11 旅から帰るのって切なくないですか?
「話って、何?」
勝手口の前で、あたしとお母さんは向かい合う。
「いや、話って言ってもそんな大層なもんじゃないよ。つーちゃんは今の生活、納得してるのかなと思ってさ」
納得、か。やっぱりお母さんには敵わないなと思う。どう答えたところで、その質問はあたしの考えや現状を、否応なしに暴いてしまうだろう。
「あたしは、楽しいし、納得してる。でも、今の生活を続けることがマツウラさんに対して誠実であることになるのかどうかは、正直わかんないかな。だからもしかすると、納得してないのかも……しれない」
あたしは、お母さんに言われるかもしれないと危惧していたことを自分から話してしまっていることに気が付いた。でも逆に言えばそれは、あたしの心に一番ひっかかっていたことなのだ。
お母さんは組んでいた腕を少し崩して、笑う。
「そっか。頑張りなよ」
「え、そんだけ?」
あまりにあっさりとした対応に、あたしはずっこけそうになる。
「うん。それだけ。別にあたしは、つーちゃんが嫌じゃなければとりあえず良いからさ。まあ、松浦さんは話してる限りしっかりした人だから、大丈夫かとは思ってるけどね」
そしてお母さんは言う。
「つーちゃんがマツウラさんに対して誠実かどうかは、松浦さんと付き合っていく中でつーちゃんが考えていくしかないことだし」
「……うん。ありがと」
それは非常に簡潔な意見だった。なんだか心がスッと軽くなったような気がして、お母さんにはすべてがお見通しなのだということがいつものように実感されて、無性にため息をつきたくなる。
「なにしんみりしてんの! そういえば台所に用事あったの? ジュースかなんか取りに来た?」
「ううん。洗い物しようと思って」
「あらそう? じゃあお願いしようかな。それとこれ、電車賃。マツウラさんにも渡しといて」
「あ、ごめん。ありがとう」
お母さんはあたしに2万円を渡して、よろしく! と言うと居間に戻りかける。
「うん」
あたしはシンクまで行くと、傍らにあった居酒屋の店員みたいな前掛けを手に取り、腰に巻いた。
「あ、そうだ」
お母さんは振り返り、なんてことないように言う。
「なんかあったら、相談しなさいね」
「はーい」
そしてあたしも、なんてことないようにそう返すのだった。
「お姉ちゃん! 松浦さん、またね!」
「ういーっす」
「朝樹ちゃん!! また会いましょう! 体に気を付けてね!」
「松浦さーん!」
「朝樹ちゃーん!」
駅前まであたしたちを送りに来た朝樹は、マツウラさんと両手を握り合っている。
来た時はあんなに敵意むき出しだったのに……という皮肉は、もう言わないでおく。
「松浦さん、つーちゃんをよろしくね」
お父さんがマツウラさんにウインクする。
「分かりました! 娘さんのことはわたしにお任せください!」
本当に任せてええんか? と絡みそうになるが、それも言わないでおく。
それにしてもお父さんもお母さんも、初対面のマツウラさんを信頼しすぎじゃあないだろうか。いや、かくいうあたしも、ほぼ初対面のマツウラさんを同居させるくらいには軽率に彼女のことを信頼しているわけだけれど。
手を振る朝樹に手を振り返しながら、あたしたちは改札を通る。
もう少しゆっくりしていたかったという気持ちと、京都での生活に戻ることにウキウキする気持ちが混ざり合う。だがいずれにしても、今あたしはここから電車に乗るしかないのだった。
「うーん。なんだか寂しいわね」
電車に揺られながら、マツウラさんは呟く。
「マツウラさんが馴染んでくれて良かったよ。特に朝樹と」
「えへへ。なんだか妹が出来たみたいで楽しかったわ」
「妹ね……」
義妹、小姑、という言葉が頭の中で点滅し、頬が熱くなるのを感じる。何を考えてるんだあたしは。
「ん?」
珍しく携帯が振動したので、取り出す。見ると、朝樹からのメッセージだった。
『お姉ちゃん、気を付けて帰ってね! 松浦さんによろしく!』という文章と共に、城跡で撮った写真が添付されていた。
