会う習慣があまりないのよ」


「そっか……」


 訊いた後で、あたしは自らの質問が持つ意味に愕然としていた。


 もし、彼女の答えがイエスだったとしたら?

 仮に節約のために彼女が友達と遊ぶことを諦めていたのだとしたら?

 仮にあたしたちの関係を漏らしてしまうことを恐れて友達と遊ぶのを避けているのだとしたら?


 そんなの、あってはならないことだ。


 この生活を続けるために、彼女が高校生として当然に享受すべき楽しみが奪われるなんて、絶対にあってはいけないことで。


 でもこの生活が続くことを、あたしは何よりも強く望んでいて。

 もしかすると、あたしは彼女にとって、呪いみたいなものなのかもしれない。

 そんな疑念が黒い塊となって、あたしの中に生まれた気がした。




「まさかこんなスタイルで焼肉をするなんて! つむぎには恐れ入ったわ!」


「思い付きでやったわりには、けっこう良い感じだね」


 ガスレンジの上のフライパンから箸で肉を取り、冷蔵庫の上に置かれた皿に入れられたタレにそれを通して、手に持った皿を添えて口に運ぶ。うん。肉だ。おいしい。


「ぷはー。焼肉とジンジャエールは最高に合うわね!」


 マツウラさんも立ったまま豪快にジンジャエールをあおり、そのボトルを炊飯器とかが並ぶ棚の上に置いた。


「今までのどの立食パーティーよりも最高だわ!」


「そりゃあ良かった」


 立ちながら焼肉をしようと提案したのはあたしだった。


 ホットプレートのない我が家では、焼肉と言ってもフライパンで焼いたものを皿に載せて食べるしかない。しかしそれだとどうも焼肉という感じがしないだろうということで、いっそのこと台所で焼きながら食べるのはどうかと思ったのだ。


 しかもこれだと、換気扇が焼いている場所の直上にあるので、部屋に匂いがこもることもない。我ながらナイスなアイデアだった。


「つむぎ。本当にありがとうね」


「え、なにが」


 マツウラさんが改まった様子で言うので、あたしは食べようとしていたピーマンを皿の上に戻す。


「うまく言えないけれど、つむぎがいてくれて良かったなって、心から思うの」


 そう言って、マツウラさんは笑う。


「だから、ありがとう」


「……うん」


 あたしは赤くなった顔を見られないように、冷蔵庫と向かい合ってピーマンを食べる。


 いきなりそんなこと言うなんて、反則だ。


 あたしはまだ、マツウラさんに伝えるべき言葉を、探し続けているというのに。


「こちらこそ、ありがと」


「え、なにが?」


 マツウラさんはさっきのあたしのマネをして、冗談めかして言う。


「あたしもマツウラさんがいてくれて、良かったから」


 マツウラさんの言葉は、たぶんあたしが一番聞きたかったもので。


「良かった♪ あ、このお肉焦げちゃいそうよ!」


 でも、その言葉を得てしまったことで何かが変わってしまうのではないかという根拠のない不安にあたしは襲われていて。


「あ、あたし取るよ。マツウラさん、もっと野菜食べなよ」


「食べてるわよー」


 こんな日々が、ずっと続けばいい。あたしは強く願う。

 たとえそれが、あらかじめ失われた願いだとしても。

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