4 外食って贅沢ですか?
「ふぁーあ」
かなり寝てしまったな、という感覚と共に目が覚める。
ベッドから体を起こすと、とりあえず右手にあるカーテンを開けた。
天頂に上りつつある太陽の光が差し込んで、土曜日の午前中を睡眠に費やしてしまったことが確信される。
時計を見ると、11時だ。
「マツウラさーん。そろそろ起きなよ」
とりあえず、畳で寝ているマツウラさんにも声を掛ける。
掛け布団を体に巻いた姿は、完全に芋虫だ。のそのそ、という擬態語がぴったりな様子で少し身を揺すったのち、器用に布団を振りほどく。
「うぅ。おはよう、つむぎ」
「おはよう、マツウラさん」
寝ぼけまなこのマツウラさんは、立ち上がるとベッドの淵に腰を下ろした。ぴょんぴょんと跳ねたアホ毛が可愛らしい。
あたしはサイドテーブル(というか、横たえた三段ボックス)の上に置いてあったヘアブラシを手に取ると、マツウラさんの後ろに回り、彼女の髪をとかす。
ブラシは空気に触れるみたいに抵抗なく髪の中に沈んで、この上ない快感をあたしにもたらす。
「気持ちいい」
マツウラさんが呟く。彼女の髪に顔をうずめたい気持ちを、ぐっとこらえる。
同じだね、とは言えなかった。たぶんそれは、同じ感覚ではないから。
「ごはん、どうしよっか」
それは質問であり、自問だった。
かなり中途半端な時間だ。
もう朝ご飯を食べるには遅いし、朝昼兼用にするしかないのだけれど、冷蔵庫にはほとんど食材がなかったと思うし、買いに行って作るのは時間がかかってお腹が空くし……。
「どこかへ食べに行くのはどうかしら? 今日は良いお天気だもの!」
「そうしたいところだけど、予算がね……」
「やっぱりそうよね……」
マツウラさんはしゅんとして自らの膝を眺める。
あたしとマツウラさんの生活は、かなりカツカツだ。
マツウラさんの仕送りは5万円。そのうち2万円が家賃と光熱費に消えるから、自由に使える額は食費を入れて3万しかない。
まあ、携帯代とか親の口座から引き落とされてるやつは払ってもらってる(というか、払ってることを忘れられてる)らしく、それはあたしにしても同じだった。
で、あたしはマツウラさんが家賃と光熱費を出してくれるので2万円が浮くとウキウキ気分だったのだが、そう甘くはなかった。
マツウラさんのことをお父さんに電話したとき、2万円で女子高生を住まわす旨については即オッケーだったのだが(お母さんに言うと反対されそうなのでお父さんに言うという、幼少期からあたしが多用するテクだ)、マツウラさんのお母さんに挨拶の電話を済ませたお父さんから折り返し電話が来て、なんと仕送りを2万円減らされてしまったのだった。
どうも、マツウラ母からマツウラさんの仕送りが5万円だという話を聞いたらしい。お父さん曰く、そこは同じ条件で生活した方が揉め事にならない、とのこと。まあそれはそうかもしんないけどさあ。
これであたしの仕送りも、マツウラさんと同じ5万円。自由に使えるのは内3万円で、これまたマツウラさんと同じだ。
というわけで、外食するような余裕は全くないのだけれど――
あそこなら、大丈夫かもしれない。
「フードコート行こうか」
それを思い付いたのは、お父さんにおねだりすることの多かった幼少の頃を思い出したからだった。
実家から車で1時間ほど行ったところにある、イ〇ンモール。
あたしはそこのフードコートが好きで、小さい頃は休みの日になると毎週のように行こう行こうとねだっていたのだ。
「
「いや、ぜったい思ってるのと違うと思う……」
とりあえず準備しよう、と言って、あたしはマツウラさんの耳に掛かった髪をそっとほどいたのだった。
アパートの下に停めてある自転車に跨り、あたしが先頭で走り出す。
マツウラさんの自転車は、彼女が越してきた(押しかけて来た)当日にアパートに届けられていた。マツウラさん曰く、内通者(?)がいるらしい。
とりあえず東大路通まで出て、そのまま北上する。京大を両側に見ながら進み、叡山電車の踏切を超えて、北大路通りへ入る。そして高野川(鴨川に合流する手前の東側にあるやつ)沿いにあるのが、今回の目的地、カ〇ート洛北だ!
