幕切れの決意

 カリアを救うために力を貸してほしい。

 その願いに対し最初に反応を示したのは俺の家族だった。



《キョーヤ》



 ダルクが俺の名を呼ぶ声は酷く強張っていて、響くと同時に張り詰めた空気が広がる。

 やはり300年という長い時の中、彼等も変わらざるを得なかったのだろうか。


 顔を上げるのを怖く思う。ダルクの顔を見るのが怖い。

 世界を壊す邪龍となってしまったカリアを救いたいと願う俺に対し、英霊として世界を守る彼は何を思うのだろう。

 だが、見なければ。向き合わなければ。俺は、俺達は家族なのだから。



 俯きかけていた顔を上げ、ダルクへと真っ直ぐ視線を向ける。

 手の届く距離に浮かぶダルクは、歯を食いしばり、拳を握りしめ、苦悩を滲ませた表情を浮かべていた。



《カリアは変わり果てた。銀の輝きは失われた。

 ……お前であろうと、あの輝きを取り戻すのは絶望的だ》



 握り締められていた拳が一際強く力を込められ、吐き出した息と共に少し緩み、ダルクはベッドへと腰かける。

 ゆるりと伸ばされた手が俺の頬を撫で、力無く落ちて行き、心臓が脈打つ胸へと押し当てられた。



《それにカリアは多くの存在を殺した。

 例え始まりが裏切りでも、堕ちたカリアが多くの存在を苦しめ、殺した事実は消えない》



 恐怖か、緊張か、苦痛か。

 胸に宛がわれた手は冷たく、微かに震えている。



《それでもお前は、カリアを助けたいと思うのか》



 交わる視線は昏く、悲壮感に満ち溢れている。

 だけどその中に、ほんの僅かな希望が垣間見えた。



《もうお前は、英雄じゃないんだ。銀龍に選ばれた存在じゃないんだ。ただの人でいられるんだ。

 それでも、カリアがした事を知っても、また背負う事になるとしても、カリアを愛し続けるのか……!?》



 ──あぁそうだ、そうだった。

 まだ銀龍をカリアと呼ぶことも無く、俺自身もただのジークだった頃。

 戦争へ参加するよう決められた俺を、銀龍の契約者になる事を選んだ俺を、一番に引き止めようとしてくれたのは、お前だった。



 契約を交わせば、契約者としての責務を背負う事になる。

 完全に普通の人でいられなくなるのだと、分かっていた。


 元々人間離れした力を持っていた俺は、その事を何とも思っていなかった。

 その先に何が待っているか全て理解していたから。身をもって知っていたから。



 そんな俺をダルクは一番に止めてくれた。

 自分を顧みることなく突き進んでしまう俺を引き止めて、本当にそれで良いのか確認して、いつも俺の意志を尊重してくれる。

 それは今も変わらないんだ。



「ダルクは、すぐ俺の事をわかってくれたよな」



 体が悲鳴を上げるのに構わず、腕を持ち上げ胸に宛てられたダルクの手へと持って行こうとするが、今の俺にはそれも叶わず、限界を迎えた手はダルクの手首へと落ちる。

 俺の手はそのまま引っかかるようにずれ落ちて行き、ダルクの肘の辺りまで滑って行ったところで止まった。



「髪も目も、手の大きさも何もかも、この姿はあの頃の俺とは全く違う姿だ。面影なんて一つも無い、全くの別人だ」



 震えそうになる声を抑えて告げた言葉は、みんなにどう届いただろうか。

 そう考えるも確認する余裕は無く、俺は自分の姿を見下ろした。




 色彩も形も、何もかも違う自分の体。

 過去を夢見る度に、自分の今の姿を見て、何度現実を叩きつけられた事か。


 死んだはずの俺が生きている。それも全く違う人間として、全く違う世界で。

 御影響夜として生まれてすぐの頃は、小さな赤子の体であろうと暴れて、この肉体を壊してしまいたかった。



 これは俺じゃない。これは誰だ。これは死んだ後に見せられた夢だ──そう、思いたかった。

 神の座に在るという安寧の国で見る死者の夢。それがこれだと思いたかったんだ。



 これは現実なのか。あれは空想なのか。

 何度も何度も問い続け、願い続け、求め続け、誰かに否定され続ける毎日。

 空想好きな子供を現実に引き戻そうとするが故の否定だった人もいた。

 異物が家族だと認められないが故の否定だった子もいた。


 俺は空想でもまやかしでも無い。現実の存在だ。

 何度訴えようが、何度叫ぼうが認められない。

 彼等にとって俺は在り得ない存在だった。在り得るはずのない存在だったから。



 何故ならあの世界に魔法は在り得ないのだ。

 魔法は物語の中にしかなく、空想の産物としてしか見られない。

 魔法が現実だった俺にとって何もかもが異なり過ぎた世界。

 そこに混じった異物は、優等生の仮面を被るしかなかった。



「それなのにダルクもセラも、俺を俺だとわかってくれた」



 俺は俺でしか居られないのに、俺として在ることはできず、俺なんて存在は在り得ない。

 俺は認められても、俺は認められない。


 御影響夜という存在には、ジークという存在が必要不可欠だ。

