8 青春切符じゃなくても青春ですか?
「うへえ。京都駅ってどうしていつも人だらけなんだろうね」
バスを降りると、烏丸口はまだ早朝なのに人で溢れかえっていた。
「いいじゃない! お祭りみたいで楽しいわ!」
マツウラさんは京都タワーを背景にして笑う。
キャリーケースを優雅に引く姿は、完全にバカンスに出かけるお嬢様だ。
なんかマツウラさんって、キャリーケースが似合うよな。最初の印象が強すぎるだけかもしれないけれど。
「じゃ、行きますか」
「おー!」
テンション高いな。かわいい……。
ゴールデンウィークの後半戦。
あたしとマツウラさんは、あたしの地元こと岡山県へ向かう電車(在来線)に乗ろうとしていた。
4月中旬、母からGWは顔を見せに帰って来いというメールがあり、下宿を始めてひと月で帰省するのもなかなか面倒に思えたけれど、まあ最初くらいはサービスしとくかと決意したところまでは良かったとして、メールには次の文言も添えられていた。
『よければ松浦さんも一緒に来てもらったら? みんな会いたがっているし』
いや、別に留守番しといてもらえばよくない? 一緒に帰省するのおかしくない?
まあ、母からしてみれば娘が同棲してる人間がヤバい奴じゃないかどうかを確認したいという思惑もないではないのだろうけれど。
それに、かく言うあたしも、マツウラさんをひとりにするのは心配だし(生活力的な意味で)、なにより、何日か会えなくなるのは寂しい……。
とまあそんな感じで、マツウラさんが回鍋肉を作ってくれたあの日、あたしはとりあえずマツウラさんの意見を聞いてみることにしたのだった。
◇ ◇ ◇
「行くわ!」
即答かよ。
「え、でも、行ったことのない家に泊まるのって気い遣わない? いや、あたしは全然構わないっていうか、むしろ来てほしいくらいだけども(小声)」
「もちろん気遣いは欠かさないけれど、せっかくのご招待に応じない理由はないわ」
「おお、なんか今、ナチュラルなお嬢様っぽさを感じた。良い意味で」
◇ ◇ ◇
というわけで、弾丸帰省ツアーwithマツウラさんの開催が決定したのだった。
まあ、往復の電車代(だいたい1万円くらいだ)は、とりあえず手元から出しておいて、あとは野となれ山となれという感じだ。
向こうで掛かるお金はほとんどないだろうし(もちろん実家でまで食費を取り立てたりはしない)、ペイできない金額ではないだろう(本当か?)。
「とりあえず姫路に出るのよね?」
コンコースを歩きながら、マツウラさんが言う。
「うん。京都から姫路までが、けっこう長いんだよね」
在来線のホームも人でいっぱいだ。絶対に座れないな、これ。
姫路行きの新快速がちょうどホームにやって来ていたので、乗り込む。隅っこに良い感じのスペースが空いていて、座れないまでも快適な旅が出来そうだ。
「マツウラさんって新幹線に乗るとき、やっぱいつもグリーン車だったの?」
「グリーン? 普通の白い色の車両だったわよ?」
「いや、車両の色じゃなくて、そういう席の種類っていうか、そういうのがあるらしいんだけど……。あたしもよくは知らないけど」
もしかして本当の金持ちは、グリーン車がどうとかの概念すらないのだろうか……。
「グリーン車かどうかは分からなかったけど、いつもは生バンドがジャズを演奏してくれる車両だったわ」
「絶対にグリーン車ですらないよね、それ」
秘密裏にそんな車両が用意されているのか?
「でも私は、つむぎと乗るこの電車が好きよ?」
うっ。マツウラさん、たまに素でこういうこと言ってくるんだよな。不意打ちで人をときめかせるのやめてほしい(やめないでほしい)。
「じゃ〇りこ食べよっか」
あたしは赤面した顔を隠すようにリュックからじゃ〇りこを取り出す。
お菓子は出費的にも、カロリー的にもなるべく食べないようにしているが、電車の旅と言えばじゃ〇りこなのだ。これだけは譲れないのだ。
「わあ! キリンさんの絵が描いてあるのね! なにかしらこれ!」
「最高のお菓子だよ」
いろんな味が出ているから迷ったが、やはり初心は大切ということで基本のサラダ味だ。
「じゃあ遠慮なくいただくわね」
「うん。いただきます」
1本取り出し、口に入れる。やっぱおいしい。
「すごい! こんなにおいしいものってあるかしら!」
「でしょ?」
ふっふっふ。流れゆく車窓とじゃ〇りこ。これぞ旅の醍醐味というものだ。
あたしたちは黙々とじゃ〇りこを口に入れ続ける。そして、
「あー、美味しかったわ。ありがとう、つむぎ」
「どういたしまして」
じゃがりこの唯一の欠点は食べたらなくなってしまうということなのだった。
うう。もっと食べたいよお。
「つむぎ♪」
マツウラさんは不意にあたしの手を取ると、指先をハンカチで包み込む。
お菓子を食べた手を拭いてくれたのだと理解するまでに、少しだけ時間を要する。
「あ、ありがとう……」
なんていうんだろう。なんかすっごく、ドキドキする。
あれ、あたしってこんなにマツウラさんに感情を支配されてたっけ? いや、されてたんだろうけども、なんか今日は特に、ふわふわとした気分になる。
旅という非日常が、あたしとマツウラさんに魔法をかけてるみたいだ。
「マツウラさん、旅行っていいね」
「ほんとうね!」
そう言って彼女は笑う。
いつもなら、この噛み合っていそうで噛み合っていない会話にやきもきしていたのだろうけども、今日はなんだか、それも悪くないような気がした。
姫路から播州赤穂行きに乗って相生へ。そして相生から岡山駅へ。
なんだか乗り換えのこととか考えてたら意外と