「すごい! これがフードコートなのね! 確かに宮殿みたいに大きいわね。私の家よりは小さいけど」
「いや、これはショッピングセンターというか、いろんなお店が入ってるんだよ。その中にフードコードもあるの」
なんか聞き捨てならない台詞が聞こえた気がするが、まあ気のせいだろう。
自転車を停め、入口脇にある案内板を見てみる。実は、あたしも来るのは初めてだ。
「おお! 島〇楽器がある……」
実家の近くのイ〇ンには楽器店が入ってなかったから、自ずとテンションが上がる。
「楽器屋さんね? 行ってみましょう」
「いや、後でいいよ。お腹空いてるでしょ」
「こういうのは行きたいと思ったときに行った方が良いのよ!」
マツウラさんに促されるようにエスカレーターを昇る。おお、ユ〇クロにA〇Cマート。このショッピングモール感、否応なしにアガるぜ!
島〇楽器に辿り着くと、マツウラさんは目を輝かせた。
「すごい。お宝の山みたいね」
それは的を射た表現だと思った。あたしは楽器を弾けるわけではないけれど、楽器というものはなんていうか、すごく見ていて楽しい。そこには、様々な可能性と未来があるように思える。
「マツウラさんはなにか楽器弾けるの?」
「ええ。ピアノとジャンベはいちおう」
「あとのやつ何?」
適当に店の中をウロウロする。いいなあ。ギターとか弾いてみたい。
「つむぎー。これって何かしら?」
マツウラさんの視線の先には、細かく区切られたケースがあった。それぞれの区画の中には、小さな三角のプラスチック板がいくつか。
「ああ、確かピックって言ったかな。ギターを弾くやつ」
「なるほど! いろんな種類があるのね!」
確かに、ケースの中のピックは千差万別だ。色やデザインの違いはもちろん、大きいのから小ぶりなものまで、さまざまな形のものがある。
「あ、これかわいい」
鮮やかなショッキングピンクのピックが目に留まる。
「確かにかわいいわね。買ってみたら?」
「いや、ギター持ってないし」
「ギターを持っていないからってピックを買ってはいけないということはないわ。あたしがプレゼントしてあげる」
「いや、悪いよそんなの」
あたしたちのお金には、限りがある。
お金を使えば使うほど、あたしたちの生活は不安定なものになってゆく。
それを意識すると、あたしは大きな黒雲を見上げるような、言いようのない不安に苛まれるのだった。
「お昼ご飯をちょっと節約するわ。どうしてもつむぎにこれをあげたい気分なの」
うう。そんなこと言われて、断れるはずがない。
だってマツウラさんからプレゼントをもらうなんて、死ぬほど嬉しいに決まっているのだ。
「じゃあ、あたしもマツウラさんにあげるよ。好きなの選んで」
「ふへへ。そうしましょうか」
あたしは何気ないプレゼント交換を装って言った。たぶん、あたしがその交換に賭ける意味は、マツウラさんが想像もしないくらい、重い。
やっぱりあたしは、ずるい。
マツウラさんは「じゃあこれ!」と言って派手な文字で「METALLICA」と書かれたピックをチョイスする。
ふたりでレジに並んで、それぞれに100円のピックを購入する。
「じゃあ交換ね!」
店を出ると、マツウラさんが待ちきれないというようにグーにした手を伸ばしていた。
「うん」
手を握り合うようにして、お互いのピックを交換する。短く切られた彼女の爪の感触が、こそばゆい。
あたしは、手のひらに載った彼女の贈り物を見つめた。
絶対に、手放さない。
◇ ◇ ◇
「これこそがフードコードなのね! お祭りみたい!」
地下一階は主にスーパーとフードコードに分かれていた。たくさん置かれた机の周りには、ファストフードやたこ焼きなどの店が並んでいる。
