選ばれし存在の宿命

 全てを潰そうとするかの如く重い沈黙が部屋を支配する。

 鈍い淀みに流れを生み出したのは、俺の手を握り続ける清らかな水だった。



《その後はキョーヤも知ってる、のよね》



 セラの確認の問いに、今も真実を信じ切れていないが小さく頷き返す。

 こちらの世界に来たばかりの時、状況を把握するためにこの世界に何が起こったかは聞いている。


 邪龍が何をもたらし、世界がどうなったか。

 当事者から聞いたわけではないが、俺が知る事実とダルクが確認を兼ねて語った事実はほぼ変わりは無かった。



《邪龍となったカリアは手始めに、戦争を始めた挙句、内乱まで起こしていた国を滅ぼした。

 堕ちてすぐだったからまだ俺達のことだけは判別できたんだろう。駆け付けた俺達には攻撃しようとしなかった。

 その隙を突いて誰も近付けない場所へ、世界の始まりであり神に最も近い場所、ディーシア山の山頂に在る神殿へ結界で閉じ込めた。

 だが、結界から溢れ出るカリアの力──邪気によって世界は崩壊に向かっている》



 カリアがその国を滅ぼしたのは、戦争を始めたからという理由だろう。

 俺の願いを裏切った最初の国だから、最初に滅ぼした。



 名前も知らない国だ。一体どのような国が在ったのかは知らない。

 だが、現ユニエルの東に位置する国というと、俺の記憶に間違いが無ければ、あの国が在った場所だ。


 俺の願いを最初に請け負った王族が治める国であり、俺の母国──グリティード王国。

 俺が死んだ後、何も問題無ければ元在った場所で、元在ったように復興を進めるはず。

 300年の年月の間にグリティードという名は変わっても、彼の王族の血脈は今もあの場所に受け継がれているだろう。



 元々、彼の王は血の気の多い人間だった。

 その血が受け継がれ、俺の願いを忘れて戦争を始めたと言われても、どこか納得できてしまう。

 最早薄っすらとしか覚えていない王の顔は、セラと繋がる手に力を込められたことで掻き消えた。



《女神はこの事態に、自分の力を受け入れることのできる存在をこの世界へ召喚する事を選んだの。

 自分の力である浄化の力を受け入れ、且つ魔力を豊富に持つ存在を》


「……それが勇者か」



 この世界に呼ばれ、世界の危機に巻き込んでしまった彼等の顔が脳裏に浮かぶ。

 ただのクラスメイトで親しい友でもなかったが、戦いを知らない子供達を巻き込むなど、俺はどうも許し難い。


 異世界に干渉できるのであれば、俺だけを呼べば良かったんだ。

 俺はこの世界に戻りたかったし、女神は世界を救いたかった。

 あいつの助けを得るという形になるのは癪だが、戦いも力の使い方も知らない子供を戦わせるより、俺だけが戻ってくれば良かった。

 そうすれば彼等は戦いを知らず、そのまま平和な生活を送る事ができていたのだから。



 まさかとは思うが、女神は俺の事がわからなかったのだろうか。

 肉体は全く別物だとしても、力の根源である魂は変わっていないのに、俺がジークだと気付かなかった?

 それとも……別の理由で俺を選ばなかった?


