5 喧嘩するほど仲が良いんですか?

「今日はお昼ご飯どうしよっか」


 日曜日のお昼前。(昨日と比べれば)早起きしたあたしとマツウラさんは、溜めていた学校の宿題などを片付け、午後のだらだらタイムに備えて栄養を補給する必要があった。


「スガ〇ヤにしましょう!」


 マツウラさんは即答する。


「そうしたいところだけど、今日はまあ自炊にしよう」


 確かにスガ〇ヤは毎日でも食べたいくらいにおいしいし安いのだけれど、あたしたちはさらに節約しなくてはならない。冷蔵庫に入ってる食材を食べるのが先だ。


「なんかキャベツを使った料理にしようよ」


 というのも、昨日スガ〇ヤでの昼食を終えたあと、あたしとマツウラさんは帰りにスーパーを冷やかし、そこで1玉68円というキャベツと出会ってしまったのだ。


 1玉もいらないかなとは思ったけれど、半玉で90円でもおかしくはないわけで、これを逃さない手はないだろうと購入し、自転車の前カゴに入れて持って帰ってきたのだった。


「じゃあ、ザワークラウトなんてどうかしら? とってもおいしいのよ!」


「ごめん、じゃあ焼きそばか回鍋肉ホイコーローの2択で」


 ザワークラウトはドイツの漬物で、ソーセージとかの横に添えられて出てくるイカしたやつだ。まあ、いずれ作ってみてもいいかもしれないけれど、もっと即効で作れる料理がいい。


 このまえ冷凍しといた中華麺と、昨日の晩に大根と煮た豚バラ肉の余りがあるので、パッとできそうな料理と言えばそのふたつくらいだった。


「じゃあ焼きそばが良いわ!」


「おっけ」


 言い出しっぺなので、あたしが料理することにする。

 台所に行き、とりあえずレンジで中華麺を解凍。冷蔵庫からキャベツを取り出し、3、4枚の葉っぱを調達する。


 取った葉っぱを手でちぎってザルに。包丁でもっと細かく切った方が良いのかもしれないけれど、まあ良いだろう。


 ガスレンジの上にたまたま出ていた小さいフライパンに火を点け、少しだけ油を敷いて、豚バラ肉を置いていく。


 ジューという音と共に、豚肉の色が変化する。良い感じになったところでキャベツを投入。塩コショウを振りかけ、炒める。


 さらに良い感じになったところで、解凍の済んだ麺を投入。麺を買ったときに付いてきた粉末の焼きそばソースを振りかけ、全体を馴染ませていく。


 うん、まあまあ良い感じだろう。


「マツウラさーん、出来たよ!」


「わーい、つむぎ、ありがとう!」


 机の上に皿を並べ、マツウラさんと隣り合って手を合わせる。


「「いただきまーす!」」


 とりあえず、一口。


 あれ?


 なんていうんだろう、これは――。


「あれ? つむぎ、珍しいわね。なんだかキャベツがあまりおいしくないわ」


 マツウラさんと目が合う。なぜか頭に血が上って、何も考えられなくなる。

 別に、怒りとかそういう感じじゃない。もっと別の、もっともやもやした感情。


「じゃあ食べなくていいよ」


 マツウラさんの目が、ハッとしたように見開いて。


「ごめんなさい、つむぎ。そんなつもりじゃなかったの」


「じゃあどんなつもりなわけ? この焼きそば、確かにあんまおいしくないし、正直に言って構わないよ」


「そんな……」


 あたしは、決してそんなことを言いたいわけではなかった。別に、ちょっとした言葉の綾として許せば良いだけの話だった。


 ただ頭の中にあったのは、昨日のマツウラさんとの会話。

 マツウラさんが、あたしを選んでこの家に来たのではなく、この家に来るためにあたしを選んだのだという事実。


 そういったことを白日の下に晒すマツウラさんの明け透けさへの逆ギレが、あたしを突き動かしていた。


「ごめんなさい、つむぎ。ごめんなさい……」


「別に、謝るようなことじゃないし」


 どうしてあたしは、素直になれないのだろう。どうして大好きな人を、突き放すようなことが言えてしまうのだろう。


「……分かった」


 マツウラさんは立ち上がると、パーカーワンピの上にブルゾンを羽織って靴を履き始める。


「つむぎのバカー!」


 そして風のような速さで、その言葉だけ残して出て行ってしまったのだった。


 ああ。最低だ、あたし。


 とめどない自己嫌悪が押し寄せてくる。

 自分の思いを彼女に伝えることもしないで、勝手に不安がって、打ちひしがれて。


 謝る者に許しを与えないことがどれほど残酷かなんて、分かってるはずなのに。

 彼女がいま、どれほど辛い気持ちでいるかなんて、想像できるはずなのに。

 

 それでもまだ、あたしの方が辛いと思ってしまう。

 彼女はきっとあたしに嫌われても、それほど気にしないんじゃないかなんて勘ぐってしまう。


 最低だ。


 あたしは自分の分のマズい焼きそばを食べ終えると、マツウラさんが残していったぶんも平らげた。満腹感は、少しの素直さと安寧をあたしに与えてくれる。自分が動物であることに、言いようのない悔しさを覚える。