「何にしよっか」
迷う。
ハンバーガーとポテトとか食べたいけど、セットにすると結構高いんだよな。
「あの女の子のお店は何かしら?」
マツウラさんは人差し指を立て、可愛らしいマスコットキャラの書かれた赤い看板を示す。
「スガ〇ヤ? ラーメン屋さんみたいだね」
地元では見たことない店だ。でもラーメンって意外と高いからなぁ。
「って安い!」
近くに寄ってメニューを見ると、そこには驚きの価格が並んでいた。
「そんなに安いの?」
「うん。ラーメンってだいたい800円くらいするから。特製ラーメンが450円ってのは破格だよ」
一番シンプルなラーメンに至っては320円だし。どうなってるんだ……。
「じゃあ私はここにするわ!」
「あたしもそうしよっかなあ」
安すぎて一抹の不安はあるが、ものは試しだ。
カウンターに並んで、店員さんに注文を告げる。マツウラさんもあたしも、320円のラーメン単品を注文した。
「すごいわね、これ。この装置で呼び出してくれるのね!」
マツウラさんは四角い呼び出しアラームを手に興奮している。ふっふっふ。鳴ったときの反応が楽しみだ。
「ここにしましょう」
適当な机を選び、向かい合って腰掛ける。
マツウラさんはニコニコ笑顔でアラームが鳴るのを待ち構えていた。
改めてお出かけ用の私服を着たマツウラさんを見ると、ほんと可愛くてびっくりする。ちょっとすごいよな、ほんと。
どうしてこの子は、あたしなんかと一緒に住んでるんだろう。
ビービービー!! と、大音量でアラームが鳴る。
「うわぁ! びっくりした! なんて大きな音なの!?」
「あはは。最初はびっくりするよね」
子供の頃、あの音が怖くて、でもなんだか妙に聞きたくて、それもフードコートの楽しみのひとつだった。
ラーメンを受け取って、席に戻る。
「「いただきます!」」
麺を啜ると、豊かな魚介の風味が口いっぱいに広がる。しっかりとした味付けと、それによく絡む麺。さっぱりとしたコク。これは――。
「「おいしい!」」
あたしとマツウラさんは目を見合わせる。この最高においしいラーメンが320円……。スガ〇ヤ、恐るべし。
食べ終わったあと、しばらくその場でだらだらする。お昼時は過ぎて、空いている席も見受けられるから、迷惑にはならないだろう。
「マツウラさんはさあ、どうしてあたしの家を選んだの?」
あたしはマツウラさんに尋ねる。
どういった答えをあたしは望んでいたのだろうか。
あたしのことが好きだから?
信頼できそうな人間だったから?
まさか。そんなに都合の良い答えが返ってくるはずがない。でも少なくとも、あの曲がり角で、偶然に出会ったからだと思っていた。
その答えが返ってきても、あたしは良かった。もしそうだとすれば、その瞬間に、彼女が、あたしのことを選んでくれたということなのだから。
でも彼女の答えは、そうではなかった。
「ああ、それがね、実は同級生の子からつむぎがひとり暮らしだって聞いてたから、匿ってもらいやすいんじゃないかって思って! あのときも、つむぎの家を探してたんだ」
彼女ははにかみながら言う。
ああ、どうしてあたしは、こんなことを訊いてしまったのだろうか。
「……そっか。そうだよね!」
あたしは笑顔を取り繕って言った。
彼女が選んだのは、どのような意味でも、あたしではなかった。
選ばれたのは、あたしの環境。家出できる蓋然性。
あたしは、自分のことを何だと思っていたのだろう。
ポケットの中で握ったピックが、手のひらに食い込んだ。
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