 それでも誰もジークを認めない。俺を、認めない。



 だけどみんなは違った。俺の家族は、友は──この世界は違った。



「俺を、俺だと認めてくれた」



 セラも、ダルクも、カレウスもガヴェインも、初めて会ったジーアスも。

 みんな、俺を俺だとわかってくれた。


 俺を忘れず、俺を認めてくれたから。

 俺を、思っていてくれたからわかってくれた。

 俺が俺として変わらず在る事をわかってくれたんだ。



「それと同じだ。

 例え彼女の姿がどう変わろうと変わらない」



 俺は変わらない。俺は俺だ。俺にしかなれない。

 むしろ遠く離れ過ぎたから、俺の心も思いも、より強く、重くなった。



「俺はカリアを愛している。それはこの魂が消えるまで、変わらない」



 ずっと求めていた愛しい存在。

 自分の存在が消えかけても、新たな命に生まれ変わろうとも、彼女のした事を知った今この瞬間でも、それは揺らがない。


 俺はカリアを救いたい。

 カリアと共に在りたいから。カリアと共に空を飛びたいから。



 俺の想いはもう、歪む事も揺らぐ事もしないだろう。

 だから俺は、覚悟を決めなければならない。



「それに……それに俺だって、誰かを悲しませて、苦しませて……殺して、その亡骸の上を歩き、今此処に在る。

 彼を──神を殺したのは俺だ。この世界が崩壊するかもしれないとわかっていて殺した」



 英雄だなんて持ち上げられようが、俺の根幹は化物でしかない。

 俺という存在が両親を苦しませた。生きるために人を殺した。その上で俺はカリアと出会い、結ばれ、別れた。


 何よりも、神の座を空けさせたのは俺だ。

 女神がいない今、唯一となった神までいなくなれば世界がどうなるかもわかって、俺は彼という存在を瘴気ごと消し去った。



「俺も、カリアも変わらない。

 どちらも世界を壊そうとしたんだから、な」



 今滅びるか、後で滅びるか。俺は後者を選び取った。

 彼を殺した後、女神が帰って来た事により世界の崩壊は完全に免れたようだが、俺がした事に変わりは無い。



「もし世界がカリアを許さないなら、俺も彼女の罪を背負うよ。

 世界を救うためだと言い訳して、英雄だからと願いを押し付けて、彼を殺し、火種を遺して逝ったのに、俺はなんの償いもせずここにいる」



 これはきっと俺の罪なのだろう。

 神を殺した挙句、叶うはずのない身勝手な願いを押し付けた罪。

 その結果が今のこの現状なら、俺は償わなければならない。


 その償いがカリアを救う事ではないなら。

 この世界がカリアを許さないというのなら。

 俺が救い、守らなければならないのは、世界だ。



「だから俺が……他の誰でもない。俺が、彼女を……」



 呼吸が荒くなり、体が痛み、心が悲鳴を上げる。

 言葉にすれば俺はもう、それを成さなければならないだろう。

 それでも言葉にしなければと、呪詛にも近い決意を告げようと震える口を動かす。



「っ、道連れにしてでも、カリアを──っ!」



 ──【殺す】──



 そのたった一つの単語は、ダルクの手に抑えられ、音に成る事は無かった。



《ジーク》



 ダルクが俺の名を呼ぶ。

 だがその声には先ほどのような強張りは一欠けらも無く、ただただ慈愛に満ちていた。



《お前にとってカリアは唯一だ。それはわかってる。

 だが俺にとっての唯一は、お前だ》



 俺の口を抑える手が動き、片頬を優しく温かく包む。

 今度は俺の方が強張っていたのか、ダルクの手から伝わる温もりに、自然と力んでいた体から徐々に力が抜けていく。



《俺の愛し子はお前だけだ》



 紡がれた言葉に滲む愛おしさ。

 その深さは一体どれほど在るのだろう。

 間近にある瞳はどこまでも深く優しい夜の色を宿し、俺を真っ直ぐ見つめていた。



《お前を守りたい。助けたい。傍に居たい》



 強い力を持った精霊では無く、精地を守っている英霊でも無く、ただ一人の精霊として告げられた思いが小さく響く。

 頬から離れた手は、今だに腕に引っかかっていた俺の手を取り、手の甲が労わるように撫でられる。



《だからまだその覚悟は固めないでくれ。お前はカリアを救う事だけを考えてくれ。

 ……お前が自分を傷付けるのはもう嫌だ》



 いつもと変わらぬ淡々とした口調で紡がれる願い。

 それは全て俺に対する物だった。


 俺の意志は変わらないとわかったのだろう。

 俺の覚悟がどんな物かわかったのだろう。

 それでもまだ俺の願いを諦めないでいられるよう、ダルクはまた引き止めてくれたんだ。

 引き止めて、俺を支えてくれるんだ。



 だが、俺に俺の意志と願いがあるように、ダルクにもダルクの意志と願いがある。

 そしてそれに伴う覚悟も、とうの昔に決めていたようだ。



《一つだけ、覚えておいてほしい》



 一呼吸を置いて続けられる言葉。

