7 体育の授業で思いがけず熱くなってしまうことありませんか?
「おはよ、百合中さん」
「うん、おはよう寺坂さん」
今日も今日とて、隣の百合中さんに声を掛けて鞄を机に置く。
横目でそっと彼女の様子を窺うが、昨日の一件から何かが変わったということはなさそうだった。
そう、昨日の放課後、百合中さんが突如放ったボディブロー。
『寺坂さんと松浦さんって、一緒に住んでるの』
あの一撃は、本当に冗談だったのだろうか?
◇ ◇ ◇
「え、え、どゆこと?」
あたしは取り乱しているのを悟られないようにと思いながら、しかしどう考えても取り乱しつつ応じる。
「いや、ちょっと思っただけ。昼休みに一瞬マツウラさんに話しかけたら、あの子も土日にカ〇ート行ったって言ってたからさ」
「カナ、カ〇ートくらい誰でも行くでしょ。だからって一緒に住んでることにはならなくない?」
「あはは。なに本気にしてるの。冗談よ、冗談」
「そ、そっか」
◇ ◇ ◇
こんな会話があって、その後はいつもどおり、何事もなかったみたいにそれぞれに帰って。
でもやっぱり引っ掛かる。同級生と同級生が隠れて一緒に住んでるじゃないかなんて発想、いくら休日に同じところに行ってたからって出てくるか? いや、出てこないよな……。
だからってこれ以上詮索しても逆に怪しまれるだけだろうし……。そっとしとくしかないのだろうか……。
「寺坂さん、どうしたの? 横目であたしを見続けて」
「いや、良い横顔だなと思って」
「それはありがとう。ところで、今日の体育って体育館だったっけ?」
「うん。今日は卓球だったと思う」
「良かったー。シューズ持ってくるか迷ったんだよね」
とまあ、なんの変哲もない、いつも通りの会話だ。うん。やっぱ気のせいだったのだろう。そう思うことにしよう。
「寺坂さん、いっちょやりましょうよ」
百合中さんがラケットを素振りしながら近づいてくる。
午後の体育館。
卓球の授業とはいうものの、適当にペアを組んで対戦しろという放任主義もいいところの指導方針であり、置かれた卓球台の周りに座って適当におしゃべりに興じている生徒が大半、卓球をしている生徒も大半がインスタ映えしそうなサーブの仕方を研究しているといった惨状だった。
「おっけ。なんか賭ける?」
「じゃあそこの自販機のジュースで」
「受けて立とう」
ちなみに自販機のジュースは刑法185条のただし書きにおける「一時の娯楽に供する物」であるという解釈なので問題ない。
「寺坂さん先行でいいよ。1セットマッチ、11点先取で」
百合中さんに放り投げられたピンポン玉を受け取り、向かい合う。
「じゃ、行くね」
あたしは軽く玉を宙に浮かし、まあとりあえず相手のコートに入ればいいやくらいの感覚でラケットを振る。
あたしの希望通り玉は一度バウンドし、百合中さんのラケットに。そして、バシュ、という音とともにあたしのコートを叩いたかと思うと、次の瞬間には背後に飛び去っていた。
「先制だね」
そう言って、百合中さんは眼鏡の奥でウインク。
本気と書いてマジ、というわけか。分かった。ならばあたしも本気を出すまでだ。
手元に全神経を集中させる。そして、サービス!
