3 親に了解を取ったら大丈夫ですか?

「よし、洗濯完了」


 あたしは言いつつ、家の中に戻る。


 洗濯機は玄関の外の廊下にしか置き場所がない。

 別に洗濯なんて毎日するものでもないから良いんだけど(もしかして毎日するものなのか?)、いちいち廊下のコンセントまで延長コードを伸ばして電源を取らなければならないのは少し面倒だ。あと、冬は寒いだろうな。考えただけで今からうんざりする。


「ありがとうつむぎ! さすがね」


 マツウラさんが褒めてくれるが、たいしたことはしていない。

 ただ、マツウラさんが褒めれくれるだけで人生に対するモチベーションがちゃめちゃ上がるので、どんどん褒めてほしい。


「料理、良い匂いだね」


「そうかしら、ありがとう。もうすぐできるわよ」


 マツウラさんはピーマンの肉詰めを慎重にひっくり返していた。

 たぶんつなぎの卵とか使ってないけど、形にはなっている。あたしがこのまえ懇願した通り、ちゃんと塩コショウは振ってくれているっぽいので、味は問題ないだろう。

 まあ、マツウラさんが作ってくれたものならなんでもおいしくいただけるという自信はあるけれど。


 居間に戻ると、窓辺に横たえられたマツウラさんのキャリーケースが目に入った。他に置き場所がないのでそこに放置されているけれど、かっこいいデザインなので、この部屋における数少ないインテリア雑貨のひとつと化してしまっている。


 キャリーケースを眺めていると、またしても出会いの日のことが脳裏に浮かんでくる。


 あの日、キャリーケースを引きずるマツウラさんと出会ったあたしは、往来でずっと抱き合っているわけにもいかず、とりあえず彼女を家に招いたのだった。


◇ ◇ ◇


「どんなおうちなのかしら? わくわくするわね」


「いや、そんな良いもんじゃないけど……。ていうか、ここ」


 あたしがボロアパートを指差すと、彼女の動きが停止する。まあ、無理もあるまい。今にも崩れそうな赤茶けた鉄の階段。長い年月を掛けて変色した外壁。これほど見事な昭和のアパートが現れるとは、彼女も予想していなかっただろう。


「??」


「はてなが宙を舞ってる!」


 そんな会話をしつつ、階段を上る。2階の一番奥があたしの部屋だ。


「ようこそ、わが家へ」


 玄関を開けて、美少女を招き入れる。まだ住み始めて間もない上に、今朝かるく掃除をしたので、部屋の中は綺麗なはずだ。グッジョブさっきのあたし。


「わあ! かわいいお部屋ね! アトリエか何かなのね?」


「いや、ここに住んでるんだけど」


 かわいい、というのはおそらく小さい、の詩的表現だったのだろう。ニ〇リのなるべく無地のやつ、というコンセプトで揃えたあたしの部屋は、機能的ではあるけれど、女の子的な可愛らしさとは無縁のはずだ。


「……? 住むというのは、お料理もして、本棚から本を取り出して、夜には寝て……ってことよね? それをこのお部屋でできるの?」


「できますとも。ガス台も3段ボックスもベッドもあるから」


 美少女の顔がパーッと輝く。いや、もともと輝いてるんだけどね。


「す、すごいわ! うちの台所なんてこの部屋の3倍はあったもの! あんなスペース必要なかったのね!」


「それは知らんけどさ……」


「それに、あなたはここでひとりで暮らしてるんでしょう? すごすぎるわ! えーっと……」


「あ、寺坂紡って言います」


「それは知ってるわ! もちろん、私は松浦あまねよ? それはそうと、あなたのことはなんと呼べば良いかしら?」


 あ、マツウラさんっていうのか。そう言えばそんな名前だった気がする。良かった。自分から名乗ってくれて。


「いや、なんでも、好きなように」


「じゃあ、つむぎ、で決まりね!」


 彼女の唇からあたしの名前が奏でられ、あたしの鼓膜に伝わる。鼓動が早くなる。なんということだろう。これは本格的に、恋だ。


 顔が赤くなってないか心配するまでもなく、顔が熱い。そういえばあたしは、マツウラさんといま、自室にふたりきりなのだった。なんていうんだろう、ほんとうに、ドキドキする。


「じゃあつむぎ! これからよろしくね!」


 そう言ってマツウラさんはキャリーケースを部屋の奥まで持っていくと、荷を解き始めた。


「いや、ちょっと待って。ホントに住むの?」


 さっきはなんか一緒に住もうって言われて、それはさぞ素敵な生活だろうなと夢想はしたけれど、本当に一緒に住むとなると、話は違ってくる。ひとり暮らしの女子高生が女子高生を部屋に住まわせるなんて話、聞いたことがない。さすがに冗談だと思いたいけど……。


 いや。あたしは本当に冗談だと思いたいのだろうか? なるべくなら一緒に住みたいと、心の中では思っているのではないだろうか? だから彼女を、なんのためらいもなくこの部屋へと連れてきたのではなかったか……。


 でもそんなの、誘拐と同じでは?


