第2話 惜別

「おはようございます」

「あぁ、おはよう」


月日は流れ、私が聖女として王都へ旅立つ、前の日になりました。


「朝食は出来ているよ」

「先に、祈祷を済ませてきます」

「あぁ、わかった」


いつもの習慣で、早朝から教会へ向かいます。


「女神様、どうかお導きを――」


聖女として啓示を受けた日から、私は前にも増して強く、祈るようになりました。


「女神像が輝いている……。 本当に、このようなことがあるとは」


祈りは力となり、女神像は神々しく輝きます。 聖女わたしの祈りには、それほどの力があるようです。

司祭様が驚くのも無理はありません。 だけでこのような現象が起こるなど、本来はあり得ないからです。


「それでは、失礼します」

「あぁ。 ――いよいよ明日だ。 やり残したことは無いかい?」

「はい。 ありがとうございます」


ふと司祭様が、私にこう言いました。


「私たちは、君の苦しみを理解することはできない。

……しかし、応援する事はできる。

 頑張ってくれ、セレシア。 我ら聖王国の、未来の為に」


その言葉を聞くと、少しだけ私の仲に、決意が生まれました。


「――はい。 お任せください、司祭様。 私は聖女となり、聖王国の未来にこの身を捧げます」

「――頼む」


司祭様は私の言葉を聞いて、頭を下げました。


「顔をお上げください、司祭様。 私は誰かに強制されるのではなく、自分の意思で行くのです」

「本当に、そうなのだろうか。 それは責任感のなす業であって、君の本当の意思では無いのではないか?」


女神像はまだ、光り輝いています。 教会の中はとても静かで、司祭様の声は、よく響きました。


「女神様の前ですよ、神父様。

それに、これは偽りの無い私の意思です。

非力だった私が、聖王国を救い、導くことができる。 

――この機を逃すつもりはありません」

「そうか。 ならばもう、何も言うまい」


この意志は、本物です。 揺らぐことはありません。

たとえどんなことがあっても、私は聖女として、この国を救うのです。


私は教会の扉を開けました。 教会から一歩踏み出し、家に帰ろうとした時――


『少女セレシアよ。 心は決まりましたね』


女神像から、声が聞こえました。


「はい、女神様。 私は決心致しました。

貴方の依代となり、聖王国を、貴方の庭を守る光となります」

『よろしい。 ――では、貴方に力を与えましょう』


女神様がそうおっしゃった瞬間、空から光の柱が降ってきて――


「……!」

『耐えなさい。 力を得るには、苦痛が伴うのです』


身体が、焼ける。 

皮膚だけではありません。 筋肉や、骨まで焦がされるような激痛。


「セレシア!」

「止めないでください、父上っ――!」


光を阻む為に、私の知らない何かをしようとする父上を、制止します。

その内にも激痛は続きます。 何かが自分の中に入ってくる感覚。 そしてそれが、今の私を焼き尽くして行く感覚。


光の柱を見て、村の人たちが集まってきました。


『あと少しです。 耐えなさい』

「……っ」


聖光はさらに激しくなって、体が焼け消えてしまいそうな感覚がします。 しかし、これも試練。 乗り越えなければ――。


抑えてきた絶叫が、ついに顔を出しそうになった時。

光が止んで、私は膝をつきました。


「はあっ、はあっ――」

『よくやりました。 これならば、明日からも問題なさそうですね』

「ありがとう、ございます」


態勢を立て直した私に、皆が駆け寄ってきました。


「セレシア、大丈夫!?」

「レミー。 ……はい、私は大丈夫です」

「よかった。 いきなり光が降って来たからびっくりしちゃた」

「女神様の御業です。 皆様、少し驚きすぎですよ」

「いやいや、普通驚くでしょ! ねぇ、皆」


あぁ、そうだ。 確かに驚いたな。 ちびりそうになったぜ。


そのような声が聞こえます。 その声がひとしきり収まった後、


『それでは、セレシア。 貴方の活躍を期待しています――』


女神様の声が途絶え、同時に女神像の輝きが消えます。


「試練は突破出来たかい?」

「はい、お父様」


私は自信をもって、そう答えることができました。





時間は流れ、星が煌めく夜。

私が村人でいられるのも、あと少しだけです。


「さて、君が村長の娘でいられる最後の夜だ。

皆が送別の宴を用意しているようだから、今日の夕食は作らなくていいよ」


父の言葉に、私はとても驚きました。


「そんなことが……?」

「あぁ。 みんな、君には助けられたからね。 恩返しがしたいそうだ。

もうすぐ始まるそうだから、早く行こうか?」


そして、とても嬉しくなりました。


「――はい!」


私達が広場に着くと、皆さんが準備をして待っていました。


「じゃぁ、始めようか」


父の一言で、宴が始まりました。


今までお世話になった方々が、こんなことをしてくれるとは。

嬉しくて泣きそうになった私ですが、


「おいおい、泣かれても困る。 何しろ泣きたいのはこっちだからな」

「……そうですね」


クラムがこんなことを言ったので、醜態を晒すことはありませんでした。


「クラムー。 何空気読めない発言してんのー?」

「あぁ、悪い悪い。 あれだ、聖女様の涙はそんなに安いものではないだろ?」


レミーに叱られているクラムを見ると、なんだか和みます。 同年代の私が叱ることができず、年齢が4つ下のレミーができるのは何だか不平等だと、思ったこともありますが……。