 その声が孕む暗い思いが感じ取れ、俺は黙って耳を傾けた。



《俺はもう、お前を失いたくない。お前のいない世界はもう要らない》



 優しい夜の瞳に今までとは違う昏さが宿る。

 ドロドロとした重さを持つその感情は、あの頃のダルクには無かったものだ。



《だから俺は、何においてもお前を優先する。

 自分だろうと世界だろうと、俺は何と引き換えにしてもお前を守る》



 俺が死んで、長い時を経て、邪気に堕ちかけて得た感情だろうか。

 俺がカリアへ抱く執着とも思える望みにも似た決意を持って、ダルクは俺の手を握る。



《最善は尽くす。

 だがもしお前を再び失いそうになったら……友を失うことになっても、お前だけを守る。それでも良いか》



 ダルクは、俺に力を貸してくれる。

 だけどそれは、俺が失われない限りの話だ。


 カリアを救うために俺が再び死を覚悟すれば、ダルクはきっと──



「……俺が死ななければ、良いんだな?」


《……そうだ》


「……わかった。最善を尽くすよ」



 大切な存在を自分の手で殺さなければならない。

 そんな思いを家族にはさせたくない。

 ダルクを守るためにも、俺は生きてカリアを救わなければ。


 だけど、もしもの時は──そう、這い上がる思考を無理やり抑え込み、俺はダルクへしっかりと頷いた。



《私もね、おんなじ》



 俺とダルクを静かに見守っていたセラが、不意にそう呟く。

 邪魔にならないようにいつの間にか移動していたのだろう。

 見ればセラはダルクと反対側に座り、俺に向けてゆるりと笑みを浮かべていた。



《私の愛し子はあなただけ。あなたが唯一なの》



 自分の胸元に両手を当て、穏やかな微笑みを浮かべたまま告げるセラ。

 その言葉には俺への想いが溢れていて、触れていなくとも暖かさが伝わってくる。



《あなたが悲しむ姿なんて見たくない。苦しませたくなんかない。傷付けたくない。

 私は、あなたの命と心を護りたかった。それは他のみんなもおんなじ》



 今彼女が思い浮かべているのは、俺が死んだ時の事だろうか、それとも俺が託した時の事だろうか。

 みんな俺を守りたかったのだと語ったセラは、深海の瞳を伏せ、痛みに耐えるような表情を浮かべる。



《だから私達は、カリアを守りたかった……救けたかったの》


「……セラ……」



 俺の唯一を守る事。

 それがこの世界に遺った俺の心を守る事になるとわかっていてくれたんだろう。

 セラの胸が締め付けられるような声に、俺は彼女の名前を呼ぶしかできなかった。



《……叶うならカリアの事は言いたくなかった。知ってほしくなかった。

 だって知ればあなたは必ず傷付いてしまう。自分を責めてしまう。

 ずっと傍にいたから知ってるもの、あなたはそんな子だって》



 ──思えばセラは、ずっと俺の全てを守ろうとしてくれたんだ。

 水の精地で再会した時、カリアが邪龍であると話す事で俺が傷付かないように黙秘を選んだ。

 俺が邪気に堕ちず、大切な家族であるダルクを助けられるように。



《精霊化した時、あなたの想いにも触れたわ。

 だからカリアを求めてるのはわかってた……絶対話さなきゃいけないって、わかってたのに……あなたまで堕ちてしまったらと思うと、言えなかった》



 あの時は、俺も少なからず邪気の影響を残っていた。

 そこでカリアが堕ちた事を聞かされていれば、少なからず俺の心に陰りが生まれていただろう。

 その陰りは内から蝕む毒となり──ダルクを助けるために精霊化したあの時、俺は邪気に呑まれていたかもしれない。

 俺は、強い人間ではないのだから。



《キョーヤ》



 俺の名が呼ばれると同時に、ふわりと視界に青が舞う。

 瞬きした後には、俺の体は柔らかな温もりに包まれていた。



《私はどんな時もあなたの力になる。

 今度は離れたりなんかしない。あなたを一人になんかしない。

 最期の瞬間まで、最期のその先まで一緒にいる》



 ぎゅう、と優しくも力一杯抱きしめられる。

 それと同時に告げられたのは、精霊達の総意では無く、英霊としてでも無く、セラだけの決意だ。



《前は許してくれなかったけど、今度は許してくれる?》


「……あぁ、わかった。もう置いて逝ったりしない」



 動かない手の代わりに、セラの肩口へ頭をすり寄せる。

 それに反応し、少し距離を置いたセラと視線を合わせれば、お互いに自然と笑みが溢れた。



「二人共、一緒に来てくれるか?」


《もちろん》


《どこまでも》



 あの時とはまるで正反対だ。

 そう思ってしまって出た苦笑いをそのままに、セラとダルクの二人へ確認すれば、それぞれ普段と変わらない明るい返事が返される。

 そんな俺達を、一人近くにいながら遠く見つめる友がいた。

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