「ふぅ。やっと岡山に着いたわね!」
ホームに降りたマツウラさんはあたかも目的地に着いたかのように言う。
「甘い! 旅はまだまだこれからなんだよね」
「え……?」
マツウラさんの表情が固まる。
あ、けっこう疲れてる感じ? なんかまだローカル線で2時間くらいかかるとか言いづらくなっちゃったな……。
「と、とりあえずうどんでも食べよっか」
「おうどん! 最高ね!」
良かった。マツウラさんの機嫌が元に戻った……。
ホームを抜け、駅構内にある蕎麦とうどんのお店で昼食にする。
少し早い時間帯だからか、幸い席は空いている。食券を買って渡すと、間もなく食事を出してくれた。
「おいしいわね!」
「うん。旅の途中に食べるうどんは最高」
「そして椅子があるのも最高!」
「着席万歳!」
「「いえーい!」」
なんかもう変なテンションになってきていた。
そして食べ終えると、急に睡魔が襲ってくる。
あー、動くのめんどくせー。ここで昼寝してえ……。
「つむぎー、寝てるわよ!」
「あっ、ごめん。じゃ、とりあえず出よっか」
うどん屋をあとにして、ホームへ。発車時間は少し先だが、電車はもう来ている。今度はどうやら座れそうだ。
「これからどのくらいかかるの?」
「2時間くらいかな。ちょっと寝ても良いかもね」
「そうね。せっかくだから景色も見たいけれど」
マツウラさんはそう言いつつ、あくびする。かなり眠そうだ。
「ここにしよっか。マツウラさん窓際座りなよ」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
空いていたボックスシートにふたり並んで腰かける。
しばらくすると、正面の席におばあさんが座ってうとうとし始めた。騒がしい人じゃなくて良かった。
あたしはスマホを取り出し、お父さんに到着時間の目安をメールしておく。
そうこうしているうちに列車は動き出し、車窓に見慣れた風景を映し始めた。
「のどかねー」
「まあね」
なんだか、久しぶりに帰ってきたという気がしない。
実際1ヵ月しか経っていないのは確かだけれど、それでもそんなに長く家を空けたことはなかったはずなのに、ちょっとした旅行から帰ってきたくらいの気分だ。
やっぱり、故郷ってのはすごいのかもしれない。何がすごいって上手く言葉にできないけれど、なんとなくそんなことを思う。
「ねえ、マツウラさん」
そんなもやもやした話を聞いてもらおうと声を掛けるけれど、マツウラさんは既に眠っていた。
いつも見ている寝顔だけど、窓から差し込む日差しに照らされる彼女は、特別に美しくて。
車窓を眺めるふりをしながら、あたしはずっとマツウラさんを見つめていたのだった。
「ふぁーあ! よく寝てしまったわ!」
「ぐっすりだったね」
ホームに降り立ち、マツウラさんは伸びをする。あたしは眠りこそしなかったが、ガチでマツウラさんを見ているだけで駅に到着してしまい、ワープしたみたいな感覚だった。
「空気がおいしいわね!」
マツウラさんはすーはーと大きく深呼吸する。
昼下がりの空は青く高く、たしかに気持ちの良い天気だ。
駅を出ると、小さなロータリーには我が家の車が止まっていた。
「あ、もう来てる。あれに乗って行くよ」
「わかったわ!」
車に近づくとトランクがかちゃりと小さく開いて、お父さんが運転席から現れた。
「つーちゃんお帰り! そして松浦さん、ようこそ」
お父さんは被っていた帽子を取りながら
「この度はお招きいただきましてありがとうございます。松浦
マツウラさんもキャリーケースを横に置いて、優雅に一礼する。誰だ。
「
そして、にっこり。
なんか駅前が急にパーティー会場になったかのような錯覚に陥る。
こういうとき、やっぱりマツウラさんとあたしは、住む世界が違うのかもしれないなと思って、急に寂しくなる。
「いやー、素敵なお姉さんだね。こちらこそよろしく。じゃ、とりあえずキャリーケース積んじゃって、行こうか」
「はい!」
ふたりでキャリーケースを積み込み、後部座席に並んで座る。
なんだか、小さい頃もよくこうして友達と並んで座って、お父さんに送ってもらってたことを思い出す。
彼女たちは、いまどこでどうしてるんだっけ。
なんだか、あたしが地元とのつながりを断ち切って別の場所に行ったということが、急に実感される。
もちろん、中学とかで仲の良かった子たちとはたまに連絡を取り合ってるけど、マツウラさんのことは言ってなくて、特に言おうとも思わなくて。
平然とそう思える自分は、やはり彼女たちと違う世界に自分が来たことを、いつの間にか受け入れてしまっているのかもしれなかった。
「松浦ちゃん、つーちゃんはどう? 京都でも元気でやってる?」
「ええ、もちろん。元気印の寺坂紡とその名を轟かせていますわ」
「嘘教えないで」
このふたりの組み合わせ、なんか怖いな。そう思いつつ、あたしは苦笑するのだった。
しばらくもしない内に、車は我が家にたどり着いた。
特に特徴のない、こぢんまりとした日本家屋。
家の前の駐車場とも言えない砂地のスペースに車は停まる。
なんかさっきからチラチラ、玄関前で腕を組んで仁王立ちする妹の姿が見えて、悪い予感しかしないのだけど……。
とりあえず荷物を下ろして、3人で妹の元へと向かう。
「えーと、ただいま、
姉の挨拶を無視して、あたしの妹こと朝樹は、ビシッと人差し指をマツウラさんへ向けた。
「松浦周! あなたをこの家に入れるわけにはいかないわ!」
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