「こいつみたいな男の言葉なんて聞き受けちゃだめだからね? 何されるか分かったもんじゃないから」

「おい、なんだそれは」

「事実でしょ」

「――っ」


まったく。 情けないですね、クラム。


「……ふふっ」


思わず、笑みがこぼれました。


「あっ、セレシアが笑ったー!」

「おい、これで笑うんじゃねぇ」


私はあまり、笑うことがありません。 笑顔を作るのは得意ですが、本当に笑うことは、かなり少ないのです。


「すみません、つい」

「君が笑うとは珍しい。 クラム君、お手柄だね」

「村長、それ褒めてるわけじゃないですよね」

「何を言う、褒め称えているのだよ」

「……」

「お止め下さい、お父様。 クラムが泣いてしまいますよ」

「おい、セレシア!」


楽しい時間は続きます。

でも、それは後少し。



明日からは、全てが変わるのです。



「お休みなさい、お父様」

「あぁ、おやすみ。 ……これを言うのも、最後になるかもしれないね」


そろそろ、寝る時間になりました。

日を跨ぎ、起床したその時から私は、聖女として生きる事になります。


「そうだ、寝る前に星空を見て行くといい」

「空、ですか」

「都会では星が見え辛いからね」

「都会?」

「あぁ、こちらの話だ。 気にしないでくれ」


窓から空を見上げると、そこには満天の星が煌めいていました。


「星は、君を見守っている。 無論、僕達も」

「はい、お父様」


本当に、最後なのですね……。

改めてそう、実感しました。


「では、眠りなさい」

「はい。 それでは、お休みなさい」


目を閉じて、眠りにつきます。

今日はとても、ぐっすり眠れました。




「おはようございます」

「あぁ、おはよう。 朝食は出来ているけど」

「最後の礼拝を済ませて来ます」


いつもの日課で、教会へ向かいます。


「おはよう、セレシア君。 馬車はもう少しで到着するとのことだ」

「分かりました。 ……では」


礼拝を済ませた後は家に戻って、朝食を摂ります。 今日はいつもより豪華で、まるで宮殿での食事の様でした。


「ナイフとフォークの使い方の復習だ。前に教えた筈だけど、忘れてはいないね?」

「はい。 覚えております、お父様」


数年前に苦労した苦い思い出は、今も記憶の中に残っています。


「食べ方の順序、そのほかの諸作法……。 うん、大丈夫だろう。 これだったら田舎者として、馬鹿にされることはなさそうだ」

「不安が残るのはダンスだけですね」

「あればかりは仕方がない。 僕はこの国の舞踏についてあまり知らないからね、教えられるとしたら礼儀作法くらいだ」



その様な話をしながら、いつもより長い朝食を終えます。


片付けをしていると、突然ドアがノックされました。


「俺です。 村長、セレシアはいますか」

「クラム君だね。 いるけどどうしたのかな」

「渡したい物がありまして」

「ほう。 もしやその、ペンダントかな」

「はい。 俺からじゃなくて、村のみんなからって感じですが。 鍛冶屋の力作です」

「こんな繊細な物も作れるのか、彼女は」

「俺も信じられないですね」


お父様が応対されていますが、私も行ったほうが良さそうですね。


でも、プレゼントですか。 正直恥ずかしいと言うか、でも嬉しいと言うか……。


「来たね。 では贈り物を受け取ると良い」


ですが、もじもじしている間に玄関に到達していたみたいです。 ちゃっかり移動していたのですね、私。


「王都のドレスに似合うかは知らないが」


などと言われながら手渡された贈り物。

まるで思い出が詰まった様に、微かな熱を持っていました。


「ありがとう、クラム。 礼を言っていたと伝えて下さいね」

「りょーかい」


これほど嬉しい贈り物をされたのだから。

ふと何かお返しできればと思い、考えます。



聖女として、お返し出来るものは。



「略式の祝福でも掛けてやるといい。 返礼に困っているならね」


そう言ったのはお父様です。 どうやら、私の考えなど見透かされていたよう。


「祝福? いやいや村長、俺みたいな小僧にそんなの駄目ですって。 格が下がりますよ」

「ふむ、確かにそう言われればそうかもしれないが……」


クラムが渋り、お父様が考え込んでいます。ふと窓を覗きますと、遠くに馬車らしき物が見えました。


「さて、そろそろ馬車が着く。 村人の身分だから最初の服装は気にされないとは思うが、一応身だしなみは整えておこうか」


「では、俺はここで。 やって来た騎士様に斬り捨てられては割に合わないってもんです」


そうやって、クラムは去って行きました。

相変わらずの憎まれ口に思わず笑ってしまいますが、これも最後かなと思うと、表現し辛い感情が湧いて来ます。



仕方のない事ですが。

このまま村人として過ごして、大きくなったら彼と共に旅に出る。 ……なんて未来も、もしかしたらあったのかもしれませんね。




「セレシア! 王都からのお迎えだ!」


少しすると、司祭様が私の家にやって来ました。 急いで来た様なので、顔に汗が浮かんでいます。


「司祭様! ――いよいよ来られたのですね」

「あぁ。 ……君の、新しい人生が始まる」


司祭様に導かれ、教会前に泊まった馬車を見た時。


何故か、とても帰りたい、逃げたい気がしてきました。


この後の結末が。


この後に待つ悲劇が、目に見えている様で。


『逃げるなよ。 他に道はない』


――でも。

目を凝らせば遠くにいたクラムが、視線で私にそう語っているような気がして、ようやく我に返りました。 あくまで幻覚ですが。


「はい。 ……騎士様、よろしくお願い致します」

「あぁ。 それよりもまず、馬車の中のお方に挨拶をするといい」


誘われた先で、私が目にした少女は。


「貴方が聖女? ……なんだ、私そっくりじゃない」


鏡写しのような、私によく似た――


「初めまして。 セレシアと申します」

「セレシア、ねぇ。 私はアリシア。 アリシア=ノベル=ユークリウス=ヴァルクラウドよ、第一王女の」


この国の、王女様でした。



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