英雄の呪い

 俺の最愛、俺の全て。

 そんな風に愛したのは俺だけじゃない。

 彼女も俺を、カリアというただ一つの存在として愛してくれた。


 カリアは神の力その物だ。

 悠久の時を一人戦い続ける運命にあった彼女には、他者を愛するという感情は必要なかった。

 カリアにとっては、この世界の存在は全て等しく一つの命であり、特別なんて存在しなかった。


 そんなカリアの唯一の存在に、俺はなったんだ。



「俺の、せいか」



 弱々しい声と共に震えた言葉が零れ落ちる。

 溢れる感情に行き場は無く、シーツを弱く掴むことしかできない身体がやけに痛む。



 ──彼は言っていた。

 深い愛は時に淀み、毒に変わると。


 彼がこの世界にもたらした力は、元はと言えば彼のこの世界に対する愛情故の行動だった。

 それは長い年月の中で歪み、淀み、毒に変わり、彼自身を蝕み、あの結末へと誘った。



 カリアもそうだとしたら。

 彼とカリアは、親子のような存在だ。二人共似た性質を持っている。


 彼女は俺を愛してしまった。

 それを失ったカリアが、歪んだのだとしたら。



「俺が、死んだから。カリアが俺を……」


《違うわ!》



 鎖で縛り付けられるかのように痛みを発する心臓に顔を歪め、呆然と呟く俺に、セラは否定の言葉と共に俺の手を取った。

 慈しむように優しく、けれど力強く取られた手からはシーツが解放され、パサリと音を立てて元の場所へと落ちる。

 自然と下がっていた視線をセラへと向ければ、彼女は小さく首を振りながら、澄んだ蒼の瞳に溢れんばかりの涙を溜めていた。



《違うの、あなたのせいじゃない。あなた達は悪くない……!》


「……セラ……」



 首を横に振り続け、俺の手に縋り付くセラの名を呼ぶ。

 溢れた涙が白い頬を伝い、声にならない否定を繰り返す彼女に代わり、ダルクがその先を引き継いだ。



《確かにカリアは悲しんだ。

 お前の死に嘆き、300年近く眠り続けるほどの想いを抱いていた。

 だが、それで堕ちたんじゃない。

 カリアは……自分の意思で堕ちた。悲しみではなく、憎しみで堕ちたんだ》



 何を、言っているのだろう。

 告げられた言葉がどうにも信じられず、ただ呆然とダルクを見上げる。

 その表情は、苦痛とも苦悩とも罪悪感とも絶望とも取れる、複雑で悲痛な感情で歪んでいた。



「……お前もカリアも悪くない」



 ダルクの感情に固まる俺へ、今度はガヴェインが呟く。

 古くからの友の表情は腰まで伸びた長い深紫色の髪に隠れて窺えない。

 だが、膝に置かれた手が震えるほど強く握り締められているのが良く見えた。



「責任を問われるべきは、俺達この世界の存在だ」



 そう、自責の念を滲ませる声で告げたガヴェインは微かに俯いていた顔を上げ、金色の瞳を真っ直ぐ俺に向けた。



「……順を追って、話そう」



 必死に感情を押し殺した声で呟き、ガヴェインは両手を組んで姿勢を正す。

 まるであの時のようだ。

 忘れられない、最期に別れたあの日。

 あの日と似通った、苦悩に満ち溢れた瞳に、自然とセラと繋がっている手に力を込めた。



「300年前、愛しい存在であるお前を失ったカリアの悲しみは深く、肉体と精神の傷を癒やすために長い眠りについた。

 それを見送った俺達は、生き残った者達を率い、種族の垣根など取り払って強力し、荒廃した世界の復興に勤めた。

 それが命を賭したお前と、眠りについた銀龍のためにできる唯一の事だと思って、な」


《多くの精霊が消え、精地も深い傷を負っていた。

 だからお前やカリアの影響を受け、強い力を持っていた俺達は、それぞれの精地に分かれてこの世界の復興に力を注いだ

 お前が救った世界を守るために。カリアが静かに痛みを受け入れられるように》


《それから女神が戻って来たり、女神によって大精霊が生み出されたり、浄化の力を持つ者が生まれるようになったりって色々あったけど……世界はゆっくりと蘇っていったの》



 ガヴェイン、ダルク、セラが順に話していく。

 俺はそれを黙って聞きながら、知らない過去を一つ一つ呑み込むしかなかった。



 あの時はカリアも世界も、誰もが消耗しきっていた。

 ましてやカリアは矢面に立ち世界を守っていたんだ。

 彼女が眠りにつくことも、浄化の力こそ持たないが強い力を持つ俺の家族が精地を守っていたのも想像できる。



 そしていつの日か、女神が戻って来るのも、予想はしていた。



 神がいない世界は存在し続けることができない。

 この世界の神の座は二つ在り、一つは彼が、もう一つを女神が座していた。

 彼が消え、女神がいないままであれば、そう遠くない未来にこの世界は崩壊していただろう。


 だからあいつが戻って来ている事自体に疑問は無い。

 というより、何があろうと戻って来なければならない存在だ。

 戻って来て、廃れた世界に力を与え、大精霊を生み出したとしてもおかしくはない。



 浄化の力は、元は神の力だ。

 恐らく大精霊が浄化の力を持ち、その力が世界に広まり浄化の力を持つ者が生まれるようになったのだろう。


 瘴気の大元は俺が浄化したが、いつ再びその脅威が甦るかはわからない。