「……だめ?」


 マツウラさんは上目遣いで尋ねてくる。

 いや、なに? どうしてそんなにかわいいの? そんなの、駄目なんて言えるわけないじゃん。


「家出?」


「……うん」


 彼女は急にしおらしくなって頷く。たぶんこの子は、いままで家を出ようなんて考えたこともなかったタイプだ。知らんけど。


 だからその決断は、たぶん一世一代のものだったのだろうとは思う。分かんないけど。


「どうして家出しようと思ったの?」


「お母さんに、ステファニーを、捨てられたから……」


「ステファニー?」


「ぬいぐるみ。汚いからって、捨てられちゃった。あたしが買ってあげたんだからいいでしょって。お母さんはずっと、お金でぜんぶを考えるから……」


 マツウラさんはシャツの裾をぎゅっと握りながら言う。その手は、力を入れるあまり細かく震えていて。


 捨てられた人形は、きっと彼女の友達だったのだろう。ならばそれは、家出するには十分すぎる理由のように思えた。


 別にここで、お母さんと話し合って来なさいと彼女を帰すのは簡単だ。それはもしかすれば、母親の謝罪という形で決着を見るのかもしれない。


 でも、こんなところまでやって来た彼女の勇気を。あたしみたいなちっぽけな女の子を頼ってくれた素敵な女の子の勇気を、なかったことにするのはとても不誠実なことに思えて。


 いや、それは言い訳だろうか。


 ほんとうは、あたしが、寂しいから?

 あたしが、彼女のことを手に入れたいから?


「携帯、ある?」


 あたしの言葉に彼女は頷き、小さな斜め掛けのポーチからスマホを取り出す。


「ほんとに、ここに住むの? あたしが、どんな人間でも?」


「つむぎは信頼できるよ」


 彼女の言葉に、あたしの胸はざわめく。


 信頼。

 それは、無謀だろうか。愛情だろうか。もしかして、ふたつに大きな隔たりはないのだろうか。それとも――。


「お母さんに、電話かけて。あたしが出てもいい?」


 とりあえずあたしは、1泊だけでも彼女を泊まらせられないか親御さんに尋ねてみることにした。未成年者を泊まらせるのならば、なによりもまず保護者の同意を取らなければ。


 マツウラさんは一瞬だけ顔をひきつらせたあと、スマホを操作し、あたしに差し出す。


 発信音。


『周! どこにいるの!? あたしがあなたを探すのに、どれほどの時間とお金を裂いてると思ってるの? これは重大な経済的損失なの! 分かる? 分かったら馬鹿なこと言ってないで、早く帰ってらっしゃい! あなたはおとなしく勉強してればいいの! それがあなたに出来る、唯一かつ最高にリターンの見込める投資なのに、どうして分からないのかしら!?』


 通話が繋がった瞬間、怒涛の資本主義トークが鼓膜に直撃する。

 ああ、なるほど。マツウラさんが家出したくなる理由、分かったよ。


「あのー、すみません。あたし、マツウラさ……周さんと同じクラスで、友達の寺坂紡って言います」


 友達と言ってしまっていいのかどうかはまだ分からないけれど、とりあえずここでは、ハグすればみんな友達、みたいなパーティーピープル的思想の持ち主だという設定で自分を騙そう。


「あら、そうでしたの。周がいつもお世話になっております」


 マツウラさんの母親は急に声音を変える。1オクターブくらい声が高くなった印象だ。これ、あたしのお母さんも先生とかと話すときやるんだよなあ。


「すみません、いま周さんが家に来ていて、うちに泊まりたいって言って聞かなくて。別にあたしは全く構わないのですけれど、はい。ちょっと頭が冷えるまで、泊っていってもらっても構わないでしょうか?」


 あたしも懸命に、賢そうに聞こえる話し方を模索する。少しハスキーっぽい声にして、ハキハキと。かと言って、脅迫的にならないように、あくまで控えめに。


「でも、そんなの親御さんに悪いですわ」


 心底申し訳なさそうな口調でマツウラ母は言う。


「いえ、うちはあたしのひとり暮らしなので。はい、下宿してまして。もうあたしも寂しい生活なので、周さんみたいなしっかりした子が泊ってくれたら嬉しい限りなんですが、はい。もし心配でしたら帰るように説得してみますけれど、はい? 顔写真のページを開いて生徒手帳を持ち、窓から顔を?」