「マツウラさん、見て」
「まあ! 朝樹ちゃんが送ってくれたのね! お礼を言っといてくれる?」
「うん。マツウラさんにも送っとくよ」
「ありがとう!」
あたしはマツウラさんに画像を転送し、朝樹へのメッセージを打つ。
隣に座るマツウラさんは、スマホを見つめたまま固まっている。
「うん? 画像届かない?」
「づむぎぃ!」
「え、え? どうしたのマツウラさん」
マツウラさんはスマホを両手で抱えながら、グッとあたしに迫ってくる。どうやら画像を見ながら泣いてしまったようだった。あたしはその感情の意味が分からず、とにかく戸惑う。
「なんか、家族って感じで、みんな仲良しで、楽しくて、そんなの初めてで、わたし、寂しくて……」
マツウラさんはどうにか自分の感情を伝えようとしていたけれど、ままならない感じだった。けれど、あたしは彼女の言わんとしていることがなんとなく理解できた、気がした。
そしてあたしは、彼女の孤独の深さに初めて触れた気がして、すごく動揺していた。
どうしてあたしは、今まで気づかなかったのだろうか。
頭では分かっていた。分かったつもりでいた。家出までして彼女が逃れようとした、その絶望を。
でも、こうして泣き顔の彼女を目にして初めて。寂しいと言った彼女の言葉を耳にして初めて、あたしはいつも元気な彼女を苛むその孤独に気圧されたのだった。
「マツウラさん……」
あたしはすぐそばにあった彼女の手をそっと握った。その手は強くあたしの手を握り返した。
あたしの孤独と彼女の孤独は全然別のもので、でもこうして触れ合っている間は、それらが手から手へと流れ合って、ひとつの孤独になるような気がした。
「ありがとう、つむぎ」
マツウラさんは空いている方の手で涙を拭いながら言う。
あたしは言葉ではなく、頷きだけをひとつ返した。あたしたちはどこからが相手の手なのか分からなくなるくらいに、電車に揺られている間、ずっと手を握っていた。
「あー!! ただいまー!!」
「あー!! 疲れたー!」
ふたりで部屋に入って倒れ込む。2、3日のあいだ生活する人のいなかった空間は、少しばかり空気が濁っている気がする。
「あー、マツウラさん、手洗いうがいした方が良いよ」
「つむぎ、先にしてくれて良いわよ」
「マツウラさんこそー」
ふたりで譲り合いながらごろごろする。普通電車の旅は、行きよりも明らかに体にこたえていた。もう何もやる気が起きない。
「うう。じゃあ先に洗面所使うね」
とりあえず、最後の力を振り絞って立ち上がる。
あたしが率先して手洗いうがいをしないと、マツウラさんは倒れたままだろう。マツウラさんに風邪をひかせるわけにはいかないもんな。
「マツウラさーん、次どうぞー」
うがいを終えて、床に寝そべっているマツウラさんのところまで行くと、彼女の両腕を掴んで起き上がらせた。
「うう」
マツウラさんは諦めたのか、素直に立ち上がって洗面所に向かう。少しへたっぴなうがいの音を聞きながら、あたしはベッドに仰向けになって天井を見つめる。
「うがい、完了したわ」
あたしは顔だけ動かして、居間に戻ってきたマツウラさんと目を合わせた。
「お疲れさま、マツウラさん。それに、ありがとうね。一緒に帰省してくれて」
「何を言ってるのよ、つむぎ。こちらこそ、連れて行ってくれてありがとう。電車賃までもらっちゃったし」
マツウラさんはベッドに横たわるあたしの隣に腰を下ろすと、そのまま身体を横たえた。ちょうど、あたしの上に十字の形になるように身体が覆いかぶさる。
あたしはマツウラさんの左腕を両手で掴むと、スライドさせるように撫でまわした。
「夕ご飯どうしよう」
「うーん。それは難問ね。お腹は空いているけれど、何もする気がしないわね」
「同感」
うーん、どうしよう。
「マツウラさん、ご飯の冷凍したやつってまだあったっけ?」
「えー、どうだったかしら」
「マツウラさんの方が上の階層にいるんだから、見てきてよー」
