闇の中で

 俺達の中に微塵にも残さないよう一気に浄化する。

 最後の一欠けらを完全に浄化すれば、消費した魔力を補うかの如く、精地の加護も合わさって大量の魔力が溢れ出た。


 あの頃と全く変わらない。

 淡い月明かりが照らす夜のような穏やかな静けさ。

 その奥には無限に続く宙の偉大さや冷たさに似た強さが内包されている。

 みんなのまとめ役をしてくれる優しさを持ちながら、大切な存在以外はどうでも良いと言い切っていた。

 そんなダルクの性格が反映されているような、闇に満ちた魔力。



 ────痛みは消えた。



 静かに溢れ出る力のままに、俺達はゆっくりと立ち上がる。

 さっきまで立っているのもままならなかった体が嘘のようだ。


 全てを包む闇に溶けるように、落ちるように、浮かぶように──ただそこに、俺達は立つ。




 朧だった足がしっかりと形を持って地に立つ。

 歪だった身体はいつの間にか黒に銀の装飾を施した服を纏っているが、じっくりと確認する余裕は無い。



「《──帰って来たんだな》」



 俺の呟きか、ダルクの呟きか。

 零れるように出た言葉はきっと、どちらの物でもなく、どちらの物でもあるんだろう。




 ──ジーク、なのか。


 ──ダルク、詳しい話は……。


 ────……あぁ、後にしよう。約束したんだろう?