 謎の要求に戸惑うが、マツウラさんの方を見ると、両手を合わせてお願いポーズを取っていた。やれということらしい。


 あたしはスマホを耳に当てたまま、片手で鞄から生徒手帳を取り出す。マツウラさんが網戸を開けてくれたので、そのまま顔を出して指で手帳を広げる。マツウラさんもあたしの隣に並び、なぜかあたしの肩を親しげに叩く。いや、それは嬉しいけど、なにこの時間。


 部屋に戻ると、再びスマホの奥から声が聞こえてくる。


「ありがとうございました。大丈夫そうね。ちなみに寺坂さん、つかぬことをお伺いしますけれど、月ごとの家計の予算というのはどういった様子でお考えなのでしょうか」


「よ、予算ですか? えーっと」


 突然にそんなことを訊かれて、頭が混乱する。予算というからにはまあ、家賃とかその辺のやりくりについて答えれば良いのだろう。


「まず、親からの仕送りが7万円あります。その中から電気、ガス、水道、家賃もすべて出すことになっています」


 これはインド放浪系男子であるお父さんがとりあえずこれでやってみろと提示した金額であり、まあ大丈夫っしょとタカを括ったものの、まあまあ厳しい。


「家賃が月3万円で、光熱費が月に1万円と見積もって、食費その他に使えるのは月3万円といったところでしょうか」


「なるほど。面白そうね」


 その言葉を聞いたとき、あたしは背中が粟立つのを感じた。自分がいま話している相手が、絶対に何か邪悪なことを思いついた、という確信。

 人の親にゾッとするのは申し訳ないけれど、とにかくゾッとしてしまったのだ。


「もし寺坂さんが嫌でなければなんですけれど、周が自分から帰ると言うまで、あの子を泊めてやってくださいませんか? 月に5万円の仕送りをしますので、その中から2万円は光熱費と家賃として取ってやってください」


 それは予想外の提案だった。まさかこうもあっさり娘の家出を許すとは。


 あたしは頭の中で計算する。


 光熱費と家賃が合計で4万円なのだから、それを2人で按分して2万円か。

 あたしとしては、マツウラさんと一緒に住める上に、月に2万円の収入が増えて願ったり叶ったりだけれど。


「それは構いませんけれど」


「ありがとうございます。くれぐれも、自分のお金は自分で出させてやってくださいね」


 マツウラ母は愛想よさげに言う。


「ええ、もちろん」


「けっこう。では大変申し訳ありませんけれど、よろしくお願いいたしますわ。それと、親御さんにご挨拶させていただきたいので、連絡先等お教えいただければと思うのですけれど」


「いや、あたしも親に言っとかないといけないんで、こっちから連絡させますよ」


「ではお言葉に甘えて。周にかわってくださる?」


 あたしは画面を指差しながら、スマホをマツウラさんに渡す。スマホを受け取ったマツウラさんは、受話口に思い切り口を近づけると、


「ぜーったい帰んないから! じゃあ!」


 と怒鳴って通話を終了させた。


「やるじゃん」


 あたしの言葉に、マツウラさんはドヤ顔でピースサインを返すのだった。


◇ ◇ ◇


「つむぎ! ご飯ができたわよ!」


 食卓にマツウラさんがお皿を持ってきてくれる。あたしは机の上にあったものを全部床に置いて、スペースを確保する。

 少し肌寒くなってきたので、ついでに窓も閉めておいた。


 そういえば、窓から顔を出したとき、あたしは松浦家の係(?)の人に危険人物かの判定をされていたそうだ。


 いちおう本物の生徒手帳を持っているということで、あたしが電話で話した内容は事実だと判断されたらしいのだけれど、常にこのアパートの周辺、さらにはマツウラさんの生活圏全体は、松浦家の係の人によって監視されているのだった(ステルスすぎて全然分かんないけど)。


「いっただっきまーす!」


「いただきます」


 例によってマツウラさんと横並びになって、手を合わせる。

 マツウラさんの作ってくれたピーマンの肉詰めを一口。うん。おいしい!


「つむぎ! これはなかなかうまくできたんじゃない?」


「そうだね。おいしいよ」


「ありがとう! つむぎに褒められると嬉しいわ!」


 マツウラさんは嬉々として肉詰めを頬張り、ごはんを口に入れる。

 ちなみに、今日のおかずはピーマンの肉詰めのみだ。野菜と肉とごはんがあるんだから、十分だろう。たぶん。


 つい2週間前のマツウラさんなら考えられないであろう、質素な食事。


 そして、マツウラさんの母親の言葉――。


『くれぐれも、自分のお金は自分で出させてやってくださいね』


 それが、マツウラさんがこの家での生活を許された理由であり、呪いだった。

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