バン、という音と共に玉は相手のコートを打ち、百合中さんの後ろに消えた。
「やるじゃん」
見物の子から放り投げられたピンポン玉を受け取りながら、百合中さんは言う。
「でも、負けないよ」
それから、あたしと百合中さんの決死のラリーが始まった。
百合中さんは部活に入ってなかったはずだし、確か中学のときは文化系の部活だったと言っていた。あたしも同じ。運動をしてこなかったわりには、中途半端に運動神経が良い。
おそらく今、同じレベルの者同士が良い感じに拮抗している状態なのだろう。
ラリーが続き、なかなかに軽快な音を響かせているあたしたちの周りには、同級生たちが集まり始めていた。
どちらかが点を取られれば取られた方を応援し、逆転すれば反対を応援する。大体がそんなどっちつかずの状況の中、ずっとあたしを応援する、聞きなれた声の人がひとり。
10点目を入れられ、あたしは9点。あと1点取られれば負けだ。
相手の力強いサーブに何とか対抗し、ギリギリのところでスマッシュをねじ込む。デュース。ここからは2点差を付けた方が勝ちだ。
「つむg……寺坂さーん、頑張れー!」
マツウラさんは口に両手を当てて、あたしを応援してくれている。嬉しすぎる。
彼女の声援を脳に焼き付け、サーブ!
良い線行ったと思ったが、百合中さんはレシーブを返してくる。しかし、少し軌道に迷いがある!
ラケットの中心に強く打ち付け、スマッシュ! あと一点!
そして、全身全霊の力を込めて、サービス!
おおー! という歓声とともに、あたしたちの戦いは終わった。
あたしはさりげなくマツウラさんに視線を遣る。そうすると彼女は、とびきりの笑顔で拍手をくれたのだった。
授業が終わり、更衣室に戻るまでの間に、百合中さんは約束通りジュースを奢ってくれた。
体育館の外側にあるスロープの淵に腰掛けて、ふたり並んで紙コップに口を付ける。
「楽しかったね、寺坂さん」
「だね」
百合中さんは真っ直ぐに遠くを眺めながら、リ〇ルゴールドを口に含む。液体を飲みこむゴクリ、という音が聞こえてきそうなほど、その姿はどこか艶めかしい。
「寺坂さんはさ、どんな人なの?」
「そりゃまた突然だね」
そして、難問だ。
百合中さんは、どうしてそんなことを訊くのだろう。
話題が他になかったから?
それとも、訊き方がマズいだけで、もっとフランクに好みのブランドとかについて訊きたい?
それとも、もっと別の意図がある?
「まああたしは、小さい人間かな」
「え、ハ〇ヒなの?」
「いや、そういうことじゃなくて、なんか、器がちっさいんだよね。もっとバーッと思ってることを言って、それで駄目ならパーッと諦めればいいのに、現状に甘えてる」
あたしはマツウラさんのことを頭に思い浮かべながらそう言った。別に言わなくていいことを言ってしまった、と後悔する。
マツウラさんがあたしの家にいるのは、女の子同士だからという前提のもとにある。だからあたしは、マツウラさんのその信頼に応えなければならないと強く思っている。
でもそんなの、言い訳なんじゃないだろうか。本当に誠実であろうとするならば、あたしは彼女に、思いを伝えなければならないんじゃないだろうか。
普段からそんな考えを堂々巡りさせてるから、あたしがどんな人間なのかと問われて、ついそんなことを言ってしまったのだろう。
「ふうん。あたしはバーッと思ってることを言う寺坂さん、見てみたいな。あたしまでスッキリしそう」
「そうかな」
「そうだよ」
百合中さんは飲み終えた紙コップを唇で咥えると、器用に上下に動かす。
あたしも同じようにやってみて、まわりから見れば2羽のペリカンが並んでるみたいだろうかと、ふと思った。
「マ、マツウラさん大丈夫? あたしやろうか?」
「大丈夫よこのくらい!」
夕方。今日はマツウラさんが
「おっけー。人参の短冊切り、完成ね!」
「さすがマツウラさん!」
あたしはシャーペンをほっぽり出して拍手する。
