12 夜食って特別おいしく感じませんか?

「うう。つむぎー。どうしましょう。全然点数を取れる気がしないのだけれど」


「できるとこまでやるしかないよ。いま頭に詰め込んだのを、テストが終わるまで覚えときゃいいんだから。ここからが勝負だよ」


「あー、もうやだー」


 マツウラさんは駄々をこねて床を転がる。狭い部屋なので、あらゆるところにぶつかっているが、お構いなしだ。


 なんなの? お嬢様キャラって勉強もきっちりこなすんじゃなかったの?


「はい、グダグダ言ってないで座ってくださーい」


「はーい……」


 葵祭あおいまつりもいつの間にか終わって、明日から中間テスト。

 あたしとマツウラさんは夕飯を食べた後、最後の追い込みにかかっている。


「マツウラさん、中学のときとかもテスト前ってこんな感じだったの?」


 よもやあたしとの同棲で学力が低下したのではと気になり、尋ねてみる。

 宿題とかはちゃんとやってたし、授業中の態度とか見てもそこまで壊滅的な感じはしなかったので、あまり気に留めていなかったのだけど……。


「こんなもんじゃないわよー。ずっと家庭教師との鬼ごっこに明け暮れていたわね。今はつむぎが言ってくれるから、素直に従ってるほう」


「そうですか……」


 つい家庭教師の心労をおもんぱかってしまう。


「ちなみに成績はどんな感じだった?」


「中の上、ってところかしら。まあ、ある程度までは勉強しなくてもいけるのよね」


 なるほど。我々の高校に入れる偏差値を持っていたのだからそうなるか。

 ただ、高校に入っていきなり成績が下がった、なんて話はよく聞く。しかも、あたしたちの内どちらかでも問題のある点数を取ったら、双方の両親から同棲の解消を求められないとも限らないのだ。


 ここは何としてでも、ふたりとも良い感じの点数を取る必要があるのだった。


「それは分かってるけどお!」


 と、いう話をこれが何度目だったかしてみたところで、マツウラさんの様子は変わらない。まあもちろん、勉強が面倒なのはあたしも分かるけどね。


「ちなみにマツウラさん、数学の問題集、何周した?」


「えぇ……。まだ一周しかしてないわよ。というか、一周でじゅうぶんじゃないの?」


「だめだよ! 大体同じような問題が出るに決まってるんだから、あと一周はして!」


「ひええ。つむぎ、怖いわ!」




 そんなこんなで全力疾走していたら、時刻は21時を回っていた。


「ああ、もう無理……」


「ちょっと休憩しようか」


「えっ!? まだやるつもりなの!?」


「だっていつも寝るの12時過ぎじゃん。あと3時間できる計算だよ」


「もう無理。脳が動かない……」


 机にスライムのように突っ伏しながら、マツウラさんは言う。まあ、いちど気分転換が必要だろう。かく言うあたしも、相当に疲れている。


「なんか夜食たべよっか」


「夜食!?」


 マツウラさんは一瞬で顔を上げ、目を輝かせる。分かりやすいな。かわいい。


 とは言うものの、何を食べるかは決まっていない。どうしようかな。


 あたしは立ち上がり、台所にある戸棚の中を確認する。丼物や味噌汁のレトルトと、袋麺がひとつだけ。最近、安売りが少なかったから補充できていないんだった。


「ラーメン、半分こでもいい?」


「もちろん!」


「了解」


 鍋に水を入れて、火にかける。その間に冷蔵庫の中身を確認。このまえ炒め物に使った白ネギ(少し値が張ったが、あたしの大好物なのだ)の残りがあったので、取り出して大きめに切っておく。