「もう、つむぎったら、仕方ないわねー」
マツウラさんはよっこいしょと腹筋だけで起き上がると、冷蔵庫のところまで行って、下の段をガラガラと引き出す。
「ちょうど2人前あるわ」
ご飯は通常、一気に3合分炊いて、残った分を電子レンジで加熱できる容器に入れて冷凍している。今回は運よくそれが残っていたのだ。
「おっけー。あと、この前お母さんが送ってくれたフリーズドライの味噌汁って残ってた?」
マツウラさんはシンクの上にある戸棚を開けて、即席食品の入ったカゴを確認してくれる。
「ええ。まだまだ残っているわ」
「よっしゃ。じゃあ、今日の夕ご飯はそれで」
「え、でもお味噌汁とご飯だけじゃおかずがないじゃない」
マツウラさんは心底疑問だという風に言う。ふっふっふ。お嬢様が想像だにしないセンスオブワンダー、見せてやるぜ。
「まだまだ甘いね、マツウラさん」
あたしは立ち上がると台所へ向かい、電気ケトルに水を入れる。
「もう夕飯でも良い?」
「ええ。お腹がペコペコだわ」
「おっけ」
あたしは電気ケトルのスイッチを入れると、冷凍庫からご飯の入った容器を取り出して蓋を開け、それぞれに軽く水道水を振った。なんとなくこうした方が、加熱した後のご飯がふっくらする気がするのだ。
そしてあたしは容器を電子レンジの中に並べ、全解凍コースを選択してスイッチを押す。待っている間、戸棚からフリーズドライの味噌汁をふたつ取り出して、お茶碗と一緒にちゃぶ台に並べておく。
「い、一体なにが始まるっていうの?」
「
しばらくして電子レンジが音を立てると、取り出したご飯をそれぞれのお茶碗に入れる。まだちょっと冷たい気もするが、問題ない。
そして、あたしはフリーズドライの味噌汁の封を破ると、それぞれのご飯のてっぺんに載せてゆく。
「そ、そんな! それじゃあお味噌汁が飲めないじゃない!」
「お味噌汁は食べることもできるんだよ、マツウラさん」
あたしは電気ケトルの取っ手を持つと、お湯をお茶碗に注いでゆく。あまりタプタプにしないのがポイントだ。
「な、なんてことなの!? 溶け出したお味噌汁がご飯と調和していく!?」
「さあ、出来上がりだよ。これがお手軽ごはんのひとつの到達点、
「
「とりあえず、冷めちゃうと美味しさが半減するから」
「分かったわ!」
マツウラさんはあたしの隣に並んで、手を合わせる。
「「いただきます!」」
箸を手に取り、溶け切っていない味噌汁を混ぜ合わせる。出汁の香りが鼻孔をくすぐり、食欲をそそる。
そして、熱さに注意しながらそっとご飯を口に運ぶ!
「「おいひい!」」
ついつい、口にご飯が入ったままで声に出してしまう。
「つむぎ、これ最高ね!」
「あまりお行儀はよくないかもだけど、おいしいよね」
味噌汁で徐々にご飯が膨らむので、満腹感も相当に得られる。味噌汁とご飯を混ぜるというちょっとした背徳感も相まって、最高の気分だ。
「ふー、一気に食べちゃったわ。満腹まんぷく」
「やっちゃったね」
ふたりで食卓の横に寝転がって、顔を見合わせる。お互いに顔が火照っているのが分かって、自然と笑いが込み上げてくる。
「はあ……。ゴールデンウィークももう終わりだね」
笑いが一段落したところで、ついそんな野暮なことを言ってしまう。
「ほんとね。あっという間だったわ!」
「もうすぐテストだもんね。嫌だなー」
野暮ついでに、最近の懸念事項について話題にしてみる。マツウラさんからも同意の言葉が返ってくると思いきや、何も反応がなくて。隣を見遣ると、彼女は笑顔のまま固まっていた。
「え、つむぎ、今なんて?」
「いや、もうすぐテストだもんねって……」
「あ、ああ……」
マツウラさんは固まった笑顔のまま、絶望の声を漏らす。
こーれはもしかするとけっこうヤバいかもしれない。
なかなかに大変な日々が始まる予感とともに、あたしのこめかみを一筋の汗が流れた。
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