「あとはキャベツを切って、と。それにしてもこのキャベツとかいう野菜、無限にめくることが出来るんじゃないかしら? なんだか恐ろしくなってきたわ」
「確かに、4次元に通じてるんじゃないかと思うときあるよね。減らなさすぎて」
マツウラさんの手元にあるキャベツのカタマリは、焼きそば2回と回鍋肉の具材としてめくられてなお、まだもう少し残っている。
「でもほんとにあとちょっとだね。食べちゃおっか」
「それはいいけれど、これ以上キャベツを使うと、お肉と野菜のバランスが悪くなってしまうかもしれないわ」
「うん。回鍋肉に使うのはそのくらいでいいと思う。あたしが温野菜サラダ(物は言いよう)を作るよ」
「温野菜サラダ(物は言いよう)!?」
あたしはマツウラさんの隣に行き、残ったキャベツから芯の部分を切り分け、それ以外を適当な大きさに切る。そしてそれを深めの器に入れ、ラップをかけた。
「こっちはおっけ。続きをお願いします」
「了解!」
マツウラさんは豚肉をフライパンで炒め、そこに人参とキャベツを投入し、塩コショウを振る。そこに
そろそろ良い頃合いだろう。あたしは先ほど器に入れたキャベツを電子レンジに入れ、2分に設定して加熱する。
「できたわよ!」
マツウラさんが言うのと電子レンジがチンと鳴るのは、ほぼ同時だった。
「ありがと。食べよっか」
あたしはレンジから器を取り出し、冷蔵庫から取り出したマヨネーズとともに食卓に置く。
マツウラさんもおかずとご飯を持ってきてくれて、本日の夕食の完成だ。
「「いただきます!」」
例によって横に並んで手を合わせる。
それにしても回鍋肉、なんて食欲を誘う香りなのだろう。
速攻で箸を伸ばし、一口。
「うん! おいしいよマツウラさん!」
「ほんと! 我ながらよくできてるわね。豆板醤って偉大だわ!」
「マツウラさんも偉大だけどね」
「も~。つむぎったらあ!」
マツウラさんが肘でクイクイ、とあたしの脇腹を押してくるので、普通に声が出そうになる。
「温野菜サラダもいただくわね」
「うん。マヨネーズ掛けてね」
物は言いようとは言うものの、キャベツを温めてサラダにしたのだから、温野菜サラダであることには間違いない。
「うん! おいしいわ! キャベツ本来の味が詰まってる感じ! はっ!」
マツウラさんが何か恐ろしいことに気が付いたように固まる。
「つむぎ、凄いことを思いついてしまったのだけれど、いいかしら?」
「ど、どうしたの?」
「このマヨネーズに豆板醤を混ぜたら、どうなるのかしら?」
「天才か?」
「さっそくやってみるわね!」
マツウラさんは冷蔵庫から豆板醤を再び取り出し、スプーンでマヨネーズの傍らに少しだけ落とす。それを箸で軽く混ぜ合わせたのち、キャベツに添えて、一口。
「!!??」
「え、なに? どっちなの、その反応」
マツウラさんの言葉を待つのももどかしく、あたしも同じようにソースを作り、キャベツに付けて食べる。
おお、これは。
「「おいしい!」」
キャベツを飲みこんだあたしたちは同時にそう口にした。
それがなんだか面白くって、よくわかんない笑いが込み上げてくる。
マツウラさんと目を合わせると、彼女も我慢できないって感じで吹き出し、ふたりでお腹を抱えて笑う。豆板醤の唐辛子効果か、体中が熱くなって、余計に笑いが止まらなくって。
「ちょ、マツウラさん汗だらだらじゃん」
「つむぎこそ!」
汗が伝う互いの顔を見つめながら、あたしたちは肩をぶつけ合って笑う。
ひとしきり笑った後で波が引いて、ふたりとも両手を床に付けてぼうっとして、互いに目配せし合って。
こんな日々がずっと続けばいいって、心から思う。
「ねえ、マツウラさん」
別にこんなタイミングでなくてもいいのかもしれないけれど、そろそろ伝えなければならなかった。
マツウラさんに言ってなかった、とっても大切なこと。
「あたし、実家に帰るわ」
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