 焼きそばがマズかったのは、たぶんマツウラさんの言う通り、キャベツの食感が悪かったのが根本的な原因だった。でもそれは、キャベツそのものに問題があったわけではない。


 第一に、大雑把に手でちぎってしまったこと。これによって芯の部分とかがそのまま残り、火が通りにくくなってしまったのだと思う。


 第二に、使ったフライパンが小さかったこと。ズボラして手近にあったのを使ってしまったが、小さなフライパンでふたりぶんの焼きそばを作ってしまったので、キャベツの水分が十分に飛ばずに、水っぽい食感になってしまったのだろう。


 と、こんなことを考えているのも現実からの逃避に過ぎない。


 はあ……。


 あたしは立ち上がると、戸締りを確認して家を出た。ポケットに入れたピックを、強く握る。


 どんな顔をして彼女に会い、どんな言葉を掛ければいいのだろうか。彼女は、あたしをどんな目で見るのだろうか。

 あらゆる不安を頭に抱えたまま、あたしはサドルに跨ったのだった。




 彼女は予想通り、鴨川沿いのベンチにいた。このあたりで観光客を気にせずひとりになれる場所はここしかない。同じ鴨川沿いでも、三条大橋のあたりとか行くと等間隔に並ぶカップルがいっぱいいるわけだけれど、ここは静かなものだ。


 スロープを下りて、適当に自転車を停め、彼女に近づく。

 彼女はあたしに気付いているのかいないのか、じっと対岸を眺めている。

 木漏れ日が彼女を照らし、その視線の機微を読み取れなくさせている。


「マツウラさん……」


 あたしの言葉に、彼女は振り向いた。


 薄く涙を湛える彼女の瞳を見た瞬間、言葉を掛けるなんて考えはどこかへ吹っ飛んで。


「ふぐっ」


 あたしは、彼女を強く抱きしめていた。


「つむぎぃ……」


 彼女の温かさが、直に伝わってくる。彼女から流れた涙が、あたしの頬を濡らす。


「ごめんね、マツウラさん。突き放すようなこと言って」


 気付けば、あたしの声は震えていた。


「こちらこそごめんなさい。焼きそば、せっかく作ってくれたのにね」


 マツウラさんが家に押しかけて来たあの日。あの曲がり角で、マツウラさんはあたしを抱きしめた。マツウラさんはあたしを見つけてくれた。


 だから、マツウラさんを、あたしからも抱きしめる必要があると思った。あたしもマツウラさんを見つけたのだ。これで、おあいこだ。


「いいの。もっとおいしい焼きそば作るから。だから次も、食べてくれる?」


「もちろんよ、つむぎ!」


 彼女の顔を見たくて、あたしは抱擁を解く。


 そこにあった彼女の笑顔は、やっぱり宇宙で一番に素敵で。


「マツウラさん、ありがとう」


 とりあえず、あたしがマツウラさんに伝えられるすべては、いまはそれだけだった。




 昼間の反省を踏まえて、キャベツの大きさをちゃんと揃えて包丁で切る。

 あとは、大きなフライパンを使って、火力は気持ち強めに。

 これだけのことだけれど、やっぱり香りとか見た目も、少し良くなった気がする。


「マツウラさーん、出来たよー」


「わーい、ありがとう、つむぎ!」


 あたしが皿を今に持っていくと、マツウラさんマグカップ(もうあらゆる飲み物をこれで飲んでいる)にお茶を注いでくれる。


「でも、ほんとに良かったの? 昼夜連続で焼きそばなんて」


「もちろんよ! ていうか、わたし昼ごはんほとんど食べてないし」


「あ、そっか」


 忘れてた。悪いことしたな。

 まあ、仲直りの印に出町柳のミ〇ドでドーナツ食べたし、カロリー的には大丈夫か。昼間にほぼふたり分食べたあたしが完全に食べ過ぎだけれど。


「じゃあ、いただきます!」


「いただきます」


 どうだろうと思いながら、麺を口に放り込む。

 うん、おいしい。全然違う。


「つむぎ! おいしいわ!」


「だね」


 マツウラさんはパクパクと焼きそばを平らげる。あまりにおいしそうかつ綺麗に食べるので、見ていて面白い。


 結局、サ〇エさんの一話数も終わらないうちに、あたしたちは焼きそばを食べ終えたのだった。


「食器洗ってくるわね!」


「ありがと」


 サ〇エさんのEDテーマに合わせて、マツウラさんが鼻歌を歌う。

 うう……。もう土日が終わってしまう……。


「マツウラさーん、明日の学校ってなんかあったっけ?」


「特になかったと思うわ。リーディングの単語テストくらいかしら?」


「あー、そっか……。忘れてた」


 こういうとき、クラスメイトと同棲していると便利だ。


 あたしは鞄から教科書を取り出し、その場に寝ころがって単語を眺める。

 まあ、直前の休み時間に本気出せばなんとかなるんだけど、覚えておくに越したことはない。


「マツウラさん、席替えしてからどんな感じ?」


「楽しいわよ? つむぎも近くにいればもっと楽しいのにと思うけれど」


 ぐへへ。あー、マツウラさん大好き。


「あたしも。でも、あんまり近くても、バレやすくなっちゃうかもしれないもんね」


「そうよねー。困ったものよね。まあ秘密の関係というのも、なかなか面白いものだけどね」


 マツウラさんはそう言って笑う。その横顔は、とっても綺麗で。

 その言葉全てが、あたしの感情を強く揺さぶるということを、彼女は知らないのだろうか? いや、知らないのだろうけれど。


 いずれにせよ、あたしとマツウラさんは教室であまり関わっていないし、関わらない方がいいのだった。


 あたしと彼女がひとつ屋根の下で暮らしていることは、学校の人たちには絶対にバレてはいけないのだから。

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