 あれも元は神の力だ。それが生きとし生ける者の負の感情に触れ、淀み、歪み、瘴気となって命を奪うようになっただけ。

 今までそれに対する力は銀龍しか持っていなかったが、銀龍は眠りにつき、世界の守護者がいない状態になった。

 それを戻って来た女神がどうにかした、という話だろう。想像に難くない。



《そうして250年の時が経ち、今から50年ほど前。

 ようやく瘴気の傷が全て癒えた頃。カリアは目を覚ました》



 語られる過去を俺が呑み込む時間を持たせながらダルクは話を続ける。

 告げられた時の長さに気が遠くなりそうだったが、銀龍が世界に降り立ち戦うのは何百年に一度の事だと聞いている。

 それを思えば、彼女が眠り続けた年月はそう長く無いのかもしれない。


 彼女の眠りは穏やかだったろうか。

 静かに眠れただろうか。


 そんなことを考えてしまうが、カリアがそうせざるを得なかった要因の一つは俺だ。

 悲しませるだけ悲しませ、全てを託した俺には知り得ない彼女の過去を聞き漏らさないように、再び過去の話へと意識を傾けた。



《カリアは、あなたの愛した世界を守るために起きたの。

 深い悲しみを受け入れて、あなたの願いを受け止めて、自分の使命としてじゃなく、自分の意志でこの世界を見守ろうとしてくれた》


《銀龍として空を飛びまわったり、カリアとして人や魔族の中に紛れたりと、自由に過ごしていたんだ。

 時折お前を思い出して泣きそうになってもいたが、それでも気丈に過ごしていた》



 俺を通して過去を見ているのか、どこか遠い目をして語った二人が揃ってそこで表情を曇らせる。

 言葉を区切り、息を整え、何かに耐えるように目を瞑ったダルクは、数秒の沈黙の後、沈痛な面持ちで言葉を紡いだ。



《だというのに……3年前のある日、カリアは人が起こした戦争に巻き込まれた》


「戦争……か……」



 やはり俺の願いは途絶えてしまったのだろう。

 ダルクが告げた重く暗い響きの言葉を繰り返し呟き、彼等から視線を逸らす。



《……お前は、あの日生き残った者達に願った。

 「もう戦争なんて起こさないでくれ」と。「それが世界に願う事だ」と》



 世界は俺に死ぬ事を求めた。

 その代償に、世界は俺の願いを叶える事を誓ったのだ。


 俺はカリアと共に世界を巡り、多くの命と出会った。

 生きることにどんな種族も存在も関係ない。皆、一つの命を持って生きている。

 そして種族の壁など越えて、互いを大事に思う事ができるのだと知った。



 だからこそ、俺は願った。

 もう戦争で親を失くす子がいないように。

 もう戦争に捧げられる贄が出ないように。

 俺のような人間が、もう生まれないように。



 小さな【まじない】として、その願いを世界へ告げたんだ。

 いつか錆びつき、歴史の闇に消える願いでも良いと、少しの間の呪縛で良いと、世界へ残した【まじない】。

 それがカリアを苦しめたというのか。



《英雄としてのお前の願いを、彼等は請け負った。

 死にゆくお前の願いを叶えると、彼等は誓い合った。

 だがその誓いは長い時の流れに埋まり、人々はお前の願いを忘れ──欲に堕ちた者達が戦争を始めた》



 ダルクの低い声で淡々と語られる人々の過ちに、ガヴェインとジーアスが二人揃って苦々しげに唇を噛み締める。

 その様子に親子だな、とどこか頭の隅で思ってしまうが、同時にカリアと交わした言葉が甦った。



《止めようとせず高みの見物を決めた者がいた。

 これを機に戦を仕掛けようと画策する者もいた。

 俺達はそれら全てを止めなければならなかったのに、止める事ができなかった》



 カリアは言っていた。

 時の流れは残酷だと。



《お前もカリアも、悪くない。

 悪とするなら、それはお前の願いを踏みにじったこの世界全てだ》



 銀龍は教えてくれた。

 約束など忘れられることの方が多いと。



《……この世界は、あなたの最期の願いを穢した。

 だから銀龍は、邪龍としてこの世界に君臨したの》



 彼女は、最後に尋ねた。

 本当に永遠に守られると思っているのか、と。



《裏切ったこの世界を赦さなかった》



 ──彼女は何百年も、何千年もこの世界を見守っていた存在だ。

 戦争なんて俺が生まれる前から何度も繰り返し起こっていた。


 だから俺の願いは、ただの願いに過ぎなかった。

 精霊達も誰も知らない、俺とカリアの二人だけの時間。

 その時にカリアは俺に問いかけた。



 「いつか裏切られる願いだろうが、それで良いのか」と。



 俺は確かに、彼女に愛された唯一の存在だった。

 だが彼女は不変など無いと誰よりもわかっていた。

 それでも彼等の宣誓を見届けたのに、本当に──?




 疑問が頭を埋め尽くす。

 俺の記憶も、彼女が堕ちた事も全て事実だ。


 長い眠りの中で、何か変化でもあったのだろうか。

 それとも単に、カリアが堕ちるはずがないと心のどこかで思っているからだろうか。



 家族に語られた過去の真実に、俺は戸惑いを隠すことなどできず、ただ黙り込むしかなかった。

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