古い朋の念い




 ──思えばあれは、あの時抱いた感情は、同類へ抱く憐憫の情だったのだろう。



 人間としては在り得ない程桁外れの魔力を持って生まれた存在。

 人間だというのに人間ではない何かとして育ってしまった存在。


 それは俺も同じだった。

 俺は王と成る事を、あいつは英雄と成る事を定められ、生まれて来た。



 それをあの時、魔王と人間の使者として、初めて視線を交わしたあの瞬間。

 私ではなく俺として、俺はお前を同類だと感じた。

 お前の周囲を蠢く現状に、俺は痛みを覚えたんだ。




 人間の国と魔族の国。

 世界を滅ぼしかねない脅威の前で、遥か昔に分かたれた種族の争いなど無意味な物。

 人間も、魔族も、エルフも、龍族も、獣人も、小人も、巨人も、この世界の存在全てが助け合い、乗り越えなければならない脅威。

 世界の存続には全ての存在の協力が必要だった。


 銀龍に見出されたお前は人間達を諫め、使者の人間達と共に魔族の元にやって来た。

 人間を憎む魔族達の前に、餌のように差し出された人間達をお前は力を振るう事無くその身一つで守り切った。


 幼い魔族が父の仇と人間へ振るった小さな刃。

 いくら憎しみを抱いていても、手を取り合い立ち向かうと決めた以上、人間達を傷付けることは許されない。

 本来ならば幼い命とそれを諫められなかった母親の命を持って謝罪しなければならなかった。

 それをお前は自らの身を持って受け、幼子の罪を血で覆い、誰に告げることも無く隠し通した。



 痛みを痛みと感じず、苦しみを苦しみと思わない。

 人のために生きる事が全てと定めていたお前は、自らの心を持っていなかった。

 家族と称する精霊達が傍にいたから、お前は辛うじて戦士では無くジークという存在として在る事ができていた。


 だがそれは、とても希薄な存在だった。

 芽生えたばかりの幼い心では、世界の存続を担うのは重すぎる。

 やがて世界はお前という心を殺すだろうと、わかっていた。



 だから嬉しかったんだ。

 銀龍がカリアとなり、ジークがジークとなったこと。

 王ではなく、私でもなく──俺として心の底から祝福を願った。


 お前がジークで在れる世界が続く事。

 二人の穏やかな幸せが続く事を祈っていたのに、結局世界はお前に死を求めた。




 お前が英雄として進むなら、俺も王として進もう。

 あの日、死へと向かうお前の背に俺は誓った。


 お前は今も英雄だ。

 カリアを救いたいと願いながら、至るかもしれない結末を知りながら、それでもお前は進むという。

 誰もが目を伏せるしかなかった希望へ向かって進み続けるお前を、英雄と呼ばずなんと呼ぶ。

 カリアだけでなくこの国を、この世界すらも救わんとするお前を、英雄と呼ばずなんと呼ぶ。



 お前以外に英雄はいないだろう。在り得ないだろう。

 だからこそ俺も、私として進まなければならない。

 誰に知られずともお前が英雄として進むなら、私も王として進む。そう、空の墓石に誓ったのだ。




 私はどうあるべきだ? 俺はどうありたい?

 答えなどとっくの昔にわかっているのに、俺の想いを私は止める。


 友が助けを求めてくれている。俺はその求めに応じたい。

 民が助けを求めている。私はその求めに応じなければならない。

 俺は全てを救いたい。だが私は知っている。一欠けらも取りこぼす事無く全てを救うなど不可能だと。



 友の願いは、俺があの頃のお前に願ったような、心の内に抑え込む他無い願いだ。

 願う事すら躊躇うような、途方の無い願い。ほんの一欠けらの希望しか無い願いだ。



 何よりも、俺はもうお前を失いたくない。かけがえのない友を失うなど一度きりで良い。

 何よりも、私が王として選ぶべき道は一つ。世界を賭けた大博打に打って出る事はできない。

 だがそれは、その道は────生涯唯一の親友との決別へと続く道だ。



 だから俺は、私は選んではならない。

 選びたいのに、選べないんだ。






**********






「父上」



 どこか遠く、どこか苦し気に俺達を見つめるガヴェインへ、ジーアスがその肩にそっと手を当てる。

 その声は俺に向けられた物ではないのに、それでもはっきりとわかるほどの愛情が込められていた。



「その荷は私が背負います。

 だから父上は、父上の思うままにしてください」


「ジーアス……だが、私は……」



 慈愛に満ちた微笑みを浮かべるジーアスに反し、ガヴェインは顔を強張らせる。

 ジーアスの言葉は俺や精霊達ではなく、自身の父へと向けた物で、その奥に込められた真意を全て悟る事はできない。

 けれど、荷という言葉の意味は、問わずとも少し理解できた。


 彼等は王だ。この国を守り、導く存在。

 そんな二人だからこそ背負う荷は、俺では計り知れない重圧を孕んでいるだろう。

 それを彼の青年は背負うと告げた。



「父上は誰よりも強く、誰よりも慈愛に満ちた至高の王です。

 友を見送り続け、母上を亡くし、一人になっても我々を守り続けてくれた偉大な王です。


 だからこそ、父上の思うままにしてください。

 民も、臣下も、私も、母上だってそうです。

 皆、国を想い憂う父上ではなく、思うままに過ごし笑う父上が大好きなのですから」



 遺して逝った者と、遺されて進んだ者。

 互いに辿った道の全て知ることはできないけれど、全てに別れを告げた俺と違い、お前は一体どれだけの別れを見送ったのだろう。



 歴代最強と謳われし魔王。

 あの頃からずっと玉座に座し、全てを守るために命を捧げ続けた王。

 彼がどれほど慕われているかは、王都を捧げ精地を守ると決めた彼等の覚悟を見れば良くわかる。

 死に瀕した王を救わんと駆け付けた彼等の表情を思い出せば良くわかる。


 ジーアスの言葉は、間違いなく魔族の総意だ。

 全てを知らない俺ですら解るほど、ガヴェイン・アル・ガイスト・ラノールは民を愛し、愛されてきた。



「私が父上の息子として──魔王として全ての魔族を、父上を守り、支えます」



 俺が精霊達の感情を感じ取れるように、精霊達が俺の想いを感じ取れるように、この親子も多くを語らずとも伝わるのだろう。

 我が子の誓いを宿した言葉に、友は一度大きく瞳を揺らした。



「あぁ……すまないジーアス……ありがとう」



 肩に置かれた手に自分の手を重ね、彼はそう呟くように感謝の言葉を告げる。

 そしてガヴェインはゆっくりと俺達へ金の輝きを向けた。



「キョーヤ……俺も、お前の力になる。カリアを救けてくれ……!」



 世界を救うためにはカリアを殺さなければならない。

 そう思っていたのだろう。そう覚悟を決めていたのだろう。

 息を呑み、搾り出された声は震えていて、王らしい威厳など一欠けらも無い。



 これはただ一人の魔族として、魔王では無く、ただのガヴェインとして告げられた想いだ。

 国を守るべき存在として口にする事も、願う事もできなかった想い。


 ガヴェインはずっとこの想いを胸の奥底に押し込め続けていた。

 それを、ジーアスが引っ張り出した。

 ならば俺が返すべき言葉は、たった一言で十分だ。



「勿論だ。頼りにしてるぞ、親友」


「っ、おう、任せろ!」



 笑って応えた言葉に一瞬面食らいながらも、友は昔に何度も見せたのと同じ晴れやかな表情で応えた。

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