 精霊化して俺の記憶の断片でも見たのだろう。

 弱っているがそれでも十分な力はあると微笑むダルクに短く感謝の言葉を告げ、俺達は周囲の魔力も取り込み、練り上げる。



《キョー、ヤ》


「《時間が惜しい。お前達はそのまま抑えていろ》」



 どこか怯えに似た感情が見え隠れする瞳でこちらを窺うセラにそう告げ、ふらつく足取りで精地の中心へと進む。

 彼女は俺達の指示に驚いてはいたものの、すぐに何をしようとしているか察してくれたようだ。

 俺達の背後で、外から流れ込んでくる邪気がセラの魔力で抑えられ続けているのが手に取るようにわかり、俺達はただ前へと進んだ。




 邪気に侵され過ぎたか。浄化の力を使い過ぎたか。

 せっかくダルクを救えたというのに、俺自身の限界が近付いている。

 ダルクも邪気は浄化したとはいえ普段通りというわけにはいかないのだろう。


 正直、俺自身の魔力は精霊化をぎりぎり保てる程度しか残っていない。

 ダルクも似たような物で、精霊化の維持を優先するために深くへと潜っている。



 だが、ここは闇の精地だ。

 精地を侵していた邪気はさっきの浄化でほとんど消えた。

 それにセラとジーアスが外からの邪気を防いでくれているおかげで、通常時に近い状態を保てている。

 これなら水の精地の時よりも精霊としての力を発揮できるだろう。



 あいつとの約束を果たすのは、それで十分だ。



 よろめくのと同時に乱れそうになる魔力の波長を深く呼吸する事で整え、顎を伝っていく血を腕で雑に拭う。

 水の精地の時のような丁寧な浄化はできそうにないが、力任せに浄化するぐらいならできる。

 頭上で淡く光を放つ魔晶石を一度見上げ、俺達はその下に続く深淵へと飛び降りた。



「っ!? ジーク様!!」



 遠く、ジーアスの焦燥に満ちた声が響く中、俺達は深淵へと落ちていく。

 光など一つもない深淵は何も見えず、俺達はただ精神を研ぎ澄ませた。



 ──範囲はランディリア全域。



 俺達の意思に呼応して、深淵の底から力が這いあがってくるのがはっきりとわかる。

 その膨大な魔力を取り込んで全て浄化の力へと変換する傍ら、精霊として闇へ溶けてランディリア全域へと自分の力を広げていく。



 ──あいつが張った結界の中、その全て。



 人のいない街並、城内で静かに終わりを待つ魔族達、外から流れ込んで来た邪気に身を寄せ合う魔族達、一人の魔族を助けようと浄化の力を使う何人もの魔族達。

 溶け切った闇は様々な存在の傍へと広がっていく。

 今回の浄化は荒療治になってしまうが、それで危険になる者はあいつ以外居ないようだ。


 あいつが戦っている部屋の周辺には届かないように。

 少しだけ細工をしてしまえば、後は心置きなく力を使える──そう、俺達は深淵の奥底で小さく笑った。



「《深淵よ》」



 最早境界など溶け切った静寂に俺達の声が響く。

 深淵に呑まれた声は反響し、まるで準備が整ったと応えるかの如く精地が脈を打つ。



「《どこまでも包め》」



 俺達の意志に寄り添い、深淵が力となって精地に溢れだす。

 深淵から精地へ、精地からランディリアへ。

 ランディリアを覆う結界に沿うように、急速に広まっていく浄化の力。

 その力の奔流は数秒の内にランディリア全域へと広がり、邪気の逃げ場など作る事無く全てを包み、浄化していく。


 だが、いくら精霊化し、精地に取り込まれる形で浄化の力を使ったとしても、限界は誤魔化せない。

 意識が遠のいて行くのに身を任せ、俺達は目を閉じた。






 ────星空が煌めく────



 月の無い静けさに満ちた夜。

 そこに可愛らしい寝息を立てて眠る少女が一人。



 ────小さな身体は身じろぎし、少女は何か寝言を言う────



 ごろりと寝返りを打ち、毛布を抱きしめるように眠る少女。

 その様子を闇の精霊達が微笑ましそうに見守っている。



 ────ただ、「『     』」と呼ぶ声が酷く寂しそうで────






 ──ジーク。



 内から聞こえた声に、闇へ落ちかけていた意識を掴む。

 解けそうになっていた精霊化に、反射的に魔力の波長を整える。


 どうやら闇に溶け過ぎて完全に同化しかけていたようだ。

 感覚がほとんど無い右手を握り締め、朦朧とする意識をどうにか保ち、闇から抜け出す。

 弊害として視力が戻って来ていないが、セラとジーアスの魔力を頼りに上へと向かい、深淵から精地へと飛び出た。



《キョーヤ! ダルク!》



 何も映さない視界と力の入らない身体にバランスを崩し、その場へ倒れ込む。

 暗闇の中でセラの声がやけに響いたかと思えば、俺達を支えようとしてくれたのかセラが俺達を抱き留めているようだ。

 良く馴染む魔力に受け止められ、安堵から身体が崩れ落ちそうになるが──俺はまだ、約束を果たせていない。


 倒れそうになる身体を無理矢理足を動かすことで支え、その場に踏みとどまる。

 俺の負担にならないよう静かに離れようとしていたダルクが戸惑う気配を感じたが、精霊化の維持を頼み意識を上へと向けた。



《キョー、ヤ……?》



 傍から不安を滲ませたセラの声が聞こえてくる。

 安心させてやりたいけれど、それはできそうに無い。



「《わるい、な》」



 とっくに限界を迎えているのはわかっている。

 意識は朦朧としているし、身体は満足に動かせない。

 短時間に二度も精霊化して急速に強度が増したのか、魔力管はまだ炎症こそ起こしていないが、それももう限界だろう。


 それでもまだ精霊化を解くわけにはいかない。

 まだ、倒れるわけにはいかないんだ。



 足りない魔力を補うために精地の魔力を取り込むと、魔力管が熱を孕み始める。

 ダルクとセラが俺の名前を呼ぶのが聞こえたが、それに耳を傾けずに必要な魔力を取り込む。



《待って、ダメよ! っ──ジーク!!》



 悲痛な声を上げて俺達の肩を抱きしめるセラ。

 その手から逃れるように、宙に流れる魔力へ身を投げた。




 長い通路を通り抜け、螺旋階段を一気に飛び上る。

 そのまま扉から躍り出て、近くの窓を通り抜け、城外へと飛び出た。


 邪気が消え去ったとはいえ結界はまだ張られたままで、魔力も空気も酷く淀んでいる。

 魔力が淀んでいると飛びにくいのだが、浄化の際に小さな流れでも生まれていたのだろうか。

 微かに在る流れを利用して目的の場所へと飛んで行く。



 目が見えなくとも気配でわかる。

 懐かしい気配のある部屋へと窓を割る勢いで入り込み、実体を現すと、あいつを囲っていた魔族達がこちらへと意識を向けた。



「《どいて、くれ》」



 掠れた声を振り絞り、倒れそうになりながらあいつの傍へと歩み寄る。

 一拍の間を置いて数か所から剣を抜く音がして、緊張が広がっていく。

 そんな中、場違いに思ってしまうほど呆けた声が呟かれた。



「キョーヤ、殿?」



 はて、この魔力の持ち主は誰だったか。

 記憶を漁ろうにも俺の意識は限界で、あいつの傍へ行くこと以外に意識を向ければ落ちてしまう。

 そのため気に留めることを止め、俺達はただ警護の者の間を転移ですり抜け、あいつの傍に──ガヴェインの傍に立った。



「……ジーク……お、まえ……」



 ガヴェインも俺達と同じように限界が来ていたようだ。

 さっきよりも覇気の無い気配が俺達を捉えると、横たえられた手が微かに動く。

 俺達へ手を伸ばそうとしているのか、動こうとするその手へ、自分の手を重ねた。



「《や、くそく……しただろ……》」



 握る事はできず、ただ重ねただけの温もり。

 その温もりと弱り切った魔力へ向けて、ゆっくりと自分の魔力を注ぎ始める。



《ジーク!!》



 俺達を追って彼女も転移して来たのだろう。

 セラの声が響くとほぼ同時、俺達は自分の魔力で作った道を使い、ガヴェインの魂へ浄化の力を流し込んだ。



「おい、何を……!」


《お願いやめてジーク! これ以上は、これ以上は……!!》


「っぁ……!? おい、よせ……やめろ、やめてくれ……!」



 氾濫した川にも似た胸が張り裂けるような叫びが響く。

 内から苦々しい声が上がる。

 しゃがれた声が周囲へ向けて「こいつを止めろ」と叫ぶ。



 戸惑う声と俺の名前を呼ぶ声が聞こえるが、そんな物で止めるつもりは無い。

 残り僅かな自分の魔力と先ほど取り込んだ精地の魔力。

 その全てを浄化の力に変え、ガヴェインの中に巣食う邪気を全て浄化していく。


 少々荒いが結界を張り続けられる程度には魂を守っていたはずだ。

 多少の痛みは、今まで騒動に巻き込んで来た事の仕返しという事で受け入れろ。

 限界を訴える身体へそう笑って、俺達は性急にガヴェインを浄化する。



 ダルクと同じように欠片一つ残さず浄化し終えた時、俺の意識はぷっつりと途切れた。

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