 鍋が沸騰すると、ラーメンとネギをぶち込む。隠し味で、ごま油も少しだけ加える。


「あー! 良い匂いね!」


「うん。背徳感がすごい」


 あともう少し煮る間に器を出しておこうと食器棚をカチャカチャしていると、マツウラさんが「あ、」と何かを思い付いたように声を上げた。


「ん? どうかした?」


「つむぎ、もしかしてラーメンって、鍋から直接食べたら洗う食器が減るんじゃないかしら?」


「あ、そこ気付いちゃった?」


 あたしはもうかなり前から気が付いていたけれど、あえて気付かないふりをしていたのだ。なんていうか、ズボラをしてはいけないギリギリのライン、みたいな感じがして。


「マツウラさんとしては、それはアリなの?」


「ええ。その方がお手軽だと思うわ!」


 うーむ。マツウラさんがそう言うなら、まあ良いか。一度やってみよう。


「マツウラさん、机になんか敷いてくれる?」


「分かったわ!」


 そう言うよマツウラさんは勉強道具を現状維持のままベッドの上に置き、なんか郵便受けに入っていた粗大ごみ回収か何かのチラシを鍋敷き代わりに敷いてくれる。


 あたしは慎重に鍋をその上に置き、あることに気が付く。


「あれ? でもふたりで食べるんなら、やっぱり取り皿がいるんじゃない?」


 このままだと、顔を突き合わせて同じ鍋から麺を啜ることになってしまう。


「きっと大丈夫よ! 一度やってみましょう!」


 何が大丈夫なのかはよく分からなかったが、勉強のし過ぎであまり脳が働いていない。とりあえずあたしは箸をマツウラさんに渡して、自分も箸を手に彼女の隣に座った。


「ありがとうつむぎ。いただきます」


「いえいえ。じゃあ、いただきます」


 そっと顔を鍋の方へ近づけてゆく。すると、


 ぴとっ。


 と、頬と頬がくっつく。そりゃあひとつの鍋をふたりで覗き込んでいるのだから、そうもなるだろう。


「つむぎの頬っぺた、冷たくて気持ちが良いわ」


「マツウラさんの頬っぺた、あったかくて気持ち良いね」


 恥ずかしさとか照れよりも、状況の馬鹿っぽさの方が優先して笑えてしまう。


「どうする?」


「どうしよっか」


 別に、離れてひとりずつ麺を啜れば良いのだけれど、なんとなくそうはならない。触れ合った腕と腕が、頬と頬が、肩と肩が、ぴったりと重なって、逃れがたい心地よさを感じてしまう。少なくとも、あたしは。


「このままじゃ、つむぎが上手く食べられないわね」


 あたしがマツウラさんの左側にいるので、右利きであるあたしはなかなか箸を動かすことが出来ないのだった。


 マツウラさんは体勢を変えないまま右手に持った箸で麺をつかむと、それをそっとあたしの口元に持ってくる。


「はい、あーん」


 一瞬、何が起きているのか分からなかった。


 麺はあたしの唇に優しく触れ、あたしは口を開ける。そしてそのまま麺を口に含むと、マツウラさんは箸を優しくあたしから遠ざける。あたしはマツウラさんに飛沫が掛からないように、そっと麺を啜る。


 続いてマツウラさんは自らの口に麺をあてがい、それをゆっくりと啜った。

 彼女の唇はすぐそばにあって、近すぎてよくは見えないけれど艶やかに輝いていて。


「マツウラ、さん?」


 あたしは少しだけ顔を右に向けて、唇と唇の近さに驚いて。

 ゴクリと麺を嚥下する。


「つむぎ、良いよ」


「え……?」


 でも、そんな。マツウラさんも、あたしのこと、そんなふうに――。


「遠慮せずに、食べて、良いよ?」


 食べて、良いの――?


「ネギ」


「あ、ネギね!」


 あたしはマツウラさんから身体を引き剥がし、しゃんと背筋を伸ばす。

 ヤバいヤバい。危うく勘違いで大変なことをしてしまうところだった。


「ネギ、好物なんでしょ? 全部食べてくれて大丈夫だからね!」


「いやいや、マツウラさんも遠慮せずに半分こしようよ。身体があったまって良いよ?」


「そう? じゃあひとつ余ったらつむぎにあげるわね」


「うん。ありがとう」


 そしてあたしたちは、交互に麺を啜る。お言葉に甘えて最後に残ったネギはあたしがいただく。


「ふーっ。おいしかったわ!」


「うん。ちょうど良い量だったね」


 さっきのドキドキが収まらなくて、食べた量以上の満腹感を得ているのは秘密だった。


 それにしても。


 ちゅーしそうになったのはあたしの勘違いとしても、マツウラさんがあたしにラーメンをあーんしてくれたのは事実で。それを思い出すと、いまさら胸が締め付けられたみたいになる。


 マツウラさんはあのとき、どんな気持ちだったのだろうか。

 ただただ右手を封じられたあたしのためを思っての行動だったのだろうか? それとも、あたしと同じように、身体の表面を共有する心地よさが、彼女にそうさせたのだろうか?


 そんなこと、訊けるはずがない。


「さ、もうひと頑張りしよっか」


 あたしは、もやもやを断ち切るべく立ち上がる。


「やっぱりそうなるのね?」


「食べてすぐに寝たら牛になるよ」


 台所でさっと鍋を洗って(確かに洗い物が楽だ)、マツウラさんが机の上にセットし直してくれたノート類に目を落とす。


 とりあえずは、テストを乗り切らなければならない。同棲してない人たち(同棲してない人たち?)よりも頑張って、それなりに良い点を、ふたりで。


 そうしなければ、いずれにせよこの生活は維持できなくなるのだから。

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