 女神の取った行動に疑問を抱いていると、ガヴェインの魔力が揺らいだ。

 そちらを見れば、彼は金色の瞳に怒りを滲ませ、手の平に爪が食い込むほど力を込めて手を握り締めていた。



「勇者、な……ふざけるのも大概にして欲しいもんだ」


「父上……」



 苛立ちを隠すことなく、吐き出すように呟くガヴェイン。

 その傍らで心配そうにガヴェインの背中へ手を当て様子を窺うジーアスは、唇を噛み締め、酷く複雑な表情を浮かべている。



「……頭じゃわかってる。アレがこの世界を捨てた理由も、そうせざるを得なかったのも、アレが在るから世界が生きているのも、全てわかっているし、謝罪も受け入れた」



 女神に対する怒りか、それとも勇者という存在か。

 忌々しげに怒気を滲ませるガヴェインの言葉は止まる事を知らず紡がれ続ける。



「だがな、いくら世界の為だとしても、俺個人は赦せない。

 大事な親友をみすみす死なせた挙句、今度は世界を守り続けた存在を殺そうとしてんだ。

 王として、この世界の存在としてすべきことは理解してるが、俺個人としては生涯赦さねぇよ」


「……おい待て、何を殺そうとしているって?」



 魔王ガヴェインとしてではなく、ただのガヴェインとして語った言葉。

 その中に出て来た内容に思わず問いかけると、ガヴェインは力なく首を横に振り、俯きがちに続けた。



「勇者とやらには何も知らされていないんだよ。

 銀龍のことも、邪龍のことも。この世界が滅びに向かう真実も知らない。

 何も知らないまま邪龍を敵だと刷り込まれている」



 暗い表情で話すガヴェインに嫌な予感が過ぎる。

 まさか、そんなはずは無いだろう。

 そう自分に言い聞かせるが、心臓が鷲掴みされたかのように嫌に脈打ち、嫌な予感は収まる事を知らない。

 知らず知らずのうちに手に力が籠るが、セラは何も言わず、ただ何かを耐えるように眉を寄せていた。



「世界を復興させるためとはいえ、女神は力を分け与え過ぎていた。

 アレがカリアと真っ向から戦えば、間違いなくカリアが勝つ。

 女神の対の座が空白の今、女神が消えればその瞬間、この世界は終わる」



 大精霊と呼ばれるほど強い力を持つ精霊を新たに生み出し、神の力である浄化の力をこの世界の存在が持てるよう世界に分け与えたのだろう。

 それほどの事をすれば女神であろうと力の消耗は激しいはず。

 そんな女神に対し、カリアは長い眠りにつき、力を取り戻して目を覚ました。


 銀龍は神と女神によって生み出され、神と同等の力を宿している。

 どちらに勝敗があるかなどわかりきった事だ。



 邪龍を止める力が必要だった。

 だから女神は元々強い力を秘めていた彼等を選び、強い浄化の力を与えたのだろう。


 それはわかる。理解はできるんだ。



「だから、そうならないように。

 カリアを殺すために、女神は勇者を選んだんだ」



 だが、その言葉を聞いた時、俺の思考は止まった。



「カリアを、殺す……?」



 理解できない言葉が二つ並ぶ。

 俺の中では決して合わさる事の無いはずの言葉。

 それを古くからの友に告げられ、俺は込み上がる感情のままガヴェインへ手を伸ばした。



「なに、言って……どうしてカリアを……っ!?」


《キョーヤ!》


「キョーヤ様、どうか安静に……!」



 痛みに身体が悲鳴を上げるが、構う事無くセラの手を振り払いガヴェインへと掴みかかろうとする。

 しかし起き上がっていることすら辛い今の俺には、椅子に座っているガヴェインとの間に開かれた僅かな隙間も越えることは叶わず、痛みと重力に従いベッドから落ちかけたところをダルクが受け止めた。


 ダルクが俺の身体をベッドに戻し、ジーアスが悲痛な声で安静にするよう訴えて来る。

 俺だってガヴェインに当たったところで何の解決にもならないとわかっている。

 だが、心の底から湧き上がる激情に、叫ばずにはいられなかった。



「っ、ふざけるな!! カリアは、カリアはずっと……!」



 一度死んだところで忘れはしない。

 俺の愛しい唯一の姿が鮮明に思い浮かぶ。



 俺を背に乗せ、楽しげに空を飛ぶ愛しい彼女は、本来であれば遥か遠く、高みに在るはずの存在だった。

 その銀翼を求め、共に在る事を願わなければ、彼女は今も孤高にいただろう。


 世界を守る存在。本来では交わる事など無い存在。

 彼女はそう在るように神に定められこの世界に生まれ落ちた。

 それは真実で真理で、彼女自身の運命だった。



 だが、それでも。

 人を乗せる事も、人に混じり過ごす事も初めてだと笑ったカリア。

 あの時の、散りゆく桜のように儚い笑顔を、俺は薄れる事無く覚えている。



「カリアは、ずっと……一人で戦って来たんだぞ!?

 神の使いとしてこの世界に生まれ落ちてから何千年、何万年もの間、ずっと一人で……!!」



 怒りか、悲しみか、絶望か。

 何と呼ばれる感情なのか分からない激情が心の底から溢れ出し、突き動かす衝動のまま再び吠える。



 世界の危機が訪れた時にのみ人の前に姿を現す神の使い。

 それはこの世界が創られ、様々な種族の文明が築かれ始めた頃から定められた役目だ。


 何千年、何万年とも過ぎた時間の中で、彼女は一人、この世界を守り続けて来たんだ。たった一人で。



「それを世界の為に殺すだと……? ふざけるな! 守られるだけ守られて、助けてもらうだけ助けてもらって、その結末がこれか!?

 堕ちたカリアを救おうともせずに、最後まで抗う事もせずに見捨てて! っ、女神も、この世界も、自分達が助かればそれで良いのか!!」


「俺達だってそんなのやりたかねぇよ!!」



 ジーアスが俺の身体を抑えようとしてくるが、それを振り払い衝動に任せて声を張り上げる。

 そんな俺に、ガヴェインは語気も荒く、歯を剥き出しにして憤怒を露わに声を張り上げた。



「銀龍を殺すなんて真似、させてたまるか……!」



 絞り出した言葉には苦悩が滲み、ガヴェインは険しい表情で唇を真一文字に結び、俺から目を逸らす。

 一拍の後、深いため息を吐いた彼は、膝に肘を突き、前髪をかき上げるように額へ手を当てて目線を隠したまま口を開いた。



「……だけどな、瘴気であれ邪気であれ、そこに堕ちた存在を救うのは難しい。

 この世界でそんな真似ができるほど浄化の力を操れるのは、お前ともう一人だけだ。

 しかもその一人はこの世界の膿のせいで病んでしまった」



 後悔の念を感じさせる声で語られた内容に、以前聞いた浄化の力を持つ者の末路を思い出す。

 いくら女神が分け与えたとしても、元々銀龍のような特別ではない存在には強すぎる力だ。

 無理に使い過ぎれば、痛みに耐え続けていた彼のような状態になり、最悪の場合死に至る。


 恐らくそのもう一人の人物も、酷使され続け失われたのだろう。

 ふつふつと込み上がる憤怒の感情の矛先が分からず、ただただ歯を噛み締める。

 そして続けられた言葉に、俺は激情を抑え込む他なかった。



「何より、銀龍ほどの存在が堕ちたんだ。

 あれほどの力を抑えた上で救うなんて、お前でも難しい。そんな事ができるのはそれこそ神だけだろうよ」



 貫く痛みは体の痛みだろうか、それとも心の痛みだろうか。

 ガヴェインの言葉は真実だ。

 事実、あの時の俺では力が足りず、彼を救う事ができず、終わらせてやる事しかできなかった。

 瘴気に堕ちた彼を、殺してやる事しかできなかったんだ。



《……水の精地に行った時、カレウスから聞いたの。

 キョーヤが浄化した翌日、彼等は精地を訪れ残った邪気の浄化を行った。

 だけどその浄化の力はあまりにも力任せで、大精霊の補助とカレウスが張った結界が無かったら、近くの村の人間達が死んでいたかもしれないって》



 黙り込んだ俺達に代わり告げられたセラの言葉に、あの時出会った老人の顔が脳裏を過ぎる。

 邪気に満ちたあの村に残っていた老人は言っていた。

 この村に残っているのは邪気に侵され動けない者と、その傍に寄り添うと決めた者。そして村で死ぬ事を選んだ者だけだと。


 俺はこの力を使い慣れているから、カレウスのように堕ちた者を救える程度には扱える。

 だが、こちらに来たばかりで浄化の力どころか魔力すら使い慣れていない彼等はそうはいかない。



《確かに勇者達は女神に力を与えられた。

 それは俺達が欲しくとも手に入れられない、大精霊よりも強い浄化の力だ》



 邪気は浄化の力で消す事ができる。

 けれど力任せの浄化は、衰弱しきった者に強すぎる薬を与えるような物だと、彼等は知らないのか。知らされていないのか。



《だがな、今の彼等はカリアどころか、邪気に堕ちた者を誰一人救うことなどできない。

 いわば女神の執行人のような存在だ》



 揺れなど微塵も感じさせないダルクの冷静な声がやけに響く。

 あぁ、やはり銀龍も英雄も、勇者も、神に選ばれた存在が背負う荷の重さはろくな物ではない。



 ──それでも俺は、背負う事を選び続けよう。



「なら、彼等がカリアを殺す前に、俺がカリアを救う」



 勇者は誰も救えない?

 俺は勇者ではない。だが、英雄になった。



「カリアは俺の唯一だ。カリアに会うために、俺は俺として生きて来た」



 神にしか救えない?

 俺は神ではない。だが、彼の力を宿している。



「俺はカリアを諦めない。何があろうと、諦めてたまるか……!」



 例えどんな代償を払う事になろうとも、再び英雄の名を背負う事になろうとも。

 それでカリアを救えるのなら構わない。


 自分の胸を掴み、揺るがぬ決意を告げる。

 一度死んで、再び生まれて、遠い空をずっと求め続けて来たんだ。

 今更諦めてたまるか。最後の最期まで諦めてたまるものか。



「ダルク、セラ。みんな、力を貸してほしい」



 消えゆく彼は、最期の力で俺を救って消えた。

 彼は笑っていた。俺も自分で選んだ道だった。



 でも──



「俺は今度こそ救ってみせる。

 もう誰も、失ってたまるか……!!」



 ──でも、誰かを犠牲に生きるのは、もううんざりなんだ。

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